2026年6月24日水曜日

1970年代の試合:タイロン・エベレット(Tyrone Everett)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

「エベレットvs.コルネリオ・ベガ」「デビッド・ラブvs.ウィリー・モンロー」「ピート・ランザニーvs.アベル・コルドバ」「エルネスト・エスパニャvs.ビエンベニド・キント」を紹介します。


タイロン・エベレット 8R TKO コルネリオ・ベガ

(J・ライト級戦、1976年2月)

エベレット:右ジャブ、左ストレート、右フック   

ベガ:左ジャブ、右ストレート、左右フック

1970年代の試合:タイロン・エベレット(Tyrone Everett)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:エベレットはペンシルベニア州フィラデルフィア出身。これまで34勝(20KO)1敗のサウスポー。アルフレド・エスカレラのWBC世界J・ライト級タイトルに挑戦して2-1で負けたことがある。これはその再起戦。ベガはメキシカンで37勝(33KO)10敗2分。KO率は凄いが、クレメンテ・サンチェスにKOされたことがある。フィラデルフィアでの一戦(TVテロップには「北米J・ライト級タイトル戦 12R」とあったが、記録からするとタイトル戦ではなかったもよう)。共にサウスポー。エベレットは足で距離を取りながらジャブ、そして左ストレート、右フック。ベガも左ストレート、右フックを出すが、手数が少ない。パンチ、動きのスピードでエベレット。7R終わりでベガが棄権(ダウンシーンは無し)。エベレットはあまり攻めないボクサータイプ。パンチは速いが、エキサイティングな試合をする選手ではない。ベガはエベレットの動きに付いていけないまま終わってしまった。エベレットはこの後、もう一試合やった後、恋人に射殺された。エスカレラとの再戦が予定されていた矢先の出来事だった。) 


デビッド・ラブ 4R TKO ウィリー・モンロー

(ミドル級戦、1976年8月)

ラブ:左ジャブ、右ストレート、フック   

モンロー:左ジャブ、右ストレート、フック   

(ダウンシーン)

4R:ワンツーでモンローがスタンディングダウン

1970年代の試合:タイロン・エベレット(Tyrone Everett)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ラブはカリフォルニア州サンディエゴ出身の黒人。デビューから連敗。中堅相手に連勝。そして三連敗。カリフォルニア州王座戦(ミドル級)にTKO負けするなど不安定なキャリア。直前の試合は南アフリカ・ヨハネスブルグで判定勝ち。モンローはアラバマ州出身の黒人。デビューから連勝だったが、二連続判定負けで急ブレーキ。そこから連勝。ユージン・ハート、スタンリー・ヘイワードらに勝利。ボビー・ワッツに判定負けしたが、マービン・ハグラーを3-0で下すなど連勝中。ペンシルベニア州フィラデルフィアでの一戦。似た体格の二人。モンローが左のガードを下げた構えからジャブで前進。ラブは慎重なタイプで、受け身の姿勢。ガードを固めてジャブ。力強い攻めを見せるモンロー(左フックからの右ストレート、ボディ連打)。ところが2Rにワンツーを食って足に来るピンチ。ジャブで体勢を立て直すが、3Rにもワンツーを打たれる(その後、ラビットパンチも食らったが、レフェリーはラブから反則を取らず)。4R、ワンツーでモンローがついにスタンディングダウン。再開に応じたが、足がフラつく。ロープ際で連打されて試合終了。ラブがワンツーで勝利(勝った瞬間、大喜び)。試合運びに難があったが、パンチ自体は良かった。モンローは調子が良さそうだったが、2Rにワンツーを頭の固いところに食ったのが効いた。その後の二人。ラブはボビー・ワッツにTKO勝ち、連敗、ベニー・ブリスコに判定勝利、アユブ・カルレ、カーチス・パーカー(全米ミドル級王座決定戦)らに連敗。引退後はジムを経営し、トレーナーになった。モンローはハグラーとの再戦、三戦目にTKO負け。若手のカーチス・パーカー、ドワイト・デイビソンにも敗れ、「新旧交代」といった形でキャリア終了。甥もボクサーになり、地域王座を獲得する活躍を見せた。)


ピート・ランザニー 7R KO アベル・コルドバ

(ウェルター級戦、1977年1月)

ランザニー:左ジャブ、右ストレート、フック   

コルドバ:左ジャブ、右ストレート、フック   

(ダウンシーン)

7R:右フックでコルドバがダウン

1970年代の試合:タイロン・エベレット(Tyrone Everett)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ランザニーはカリフォルニア州サクラメント出身の白人。身長179cm。口ヒゲがトレードマーク。1973年、デビュー。判定負けが一つあるが、それ以外は好調。決定戦で北米ウェルター級王座を獲得している。コルドバはメキシカンで、ニックネームは「虎」。アルマンド・ムニスに判定負けするなど勝ったり負けたり。ロサンゼルス「オリンピック・オーディトリアム」での一戦。身長差がある二人。共に軽快なフットワークから左ジャブ、ワンツー、ディフェンス。正統派のランザニーはワンツーからの左フック、左ボディ打ち。コルドバは隙を突くボクシングで、特に左フックを当てる巧さ。接近戦。フックでの打ち合い。攻めるコルドバ、応戦するランザニー。7R、それまでと同じような展開の中、ランザニーが攻勢。ワンツー、左フック、ボディへの右ストレート。左ボディが効いたコルドバが右フックでダウン。立ったが間に合わず、カウントアウト。ランザニーが丁寧な戦い方で勝利。ただ、クリーンな試合ぶりだったが、打たれる欠点。正統派すぎるのだろう。コルドバは悪くなかったが、ボディが効いた。その後の二人。コルドバはランザニーとの再戦に判定負け。中堅相手にリング。フリー・オベルにKOされたが、決定戦でメキシコ王座(ミドル級)を獲得できた。ランザニーはブルース・フィンチ、ランディ・シールズに勝利できたが、ピピノ・クエバス、シュガー・レイ・レナードにKO負け、ウィルフレド・ベニテス、ミルトン・マクローリーに判定負け。ラストファイトの相手はニノ・ラロッカで、判定負け。トップにはなれなかったが、名のある選手と対戦。サクラメントのボクシング殿堂入り。)


エルネスト・エスパニャ 1R TKO ビエンベニド・キント

(ライト級戦、1978年9月)

エスパニャ:左ジャブ、右ストレート、フック   

キント:左ジャブ、右ストレート、左フック   

(ダウンシーン)

1R:右ストレートでキントがダウン

1970年代の試合:タイロン・エベレット(Tyrone Everett)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ベネズエラのラ・フロール出身のエスパニャ。ライト級で身長が180cmもある。デビュー四戦目で判定負けしたが、それ以外は好調。このところプエルトリコで試合。キントは何者なのだろう? ニカラグアの選手のようだが、記録に乏しい(敗北の記録が一つあるのみ)。プエルトリコ・サンフアンでの一戦。ガードを固めてジャブを出すエスパニャ。一気に攻めの姿勢になり、右ストレートから独特の左フック。キントはストレート、フックで反撃するが、ディフェンスされてしまう。右ストレートでキントがダウン。立ったが、コーナーに追い込まれて連打を浴びて試合終了。エスパニャが快勝。「いかにもフック」といった感じの手首を活かした左フックに良さがあった。キントは相手の懐の深さに完敗。その後のエスパニャ。連勝を続け、ロベルト・デュランが返上したWBA世界ライト級王座をクロード・ノエルと争ってKOで獲得。初防衛に成功したが、クロンクジムのヒルマー・ケンティに敗北、王座陥落。ケンティとの再戦にも敗北。地元で中堅相手に連勝後、アルツロ・フライアス、レイ・マンシーニのWBA王座に挑戦したが、王座奪回ならず。個性的な左フックに良さがあったが、意外なほど活躍できなかった。弟クリサントも兄に似たところがあり、メルドリック・テーラーからWBA世界ウェルター級王座を獲得。しかし、アイク・クォーティの強打に沈んで王座陥落。)


①「Junior Lightweight 

Tyrone Everett vs. Cornelio Vega」

②「Middleweight 

David Love vs. Willie Monroe」

③「Weltreweight 

Pete Ranzany vs. Abel Cordoba」

④「Lightweight 

Ernesto Espana vs. Bienvenido Quinto」

 

アルフレド・エスカレラ(Alfredo Escalera)のページ

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アルツロ・フライアス(Arturo Frias)のページ

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2026年6月20日土曜日

1960年代の試合:ホセ・トーレス(Jose Torres)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

「フロレンティノ・フェルナンデスvs.マルセル・ピゴー」「ホセ・トーレスvs.ホセ・ゴンザレス」「ジョン・パーソルvs.エディ・コットン」「アーニー・ロペスvs.ヘッジモン・ルイス」を紹介します。


フロレンティノ・フェルナンデス 2R KO マルセル・ピゴー

(ミドル級戦、1961年)

フェルナンデス:左ジャブ、右ストレート、左右フック

ピゴー:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(ダウンシーン)

2R:左フックでピゴーがダウン

1960年代の試合:ホセ・トーレス(Jose Torres)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ミドル級戦。フェルナンデスはキューバ、ピゴーはフランスの選手。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。ファイトスタイルはやや似ているが、フェルナンデスは左フック、ピゴーは右ストレートが武器の様子。共にジャブ。接近戦ではクリンチしながら互いのボディを打ち合う。攻める姿勢のフェルナンデス。ピゴーは距離を取る慎重姿勢。2R、フェルナンデスが攻撃を仕掛ける。左フックを食って後退したピゴーが左右フック連打からの左フックでダウン。立てず、KO。最後はパワーでフェルナンデスが勝利。ピゴーは受け身の試合ぶりだった。フェルナンデスは次の試合でジーン・フルマーの持つNBA世界ミドル級王座に挑戦。2-1の判定で王座獲得ならず。ピゴーはタイトルを獲得することもなく、最後は目の負傷により引退。共に世界には手が届かなかった。)


ホセ・トーレス 10R 判定 ホセ・ゴンザレス

(ライトヘビー級戦、1964年1月)

トーレス:左ジャブ、右ストレート、フック   

ゴンザレス:左ジャブ、右ストレート、フック 

1960年代の試合:ホセ・トーレス(Jose Torres)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:トーレスはプエルトリコ・ポンセ出身。1956年のメルボルン・オリンピックで銀メダル獲得。カス・ダマト(後、マイク・タイソンを指導)の勧めでニューヨークへ。アマチュアをさらに継続後、1958年にプロデビュー。連勝だったが、ベニー・パレット(後の世界ウェルター級王者)とドロー。さらに連勝後、プエルトリコ王座(ミドル級)獲得。TKOで初黒星。再起戦でドン・フルマーに判定勝ちしてゴンザレス戦。ゴンザレスはプエルトリコ・アロヨ出身。1959年デビュー。主戦場はニューヨーク。ルイス・ロドリゲス(後の世界ウェルター級王者)にTKO負け、ジョーイ・アーチャーと一勝一敗。エミール・グリフィスに2-0で敗れた再起戦でトーレスと勝負。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。共にガードを上げてジャブ。攻めの姿勢のゴンザレス。前進して右フックを打ち込み、接近して左右フックでボディ連打。トーレスはキレイなボクシング。距離を取って相手をうかがいながら右ストレート。接近戦では右アッパー、左ボディからの右フック。左フックからの右ストレートにパワーがあるが、クリンチが多め。攻めるゴンザレス。丁寧にディフェンス&隙を狙うパンチのトーレス。10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。映像では攻めたゴンザレスが勝ったように見えたが、トーレス勝利。ゴンザレスのボディ攻めをブロックできていたのだろう。その後の二人。ゴンザレスはディック・タイガーにTKO負け、ドン・フルマーに判定勝ちでWBAアメリカ王座(ミドル級)獲得。その後は勝ったり負けたりになったが、ベニー・ブリスコ、ルイス・ロドリゲス(再戦)、ユージン・ハートといった実力者に勝利。トーレスは連勝。ボボ・オルソンをKO。1965年3月30日、ウィリー・パストラーノをKOして、世界ライトヘビー級王座獲得。ノンタイトル戦でヘビー級のトム・マクニーリーに判定勝ち(勝ったが、腹部にダメージ。引退後も後遺症が続いたという)。三度の防衛後、ディック・タイガーに判定負けで王座陥落。再戦でもタイガーに敗れ、王座返り咲きならず。それが最後の世界戦に。引退後はニューヨーク市の仕事、作家活動。1984年から1988年までニューヨーク州アスレチック・コミッションの委員長職。1990年から1995年までWBOの会長。1994年に世界ボクシング殿堂入り。1997年には国際ボクシング殿堂入り。ボクシング中継の解説者としても活躍するなどボクシングに人生を捧げた。)


ジョン・パーソル 10R 判定 エディ・コットン

(ライトヘビー級戦、1964年2月)

パーソル:左ジャブ、右ストレート、フック   

コットン:左ジャブ、右ストレート、フック   

(ダウンシーン)

6R:右フックでパーソルがダウン

1960年代の試合:ホセ・トーレス(Jose Torres)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ニューヨーク州ブルックリンの黒人パーソル。アマチュアで活躍。1963年のデビューから連勝中の新鋭。コットンはオクラホマ州マスコギー出身の黒人。1947年デビューの大ベテラン。デビュー戦はTKO負け。アメリカとカナダで勝ったり負けたり後、連勝。ローカル王座(ライトヘビー級)を獲得できたが、アーチー・ムーアに判定負け。ニュージーランド遠征後、ハロルド・ジョンソンのNBA世界ライトヘビー級王座に挑戦して2-1の敗北。ペルーのリマでマウロ・ミナに敗北後、連勝中。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦(レフェリーはアーサー・マーカンテ)。似たタイプの二人。スリムな身体から左ジャブ、右ストレート、フック、ボディ打ち。ディフェンスもできる。パーソルは手数をよく出し、右ストレートにキレがある。パワーとボディ打ちの巧さはコットンが上か? 6R、右フックが効いたパーソル。クリンチして倒れまいとするが、ロープ外に落ちるダウン。その後も一進一退。10R終了。判定は2-1。パーソルが手数で勝利。コットンは惜しい。少し力むタイプで、手数が少なくなる傾向があった。ダイレクト・リマッチが行われ、今度はコットンが4RでのTKO勝ちで決着。その後の二人。パーソルは元世界ミドル級王者ボボ・オルソンに2-0で勝利できたが、KO負けするなど二連敗。元世界ライトヘビー級王者ハロルド・ジョンソンに3-0の勝利。後のWBA世界ヘビー級王者ジミー・エリスに1RでKO負け。中堅どころに連勝したが、最後はTKO負けで引退。リングマガジン誌から評価されていたときもあったが、大きな王座には挑戦できず。ニュージャージー州ボクシング殿堂入り。コットンはウェイン・ソーントンに三連敗するなど苦戦。ホセ・トーレスの世界ライトヘビー級王座に挑戦して、3-0の敗北。1967年に後の世界王者ボブ・フォスターにKO負け。引退後は「ボーイング」で働いたり、ワシントン州ボクシング委員会の委員を務めたり。シアトルでレストラン経営もしたそうだ。)


アーニー・ロペス vs. ヘッジモン・ルイス

(ウェルター級戦、1968年?)

ロペス:左ジャブ、右ストレート、左右フック   

ルイス:左ジャブ、右ストレート、左右フック

1960年代の試合:ホセ・トーレス(Jose Torres)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:古い映像で観戦。映像にはテロップが一切入っていないため、いつの試合かは不明(1968または1969年のロサンゼルス)。ネイティブ・アメリカンの血を受け継いでいるため「インディアン・レッド」とも呼ばれるロペスは日本で試合をしたこともあり、ムサシ中野を3RでKO。ヘッジモン・ルイスとは計三度戦っている(ロペスの2勝1敗)。これはそのうちの一つ。ロペスは距離を取ってジャブ、そして右ストレートを狙う比較的丁寧な戦い方。黒人選手ルイスは左のガードを下げてシャープなジャブを打ち、右ストレート、左右フックを思い切って打っていく。動きのスピードはルイスの方があるが、共にディフェンスするため大きなパンチがヒットしない。ボディを攻めるロペス。だが、共にKOを狙うような激しい攻めはしない。ここで映像に編集が入り、勝利に喜ぶロペスの姿。どんなフィニッシュだったのかがわからない映像。ロペスの「2勝」はいずれもTKOによるもの。たぶん、連打でストップ勝ちだったのでは?  ダウンシーンがあったかどうかも不明。試合全般としてはロペスが右ストレートで優勢だったように見えた。後、ロペスはエミール・グリフィスには勝てなかったが、オスカー・ショットガン・アルバラードに判定勝ち。世界ウェルター級王者ホセ・ナポレスへの挑戦は二度ともKO負け。世界王者にはなれなかったが、弟ダニー・ロペスはWBC世界フェザー級王者になり、名選手と呼ばれた。また、ルイスもオスカー・アルバラードに判定勝ち。世界ウェルター級王者ホセ・ナポレスへの挑戦は二度とも敗北したが、ニューヨーク州公認世界ウェルター級王者になった。ラストファイトの相手はジョン・ストレーシー。ロペスのラストファイトの相手もストレーシー。二人には妙に共通点があった。)


①「Middleweight 

Florentino Fernandez vs. Marcel Pigou」

②「Light Heavyweight 

Jose Torres vs. Jose Gonzalez」

③「Light Heavyweight 

Johnny Persol vs. Eddie Cotton」

④「Welterweight 

Ernie Lopez vs. Hedgemon Lewis」

 

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2026年6月12日金曜日

1950年代の試合:ホーガン・バッセイ(Hogan Kid Bassey)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

「モーゼス・ワード vs. ヨランデ・ポンペイ」「エデュアルド・ローゼ vs. ジョニー・サリバン」「ホーガン・バッセイ vs. リカルド・モレノ」「カール・ハバード vs. エディ・パーキンス」を紹介します。


モーゼス・ワード 10R 判定 ヨランデ・ポンペイ

(ライトヘビー級戦、1954年7月)

ワード:左ジャブ、右ストレート、左フック   

ポンペイ:左ジャブ、右ストレート、左フック   

1950年代の試合:ホーガン・バッセイ(Hogan Kid Bassey)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ワードはデトロイトの黒人。1950年、デビュー。中堅相手に勝利。ジョージ・ベントンにTKO負け。連勝後、三連敗。再起戦に勝利してポンペイ戦。ポンペイはトリニダード・トバゴのプリンシズ・タウン出身の黒人。1949年のデビューから連勝でトリニダード・トバゴ王座(ライトヘビー級)を獲得。主戦場を英国に移して連戦連勝。判定で初黒星。アメリカ遠征でワードと対戦。シカゴでの一戦。互いに警戒してジャブ。動きの速さは同じぐらい(それほど速くない)。パンチの打ち方が良いワード。伸びのある右ストレート、パワフルな左フック。ポンペイはショートパンチ(ワンツー、フック)を使うが、真っ直ぐ攻めるクセ。共にディフェンスができるため、どちらかが大きくピンチになるシーンがないまま10R終了。判定は2-0(ダウンシーンは無し)。ワードのパワーが評価されたか。ポンペイはライトヘビー級にしては細かい打ち方だった。その後の二人。ワードは連勝したが、ポンペイとの再戦でTKO負けするなど連敗続きで引退。ラストファイトの相手はジーン・フルマーで、3RでのKO負けだった。ポンペイはイボン・デュレルらを相手に連勝後、アーチー・ムーアの世界ライトヘビー級王座に挑戦したが、TKO負け。その後はディック・タイガーに判定負けするなど勝ったり負けたりになった。)


エデュアルド・ローゼ 5R TKO ジョニー・サリバン

(ミドル級戦、1955年12月)

ローゼ:左ジャブ、右ストレート、左フック

サリバン:左ジャブ、右ストレート、左フック

(ダウンシーン)

4R:左フックでサリバンがダウン

5R:左フックでサリバンがダウン

1950年代の試合:ホーガン・バッセイ(Hogan Kid Bassey)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ローゼはアルゼンチンのハードパンチャー。元世界ウェルター級王者キッド・ギャビラン、後に世界ミドル級王者になるジーン・フルマーに勝っている。サリバンは英国の選手で英連邦・英国ミドル級王座を獲得したこともあるファイター。オハイオ州クリーブランドでの一戦。似たタイプ同士の一戦。共に実に力強いパンチ。ジャブ、右ストレート、左フック。ローゼは左でボディ攻撃。4R、左フックを食ってグラついたサリバン。ラウンド終了間際、左フックでダウン。5R、連打からの左フックでサリバンがダウン。立ったが、連打でレフェリーストップ。迫力のある打撃戦だった試合。どちらも強かったが4Rの左フックで勝敗が分かれた。パワフルだったローゼ。その後、敗北もあり、世界王座への挑戦はならず。2003年にはリング誌からその強打を評価され、「100 greatest punchers of all time」の一人に選ばれている。) 


ホーガン・バッセイ 3R KO リカルド・モレノ

(世界フェザー級タイトル戦、1958年4月)

バッセイ:左ジャブ、右ストレート、左右フック   

モレノ:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(ダウンシーン)

3R:右ストレートでモレノがダウン

1950年代の試合:ホーガン・バッセイ(Hogan Kid Bassey)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:バッセイがタイトル防衛。王者バッセイはサンディ・サドラーの引退で空位となった王座を決定戦で獲得し、ナイジェリア初の世界王者となった選手。これが初防衛戦。挑戦者モレノはメキシカン。カリフォルニア州ロサンゼルスでの一戦。共にジャブ。接近戦では思い切りのいい打ち方。モレノはワンツー、左フック、バッセイは左右フック。3R、右ストレートでモレノがダウン、KO。共に全力で攻撃し合ったパワフルな試合。どちらも強かったが、バッセイがジャブを使って試合を有利に進めた。後、バッセイはデビー・ムーアに王座を奪われ、再戦でも敗れ、引退。モレノはムーアに1RでKOされている。)


カール・ハバード 10R 判定 エディ・パーキンス

(ウェルター級戦、1959年9月)

ハバード:左ジャブ、右ストレート、左フック

パーキンス:左ジャブ、右ストレート、左フック

(ダウンシーン)

10R:右ストレートでパーキンスがダウン

1950年代の試合:ホーガン・バッセイ(Hogan Kid Bassey)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:短いハイライト映像で観戦。後に世界J・ウェルター級王者になるパーキンス。これは世界王者になる前の試合。ペンシルベニア州フィラデルフィアでの一戦。共にパワフルなジャブ、ストレート、左フック。左フックが特に強いハバード。10R、左フックからの右ストレートでパーキンスをダウンさせる。判定は3-0。なかなか強かったハバード。後のWBC世界L・ヘビー級王者マシュー・サアド・ムハマドみたいな抉るような左フックが豪快だった。しかし、その後は敗北が続き、王座を獲得できず。世界王者になってもおかしくないパワーとパンチのキレがあったが。)


①「Light Heavyweight 

Moses Ward vs. Yolande Pompey」

②「Middleweight 

Eduardo Lausse vs. Johnny Sullivan」

③「World Featherweight Title

Hogan Kid Bassey vs. Ricardo Moreno」

④「Welterweight 

Eddie Perkins vs. Carl Hubbard」

 

2026年6月10日水曜日

1920、30、50年代の試合:ハリー・ジェフラ(Harry Jeffra)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

「トム・ヒーニー vs. ジャック・デラニー」「ハリー・ジェフラ vs. シクスト・エスコバル」「ラルフ・デュパス vs. デニス・ブラディ」ほかを紹介します。


トム・ヒーニー 10R 判定 ジャック・デラニー

(ヘビー級戦、1928年3月)

ヒーニー:左ジャブ、右ストレート、フック   

デラニー:左ジャブ、右ストレート、フック   

1920、30、50年代の試合:ハリー・ジェフラ(Harry Jeffra)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ヒーニーはニュージーランド・ギズボーン出身の白人(鍛冶屋だそうだが、ボクサーになる前なのか、引退後なのかは不明)。1920年にデビューしてTKO勝ち。ニュージーランド王座(ヘビー級)獲得。オーストラリア王座(ヘビー級)に挑戦して判定で初黒星。英国で英連邦王座(ヘビー級)に挑戦したが、判定負け。南アフリカで連勝。アメリカ上陸。パウリノ・ウズクドゥン、後の世界王者ジャック・シャーキーとドロー。シャーキー戦の次の相手はデラニー。デラニーはカナダ・ケベック州出身の白人。本名は「オヴィラ・シャプデレーヌ」。1919年10月にアメリカでプロデビュー(新聞判定で勝利)。カナダで数試合やって主戦場をアメリカに。判定で初黒星後、連勝。TKO負け、判定負けはあったが、トミー・ローランに判定勝利(1924年)、タイガー・フラワーズにKO勝ち(1925年)。世界ライトヘビー級王座に挑戦して2-0の敗北。そこから連勝でニューヨーク州公認世界ライトヘビー級王座に挑戦。判定で王座奪取。初防衛に成功。ヘビー級に挑戦するため、王座返上。このところ五連続KO勝ちでヒーニー戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。モノクロの映像で選手の顔がよく見えないうえに同じ色(黒?)に見えるトランクス。身長も同じぐらい。正直なところ、どちらがヒーニーなのかわからない。ただ、同じようなタイプ。ガードを下げた構えで相手に接近し、ストレート、フックを荒っぽく放つ。タフな殴り合いだが、その分、もみ合いからのクリンチになるシーンが多い。互角のように見え、時折互いの強打がヒット。15R終了。判定は3-0。ヘビー級のヒーニー。ライトヘビー級から上がってきたデラニー。その差があったのではないだろうか。その後の二人。デラニーは再起戦でジャック・シャーキーに1RでKO負け。ブランクを挟んで四連勝で引退。1948年11月27日、心臓発作のため48歳で死去。ヒーニーは次の試合でジーン・タニーのNBA世界ヘビー級王座に挑戦したが、TKO負け。更に二連敗。マックス・ベアにKOされるなど多くの敗北。タニー戦後はサッパリだったが、1933年までリングに上がった。) 


ハリー・ジェフラ 15R 判定 シクスト・エスコバル

(世界バンタム級タイトル戦、1937年9月)

ジェフラ:左ジャブ、右ストレート、左フック

エスコバル:左ジャブ、右ストレート、左右フック

1920、30、50年代の試合:ハリー・ジェフラ(Harry Jeffra)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ジェフラがタイトル獲得。王者エスコバルはプエルトリコ・バルセロネタ出身。ルー・サリカと世界王座をめぐる攻防の末、王者に。挑戦者ジェフラはメリーランド州ボルチモア出身の白人。連勝の勢いで初の世界挑戦。ニューヨーク「ポロ・グラウンズ」での一戦(短いハイライト映像で観戦)。フットワーク&ジャブのジェフラ。打ち合いを避けながら左フックからの右ストレートといったコンビネーション。エスコバルはジャブを使いながらジェフラを追い掛ける。判定は3-0。アウトボクシングでジェフラが新王者に。エスコバルの右ストレート、左右フックはしっかりした打ち方ではあったが、空転させられてしまった。再戦はエスコバルが勝ち、王座奪回。ジェフラは後、世界フェザー級王座を獲得し、二階級制覇。しかし、この王座も奪回されてしまった。パワーがあるタイプではなかったのが原因か?)


ラルフ・デュパス 10R 判定 デニス・ブラディ

(ライト級戦、1954年4月)

デュパス:左ジャブ、右ストレート、左右フック

ブラディ:左ジャブ、右ストレート、左右フック

1920、30、50年代の試合:ハリー・ジェフラ(Harry Jeffra)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ライト級の白人選手同士の一戦。デュパスはルイジアナ州ニューオーリンズ出身。1950年、プロデビュー(ドロー)。以来、月に三試合するなど多くの試合。判定負けをするなど、まだ経験が足りないところもありそう。ブラディはニューヨーク州ブロンクス出身。1944年、デビュー(KO勝ち)。デュパスと似たようなところがあり、階級を徐々に上げながら多くの試合。連勝しては判定負け(連敗したことも。1944年、サンディ・サドラーに判定負け)。共に一定の実力はあるが、それ以上になれないところがある。ニューオーリンズでの一戦。あまり器用ではない二人。開始から接近戦を展開するが、フックの振りが大きく、クリンチしながら互いに相手のボディをボカボカとオープンブロー気味のパンチで打つ(思わず笑ってしまうような小競り合いだった)。中間距離では良いストレート、フックをヒットさせる。4R、デュパスが足を使いながらジャブを連打する。10Rはこれまで雑なフック連打が多かったブラディも足を使ってジャブ。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。結局のところ似た者同士だった二人。共にタフだったが、デュパスの中間距離からのジャブが評価されたと思われる。後、ブラディは勝ったり負けたり。中堅選手としてキャリアを終えた。)


ラルフ・デュパス 10R 判定 ギル・ターナー

(ウェルター級戦、1958年10月)

デュパス:左ジャブ、右ストレート、フック

ターナー:左ジャブ、右ストレート、フック

1920、30、50年代の試合:ハリー・ジェフラ(Harry Jeffra)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ブラディ戦後のデュパス。判定負けはあったが、ガスパー・オルテガを2-0の判定で下すなど概ね好調。しかし、ジョー・ブラウンの世界ライト級王座への挑戦はTKO負け。再起二連勝でターナー戦。ターナーはペンシルベニア州フィラデルフィア出身の黒人。アマチュアではウェルター級で全米王者に。1950年、プロデビュー(KO勝ち)。ベテランのボー・ジャック、アイク・ウィリアムスらに勝利。満を持しての世界初挑戦で世界ウェルター級王者キッド・ギャビランにTKOで初黒星。再起戦でボビー・ダイクスにも敗北。連勝後、ジョーイ・ジャーデロに3-0の敗北。ジーン・フルマー、カーメン・バシリオ、ヤマ・バハマらに敗北。このところ勝ったり負けたり。カナダ・モントリオールでの一戦(ハイライト映像で観戦)。似た体格、戦い方。接近戦でのストレート、フックの打ち合い。激しい攻防だが、デュパスはワンツーからの左フックに良さがあり、右ストレートを当てる。ターナーはフックの振りが大きく、隙があるようだ。10R終了。デュパスが当てる巧さ、思い切りのいい右ストレートで勝利。攻めるときのディフェンスに差があった。その後の二人。ターナーは再起戦に判定負けで引退。デュパスはエミール・グリフィスの世界ウェルター級王座に挑戦して敗れるなど苦労したが、世界J・ミドル級王者に。しかし、在位期間は短かった。)


①「Heavyweight 

Tom Heeney vs. Jack Delaney」

②「World Bantamweight Title

Sixto Escobar vs. Harry Jeffra」

③「Lightweight 

Ralph Dupas vs. Dennis Brady」

④「Welterweight 

Ralph Dupas vs. Gil Turner」

 

2026年6月5日金曜日

ジョー・メデル(Jose Medel)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

バンタム級。「ロープ際の魔術師」。エデル・ジョフレ戦(再戦)、原田戦(初戦)、ウォルター・マクゴーワン戦を紹介します。


ジョー・メデル(メキシコ)

身長164cm:オースドックス(右構え)

ジョー・メデル(Jose Medel)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

エデル・ジョフレ 6R KO ジョー・メデル

(世界バンタム級タイトル戦、1962年)

メデル:左右フック

ジョフレ:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(ダウンシーン)

左フックでメデルがダウン

(感想:ジョフレがタイトル防衛。1950、60年代が全盛期だったホセ・メデル(メキシコシティ出身)。日本では英語風に「ジョー・メデル」と呼ばれ、「ロープ際の魔術師」とも呼ばれた。ジョフレと戦うのはこれが二度目。初戦はジョフレがKO勝ち。今度は世界王座を懸けて勝負。王者ジョフレはブラジル・サンパウロ出身で、「黄金のバンタム」と呼ばれるほどの実力者。サンパウロでの一戦(短いハイライト映像で観戦)。パワフルなフックを振るうメデル。しかし、ジョフレはしっかりブロック。手数が多いジョフレ。ジャブを連打し、右ストレート、左右フック。特に左フックが強烈。メデルのやや振りが大きいフック攻撃の隙を突き、コーナー付近で左フックでダウンを奪う。記録によると5Rと6RにメデルがダウンしてKOになったとのこと。メデルのパンチは力強かったが、ジョフレが手数とガードの隙間を正確に打ち抜くパンチで快勝。「ロープ際の魔術師」がロープ際でKOされてしまった。)


ジョー・メデル 6R KO ファイティング原田

(バンタム級戦、1963年)

メデル:左ジャブ、右ストレート、左右フック

原田:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(ダウンシーン)

6R:連打で3度、原田がダウン

(感想:元世界フライ級王者の原田。バンタムに階級を上げて二階級制覇を目指す状況。日本での一戦(TV映像には「特別カード」とある)。1Rからラッシュをかける原田。積極的にジャブ、ストレートで前進し、左右フック、得意の左ボディ打ち。メデルはロープを背負って応戦。6R、それまでと同じように攻める原田だが、右フックを食ってグラつく。それでも前に出るが、左右フックを浴びて三度ダウン。立ったが、レフェリーはカウントアウト。客席から座布団が投げ入れられた。受け身の姿勢ながらメデルが KO勝ち。一発一発にパワーを込める分、手数が少な目だったが、右フック一発で逆転した。原田は快調に飛ばしていたが、ちょっと攻撃一辺倒になりすぎたか。再戦は世界バンタム級王座を懸けて行われ、王者原田が判定勝ち。前回の教訓を生かし、原田はディフェンスしながら丁寧にポイントを取った。)


ジョー・メデル 6R TKO ウォルター・マクゴーワン

(バンタム級戦、1965年)

メデル:左ジャブ、右ストレート、左フック

マクゴーワン:左ジャブと右ストレート

(ダウンシーン)

右ストレートでマクゴーワンがダウン

6R:左フックで2度、マクゴーワンがダウン

(感想:原田との初戦後、メキシコ・バンタム級王座を防衛し続けるメデルが英国遠征。マクゴーワンは英国の白人。英国王座、英連邦王座(いずれもフライ級)を獲得したことがあるが、欧州フライ級王座はサルバトーレ・ブルーニに判定負けで獲得ならず。そこから連勝でメデル戦。英国ウェンブリーでの一戦(短いハイライト映像で観戦)。いかにも「英国のボクサー」といった感じのボクサータイプ、マクゴーワン。ディフェンスを意識しながらジャブ連打。メデルも左ジャブ、そしてパワーの乗った右ストレート、左フック。ロープを背負うメデルがカウンターの右ストレートでマクゴーワンをダウンさせる。6R、左フックでグラついたマクゴーワンが二度ダウンしてレフェリーストップ。パワーと倒す姿勢でメデルが圧勝。英国のボクサーはキレイなボクシングをするが、その分、パワーで負けることが多い(ような気がする)。その後の二人。マクゴーワンはブルーニに判定で雪辱後、アラン・ラドキンに判定勝ちで英国王座、英連邦王座(いずれもバンタム級)を獲得。リング誌から「世界フライ級王者」に認定されたが、チャチャイ・チオノイとWBC世界フライ級王座を懸けて二連敗。メデルは原田との再戦に敗れて世界バンタム級王座獲得ならず。再起戦でチューチョ・カスティーヨ(後の世界バンタム級王者)にも敗北。さらにライオネル・ローズ、ルーベン・オリバレスらにも敗北。戦い続け、ラストファイトは日本。相手は後の世界王者ロイヤル小林で、TKO負け。パンチは強かったが、結局、世界王者にはなれず。一発にパワーを込めるため、手数で負けてしまったり、受け身の姿勢になってしまったりする残念なところがあった。)


①「World Bantamweight Title

Eder Jofre vs. Jose Medel」

②「Bantamweight 

Jose Medel vs. Fighting Harada」

③「Bantamweight 

Jose Medel vs. Walter McGowan」


ファイティング原田(Fighting Harada)のページ

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エデル・ジョフレ(Eder Jofre)のページ


2026年6月3日水曜日

アイク・ウィリアムス(Ike Williams)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ライト級王者。伝説の強打者。エンリケ・ボラニョス戦(再戦)、ボー・ジャック戦(初戦)を紹介します。


アイク・ウィリアムス(アメリカ)

身長175cm:オースドックス(右構え)

アイク・ウィリアムス(Ike Williams)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

アイク・ウィリアムス 15R 判定 エンリケ・ボラニョス

(世界ライト級タイトル戦、1948年)

ウィリアムス:左ジャブ、右ストレート、左右フック

ボラニョス:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(感想:ウィリアムスがタイトル防衛。ジョージア州ブランズウィック出身の黒人強打者ウィリアムス。パワーに加え、左のテクニック。NBAライト級王座獲得後、ニューヨーク州公認世界ライト級王座も獲得して王座統一。マネージャーとモメたこともあったが、新たなマネージャーの下で活動。その強さを讃えられ、後にボクシング殿堂入りしている。ボラニョスとは結局、王座を懸けて三度対戦が行われ、これが二度目の対戦。初戦はウィリアムスのNBA王座が懸けられ、TKOでウィリアムスが防衛。その後、NBA王者ウィリアムスがニューヨーク州公認王者ボブ・モンゴメリーを破って世界ライト級王座を統一。統一王座を懸けてボラニョスと再戦。挑戦者ボラニョスはメキシコ・ドゥランゴ出身。1941年デビュー(判定勝ち)。カリフォルニアを主戦場に移し、人気選手に(カリフォルニアはメキシカンが多い)。1944年、マヌエル・オルチスにTKO負け。その後も敗北はあったが、その相手に雪辱するなど好調。ウィリアムスに挑戦してTKO負け。そこからはカリフォルニア州ライト級王座を獲得、防衛するなど負け無し。勢いでウィリアムスに二度目のチャレンジ。ロサンゼルスでの一戦。ジャブを連打して相手との距離を詰めるウィリアムス。ボラニョスは足で距離を取りながらジャブ、左フック、ボディ打ち。共に左のパンチをよく出す。接近戦では両者とも力強いが、ウィリアムスが攻める姿勢で優勢か。10R、パワフルな右ストレート、左フックをヒットさせるウィリアムス。15R終了。判定は2-1(ダウンシーンは無し)。ウィリアムスの攻める姿勢が評価されたか。ボラニョスは正確な左ジャブを打っていたが、受け身の姿勢。ウィリアムスはどのパンチも強く、ジャブが多かった。三戦目もウィリアムスが勝利、タイトル防衛。その後もボラニョスは多くの試合をしたが、勝ったり負けたりになった。) 


アイク・ウィリアムス 6R TKO ボー・ジャック

(世界ライト級タイトル戦、1948年)

ウィリアムス:左ジャブ、右ストレート、左右フック

ジャック:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(感想:ウィリアムスがタイトル防衛。伝説の試合。挑戦者ジャックはジョージア州オーガスタ出身の黒人。ファイタータイプで、これまでニューヨーク州公認世界ライト級王座を二度獲得。ボブ・モンゴメリーとのライバル戦が有名。ジャックとしては統一王者ウィリアムスに勝利するとともにかつて自分が持っていた王座を取り戻したいところ。ペンシルベニア州フィラデルフィアでの一戦。力強い攻めを見せるジャック。ジャブを連打して、思い切りのいい打ち方でフック、かち上げるような右アッパー。ウィリアムスはジャブ、ストレート、左右フックで迎え撃つ。ジャックの振りの大きいパンチは迫力はあるが、隙が大きく、疲れる戦い方。6R、左フック連打をキッカケにウィリアムスがラッシュ。コーナー付近で滅多打ちされるジャックをレフェリーが救った。ウィリアムスがパワフルに勝利。時にはクリンチしながらジャブを打ち、相手が疲れたところで一気に仕留めるクレバーさを見せた。ただ、ウィリアムスがラッシュしているときに打つのを止めてレフェリーに「試合を止めろ」とアピールをしていたのが気になった。相手のダメージが大きく、自分が優勢だったとしても相手から目を逸らすのは非常に危険。両者は後に三度対戦。結局、ウィリアムスが3勝1分だったが、互いにラストファイトの相手になった。)  


①「World Lightweight Title

Ike Williams vs. Enrique Bolanos」

②「World Lightweight Title

Ike Williams vs. Beau Jack」

 

2026年5月31日日曜日

ジミー・ワイルド(Jimmy Wilde)&パンチョ・ビラ(Pancho Villa)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界フライ級王者。世界王座戦「王者ジミー・ワイルドvs.挑戦者パンチョ・ビラ」、1930年代の世界フライ級王者ベニー・リンチを紹介します。


ジミー・ワイルド(イギリス)

身長159cm:オースドックス(右構え)

(元々は炭坑労働者であったが、腕っぷしの強さを認められてプロ入り。自分よりも大きい選手を相手に片っ端からKO勝ち。「マイティ・アトム」と呼ばれるようになり、初代世界フライ級王者に。ロードワークやスパーリングでは妻アンが相手を務めて夫をサポート。古い時代の選手のため映像があまり無いのが残念であるがハイライト映像で見たところ、非常にアグレッシブでジャブ、ストレート、フックといった基本的なパンチを正確にパワフルに打っていくタイプ。)


パンチョ・ビラ(フィリピン)

身長155cm:オースドックス(右構え)

(18歳でプロ入りし、その後ニューヨークへ渡る。ワイルドをKOして東洋人初の世界王者に。その後も勝ち続けたが、ジミー・マクラーニンとのノンタイトル戦で敗北。その10日後に死去。原因は敗血症(何らかの感染症を起こしている細菌が体内で増殖して炎症が全身に広がり、臓器障害を引き起こす症状)。試合前に親不知を抜いてそれが結果的に敗血症につながった、とのこと。)


パンチョ・ビラ 7R KO ジミー・ワイルド

(世界フライ級タイトル戦、1923年)

ワイルド:左ジャブ、右ストレート、左右フック

ビラ:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(ダウンシーン)

7R:連打でワイルドがダウン

ジミー・ワイルド(Jimmy Wilde)&パンチョ・ビラ(Pancho Villa)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ビラがタイトル獲得。ハイライトで観た試合。ワイルドが両手を下げた構えから正確なジャブ、右ストレート、速射砲のような左右フック連打。実にテンポの良い、リズミカルかつパワフルな攻撃。ビラはフィリピンの選手らしい一発一発にパワーを込めるパンチ。左右フックだけではなく、ジャブにもパワーがある。手数が多いワイルドにビラはパワーで対抗。フック連打で激しい打ち合い。6R、左フックを食ってワイルドが後退。7R、強烈な連打(古い映像のため角度的によく見えないパンチもあったが、左フックからの右ストレートだったように見えた)でワイルドが前のめりにダウン。ワイルドのセコンドがリングインして試合終了。ビラが実に強力なパンチで勝利。これでワイルドは引退。豪快にKOされてしまったが、全盛を過ぎたラストファイトでも良いパンチを打っていた。)


「World Flyweight Title

Jimmy Wilde vs. Pancho Villa」

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ベニー・リンチ(スコットランド)

身長163cm:オースドックス(右構え)

ジミー・ワイルド(Jimmy Wilde)&パンチョ・ビラ(Pancho Villa)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(スコットランド初の世界王者。子供の頃からボクシング好きで、まずは草試合で活躍(昔は見世物の素人ボクシングが人気があった。今でもケンカ大会が一部で盛り上がっているようだ)。プロ入り後は勝ったり負けたりしながら経験を積む。1935年、ジャッキー・ブラウンを2RでKOして王座強奪。ディフェンスはあまり気にしないスタイル。ひたすら接近して左右フックをぶちかます攻め方。時には足を使って距離を取ることも。強かったが酒に溺れるようになってしまい、体重超過で王座剥奪。33歳の若さで世を去った。)

 

2026年5月27日水曜日

ジョルジュ・カルパンチェ(Georges Carpentier)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ライトヘビー級王者。ヘビー級にも挑戦。経歴、ジョー・ベケット戦、バトリング・シキ戦を紹介します。


ジョルジュ・カルパンチェ(フランス)

身長180cm:オーソドックス(右構え)

ジョルジュ・カルパンチェ(Georges Carpentier)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

「蘭の男」とは?

フランスのリエヴァン出身の白人カルパンチェ(1894年1月12日生まれ)。その容姿、強さで当時、絶大な人気を誇り、「蘭の男」と呼ばれたほど。何が凄かったか? デビュー当初、今でいうところのミニマム級のウェイトで試合。徐々に階級を上げ、ライトヘビー級で世界王者に。そしてヘビー級でジャック・デンプシーの世界王座に挑戦した伝説の試合。要するに全階級で試合をしたことになる。貧しい炭坑夫の息子。12歳の頃から父と一緒に働き、パワーを獲得。プロになる前はサバット(フランスの格闘技。空手のようなもので、足技を主体とする)も経験。デビュー当初はKO負けや引き分け。勝っても判定だったりとまだまだパワー不足。しかし、レベルアップ。階級を徐々に上げ、16歳でフランス・ウェルター級王座をTKOで奪取。次いで欧州ウェルター級王座もTKOで奪取。実力が上がるに連れ、女性人気もアップ。カルパンチェの関係者は彼が女でダメになってしまわないようにガードしたとか。欧州ミドル級王座も獲得。世界ミドル級王座挑戦はヒジ打ちをされて敗北に終わってしまったが、そこから快進撃。1913年、KOで欧州ライトヘビー級王座獲得。次いで欧州ヘビー級王座獲得。ヘビー級王座を防衛しながらヨーロッパ版世界ライトヘビー級王座獲得。1920年10月12日、ニュージャージー州ジャージー・シティで世界ライトヘビー級王者バトリング・レビンスキーに挑戦。KOでついに世界王者に。その次の試合は1921年7月2日、「伝説の大一番」。試合地は二連続でジャージー・シティ。世界ヘビー級王者ジャック・デンプシーに挑戦(入場料収入が当時史上初の100万ドル以上)。さすがにこれは厳しかったか、KO負け。カルパンチェの戦いぶりを映像で観察。「蘭の男」などと呼ばれることから「カッコつけた気取り屋のアウトボクサーだろう」と思うかもしれないが、さにあらず。左のガードを下げた構えから長い左ジャブを使い、鋭い右ストレート、振りが大きめの左右フック。なかなか頑丈なコブシ。特に右パンチに威力があり、右ストレートが十八番。斜め下から振り抜く右フックで相手をダウンさせた試合も。また、時にはバカスカ打ち合う勇敢さもある。「大英帝国の誇り」テッド・キッド・ルイスと対戦したときは右フックが効いたルイスに容赦無い右ストレートをぶち込んでKO。強さだけではなく、非情さも持ち合わせていることを証明。しかし、戦った相手を試合後にねぎらう心遣いもある紳士。


ジョルジュ・カルパンチェ 1R KO ジョー・ベケット

(欧州ヘビー級タイトル戦、1919年12月)

カルパンチェ:左ジャブ、右ストレート、フック   

ベケット:左ジャブ、フック

(ダウンシーン)

1R:左フックでベケットがダウン

(感想:カルパンチェがタイトル防衛。世界王者になる前の試合。連勝のカルパンチェが欧州王座の防衛戦。挑戦者ベケットは英国ウィックハン出身の白人。1912年デビュー。連勝しては敗北のキャリア。英国ヘビー級王座決定戦で判定負け。英国のヘビー級大会で準優勝。トップにはなれないもどかしさ。ところが英国&英連邦ヘビー級王座をKOで奪取。英国王座の初防衛にも成功。その勢いでカルパンチェの欧州王座に挑戦。英国ホルボーンでの一戦。互いにジャブ。ベケットはプレッシャーを掛けられ、クリンチ、ボディフックなどで抵抗。カルパンチェがワンツーからの左フック連打。うつぶせにダウンしたベケットは10カウントを聞いた。70秒で終了。パワーに大きな差。カルパンチェ最大の武器は右ストレート。ワンツーをマトモに食ったベケットはどうしようもなかった。その後、ベケットは保持する英国&英連邦王座を防衛。再びカルパンチェと欧州王座を懸けて対戦したが、何と15秒でKO負け。それが最後の試合になった。)


バトリング・シキ 6R KO ジョルジュ・カルパンチェ

(世界L・ヘビー級タイトル戦、1922年9月)

カルパンチェ:左ジャブ、右ストレート、フック

シキ:左ジャブ、右ストレート、フック   

(ダウンシーン)

3R:右ストレート、右フックで2度、シキがダウン。右フックでカルパンチェがダウン。

6R:右フック(?)でカルパンチェがダウン

(感想:シキがタイトル獲得。ベケットとの初戦後、レビンスキーから世界ライトヘビー級王座奪取のカルパンチェ。そしてデンプシーにKO負け。テッド・キッド・ルイスを1RでKOして世界ライトヘビー級王座防衛。シキと防衛戦。挑戦者シキはセネガル(フランス領)のサン・ルイ出身の黒人で、フランス国籍を持つ。フランスを主戦場に時にはドイツ、オランダなどで試合。連敗したこともあったが、1920年10月のKO勝ちから負け無し。フランス・モンルージュでの一戦(ハイライト映像で観戦。「世界L・ヘビー級王座戦」であるが、カルパンチェの欧州ヘビー級王座、IBUライトヘビー級王座も懸けられた)。共に左のガードを下げてジャブ、そして大振りの左右フック。3R、ダウン応酬。6R、右フックでカルパンチェがダウン。立てず、KO。ところが裁定についてトラブル。「シキがカーペンティアをつまずかせた」としてレフェリーは一旦、「シキの反則負け」を宣告。しかし、観衆の抗議により裁定が覆り、「6ラウンドKO」でシキが世界王者に(人種差別的な扱いをされたシキ。結局は「公正さ」が通った)。激しい攻防はシキに軍配。序盤、優勢だったカルパンチェだが、相手の勢いに押されて倒された。テクニックではなく、相手に合わせて大きな振りのパンチでバカスカ打ち合ったのが敗因。「蘭の男」らしくない負け方だった。その後の二人。シキは初防衛に失敗。その後、アメリカに主戦場を移したが、勝ったり負けたり。「世界王者になった時がピーク」というパターンになってしまった。そして1925年12月15日、28歳で死去。私生活ではトラブルメーカーだったらしく、銃で撃たれた。カルパンチェは再起戦でフランス王座戦(ヘビー級)を行い、KO勝ち。その次の試合は欧州王座戦で、ベケットを15秒でKO。試合間隔が長くなっていき、ジーン・タニー、トミー・ローランに敗北。1926年9月のKO勝ちがラストファイト。引退後は芸能人になり、舞台や映画出演。第二次世界大戦後、フランス空軍に所属。フランスの「スポーツ海外大使」にも任命され、パリで高級バーを経営。1991年に国際ボクシング殿堂入り。「フランス最高のボクサー」の一人と評価されている。)


②「EBU European Heavyweight Title

Georges Carpentier vs. Joe Beckett」

③「World Light Heavyweight Title

Georges Carpentier vs. Battling Siki」

 

2026年5月22日金曜日

ミッキー・ウォーカー(Mickey Walker)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ウェルター、ミドル級王者。ヘビー級にも挑戦した豪傑。トミー・ローラン戦、マックス・シュメリング戦ほかを紹介します。


ミッキー・ウォーカー(アメリカ)

身長170cm:オーソドックス(右構え)

ミッキー・ウォーカー(Mickey Walker)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ミッキー・ウォーカー 10R KO トミー・ミリガン

(世界ミドル級タイトル戦、1927年6月)

ウォーカー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ミリガン:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ウォーカーがタイトル初防衛。「トイ・ブルドッグ」と呼ばれたウォーカー。こんな無茶苦茶な男も珍しい。身長170cm。世界ウェルター王者になり、ヘビー級でも勝負。挑戦されたヘビー級の選手たちも困っただろう。こんな小さい選手を思いっ切り殴るワケにはいかない(かつてミドル級のスタンリー・ケッチェルがヘビー級王者ジャック・ジョンソンと戦ったが、ジョンソンは手加減。ケッチェルの不意打ちに怒ったジョンソンが全力でケッチェルをぶちのめし、ケッチェルは酷い状態になった)。ニュージャージー州エリザベス出身。本名「エドワード・パトリック・ウォーカー」だが、なぜか「ミッキー」と呼ばれるように。正式なボクシングの訓練もアマチュアの経験も無しでプロ入り(1919年)。タフネス&パワーの自己流ファイト。ただ、頭の回転は速かったという。1922年11月1日、ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」で世界ウェルター級王者ジャック・ブリットンに挑戦。何度もダウンを奪い、15ラウンド判定勝ち。21歳で初の世界タイトル獲得。1925年 7 月 2 日、ニューヨーク「ポロ・グラウンズ」で世界ミドル級王者「人間風車」ハリー・グレブに挑戦。判定で敗れ、二階級制覇ならず。世界ウェルター級王座をさらに防衛したが、王座陥落。1926年12月3日、世界ミドル級王者タイガー・フラワーズ(グレブを破って王座獲得)に判定勝ちで二階級制覇。挑戦者ミリガンはスコットランドの白人。1924年11月26日、テッド・キッド・ルイスを判定で破って英国・英連邦・欧州王座(ウェルター級)を一気に獲得。さらに欧州ミドル級王座も獲得。英国・英連邦ミドル級王座も獲得してウェルター級に次いでミドル級でも統一王者に。その勢いでウォーカーに挑戦。英国ケンジントンでの一戦(短いハイライト映像で観戦)。ウォーカーは豪快なボクシング。振りの大きいフック、そして意外にキレイな打ち方で速いワンツー。ミリガンは接近してフック連打、ボディ連打。大きなパンチでウォーカー優勢。右カウンター、フックで何度もミリガンをダウンさせ、最後は強烈な左フックで完全KO。「荒っぽいケンカファイトの男」というのがウォーカーのイメージだが、荒っぽいのはフック攻撃。ワンツーはいつの時代でも通用するキレ味だった。ミリガンは手数を出して頑張ったが、マトモに打たれてしまった。その後のミリガン。このKO負けでエネルギーが消え去ったのだろう。再起戦に勝利したが、英国・英連邦・欧州ミドル級王座防衛戦で反則負け、王座陥落。英国王座の奪回を狙ったが、1RでKOされて引退(1928年8月)。)


トミー・ローラン 10R 判定 ミッキー・ウォーカー

(世界ライトヘビー級タイトル戦、1929年3月)

ウォーカー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ローラン:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ローランがタイトル防衛。ミリガン戦後も連勝のウォーカー。この男はなかなかのチャレンジャー。ミドル級王座を保持したままライトヘビー級に挑戦。王者ローランは「亡霊」のニックネームを持つ男で、ディフェンス&左のテクニックで相手に打たせない試合をする。相手からするとやりにくいタイプだが、ウォーカーがどんな攻めを見せるか? イリノイ州シカゴでの一戦。独特の構え方のローラン。アップライトな姿勢。両手を下げた低いガードで左腕を前に突き出す構え。ジャブ連打、フック、ねじ込むように打つ右ストレート、打ち下ろすようなワンツー。相手の攻撃はスウェーやクリンチで阻止(まるでクリチコ兄弟のよう)。ウォーカーは相手の大きさを意識しているのか接近してフック攻撃。一発狙いの攻め方で、かわされたり、クリンチされたりで単発に終わる。ただ、右フックカウンター、左フックを当てるシーンも。判定は2-1。攻めが雑だったウォーカー。ミリガン戦のようなワンツーが見られなかったのが惜しい。ローランはその後、ヘビー級に挑戦。ジャック・シャーキーに判定勝ちしたり、ペンシルベニア州ヘビー級王座を獲得したりといった活躍はあったが、プリモ・カルネラの世界ヘビー級王座への挑戦は判定負けでヘビー級制覇ならず。)


ミッキー・ウォーカー 10R 判定 エイス・ハドキンス

(世界ミドル級タイトル戦、1929年10月)

ウォーカー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ハドキンス:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ウォーカーがタイトル防衛。挑戦者ハドキンスはネブラスカ州バルパライソ出身の白人。ニックネームは「山猫」。1922年にデビューし、当時はライト級。ローカル王座を獲得、防衛。徐々に階級を上げ、ベテランのルー・テンドラーに判定勝ちするなど連勝の勢いでウォーカーの王座に挑戦したが、2-1の敗北。その再起戦で敗れた相手に雪辱して、再びウォーカーに挑戦。カリフォルニア州ロサンゼルスでの一戦。相撲のような押し合い、左右フック攻撃の応酬。同じように打ち合う両者。ウォーカーが足で距離を取ってカウンターで迎え撃つ作戦。ジャブ、フックで攻めてくるハドキンスにジャブカウンター、フック。10R終了後、レフェリーがウォーカーの手を上げた(判定はPTS)。ウォーカーは闇雲に打ち合う選手ではない。相手の勢いを受けながら正確に反撃して勝利。「作戦勝ち」といったところ。ハドキンスは積極的で悪くはなかったが、攻めが正直すぎたか。その後、ハドキンスはウォーカーと同じような道。ライトヘビー級の体格でヘビー級に挑戦。カリフォルニア州ヘビー級王座を獲得できたが、防衛ならず。プライベートでは酒場を経営したり、競走馬を多数所有したりで成功していたようだが、暴行事件を起こす。銃で撃たれる事件もあり、引退。)


マックス・シュメリング 8R TKO ミッキー・ウォーカー

(ヘビー級戦、1932年9月)

ウォーカー:左ジャブ、右ストレート、フック   

シュメリング:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

1R:ワンツーでウォーカーがダウン

8R:ワンツー、左フック連打で2度、ウォーカーがダウン

(感想:ハドキンスとの再戦後、連戦連勝のウォーカー(「史上最強」と呼ばれる所以)。ミドル級に相手がいないということなのか、ヘビー級に挑戦。ジャック・シャーキーとドロー、パウリノ・ウズクドゥンに判定勝ち、ジョニー・リスコに判定負けで久々の敗北。再起戦にKO勝ちしてシュメリング戦。シュメリングはドイツのクライン・ルッコー出身。ジャック・シャーキーに反則勝ちでヘビー級史上初めて「反則勝ちで世界王座を獲った男」に。シャーキーとの再戦に敗れ、王座陥落。再起戦でウォーカーと対戦。身長170cmのウォーカー。シュメリングは185cm。身長以外にも大きな差があるはず。ニューヨーク州クイーンズ「Madison Square Garden Bowl」での一戦。1R、ゴツい身体に仕上げてきたウォーカー。左フック連打、左ボディ打ち、右ストレート。左ジャブに速さ。シュメリングもジャブ、右ストレート、左フック。接近してショートフック連打。やはりパワー、身体全体の差が。ワンツーでウォーカーがダウン。2Rにも右を食ってウォーカーがグラつく。その後、接近戦が続く。互いにフック、ボディ打ち、もみ合い。シュメリングの右カウンター、右ストレートでウォーカーがピンチ。8R、ワンツーウォーカーがダウン。立ったが、今度は左フック連打でダウン。フック攻撃で何とか抵抗したウォーカーだが、このラウンド終了後に棄権。両目がふさがり、出血もひどかったという(モノクロ映像ではよくわからなかった)。シュメリングがヘビーなパワーで圧勝。普通に打ったヘビー級のパンチも下の階級から上がってきた者には脅威。これは当然の結果。その後の二人。シュメリングは次の試合でマックス・ベアにTKO負け。その次の試合は判定負け。ドイツで連勝後、大きなサプライズ。世界王者になる前のジョー・ルイスにKO勝ち。しかし、世界王者になったルイスに挑戦して1Rで無惨なKO負け。その後はドイツでの欧州王座&ドイツ王座戦で勝利。世界王者にはなれたが、「ヨーロッパのトップ」といったキャリアだった印象。ウォーカーはさすがにヘビー級ではキツかったか、再びライトヘビー級へ。1933年11月3日、「マジソン・スクエア・ガーデン」で世界ライトヘビー級王者マキシー・ローゼンブルームに挑戦したが、3-0で敗北。結局、三度の世界ライトヘビー級王座への挑戦は実らず、三階級制覇ならず。後にローゼンブルームに勝利したが、ノンタイトル戦だった。プライベートでは遊びで財産を使い果たし、キャリアの終わり頃には無一文。様々な職に就きながら趣味の絵とゴルフを楽しんだが、最後は身体の不調。1981 年 4 月 21 日、79 歳没。)


①「World Middleweight Title

Mickey Walker vs. Tommy Milligan」

②「World Light Heavyweight Title

Tommy Loughran vs. Mickey Walker」

③「World Middleweight Title

Mickey Walker vs. Ace Hudkins」

④「Heavyweight 

Max Schmeling vs. Mickey Walker」

 

2026年5月21日木曜日

ゾラ・フォーリー(Zora Folley)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ヘビー級。全盛期のアリの世界王座に挑戦した男。ヘンリー・クーパー戦(初戦)、ダグ・ジョーンズ戦(再戦)ほかを紹介します。


ゾラ・フォーリー(アメリカ)

身長185cm:オーソドックス(右構え)

ゾラ・フォーリー(Zora Folley)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ゾラ・フォーリー 10R 判定 ウェイン・ベサ

(ヘビー級戦、1956年12月または1957年1月)

フォーリー:左ジャブ、フック   

ベサ:左ジャブ、フック

(感想:長期に渡ったモハメド・アリの時代。アリの全盛期は「デビューから世界王座を剥奪される前」というのが定説。ベトナム戦争行きを拒否して王座を剥奪されたアリ。剥奪前の最後の防衛戦の相手を務めたのがフォーリー。実力者が充実した時代に多くの名のある選手と対戦(ソニー・リストン、ジョージ・シュバロ、ボブ・フォスター、オスカー・ボナベナ、エディ・マッチェン、ニノ・バルデスら)。フロイド・パターソン時代に世界王座に挑戦しようとしてできなかった不運。テキサス州ダラス出身。陸軍に入隊してボクシングを始める。朝鮮戦争に従軍。軍の大会で優勝。除隊後、1953年にプロデビュー。身長は185cmでまずまずだが、リーチは196cm。それを武器にデビューから連勝。1955年6月、ダウンを喫した末、TKO負けで初黒星。三連勝後、今度は肋骨を折ってTKO負け。復帰後、ニノ・バルデスに勝利。ベサはサウスカロライナ州ディロン出身の黒人。大ベテランの元世界王者エザード・チャールズに判定勝ちするなどこのところ連勝中。ニューヨークでの一戦(短いハイライト映像で観戦)。接近してフック、ボディ打ちのベサ。フォーリーは距離を取って戦いたいらしく、ジャブを出す。しかし、しつこく接近されてボディ打ちで反撃したり、クリンチしたり。接近戦でのもみ合いが続く。判定は2-1(二連戦とも)。動きのスピードに欠けていた両者。映像が試合の前半だったのか、後半だったのかにもよるが、冴えない試合ぶりだった印象。その後、ベサはハロルド・ジョンソン、ニノ・バルデス、ソニー・リストンに敗北。後のWBA王者アーニー・テレルに勝利。一定の実力はあった。)


ヘンリー・クーパー 10R 判定 ゾラ・フォーリー

(ヘビー級戦、1958年10月)

フォーリー:左ジャブ、右ストレート、左フック   

クーパー:左ジャブ、右ストレート、左フック

(ダウンシーン)

3R:右フックでクーパーがダウン

(感想:ベサとの二連戦後、連勝だったフォーリーだが、エディ・マッチェンとドロー。二連勝で、クーパー戦。クーパーはロンドンのランベス出身の白人。英国王座、英連邦王座、欧州王座を狙ったが、全て失敗の過去。英国ウェンブリーでの一戦(ハイライト映像で観戦)。同じタイプの二人。距離を取ってジャブ。動きのスピードも同じぐらい(速くはない)。クーパーは左のテクニックを使う(左ジャブを連打して左フック)。フォーリーは右カウンター、ワンツーといった右パンチ。3R、連打からの右フックでクーパーがダウン。その後、フォーリーは斜め下からの左フックに迫力があるが、不発。10R終了でレフェリーはクーパーの手を上げた(PTSによる判定)。カットされた映像のため全体像がわからないのが残念だが、どうやらクーパーが左のテクニックで勝ったようだ(出血しやすいタイプのクーパー。この試合でも出血サービスだったらしい)。フォーリーはどうもイマイチな男。ジャブを使う正統派で、フックに威力。しかし、動きの躍動感に乏しく、スムーズさに欠ける。プロボクシングは興行。フロイド・パターソンとの世界戦が実現しなかったのはこの試合が原因とされるが、そもそもフォーリーに「挑戦者としての魅力」が欠けていたからなのではないかという気がする。その後のクーパー。フォーリーに勝って自信をつけたらしく、英国王座、英連邦王座奪取。フォーリーとの再戦はKO負け。そして、若き日のモハメド・アリ(カシアス・クレイ)との試合で負傷TKOで負けたが、ダウンを奪う名シーン。欧州王座も獲得し、アリの世界王座に挑戦したがTKO負け。世界王者にはなれなかったが、欧州のヘビー級トップとして活躍した。)


ダグ・ジョーンズ 7R KO ゾラ・フォーリー

(ヘビー級戦、1960年12月)

フォーリー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ジョーンズ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

1R:フック連打でジョーンズがダウン

7R:ワンツーでフォーリーがダウン

(感想:クーパーとの初戦後、連勝だったフォーリーだが恐ろしい男が出現。後の世界ヘビー級王者ソニー・リストンに3RでKO負け。更にKO負けがあったが、クーパーをKO、ダグ・ジョーンズに判定勝ちするなど連勝。そしてジョーンズと再戦。ジョーンズはニューヨーク出身の黒人で、元軍人。プロ入り後、連勝だったが、エディ・マッチェンに判定で初黒星。その再起戦は空位の世界ライトヘビー級王座決定戦。ハロルド・ジョンソンに判定負けで王座獲得ならず。二連敗の状況でフォーリーに判定負け。後の世界ライトヘビー級王者ボブ・フォスターをKOしてフォーリーと再戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。1R、攻めの姿勢のジョーンズ。右パンチ(ストレート、フック)にパワーを込め、左フックからの右ストレートなど器用さも披露。フォーリーは右カウンターで対抗。接近戦。互いにフック、ボディ打ち。畳み掛けるフォーリー。フック連打でジョーンズがダウン。2R、ラッシュするフォーリー。フック攻撃に迫力。その後、ジャブ、ストレートの攻防。ジョーンズは攻撃のテンポの良さがあり、手数で先手を取る。フォーリーはパワーを入れるが、ショートパンチを当てる巧さも。7R、それまでと同じような一進一退の中、ワンツーでフォーリーがダウン。立とうとするが立てず、KO。ジョーンズが逆転勝利。積極的に先手を取っていったのが功を奏した。フォーリーは残念な男。パワーもあり、一気に攻める爆発力もあった。しかし、強いときとそうでないときの差が(慎重な性格なのだろう)。その後のジョーンズ。次の試合の相手はカシアス・クレイ(後のモハメド・アリ)で、判定負け。ジョージ・シュバロにTKO負け。WBA世界ヘビー級王者アーニー・テレルに挑戦して判定負け。後の世界王者ジョー・フレージャーにKO負け。トップには立てなかったが、名のある選手と対戦できた。)


その後のフォーリー

アーニー・テレルに判定負け、ジョージ・シュバロに判定勝ち、カール・ミルデンバーガーとドロー、オスカー・ボナベナ、ボブ・フォスターに判定勝ち。連勝の勢いでモハメド・アリの世界ヘビー級王座に挑戦したが、KO負け。再起二連勝でブライアン・ロンドン戦。


ブライアン・ロンドン 10R 判定 ゾラ・フォーリー

(ヘビー級戦、1967年11月)

フォーリー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ロンドン:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ロンドンは英国ハートルプール出身の白人。デビューから連勝だったが、ヘンリー・クーパーにTKO負けで初黒星。英国王座、英連邦王座を獲得したが、またしてもクーパーに敗北。その再起戦でフロイド・パターソンの世界ヘビー級王座に挑戦したが、KO負け(1959年)。以後はインゲマル・ヨハンソン、クーパーに敗北するなど勝ったり負けたり。ところがアリの王座に挑戦するチャンス。3RでのKO負けで王座奪取ならず。再起戦でジェリー・クォーリーに判定負け。その次の試合に判定勝ちでフォーリー戦。「アリに負けた」という共通点がある者同士のサバイバル戦。英国リバプールでの一戦。スピードがまるで無いフォーリー。ジャブ、ワンツーからの左ジャブ、ボディ打ちなど。ロンドンはジャブ、右ストレートからの左ジャブ、細かい連打。パワーで上回るフォーリーにロンドンが手数で対抗。接近戦ではもみ合い、クリンチ、ボディの打ち合い。10R終了。レフェリーがロンドンの手を上げた(判定はPTS。ダウンシーンは無し)。僅差でロンドンが勝利。ジャブが評価されたか。フォーリーはもう戦うべきではない。決め手に欠けるうえにスピード不足。攻めるときはそれなりに素早さはあったが、全体的に緩慢だった。その後の二人。ロンドンはジェリー・クォーリー、ジョー・バグナーにKOされるなど勝ち星無し。フォーリーはオスカー・ボナベナに判定で雪辱され、最後はマック・フォスター(後、来日。モハメド・アリとノンタイトル15回戦を行い、判定負け)に1RでKOされて引退。その後は9人の子を育てながら自動車販売の仕事。市議会議員を務めたことも。しかし、1972年7月7日に41歳で死去。プールサイドで転倒して頭を打ったという。事故死だが遺体の損傷がひどかったため、他殺の疑いもあるらしい。)


①「Heavyweight 

Zora Folley vs. Wayne Bethea」

②「Heavyweight 

Zora Folley vs. Henry Cooper」

③「Heavyweight 

Zora Folley vs. Doug Jones」

④「Heavyweight 

Zora Folley vs. Brian London」

 

モハメド・アリ(Muhammad Ali)のページ


2026年5月16日土曜日

ボビ-・キャシディ②(Bobby Cassidy)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ライトヘビー級。キャリア後半のキツい試合。ホルヘ・ビクトル・アフマダ戦、ラモン・ランケリョ戦(三戦目)を紹介します。


ボビ-・キャシディ(アメリカ)

身長180cm:サウスポー

ボビ-・キャシディ②(Bobby Cassidy)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ホルヘ・ビクトル・アフマダ 3R KO ボビ-・キャシディ

(ライトヘビー級戦、1974年1月)

キャシディ:右ジャブ、左ストレート、フック   

アフマダ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

3R:右フックでキャシディがダウン

(感想:ジミー・デュプリーと決着をつけたキャシディ。アフマダはアルゼンチンのゴドイ・クルス出身。後の世界王者ビクトル・ガリンデスらにKO負けはあったが、地元では好調(ガリンデスに判定勝ちしたことも)。主戦場をアメリカに移してからは全勝。キャシディをTKOしたホセ・ゴンザレスには3-0で勝利。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。フットワークを使うアフマダ。そして右ストレート、左フック。キャシディ(鮮やかなグリーンのトランクス)は誰が相手でも変わらない。ガードを上げて右ジャブ、左ストレート。左でカウンターを取る器用さも。互いにディフェンスしてやや噛み合わない展開。ただ、単発ながらアフマダの斜め下からの左フック、右ボディ打ちにパワー。3R、力強いフックで攻めるアフマダ。左フックからの右フックでキャシディがダウン 。立てず、カウントアウト。アフマダが豪快なKO勝ち。序盤は慎重姿勢で、3Rに一気に爆発した。キャシディはいつもと同じように見えたが、得意の左強打は不発に終わった(残念)。その後のアフマダ。三度の世界挑戦。しかし、ボブ・フォスターとドロー、ジョン・コンテ、ビクトル・ガリンデスに判定負けで王座奪取ならず。)


ボビ-・キャシディ 10R 判定 ラモン・ランケリョ

(ライトヘビー級戦、1978年3月)

キャシディ:右ジャブ、左ストレート、フック   

ランケリョ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

4R:左カウンターでランケリョがダウン

(感想:アフマダ戦後、連続KO勝ちするなど好調だったキャシディだが、ランケリョにTKO負け。再起戦はランケリョとの再戦で、3-0で雪辱。その後、三連勝でランケリョとの三度目の対決。ランケリョはメキシカン。勝ったり負けたりだが、キャシディと抗争。このところ四連勝中。ラスベガスでの一戦。似た体型(丸っこい身体)。右ストレート、右ボディ打ちで攻めるランケリョ。33歳のキャシディはワンツー、左カウンター、右フックなどを使うがパンチのキレ、パワーがもう一つ。接近戦。ボディの打ち合い。4R、左カウンターでダウンしたランケリョだが、あくまで前進。終盤は接近戦が多い。最終10Rも打ち合い。判定は3-0。キャシディが手数で競り勝った。負けたがランケリョには右ボディ打ちに良さがあった。その後の二人。ランケリョは元WBA世界ライトヘビー級王者マイク・ロスマンにTKO勝ち、後の世界ライトヘビー級、ヘビー級王者マイケル・スピンクスにTKO負け。中堅どころでキャリアを終えたが、ここぞというときに気合いが入るタイプだったようだ。キャシディは次の試合でニューヨーク州ライトヘビー級王者に。更に二連勝で引退。ジュニアミドル級、ミドル級、ライトヘビー級、クルーザー級で世界ランキング入りできたが、世界挑戦は一度も無し。通算戦績59勝(27KO)16敗3分1ノーコンテスト。引退後はトレーナーに。ドニー・ラロンデ、ロニー・ブラッドリーらを指導。映画『ロッキー』にも出演しているとか。2001年、ニュージャージー州ボクシング殿堂、2013年、ニューヨーク州ボクシング殿堂、2018年、フロリダ州ボクシング殿堂入り。息子はボクシング記者になった。)


①「Light Heavyweight 

Bobby Cassidy vs. Jorge Ahumada」

②「Light Heavyweight 

Bobby Cassidy vs. Ramon Ranquello」


ボビ-・キャシディ①(Bobby Cassidy)のページ

(ドン・フルマー戦、トム・ベセア戦、ジミー・デュプリー戦(三戦目))

 

2026年5月13日水曜日

ボビ-・キャシディ①(Bobby Cassidy)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ライトヘビー級。ニューヨークの白人サウスポー。ドン・フルマー戦、トム・ベセア戦、ジミー・デュプリー戦を紹介します。


ボビ-・キャシディ(アメリカ)

身長180cm:サウスポー

ボビ-・キャシディ①(Bobby Cassidy)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ボビ-・キャシディ 10R 判定 ドン・フルマー

(ライトヘビー級戦、1971年4月)

キャシディ:右ジャブ、左ストレート、フック   

フルマー:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:キャシディはニューヨーク州ロングアイランドのレビットタウン出身の白人サウスポー。1944年生まれ。アイルランド系であることからニックネームは「アイリッシュ」。アマチュアの経験無しでプロ入り(「職業は鉄鋼工」という資料。現役時代のことなのか、引退後のことなのかは不明)。1963年3月19日のプロデビュー戦は38秒でKO勝ち。ワンパンチKOだったという。以後、「マジソン・スクエア・ガーデン」などで多くの試合。中堅やベテランに勝利する一方、判定負けやKO負けも(圧倒的に強いワケではないようだ)。勝ったり負けたり連勝したり。1971年1月、大ベテランのルイス・マヌエル・ロドリゲスに2-1の敗北。再起戦はノーコンテストで、フルマー戦。フルマーは世界ミドル級王者になったジーン・フルマーの弟。ユタ州ウェストジョーダン出身。アマチュアで65戦無敗。1957年、ウェストジョーダンでプロデビュー(TKO勝ち)。パワーとディフェンスのテクニックで多くの試合。エミール・グリフィス、ホセ・トーレス、ディック・タイガー、ジミー・エリス、ニノ・ベンベヌチ(世界ミドル級王座戦。判定負け)らと対戦。ベンベヌチ戦後はもう一つだが、経験は充分。ニューヨークでの一戦。速い右ジャブ、左ストレートで先手を取るキャシディ。ダッキングしながら接近して左右フック連打。基本的には距離を取って戦いたい様子。フルマーはタンクトップ姿(アマチュアの試合かと。プロの試合でシャツを着ているのは珍しい)。ジャブを使いながらゴツい右フック、ワンツー、左右フックボディ打ち。パンチにはキレもある。手数でキャシディ。フルマーは残念なことになぜか受け身の姿勢(慎重な性格なのだろう)。5R、左フックを食ってフルマーがグラつく。その後もパワーで上回りながらフルマーは単発な攻撃にとどまる。10R終了。判定は2-1。キャシディがジャブで勝利。先手を取る積極さがモノを言った。フルマーは凄まじい右パンチを効果的に使えないもどかしさ。結局、兄貴のように世界王者になれなかったが、その後もミドル、ライトヘビー級で試合。1973年までリングに上がった。)


ボビ-・キャシディ 10R 判定 トム・ベセア

(ライトヘビー級戦、1972年10月)

キャシディ:右ジャブ、左ストレート、フック   

ベセア:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

9R:左フックでベセアがダウン

(感想:フルマー戦の次の試合で後のWBC世界ミドル級王者ロドリゴ・バルデスにTKOされたキャシディ。プエルトリコの実力者ホセ・ゴンザレスにもTKO負け。ベセアと再起戦。ベセアはノースカロライナ州ランバートン出身の黒人。ニックネームは「爆弾」。1967年デビュー。当初はまずまずだったが、カルロス・モンソン、ルイス・マヌエル・ロドリゲスらに連敗するなど戦績が悪化。大きな番狂わせ。世界王者ニノ・ベンベヌチにノンタイトル戦でTKO勝ち。その次の試合でベンベヌチの世界ミドル級王座に挑戦したが、KO負け(1970年)。そこからビル・ダグラス(バスター・ダグラスの父)、ベニー・ブリスコ(マービン・ハグラーに「対戦した中で最もパンチが強かった男」と評された強打者)らに敗れるなど勝ったり負けたり。直前の試合はラスベガスで判定勝ち。「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦(レフェリーはトニー・ペレス)。開始から手数が多い二人。ベセアは実に積極的で、ジャブを使いながら接近して右ストレート。キャシディは距離を取ってジャブ、ストレートで対抗するが、接近戦にフックで応戦したり、クリンチしたり。右ストレートを当てるベセア。時折連打をまとめ、左フックにパワーがあるキャシディ。共に良いパンチを持っているが、KOを狙うような攻めではない印象。9R、激しい打ち合い。ラウンド終了間際、左フックでベセアがダウン。10Rも激しく接近戦。判定はPTS。キャシディが左パンチのパワーで勝利。ベセアはよく前に出たが、攻め方が単調だったか。その後もベセアはリングへ。連勝でビル・ダグラスに判定で雪辱できたが、後の世界王者マービン・ジョンソン、マイケル・スピンクス、マービン・カメルら次世代の選手に連敗してキャリアを終えた。) 


ボビ-・キャシディ 10R 判定 ジミー・デュプリー

(ライトヘビー級戦、1973年9月)

キャシディ:右ジャブ、左ストレート、フック   

デュプリー:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

2R:左フックで2度、デュプリーがダウン

7R:左フックでデュプリーがダウン

8R:右ストレートでキャシディがダウン

(感想:ベセア戦後、デュプリーにドロー、判定負けのキャシディ。デュプリーと三度目の対戦。デュプリーはサウスカロライナ州チャールストン出身の黒人。ニックネームは「猫」。ニューヨークが主戦場で戦績はおおむね良好。1971年、ベネズエラのカラカスでビセンテ・ロンドンとWBA世界ライトヘビー級王座決定戦を行ったが、KO負け。再起戦で北米ライトヘビー級王者になり、初防衛。二度目の防衛戦でマイク・クォーリー(ヘビー級の実力者ジェリー・クォーリーの弟)に敗北。以後はノンタイトル戦。キャシディと決着戦。ニューヨークでの一戦。キャシディがいつものように右ジャブ、左ストレート。デュプリーはダッキングしながらジャブ、ワンツー、左フック。やや動きのスピードに欠け、ストレートは押すような打ち方。ただし、踏み込んで打つ右ストレート、接近戦での斜め下からのフックに威力があり、キャシディはクリンチで対応。2R、接近戦での左ショートフックでデュプリーがダウン。立ったが、更に左フックでダウン。7R、左フックが効いたデュプリー。追撃の左フックでダウン。どうやらデュプリーはスロースターター。次第に動きに柔軟さ、パンチにパワー。8R終了直前、右ストレートでキャシディがダウン。10R、接近戦。キャシディが左強打。10R終了。判定は3-0。キャシディが早いラウンドでダウンを奪い、優勢に試合を進めて勝利。デュプリーはしゃくるような右フックにキャシディをKOできそうなパワーがあったが、仕掛けるのが遅かったのが残念。その後のデュプリー。再起戦はドロー、その次の試合は北米ライトヘビー級王座戦。かつて保持した王座の奪回を狙ったが、1RでTKO負け。それが最後の試合に。引退後、ニュージャージー州のボクシング殿堂入り(ニュージャージーでも試合をしたことが評価された?)。)


①「Light Heavyweight 

Bobby Cassidy vs. Don Fullmer」

②「Light Heavyweight 

Bobby Cassidy vs. Tom Bethea」

③「Light Heavyweight 

Bobby Cassidy vs. Jimmy Dupree」

 

2026年5月8日金曜日

ベニー・レナード(Benny Leonard)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ライト級王者。「ゲットーの魔術師」。ルー・テンドラー戦(初戦)、ジミー・マクラーニン戦を紹介します。


ベニー・レナード(アメリカ)

身長165cm:オーソドックス(右構え)

ベニー・レナード(Benny Leonard)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ベニー・レナード 12R 判定 ルー・テンドラー

(世界ライト級タイトル戦、1922年7月)

レナード:左ジャブ、右ストレート、フック   

テンドラー:右ジャブ、左ストレート、フック   

(感想:レナードがタイトル防衛。ニューヨーク州ニューヨーク市イーストサイド出身のレナード。ユダヤ人ということで少年の頃はケンカを仕掛けられることが多かったという。身を守るために始めたボクシングで結果的に成功。「ライト級史上最強」「魔術師」と呼ばれるようになった。デビュー当初はKO負けしたが、次第に戦い慣れてきた。数年に渡って連勝、多くの試合。1917年5月28日、世界ライト級王者フレディ・ウォルシュとのノンタイトル戦でKO勝利。面白いことに「ノンタイトル戦でも両者の体重がリミット内で、かつKO勝ちすればタイトルが移動する」という変則ルールがあり、レナードが新王者に。昔はのんびりした時代で世界王座の防衛戦は年に一度ぐらいのペース。その分、ノンタイトル戦を精力的に行い、月に三度試合したことも(二階級制覇を目指した世界ウェルター級王者ジャック・ブリットンへの挑戦は敗北)。テンドラー戦はキャリア後半の防衛戦。挑戦者テンドラーはペンシルベニア州フィラデルフィア出身の白人サウスポー。身長は168cmでレナードとそれほど変わらないが、リーチは178cmある。1913年デビュー。以来、新聞判定による負けはあったが、好調(「新聞判定」とはKOで決着がつかなかった場合、報道関係者が「どちらが優勢であったか」を決めるもの。公式記録は「ドロー」になるが、新聞判定により両者の実力差をある程度うかがい知ることができる)。後の世界バンタム級王者ピート・ハーマンとも対戦。1919年10月21日、反則で初黒星。更に連勝後、1921年10月21日にPTSによる判定で敗北。1922年4月10日には二度目の反則負け。そして、このレナードへの挑戦。ようやく訪れたチャンス。ニュージャージー州ジャージー・シティでの一戦。共にスリムな身体。左右の構えは違うが、似たような戦い方。シャープなジャブ、ストレート、フック連打。レナードは古い時代の選手らしい、やや後ろにのけぞった姿勢、左手を前に出す構え。アマチュアボクサーのように足でリズムを取って突き刺すような左ジャブ、右ストレート。テンドラーも負けじと右ジャブ、左ストレート。ディフェンスは共にバックステップ、クリンチなど。接近戦ではフックの打ち合い。互いに譲らず。しかし、やはりレナード。ジャブ、右カウンターを当てる巧さがあり、斜め下からのフックには威力。12R終了。KO決着でなかったため、ドロー。レナードが新聞判定で勝利(ダウンシーンは無し)。共に良さがあったが、当てる巧さなど微妙なところでレナードが上だった。テンドラーはもう少しパワーがあればといったところ。その後、両者は再び世界王座を懸けて戦い、3-0でレナード勝利。テンドラーはその後も多くの試合。ミッキー・ウォーカーのNBA世界ウェルター級王座に挑戦したが、3-0の敗北に終わった。)


その後のレナード

テンドラーとの再戦に勝利して王座を防衛したレナードだが、1925 年 1 月 15 日、引退を発表、世界ライト級タイトル返上。母が病気になった、というのも引退を決めた理由の一つ。結果的にテンドラーとの再戦が最後の世界戦に。資産があり、悠々自適。ところが1929年の大恐慌。資産を失い、引退から約7年後に35歳でカムバック。連戦連勝。ただ、冴えない試合、不透明な結末になった試合もあり、観客のブーイングを浴びることも。


ジミー・マクラーニン 6R TKO ベニー・レナード

(ウェルター級戦、1932年10月)

レナード:左ジャブ、右ストレート、フック   

マクラーニン:左ジャブ、右ストレート、フック   

(ダウンシーン)

3R:左フックでレナードがダウン

(感想:復帰ロードのレナードが有望株と勝負。マクラーニンは英国ヒルズバラ出身の白人。1923年、カナダでデビュー。主戦場をアメリカに。連勝だったが、判定で敗れることも。1928年5月21日、サミー・マンデルの世界ライト級王座に挑戦して判定負け。その後も勝利しては判定負け。直前の試合は2-1の敗北。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦(観衆19,000人。ハイライト映像で観戦)。髪が薄くなり、丸っこい身体になったレナード。左手を前に出す構えは昔と変わらないが、動きやパンチのキレが無い。マクラーニンは荒々しい男。前進し、大振りの左右フック(強いが、隙がある。それが判定負けしてきた理由か?)。1Rから左フックを食ってピンチのレナード。3Rに右ストレートからの左フックでダウン。その後も勢いでマクラーニン。6R、右フックを食って動きが止まったレナード。左フックを連打されてレフェリーストップ。マクラーニンがパワーで勝利。レナードはテクニックでカバーしようとしたが、相手の勢いを止めるだけのパワー、スピードは無かった。その後の二人。マクラーニンはヤング・コーベット3世をKOして世界ウェルター級王者に。バーニー・ロスとの王座をめぐる抗争。トニー・カンゾネリとの二連戦。世界ライト級王者ルー・アンバースに勝利して引退。世界王座は一度も防衛できなかったが、中身の濃いキャリアとなった。レナードはこれで引退。マクラーニン戦で得たカネで少し経済的に楽になり、結婚もできた。ボクシング・インストラクターの仕事に就き、第二次世界大戦中は米国海兵隊の中尉として勤務。その後はニューヨーク州のレフェリーに。「名レフェリー」との評判を得たが、ニューヨークでのレフェリング中に心臓発作。そのまま死去(51歳没)。通算戦績180勝(69KO)21敗6分6無判定(推定)。1955年、『リング』誌の殿堂入り。1980 年、世界ボクシング殿堂入り。1990 年には国際ボクシング殿堂入り。)


①「World Lightweight Title

Benny Leonard vs. Lew Tendler」

②「Welterweight 

Benny Leonard vs. Jimmy McLarnin」

 

2026年5月1日金曜日

サム・ラングフォード(Sam Langford)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

伝説のヘビー級。ジョー・ジャネット戦、ジム・フリン戦、ビル・ラング戦を紹介します。


サム・ラングフォード(アメリカ)

身長171cm:オーソドックス(右構え)

サム・ラングフォード(Sam Langford)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ジョー・ジャネット戦

(感想:伝説の黒人ヘビー級ラングフォード。強すぎるため白人の世界王者は恐れをなしてラングフォードの挑戦を受けなかったという。身長171cmで小さい。ライト級でデビューし、ヘビー級の強豪に。カナダ・ノバスコシア州ウェイマス出身。1902年、マサチューセッツ州ボストンでプロデビュー。ノンタイトル戦で世界ライト級王者ジョー・ガンズに判定勝ち。王者「バルバドス」ジョー・ウォルコットと世界ウェルター級王座を争って引き分け。1906年4月26日、有色人種版・世界ヘビー級王座(大昔は世界ヘビー級王座は白人だけのもの。黒人用に「有色人種版・世界ヘビー級王座」があった)を懸けてジャック・ジョンソンと対戦。ダウンを食って判定負け。その後、ラングフォードがパワーアップしていったため、ジョンソンはラングフォードと再び戦おうとしなかったという。その代わりとなるライバルが。同じように黒人であるという理由で大きなチャンスが得られないハリー・ウィルスとの抗争。世界有色人種ヘビー級王座を懸けて勝ったり負けたり。ジョー・ジャネットもその王座を懸けて何度も対戦したライバル。古い映像があり、いつ行われたものかはわからないが内容を少し紹介。ジャネットはニュージャージー州ノース・バーゲン出身の黒人。身長178cmだが、リーチは192cmもある。鍛冶屋の父を手伝い、トラック運転手の仕事も。その後、ボクサーに。1904年、25歳でプロデビュー。以後、ラングフォード、ジャック・ジョンソン、ハリー・ウィルスといった強豪と何度も対戦。有色人種・世界ヘビー級王座をめぐる抗争を展開。映像ではそれほど魅力的ではない試合ぶり。身体はデカいが、長いジャブを出すのみ。相手に接近されてクリンチ。ラングフォードはあまりスピードのある選手ではない。丸っこい身体でジリジリ前進し、右ストレート、フック。例えるならば10年ぶりに復帰した時のジョージ・フォアマンのようなタイプ。ゴツい腕で頑丈なコブシ。強烈なコンビネーション(右フックからの左フック)。右フック、左フックで三度のダウンをジャネットから奪う。最終ラウンド終了でレフェリーはラングフォードの手を上げた(PTSによる判定でラングフォード勝利)。1919年にジャネットは引退。ニューヨーク州から認可され、アフリカ系アメリカ人初のジャッジに。ボクシングジムを経営し、ジム・ブラドックらを指導。車好きなことからジムを辞め、タクシー会社を経営。住んでいた町にはジャネットにちなんで名付けられた「ジャネット通り」があるそうだ。)


サム・ラングフォード 8R KO ジム・フリン

(ヘビー級戦、1910年3月)

ラングフォード:左ジャブ、右ストレート、フック   

フリン:フック

(ダウンシーン)

8R:フック連打でフリンがダウン

(感想:フリンはニュージャージー州ホーボーケン出身。本名は「アンドリュー・シャリグリオーネ」。ニックネームは「消防士」だが、鉄道関係の仕事をしていたそうだ。1893年のデビュー戦はKO勝ち。以後、連勝したり、KO負けを喫したり。1904年4月16日、KOでコロラド州王座(ヘビー級)獲得。1906年10月2日、トミー・バーンズの世界ヘビー級王座に挑戦してKO負け。1907年11月2日、ジャック・ジョンソンにKO負け。1908年12月21日、ラングフォードに1RでKO負け。再戦はドロー。そして、この三度目の対戦。カリフォルニア州バーノンでの一戦。開始から接近戦。相撲のような押し合いをしながらバカスカ打ち合う。ひたすらフック攻撃のフリン。対抗するラングフォードは斜め下からのフックなどパンチの正確さとパワーで上回る。中間距離ではラングフォードがジャブ、右ストレート。フリンは接近してフック。屋外リングで暑いのか、セコンドがバスタオルで選手をあおいで冷却。8R、フック連打でフリンがうつぶせにダウン。立てなかったらしく、KO(倒れたところで映像が切れ、試合後の騒然とした状況が映っていた)。ラングフォードがゴツいパワーで勝利。フリンはムチャな打ち合いを選択したが、この選手はそれがいつものパターンなのだろう。しかしその後はラングフォード戦を経験して強くなったか、連勝。1912年7月4日、世界王者になったジャック・ジョンソンに挑戦したが、反則負け(ジョンソンのホールドを嫌がって頭突きしたらしい)。その後も多くの試合を行ったが、勝ったり負けたりのタフなキャリア。1917年2月13日に大きな勝利。世界王者になる前のジャック・デンプシーを1RでKO(上手く隙を突いたらしい)。再戦は逆にデンプシーが1RでKO勝ち(報復された)。ラングフォードに二連敗したりしながら1925年まで戦った。通算戦績74勝(56KO)46敗22分。)


サム・ラングフォード 6R 反則 ビル・ラング

(ヘビー級戦、1911年2月)

ラングフォード:左ジャブ、右ストレート、フック   

ラング:左ジャブ、右ストレート、フック   

(ダウンシーン)

2R:左フックでラングがダウン

(感想:ラングはオーストラリア・メルボルン出身の白人で、パワーが売り物。1905年、デビュー(引き分け)。勝ったり負けたりを経験後、オーストラリア王座(ヘビー級)を獲得して連続防衛。1908年9月3日、トミー・バーンズの世界ヘビー級王座に挑戦してKO負け。その後もオーストラリア王座防衛(ボブ・フィッツシモンズもKO)。英連邦王座も奪取。しかし、またしてもバーンズに敗れて両王座から陥落。直前の試合は英連邦王座決定戦で、反則負け。英国ケンジントンでの一戦。相手のパワーを警戒するラング。フットワークで距離を取ったり、クリンチしたり。ラングフォードは歩いて距離を詰め、強いジャブ、右ストレート、回転の速いフック連打。ラングはジャブ、右カウンターでしのごうとするが、2Rにロープ際で左フックを食ってダウン。その後もプレッシャーを掛ける ラングフォード。ラングはクリンチ。途中までの映像。結果は反則(たぶん、クリンチだろう)。ラングフォードがパワーで勝利。動きのスピードはそれほどでもないラングフォード。「足を使って打ち合わない選手」とどう戦うのか、といったところだったが、ゆっくり歩いて相手を追い詰め、意外に速いフック連打で相手を圧倒(後のフォアマンとよく似た戦法)。速く動かなくても相手を追い込める剛腕があった。ラングは「パワーが売り物」ということだが、「上には上があった」といった結果に。その後もオーストラリア王座戦に出場。ローカルな活躍にとどまった。)


その後のラングフォード

多くの試合。1919年、ジャック・デンプシーが世界ヘビー級王者になったが、ラングフォードとの対戦は無し。次第に全盛を過ぎていくラングフォード。キャリアの終わり頃にはほとんど失明状態になり、1926年8月の試合でTKO負けして引退。引退後は貧困。ファンからの寄付で何とか暮らせるようになったとか。世界タイトルは獲得できなかったが、2020年8月13日にWBCがラングフォードを「名誉世界チャンピオン」に認定。通算戦績178勝(129KO)32敗40分。


①「Heavyweight 

Sam Langford vs. Joe Jennette」

②「Heavyweight 

Sam Langford vs. Fireman Jim Flynn」

③「Heavyweight 

Sam Langford vs. Bill Lang」

 

2026年4月29日水曜日

ルービン・ハリケーン・カーター(Rubin Carter)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

伝説のミドル級。ホーリー・ミムズ戦、ホセ・ゴンザレス戦、ジョーイ・ジャーデロ戦(世界戦)ほかを紹介します。


ルービン・カーター(アメリカ)

身長173cm:オーソドックス(右構え)

ルービン・ハリケーン・カーター(Rubin Carter)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ルービン・カーター 10R 判定 ホーリー・ミムズ

(ミドル級戦、1962年)

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

ミムズ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

4R:右ストレートでカーターがダウン

(感想:カーターはニュージャージー州クリフトン出身の黒人。身長は173cmだが、リーチは183cm。坊主頭で上半身のゴツさがあり、そのファイトぶりは例えるならばアイラン・バークレーといったところか。なかなか厳しい人生を送ったことであまりにも有名(映画化されたほど)。犯罪で少年院に。逃走し、軍人に。そこでボクシングを始めてプロになろうとしたが、脱走歴があることがバレて収監。そして1961年にプロデビュー(判定勝ち)。判定での敗北もあったが、実力をつけていく。このところ三連続KO勝ち。ミムズはワシントンD.C.の黒人で、当時の実力者。身長は170cm。1948年のデビュー戦は引き分け。二戦目は判定負け。経験を積み、連勝したことも。1951年、あのシュガー・レイ・ロビンソンに判定負け。その後も判定負けはあったが、ライバルたちと多くの試合。ジョーイ・ジャーデロに判定負け、ジョージ・ベントンに判定勝ち、ディック・タイガーに判定負け、後のWBA世界ヘビー級王者ジミー・エリスと一勝一敗。全盛期をやや過ぎたが、このところ連勝でカーター戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。前傾姿勢で前進し、ジャブ、ストレートのカーター。接近してパワフルな左右フック、打ち下ろすような右ストレート。打ち方も良く、ダッキングといったディフェンスもできる。ミムズは柔軟な動きが武器ということだが、相手のパワーに押されて1Rから左フックを食ってピンチ。2Rからは足を使って距離を取ろうとする。4R、もみ合いの中、右ストレートでカーターがダウン。しかし、その後はカーターが接近してのフック、コンビネーション(右ストレートからの左ボディ、左フックからの右ストレート)で優勢。10R終了。判定は3-0。カーターが攻撃力で勝利。しかし、ダウンを食った。攻めが単調なところがあるのが原因か? ミムズは元々パワーはあまりなく、テクニックで勝負するタイプなのではないか? パワー不足で押されるシーンが多かった。しかし、ダウンを奪って意地を見せた。その後、ミムズはエミール・グリフィス、ジョーイ・アーチャー、ルイス・マヌエル・ロドリゲスに判定負けしたが、中堅どころに連勝して引退(1967)。しかし、戦いすぎたか、1970年1月13日、腎臓疾患のため42歳で死去。)


ルービン・カーター 10R 判定 ゴメオ・ブレナン

(ミドル級戦、1963年)

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

ブレナン:左ジャブ、右ストレート、左フック

(感想:ミムズ戦の次の試合。ブレナンはバハマのビミニ出身の黒人。トレーナーはアンジェロ・ダンディ。1956年、フロリダ州マイアミ・ビーチでデビュー(KO勝ち)。以来、マイアミとバハマを主戦場に多くの試合。後の世界ウェルター級王者ルイス・ロドリゲスに判定負け、ウォレス・バッド・スミスにTKO勝ち、ホーリー・ミムズに判定負け。そこから連勝だったが、直前の試合でウィルバート・マクルーアに判定負け。これまで判定負けはあるが、KO負けは一度もなし。「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。共に速いジャブ。カーターは誰とやっても同じスタイルらしく、攻めの姿勢で左フックからの右ストレート、斜め下からの左フックなど。ブレナンは足を使ってアウトボクシング。左フックダブルからの右ストレートといった良いコンビネーションを持っているが、あまり自分から攻撃を仕掛けない。カーターも不発。攻めるが、ディフェンスされたり、クリンチされたり。9Rに大きな見せ場。ワンツーを食って足に来たカーターが連打されてピンチ。しかし、10Rもカーターは攻める。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。勝ったが、打たれて危なかったカーター。勇ましいのはいいが、攻め一辺倒は危ない。ブレナンはその逆。粘るが、勝てない試合ぶり。その後もブレナンは精力的に多くの試合。決定戦で英連邦王座(ミドル級)獲得、世界王者になる前のホセ・トーレスに2-0の敗北、中堅相手に連勝。1971年10月、ビセンテ・ロンドンのWBA世界ライトヘビー級王座に挑戦してTKO負け。再起戦に判定負けして引退。KO負けはキャリア末期のロンドン戦のみだった。)


ホセ・ゴンザレス 7R TKO ルービン・カーター

(ミドル級戦、1963年)

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

ゴンザレス:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ブレナン戦の次の試合。ゴンザレスはプエルトリコ・アロヨ出身。1959年デビュー。主戦場はニューヨーク。ルイス・ロドリゲス(後の世界ウェルター級王者)にTKO負け、ジョーイ・アーチャーと一勝一敗。このところ二連勝でカーター戦。「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。開始から接近戦。フックでの打ち合い。カーターが一発ずつパワーを込め、左フックからの右ストレートなど。ゴンザレスはややトリッキーな動きを入れながらフック連打で応戦。パワーで押すカーター。連打&クリンチのゴンザレス。もみ合うような接近戦が続く。5R、カーターが激しく連打。6Rには豪快な左フック。ゴンザレスはボディ連打で対抗。このラウンド終了後、カーターがキズにより棄権(ダウンシーンは無し)。ゴンザレスがラッキーな勝利。パワーで押していたカーターだが、倒すどころか敗北。相手に粘られてしまった。その後のゴンザレス。好調だったが、エミール・グリフィス、ホセ・トーレスに判定で二連敗。ディック・タイガーにTKO負け、ドン・フルマーに判定勝ちでWBAアメリカ王座(ミドル級)獲得。その後は勝ったり負けたりになったが、ベニー・ブリスコ、ルイス・ロドリゲス(再戦)、ユージン・ハートといった実力者に勝利した。)


その後のカーター 

ゴンザレス戦の次の試合であのジョージ・ベントンに判定勝ち。ジョーイ・アーチャーに2-1で敗北。その再起戦でエミール・グリフィスを何と1RでTKO。その次の相手は後のWBA世界ヘビー級王者ジミー・エリスで3-0の勝利。更にTKO勝ちでついに念願の世界初挑戦。


ジョーイ・ジャーデロ 15R 判定 ルービン・カーター

(世界ミドル級タイトル戦、1964年)

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

ジャーデロ:左ジャブ、右ストレート、左フック

(感想:ジャーデロがタイトル初防衛。王者ジャーデロはニューヨーク・ブルックリン出身の白人(イタリア系)。1948年、デビュー。以来、多くの試合。ナイジェリアのディック・タイガーと一勝一敗の後、1960年にジーン・フルマーのNBA世界ミドル級王座に挑戦したが、引き分け(互いにラフファイトで「史上最も汚い戦い」とされる試合)。1963年6月、あのシュガー・レイ・ロビンソンに判定勝ち。その次の試合でディック・タイガーから世界ミドル級王座奪取。すっかりベテランになり、カーターと初防衛戦。ペンシルベニア州フィラデルフィアでの一戦。共にゴツいパンチの持ち主だが、この試合のジャーデロは左のテクニックを使う作戦。足で距離を取って左ジャブを出すアウトボクシング。時折左フック、得意の右ストレート。カーターもジャブ。そしてパワフルなストレート、フック。しかしながら、空転。パワーを込めすぎて動く相手を捉えられない。強打をヒットさせるシーンもあるが、クリンチされて単発に終わる。また、ジャーデロに対抗してアウトボクシングをするが、ジャーデロはワンツーからの左フックなどで手数。左のテクニックのジャーデロ、パワーで前進のカーター。15R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。ジャーデロが器用さで勝利。元々パンチがあるため、時には正確かつパワーのあるところも見せた。カーターはパワーでは上だったが、敗北。パンチにはキレがあり、ディフェンスもできていた。やはりパワーを入れすぎると機動力が落ちるのであろう。勝てる試合を落としてしまった。その後のジャーデロ。二度目の防衛戦はディック・タイガーとの四戦目。これに敗れ、王座陥落。既にボロボロだったが、カムバック。しかし、余計なダメージを負って引退。)


その後のカーター

再起戦で元世界ウェルター級王者ルイス・ロドリゲスに判定負けして二連敗。ディック・タイガーに判定負けするなど勝ったり負けたりに。そして1966年6月17日、「ニュージャージー州で3人の白人を銃で撃ち殺した」として逮捕。刑務所で自伝を執筆し、無実を訴え続けた。長年の服役後、「冤罪」が認められて世間の大きな話題に。その獄中での戦いはデンゼル・ワシントン主演『ザ・ハリケーン』(1999年)で映画化された。


①「Middleweight 

Rubin Carter vs. Holly Mims」

②「Middleweight 

Rubin Carter vs. Gomeo Brennan」

③「Middleweight 

Rubin Carter vs. Jose Gonzalez」

④「World Middleweight Title

Joey Giardello vs. Rubin Carter」

 

ジョーイ・ジャーデロ(Joey Giardello)のページ

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ジョージ・ベントン(George Benton)のページ


2026年4月24日金曜日

ジョーイ・ジャーデロ(Joey Giardello)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ミドル級王者。世界王者になる前のウォルター・カーティア戦、ウィリー・トロイ戦、アル・アンドリュース戦を紹介します。


ジョーイ・ジャーデロ(アメリカ)

身長178cm:オーソドックス(右構え)

ジョーイ・ジャーデロ(Joey Giardello)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ジョーイ・ジャーデロ 1R TKO ウォルター・カーティア

(ミドル級戦、1954年)

ジャーデロ:左ジャブ、右ストレート、フック   

カーティア:左ジャブ、右ストレート、左フック

(ダウンシーン)

1R:右ストレートで3度、カーティアがダウン

(感想:ジャーデロはニューヨーク・ブルックリン出身の白人。イタリア系で本名は「カルミネ・オーランド・ティレッリ」。当時のブルックリンは荒れたスラムではなかったがギャングがおり、ジャーデロは連中とつるんだり、ケンカ沙汰になったり。15歳の時、「ジョー・ジャーデロ」という年上のいとこから出生証明書を購入し、米陸軍に入隊。ニュージャージー州でプロデビューを果たしたが、親バレしないようにするために再びジャーデロの名を借用。1948年、デビュー。実力者と対戦(いつのことかは不明だが、自動車事故で後遺症が残ったり(膝を損傷)、ガソリンスタンドでの暴行で6か月の懲役刑を言い渡されたり、といったトラブルも)。カーティアと再戦(初戦は前年に行われ、3-0でジャーデロ勝利)。カーティアもまたニューヨーク出身で、ブロンクス。1946年にプロデビュー。中堅相手に好調だったが、キッド・ギャビラン、ボボ・オルソンに連続TKO負け。ジャーデロに判定負けするなど、このところ勝ったり負けたり。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。互いにジャブ。右ストレートに威力があるジャーデロ。接近戦では左右フックを振るうが、手打ち気味なところが。ただ、当てる巧さがあり、インサイドからフックを入れる。カーティアは左のガードをやや下げた構えで、ジャブ、左ボディ打ち。フックの打ち方はジャーデロよりも良い。強烈な右カウンターで カーティアがダウン。立ったが、右ストレートで更に二度ダウンしてレフェリーストップ。ジャーデロが得意の右パンチで快勝。最初のダウンを奪った右カウンターは見事な一撃だった。カーティアは普通レベルの選手だった印象。その後も中堅相手に試合。引退後は俳優になった。)


ジョーイ・ジャーデロ 7R TKO ウィリー・トロイ

(ミドル級戦、1954年)

ジャーデロ:左ジャブ、右ストレート、フック   

トロイ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

1R:右フックでトロイがダウン

2R:右ストレートでトロイがダウン

(感想:カーティア戦の次の試合。トロイはバージニア州ノーフォーク出身の黒人。身長180cmのスリムな体型。1951年のデビューから連勝。KO負けで初黒星。そこからまた連勝でジャーデロ戦。「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。1R、共にジャブ。ジャーデロはこの試合ではゴツいパンチ(カーティア戦でのシャープなパンチとは大違い)。ワンツー、フックにパワーを込める。トロイは動きのスピードはそこそこで、パンチのキレもそれなり。右ストレート、接近してボディ打ち。左ボディ打ちに良さがあるが、攻めるときのガードに甘さ。右フックでカウンターされてダウン。2Rには左フックを食ってピンチ。腕力で攻めるジャーデロ。右ストレートがカウンターで入ってトロイが少し間を置いてダウン。それでも前に出るトロイ。4Rに左ボディからの右ストレートを決める。ジャーデロは疲れが見え始め、フットワーク&ジャブでアウトボクシングしたり、クリンチしたり。トロイは左のテクニック(左ボディ打ち、左フックダブルなど)を持っているが、「一発のパワー」はジャーデロ。7R、トロイが左フック連打からのワンツーを打たれたところでレフェリーストップ。ジャーデロが辛勝。パワーを込めすぎてスタミナ切れの状態に。パンチの正確さで何とか押し切った。トロイは動きの機敏さ、パンチのキレに欠けるところがあったのが惜しい。その後もトロイは中堅相手に試合。フロイド・パターソンにTKO負け(1955年)。ラストファイトは1956年9月で、判定負け。その試合でアゴを折って引退。1984年7月、51歳で死去。死因は不明。)


ジョーイ・ジャーデロ 7R TKO アル・アンドリュース

(ミドル級戦、1955年)

ジャーデロ:左ジャブ、右ストレート、フック   

アンドリュース:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

9R:右フックでアンドリュースがダウン

(感想:トロイ戦の次の試合に判定負けしたジャーデロだが、その後、連勝。アンドリュースはウィスコンシン州オリバー出身の白人。身長はジャーデロと同じ(178cm)。中堅相手に連勝したり、カーメン・バシリオに判定負けしたり。直前の試合は判定勝ち。連戦連勝とはいかないが、粘り強さを感じる戦績の持ち主。バージニア州ノーフォークでの一戦。踏み込んで左フック、接近して回転の速いフック連打のアンドリュース。手数を出していく積極さ。ジャーデロは一発ずつパワーを込めるメキシカンのようなフック攻撃。1Rにグローブを交換するハプニングはあったが、正確に当てようとする強打で少し優勢。特に斜め下からの右フック、コンビネーション(右フックからの左フック、左フックからの右アッパーほか)が印象的。手数で攻めるアンドリュース、フックで応戦のジャーデロ。クリンチするなど疲れを見せるジャーデロだが、9Rに右フックでアンドリュースをダウンさせる。10R終了。判定は3-0。中盤以降、スタミナがキツそうだったジャーデロ。今後の活躍はその問題の克服次第か? アンドリュースはよく頑張ったが、パワー不足。軽量級のような試合ぶりだった。その後のアンドリュース。再起戦で後の世界ライトヘビー級王者ウィリー・パストラーノに判定負け。その後も多くの試合を行ったが、ジーン・フルマー、デニー・モイヤーに判定負けするなど勝ったり負けたり。1959年6月、後の世界ライトヘビー級王者ホセ・トーレスにTKO負け。その次の試合もKO負けで引退。)


その後のジャーデロ

連勝後、チャーリー・コットンに二連敗。コットンに二連勝するなど好調。ラルフ・ジョーンズらに三連敗。ナイジェリアのディック・タイガーと一勝一敗の後、ジーン・フルマーのNBA世界ミドル級王座に挑戦したが、引き分け(「史上最も汚い戦い」と評価された試合。互いにラフファイト。両者とも「自分が勝った」と主張。ジャーデロ「フルマーは最も汚いファイターの一人だった」 と後に語っている)。その後、不調。スランプ。1962年のヘンリー・ハンク戦の勝利が「リング」誌から「ファイター・オブ・ザ・イヤー」に選ばれる名誉もあったが、実力者ジョージ・ベントンに判定負け。1963年6月、あのシュガー・レイ・ロビンソンに判定勝ち。その次の試合でディック・タイガーから世界ミドル級王座奪取。初防衛戦でルービン・カーターに勝利(カーターはその後、冤罪で長期服役。映画にもなった)。しかし、タイガーとの四戦目に敗れ、王座陥落。既にボロボロだったが、「ライトヘビー級に挑戦したい」ということでカムバック。しかし、二勝二敗で引退。引退後は保険の営業マン、化学会社でマーケティング担当者になったとか。ボランティア活動も行う慈善家の面も。


①「Middleweight 

Joey Giardello vs. Walter Cartier」

②「Middleweight 

Joey Giardello vs. Willie Troy」

③「Middleweight 

Joey Giardello vs. Al Andrews」


ジョージ・ベントン(George Benton)のページ

2026年4月22日水曜日

ジョージ・ベントン(George Benton)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界挑戦を阻止され続けたミドル級。ボビー・ボイド戦、ハリケーン・カーター戦、アレン・トーマス戦を紹介します。


ジョージ・ベントン(アメリカ)

身長178cm:オーソドックス(右構え)

ジョージ・ベントン(George Benton)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ジョージ・ベントン 10R 判定 ボビー・ボイド

(ミドル級戦、1959年)

ベントン:右ストレート、フック   

ボイド:右ストレート、フック

(感想:ペンシルベニア州フィラデルフィア出身の黒人ベントン。実力がありながら世界挑戦のチャンスを阻止され続けた男。世界王者になっていないため、有名選手のセコンドに付く姿の方が有名かもしれない。11人兄弟の家庭。16歳でプロに。1949年、フィラデルフィアでのデビュー戦は1RでKO勝ち。判定で初黒星。そこから連勝。判定負けはあったが、KO負けは無し。ボイドはイリノイ州シカゴ出身の黒人で、身長180cm。1952年のデビューから概ね好調。しかし、当時の実力者ウィリー・トロイ、モーゼス・ウォードに二連続KO負け。ジーン・フルマーに判定勝ち、ジョーイ・ジャーデロにKO負け。直前の試合は1RでTKO負け。一定の実力はあるが、それ以上にはなれない状況にある。フィラデルフィアでの一戦(短いハイライト映像で観戦)。共に黒人選手でモノクロ映像のため黒のトランクス着用に見える両者。映像ではどちらがベントンかもわからない。似たような体格で、力を込めて右ストレート、フックの応酬。攻めている方(左のガードをやや下げている。コチラがベントンか?)は左フックの打ち方が巧く、パワフル。応戦する方も連打の回転が速いが、ロープ、コーナーに詰められて苦戦。判定は3-0でベントン。共に力強かったが、左フックに違いがあった。その後のボイド。再起戦にTKO負けで事実上、キャリアを終えた。)


ルービン・ハリケーン・カーター 10R 判定 ジョージ・ベントン

(ミドル級戦、1963年)

ベントン:左ジャブ、右ストレート、フック   

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ボイド戦後、判定で二連敗のベントン。後の世界J・ミドル級王者フレディ・リトル(日本で世界王座をKO防衛したことでおなじみ)に判定勝ち。さらに判定負けを喫したが、その後はジョーイ・ジャーデロを3-0で下すなど連勝中。カーターはニュージャージー州クリフトン出身の黒人。犯罪で少年院に入ったが逃走し、軍人になった過去。1963年にデビューして判定勝ち。判定負けはあったが、好調。直前の試合はホセ・ゴンザレスに負傷TKO負け。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での注目の一戦(レフェリーはアーサー・マーカンテ)。共に速いジャブ。左のガードを下げた構えのベントンがジャブ、ワンツー、左フックからの右ストレート。カーターは上半身の筋肉があり、ガードを固めてパワフルなストレート、フック連打。ゴツいパワーで押すタイプだが、左フックからの右ストレート、隙を突く攻撃などテクニックも持っている。接近戦ではボディの打ち合い、もみ合い。右ストレートからの左フックといったコンビネーションを出すベントンに対し、カーターは接近戦ではややモタモタしたところが(全てのパンチにパワーを込めるため疲れるのだろう)。速さとパワーのベントン、ゴツいパワーのカーター、といった展開で10R終了。判定は2-1(ダウンシーンは無し)。カーターのパワーが評価されたか。映像ではコンビネーションを使うベントンの方が勝ったように見えた。まるで「シュガー・レイ・レナード vs. トーマス・ハーンズ」のようだった試合。まだ強さがあった頃にミドル級でレナードとハーンズが対戦していたら、この「ベントンvs.カーター」のような試合になっていたかも。その後のカーター。あのエミール・グリフィスを1RでTKOしたり、後のWBA世界ヘビー級王者ジミー・エリスに3-0で勝利したり。しかし、ジョーイ・ジャーデロの世界ミドル級王座への挑戦は判定負け。その後も多くの試合を行ったが、勝ったり負けたり。強盗容疑で逮捕され、有罪。無実を訴え続けたが、無視されて長期服役。刑務所で書いた自叙伝がキッカケになってついに「冤罪」が認められるという波乱に満ちた人生となった。)


ジョージ・ベントン 10R 判定 アレン・トーマス

(ミドル級戦、1963年)

ベントン:左ジャブ、右ストレート、フック   

トーマス:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:カーターに敗れたベントンの再起戦。トーマスはアラバマ州タスキーギ出身の黒人。身長180cm。1959年にデビューしたが、二戦目でKO負け。そこから連勝。イリノイ州王座(ライトヘビー級)をTKOで獲得している。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。開始から積極的なトーマス。スリムな身体からシャープなパンチでジャブ、右ストレート、接近してフック連打。ベントンは受けて立つ戦いぶり。ディフェンスしながら右ストレート、フックで応戦。右カウンター、左フックに巧さ、大きめの右フックに迫力。左フックからの右ストレートといったコンビネーションも使用。手数を出すトーマスだが、どうやらブロックされている様子。ベントンの正確な強打を時折食い、勢いが落ちていく。10R、シャープなパンチで頑張るトーマスだが、そこまで。10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。共に良い選手だったが、パワー&パンチの正確さでベントンが上だった。その後の二人。トーマスはボブ・フォスター(後の世界ライトヘビー級王者)に1Rで敗れるなど勝ったり負けたりに。1970年までリングに上がった。ベントンは多くの試合。ペンシルベニア州王座(ミドル級)を獲得したり、ジミー・エリスに2-0で勝利したり。しかし、元世界ウェルター級王者ルイス・ロドリゲス、強打者ベニー・ブリスコにTKO負け。中堅相手に連勝だったが、判定負け。そして、事件。ベントンの家族に逆恨みした男に銃で撃たれて引退。引退後はエディ・ファッチに弟子入り。伝説の「マニラのスリラー」ではジョー・フレージャーのセコンド。トレーナーとしてイベンダー・ホリフィールド、パーネル・ウィテカーといった名のある選手を指導。1989年と1990年に「年間最優秀トレーナー」賞。2001年、ボクサーではなくトレーナーとしての功績により国際ボクシング殿堂入り。シュガー・レイ・レナードに似たタイプだったベントン。レナードは五階級制覇。ベントンはローカル王座のみ。時代によって運が大きく違うのが人生の厳しいところ。)


①「Middleweight 

George Benton vs. Bobby Boyd」

②「Middleweight 

George Benton vs. Rubin Carter」

③「Middleweight 

George Benton vs. Allen Thomas」

 

2026年4月17日金曜日

ジェイ・フルマー(Jay Fullmer)&ドン・フルマー(Don Fullmer)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

フルマー兄弟。「ジェイ・フルマー vs. ジム・モーリー」「ドン・フルマー vs. レトル、フュメレル」を紹介します。


ジェイ・フルマー(アメリカ)

身長171cm:オーソドックス(右構え)

ジェイ・フルマー(Jay Fullmer)&ドン・フルマー(Don Fullmer)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ドン・フルマー(アメリカ)

身長175cm:オーソドックス(右構え)

ジェイ・フルマー(Jay Fullmer)&ドン・フルマー(Don Fullmer)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ジェイ・フルマー 2R KO ジム・モーリー

(ウェルター級戦、1957年)

フルマー:左ジャブ、右ストレート、フック   

モーリー:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

2R:左フックでモーリーがダウン

(感想:フルマー兄弟はユタ州ウェストジョーダン出身の白人。兄ジーン(1931年生まれ)、弟ジェイ(1937年)&ドン(1939年)。ジーンは世界ミドル級王者になり、シュガー・レイ・ロビンソンとの対戦であまりにも有名。ジェイは1956年、ニューヨークでデビュー(判定勝ち)。以来、連勝中。モーリーはユタ州ソルト・レーク・シティの選手で、四回戦選手。ウェストジョーダンでの一戦。長身のモーリー。アップライトスタイルからジャブなどを出すが打ち方がぎこちなく、ガードに甘さ。フルマーが接近して右ストレート、フック。2R、強烈な右カウンターからの左フックでモーリーがダウン。立てず、KO。フルマーが楽勝。勝っても自慢にならない相手だったが、フィニッシュのコンビネーションはスムーズかつパワフルだった。モーリーは残念ながらバランスが悪く、基本ができていなかった。その後の二人。モーリーは数試合やって引退。フルマーは中堅らを相手に連勝だったが、TKOで初黒星。その後は試合経験のある選手には敵わず。タイトル戦を行うことなくキャリア終了。)


ドン・フルマー 10R 判定 ステファン・レトル

(ミドル級戦、1960年)

フルマー:左ジャブ、右ストレート、フック   

レトル:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:アマチュアでは65戦無敗だったというドン。1957年、ウェストジョーダンでプロデビュー(TKO勝ち)。経験の浅い相手に連勝。それがまずかったか、三連敗。そこからまた連勝中。レトルはハンガリーの白人。デビューから主戦場はアメリカ。連勝だったが、2-1で初黒星。ローカル王座(ウェルター級)獲得。直前の試合でTKO負けするなどこのところ勝ったり負けたりで苦戦中。ウェストジョーダンでの一戦。互いにジャブ。攻めの姿勢で前進するレトルだが、雑な攻めで攻撃の正確さに欠ける。フルマーは相手から距離を取って戦うタイプで、接近してくる相手に右ストレートからのフック連打。パワーがあるが、相手のレトルは意外にディフェンスが巧い。決定打を欠く状況のまま10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。フルマーが手数で勝利。受け身の試合ぶりなところもあったが、パワーとディフェンスのテクニックがあった。レトルはヨーロッパ人らしからぬ雑な打ち方が残念。その後、レトルはカーチス・コークスらに連敗。ドイツでは強かったが、アメリカではトニー・デマルコといった実力者に敗北。)


ドン・フルマー 10R 判定 ロッキー・フュメレル

(ミドル級戦、1961年)

フルマー:左ジャブ、右ストレート、フック   

フュメレル:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

3R:左フックでフュメレルがダウン

(感想:レトル戦後も連勝を続けたドンだが、ジョーイ・アーチャーに2-0で敗北。再起戦でフュメロルと対戦。フュメロルはニューヨーク州バッファロー出身の白人で、ニックネームは「ブロンド・ボンバー」(相当パンチが強いのだろう。「ジャック・デンプシーのような奴」と言われたこともあるとか)。父がアマチュアボクサーだった縁でボクシングを選択。アマチュアで全勝、大会で優勝経験。プロではデビューから連勝。「天才型」のようだが、トニー・デューパスに判定で初黒星(インフルエンザ後で体調不良だったらしい)。ベテランのラルフ・タイガー・ジョーンズに判定勝ちし、フルマー戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での注目の一戦。互いにジャブ。共に良い選手。フルマーがパワーを込めてゴツいストレート、フック連打。フュメレルはパンチのキレで勝負するタイプで、ボロパンチのような右フック、パワーを乗せた左ボディ打ち。テクニックを使いながら時折パワーのあるパンチを打ち込む。好調のフルマー。右フック、右ストレートからの左フックを当てる。3R、右ストレートからの強烈な左フックでフュメレルがダウン。その後もワンツー、連打にパワーと速さがあるフルマー。右ストレートからの左ジャブといったテクニックも披露。フュメレルは良いパンチを打つが、単発。10R終了。判定は3-0。共に才能を見せた試合。互いにパワーがあったが、フルマーは「ゴツいパワー」のうえパンチにキレ。フュメレルは「速いパワー」があったが、連打するタイプではなかった。両者の違いが結果に反映された形となった。その後のフュメレル。この後、ブランク。二試合やって引退。「ボクシングはもう楽しくなくなった」というのが理由。引退後は大学に通い、通信や不動産関連の職に就いたそうだ。)


その後のドン

多くの試合。エミール・グリフィス、ホセ・トーレス、ディック・タイガーに判定負け。後のWBA世界ヘビー級王者ジミー・エリスに判定勝ち。WBAアメリカ王座(ミドル級)を懸けてグリフィス、アーチャーに判定勝ちで雪辱。ニノ・ベンベヌチ、ホセ・ゴンザレスに判定負け。ボボ・オルソンらに連勝(1967年にジョー・ホプキンスと「世界ジュニア・ライトヘビー級王座」を懸けて対戦し、勝利。この王座はスーパーミドル級王座の前身となるものだったそうだが、当時は「何の値打ちもない王座」と見なされた)。ベンベヌチの世界ミドル級王座に挑戦したが、判定負け。その後もミドル級、ライトヘビー級で試合。実力者が多かった時代だったため連戦連勝とはいかなかったが、名のある相手と対戦したタフなキャリア。キズによるTKO負けはあったが、KOされての敗北は一度もなし。現役中、1968年の戦争映画『コマンド戦略』に弟ジーン、ヘビー級のレックス・レインらボクサーと共に出演。引退後は消防局に勤めたり、兄弟でボクシングジムを経営したり。このジムでは子供たちが無料でトレーニングできたそうだ。


①「Welterweight 

Jay Fullmer vs. Jim Morley」

②「Middleweight 

Don Fullmer vs. Stefan Redl」

③「Middleweight 

Don Fullmer vs. Rocky Fumerelle」

 

2026年4月15日水曜日

ルイス・ロドリゲス(Luis Rodriguez)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ウェルター級王者。エミール・グリフィスのライバル。ジーン・アームストロング戦、デニー・モイヤー戦ほかを紹介します。


ルイス・ロドリゲス(アメリカ)

身長173cm:オーソドックス(右構え)

ルイス・ロドリゲス(Luis Rodriguez)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ルイス・ロドリゲス 8R TKO ジーン・アームストロング

(ミドル級戦、1962年)

ロドリゲス:左ジャブ、右ストレート、フック   

アームストロング:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

4R:右フックでアームストロングがダウン

(感想:ロドリゲスはキューバ・カマグエイ出身。本名「ルイス・マヌエル・ロドリゲス」。身長173cmで、リーチは188cm。蛇のような鋭いジャブが武器。グリフィスのライバルだったが、グリフィスほど有名ではない。世界王座を獲得したが奪い返されて「47日間の天下」だったこと、テクニシャンタイプだったこと、が地味な存在だった理由(「ルイス・ロドリゲス」という普通すぎる名前も目立ちにくい理由だったかも)。しかしながら、ウェルター級のトップ選手だけではなく、ミドル級の実力者とも対戦した凄い男。トレーナーはあのアンジェロ・ダンディ。若き日のモハメド・アリはロドリゲスのスタイル(特にジャブ)に影響を受けたとか。1956年、ハバナでデビュー。連勝でベニー・パレットに連勝したり、キューバ王座(ウェルター級)を獲得したり。キューバに敵がいなくなったのか、アメリカ進出。1960年12月、エミール・グリフィスに判定負け、初黒星。テクニックを競い合う内容だったが、積極さでグリフィスに及ばず。カーチス・コークスにも判定負け。コークスとの再戦は判定勝ち。その後、ヤマ・バハマらを相手に連勝。アームストロングはアラバマ州ピケンズビル出身の黒人。デビューから連勝。しかし、ディック・タイガーには敵わず、三敗。タイガーとの三戦目でTKO負けしてから一年以上経過して再起戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。スリムなロドリゲス。長い足で相手から距離を取ってジャブ、ストレート。左フックからの長い右ストレートに迫力がある(トーマス・ハーンズ、マイク・マッカラムのようなタイプ)。アームストロングはパワーで押すタイプ。ジャブ連打、接近してフック、ストレート。荒っぽいところもあるが、ジャブに速さ。接近戦。ボディの打ち合い。距離を取って戦いたいロドリゲスだが、打ち合いに応じて左フックを当てる(長いリーチを持て余すことなく正確にフックを当てるテクニック)。アームストロングのパンチも時折ヒットするが、ロドリゲスはひるまない(タフなのか、微妙にディフェンスが巧いのか。柔軟な身体がそれを可能にしているようだ)。4R、右フックでアームストロングがダウン。立ったが、KO負け寸前まで追い込まれる。その後も打ち合い。8R、ロドリゲスの正確なフックが次々にヒット。アームストロングがフラついたところでレフェリーストップ。ロドリゲスがタフな試合に勝利。テクニシャンだが、よく打ち合った。アームストロングはよく頑張ったが、これが最後の試合に。引退後は牧師になり、1990年にニュージャージー州ボクシング殿堂入り。)


ルイス・ロドリゲス 9R TKO デニー・モイヤー

(ミドル級戦、1963年)

ロドリゲス:左ジャブ、右ストレート、フック   

モイヤー:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

8R:右ストレートでモイヤーがダウン

9R:右ストレートでモイヤーがダウン

(感想:アームストロング戦後も連勝でエミール・グリフィスの世界ウェルター級王座に挑戦したロドリゲス。3-0の判定で王座奪取(1963年3月21日)。しかし、6月8日の再戦に2-1で敗北で、アッサリ王座陥落(結果的にその後も多くの試合を行い、世界挑戦もしたロドリゲスだが、世界王座を獲得したのは一度きりだった)。その再起戦でモイヤーと対戦。モイヤーはオレゴン州ポートランド出身の白人。1957年のデビューから連勝。実力者ガスパー・オルテガを破るなど好調だったが、ドン・ジョーダンの世界ウェルター級王座に挑戦して3-0の敗北、初黒星。エミール・グリフィス、シュガー・レイ・ロビンソンに勝利したりするなど経験を積んで、世界J・ミドル級王者に。しかし、ラルフ・デューパスに2-1で敗れて初防衛ならず。デューパスとのダイレクト・リマッチは3-0の敗北。その次の試合でロドリゲスと勝負。短期間で世界王座を失った者同士のサバイバル戦。試合地はフロリダ州マイアミ・ビーチ。リズミカルなフットワーク&ジャブの両者。接近戦ではフック、ボディ打ち。攻めるロドリゲス、応戦するモイヤー。右ストレート、フックを当て、ボディを連打するなどロドリゲス優勢。8R、右ストレートでモイヤーがダウン。立ち上がり、クリンチでピンチをしのぐが9Rにも強烈な右ストレートでダウン。立ったが、レフェリーストップ。ロドリゲスがディフェンス&当てる巧さで勝利。「テクニシャン」と評価をされているロドリゲスだが、パンチはかなり強い。モイヤーは相手の柔軟さにやられた。その後のモイヤー。多くの試合。北米ミドル級王者になって1972年にカルロス・モンソンの世界ミドル級王座に挑戦したが、TKO負け。その後も1975年まで精力的に試合(後の世界ミドル級王者ビト・アンツォフェルモに3-0の敗北ほか)。タフだったが、レベルが高い時代で勝ち続けることはできなかった。)


ルイス・ロドリゲス 10R 判定 ウィルバート・マクルーア

(ミドル級戦、1963年)

ロドリゲス:左ジャブ、右ストレート、フック   

マクルーア:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

ワンツーでマクルーアがダウン

(感想:モイヤー戦の次の試合(10月の初戦。または12月の再戦の映像)。マクルーアはオハイオ州トレド(ジャック・デンプシーが王座を奪取した「トレドの惨劇」でおなじみ)出身の黒人。身長180cm。1960年のローマ・オリンピックに出場し、ライトミドル級で金メダル。プロ入り後はロドリゲス戦まで全勝。ロドリゲス戦は「真価が試される試練」といったところ。ニューヨーク、またはマイアミ・ビーチでの一戦。共にスラリとした体型でキレのある長いパンチ。ジャブ、右ストレート、フック。バランスが良いのはロドリゲスで、コンビネーションで攻める。マクルーアはバランスを崩すほどパワーを入れてワンツーなどを打つが、単発。しかし、接近戦では激しく応戦。強烈なワンツーでマクルーアがダウン。ロドリゲスも右ストレートを食うが、ひるまず。判定は3-0。バランスの良さでロドリゲス勝利。マクルーアはプロらしい試合を意識してパワーを込めたのであろうが、金メダリストらしくない粗さがあった。マクルーアはロドリゲスに二連敗。その後、ホセ・トーレス(後、世界ライトヘビー級王座獲得)、ハリケーン・カーターらに敗北。ミシガン州王座(ミドル級)を獲得できたが、連敗。ラストファイトは1970年でビル・ダグラス(ジェームズ・バスター・ダグラスの父)にTKO負けだった。)


その後のロドリゲス

多くの試合。ルービン・ハリケーン・カーターに判定勝ち(二度)、1966年7月6日、カーチス・コークスとの世界ウェルター級王座挑戦者決定戦にTKO負け、強打者ベニー・ブリスコに判定勝ち(二度)、ビセンテ・ロンドン(後のWBA世界ライトヘビー級王者)に判定で一勝一敗、1969年11月22日にニノ・ベンベヌチの世界ミドル級王座に挑戦してKO負け。世界王座に返り咲くことなく、1972年まで戦い続けた。世界王座に就いたのは一度だけで短期間という実力に見合わない結果となったが、1997年に国際ボクシング殿堂入りを果たした。


①「Middleweight 

Luis Rodriguez vs. Gene Armstrong」

②「Middleweight 

Luis Rodriguez vs. Denny Moyer」

③「Middleweight 

Luis Rodriguez vs. Wilbert McClure」


カーチス・コークス(Curtis Cokes)のページ