2026年6月20日土曜日

1960年代の試合:ホセ・トーレス(Jose Torres)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

「フロレンティノ・フェルナンデスvs.マルセル・ピゴー」「ホセ・トーレスvs.ホセ・ゴンザレス」「ジョン・パーソルvs.エディ・コットン」「アーニー・ロペスvs.ヘッジモン・ルイス」を紹介します。


フロレンティノ・フェルナンデス 2R KO マルセル・ピゴー

(ミドル級戦、1961年)

フェルナンデス:左ジャブ、右ストレート、左右フック

ピゴー:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(ダウンシーン)

2R:左フックでピゴーがダウン

1960年代の試合:ホセ・トーレス(Jose Torres)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ミドル級戦。フェルナンデスはキューバ、ピゴーはフランスの選手。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。ファイトスタイルはやや似ているが、フェルナンデスは左フック、ピゴーは右ストレートが武器の様子。共にジャブ。接近戦ではクリンチしながら互いのボディを打ち合う。攻める姿勢のフェルナンデス。ピゴーは距離を取る慎重姿勢。2R、フェルナンデスが攻撃を仕掛ける。左フックを食って後退したピゴーが左右フック連打からの左フックでダウン。立てず、KO。最後はパワーでフェルナンデスが勝利。ピゴーは受け身の試合ぶりだった。フェルナンデスは次の試合でジーン・フルマーの持つNBA世界ミドル級王座に挑戦。2-1の判定で王座獲得ならず。ピゴーはタイトルを獲得することもなく、最後は目の負傷により引退。共に世界には手が届かなかった。)


ホセ・トーレス 10R 判定 ホセ・ゴンザレス

(ライトヘビー級戦、1964年1月)

トーレス:左ジャブ、右ストレート、フック   

ゴンザレス:左ジャブ、右ストレート、フック 

1960年代の試合:ホセ・トーレス(Jose Torres)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:トーレスはプエルトリコ・ポンセ出身。1956年のメルボルン・オリンピックで銀メダル獲得。カス・ダマト(後、マイク・タイソンを指導)の勧めでニューヨークへ。アマチュアをさらに継続後、1958年にプロデビュー。連勝だったが、ベニー・パレット(後の世界ウェルター級王者)とドロー。さらに連勝後、プエルトリコ王座(ミドル級)獲得。TKOで初黒星。再起戦でドン・フルマーに判定勝ちしてゴンザレス戦。ゴンザレスはプエルトリコ・アロヨ出身。1959年デビュー。主戦場はニューヨーク。ルイス・ロドリゲス(後の世界ウェルター級王者)にTKO負け、ジョーイ・アーチャーと一勝一敗。エミール・グリフィスに2-0で敗れた再起戦でトーレスと勝負。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。共にガードを上げてジャブ。攻めの姿勢のゴンザレス。前進して右フックを打ち込み、接近して左右フックでボディ連打。トーレスはキレイなボクシング。距離を取って相手をうかがいながら右ストレート。接近戦では右アッパー、左ボディからの右フック。左フックからの右ストレートにパワーがあるが、クリンチが多め。攻めるゴンザレス。丁寧にディフェンス&隙を狙うパンチのトーレス。10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。映像では攻めたゴンザレスが勝ったように見えたが、トーレス勝利。ゴンザレスのボディ攻めをブロックできていたのだろう。その後の二人。ゴンザレスはディック・タイガーにTKO負け、ドン・フルマーに判定勝ちでWBAアメリカ王座(ミドル級)獲得。その後は勝ったり負けたりになったが、ベニー・ブリスコ、ルイス・ロドリゲス(再戦)、ユージン・ハートといった実力者に勝利。トーレスは連勝。ボボ・オルソンをKO。1965年3月30日、ウィリー・パストラーノをKOして、世界ライトヘビー級王座獲得。ノンタイトル戦でヘビー級のトム・マクニーリーに判定勝ち(勝ったが、腹部にダメージ。引退後も後遺症が続いたという)。三度の防衛後、ディック・タイガーに判定負けで王座陥落。再戦でもタイガーに敗れ、王座返り咲きならず。それが最後の世界戦に。引退後はニューヨーク市の仕事、作家活動。1984年から1988年までニューヨーク州アスレチック・コミッションの委員長職。1990年から1995年までWBOの会長。1994年に世界ボクシング殿堂入り。1997年には国際ボクシング殿堂入り。ボクシング中継の解説者としても活躍するなどボクシングに人生を捧げた。)


ジョン・パーソル 10R 判定 エディ・コットン

(ライトヘビー級戦、1964年2月)

パーソル:左ジャブ、右ストレート、フック   

コットン:左ジャブ、右ストレート、フック   

(ダウンシーン)

6R:右フックでパーソルがダウン

1960年代の試合:ホセ・トーレス(Jose Torres)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ニューヨーク州ブルックリンの黒人パーソル。アマチュアで活躍。1963年のデビューから連勝中の新鋭。コットンはオクラホマ州マスコギー出身の黒人。1947年デビューの大ベテラン。デビュー戦はTKO負け。アメリカとカナダで勝ったり負けたり後、連勝。ローカル王座(ライトヘビー級)を獲得できたが、アーチー・ムーアに判定負け。ニュージーランド遠征後、ハロルド・ジョンソンのNBA世界ライトヘビー級王座に挑戦して2-1の敗北。ペルーのリマでマウロ・ミナに敗北後、連勝中。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦(レフェリーはアーサー・マーカンテ)。似たタイプの二人。スリムな身体から左ジャブ、右ストレート、フック、ボディ打ち。ディフェンスもできる。パーソルは手数をよく出し、右ストレートにキレがある。パワーとボディ打ちの巧さはコットンが上か? 6R、右フックが効いたパーソル。クリンチして倒れまいとするが、ロープ外に落ちるダウン。その後も一進一退。10R終了。判定は2-1。パーソルが手数で勝利。コットンは惜しい。少し力むタイプで、手数が少なくなる傾向があった。ダイレクト・リマッチが行われ、今度はコットンが4RでのTKO勝ちで決着。その後の二人。パーソルは元世界ミドル級王者ボボ・オルソンに2-0で勝利できたが、KO負けするなど二連敗。元世界ライトヘビー級王者ハロルド・ジョンソンに3-0の勝利。後のWBA世界ヘビー級王者ジミー・エリスに1RでKO負け。中堅どころに連勝したが、最後はTKO負けで引退。リングマガジン誌から評価されていたときもあったが、大きな王座には挑戦できず。ニュージャージー州ボクシング殿堂入り。コットンはウェイン・ソーントンに三連敗するなど苦戦。ホセ・トーレスの世界ライトヘビー級王座に挑戦して、3-0の敗北。1967年に後の世界王者ボブ・フォスターにKO負け。引退後は「ボーイング」で働いたり、ワシントン州ボクシング委員会の委員を務めたり。シアトルでレストラン経営もしたそうだ。)


アーニー・ロペス vs. ヘッジモン・ルイス

(ウェルター級戦、1968年?)

ロペス:左ジャブ、右ストレート、左右フック   

ルイス:左ジャブ、右ストレート、左右フック

1960年代の試合:ホセ・トーレス(Jose Torres)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:古い映像で観戦。映像にはテロップが一切入っていないため、いつの試合かは不明(1968または1969年のロサンゼルス)。ネイティブ・アメリカンの血を受け継いでいるため「インディアン・レッド」とも呼ばれるロペスは日本で試合をしたこともあり、ムサシ中野を3RでKO。ヘッジモン・ルイスとは計三度戦っている(ロペスの2勝1敗)。これはそのうちの一つ。ロペスは距離を取ってジャブ、そして右ストレートを狙う比較的丁寧な戦い方。黒人選手ルイスは左のガードを下げてシャープなジャブを打ち、右ストレート、左右フックを思い切って打っていく。動きのスピードはルイスの方があるが、共にディフェンスするため大きなパンチがヒットしない。ボディを攻めるロペス。だが、共にKOを狙うような激しい攻めはしない。ここで映像に編集が入り、勝利に喜ぶロペスの姿。どんなフィニッシュだったのかがわからない映像。ロペスの「2勝」はいずれもTKOによるもの。たぶん、連打でストップ勝ちだったのでは?  ダウンシーンがあったかどうかも不明。試合全般としてはロペスが右ストレートで優勢だったように見えた。後、ロペスはエミール・グリフィスには勝てなかったが、オスカー・ショットガン・アルバラードに判定勝ち。世界ウェルター級王者ホセ・ナポレスへの挑戦は二度ともKO負け。世界王者にはなれなかったが、弟ダニー・ロペスはWBC世界フェザー級王者になり、名選手と呼ばれた。また、ルイスもオスカー・アルバラードに判定勝ち。世界ウェルター級王者ホセ・ナポレスへの挑戦は二度とも敗北したが、ニューヨーク州公認世界ウェルター級王者になった。ラストファイトの相手はジョン・ストレーシー。ロペスのラストファイトの相手もストレーシー。二人には妙に共通点があった。)


①「Middleweight 

Florentino Fernandez vs. Marcel Pigou」

②「Light Heavyweight 

Jose Torres vs. Jose Gonzalez」

③「Light Heavyweight 

Johnny Persol vs. Eddie Cotton」

④「Welterweight 

Ernie Lopez vs. Hedgemon Lewis」

 

ハロルド・ジョンソン(Harold Johnson)のページ

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ボブ・フォスター(Bob Foster)のページ

2026年6月12日金曜日

1950年代の試合:ホーガン・バッセイ(Hogan Kid Bassey)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

「モーゼス・ワード vs. ヨランデ・ポンペイ」「エデュアルド・ローゼ vs. ジョニー・サリバン」「ホーガン・バッセイ vs. リカルド・モレノ」「カール・ハバード vs. エディ・パーキンス」を紹介します。


モーゼス・ワード 10R 判定 ヨランデ・ポンペイ

(ライトヘビー級戦、1954年7月)

ワード:左ジャブ、右ストレート、左フック   

ポンペイ:左ジャブ、右ストレート、左フック   

1950年代の試合:ホーガン・バッセイ(Hogan Kid Bassey)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ワードはデトロイトの黒人。1950年、デビュー。中堅相手に勝利。ジョージ・ベントンにTKO負け。連勝後、三連敗。再起戦に勝利してポンペイ戦。ポンペイはトリニダード・トバゴのプリンシズ・タウン出身の黒人。1949年のデビューから連勝でトリニダード・トバゴ王座(ライトヘビー級)を獲得。主戦場を英国に移して連戦連勝。判定で初黒星。アメリカ遠征でワードと対戦。シカゴでの一戦。互いに警戒してジャブ。動きの速さは同じぐらい(それほど速くない)。パンチの打ち方が良いワード。伸びのある右ストレート、パワフルな左フック。ポンペイはショートパンチ(ワンツー、フック)を使うが、真っ直ぐ攻めるクセ。共にディフェンスができるため、どちらかが大きくピンチになるシーンがないまま10R終了。判定は2-0(ダウンシーンは無し)。ワードのパワーが評価されたか。ポンペイはライトヘビー級にしては細かい打ち方だった。その後の二人。ワードは連勝したが、ポンペイとの再戦でTKO負けするなど連敗続きで引退。ラストファイトの相手はジーン・フルマーで、3RでのKO負けだった。ポンペイはイボン・デュレルらを相手に連勝後、アーチー・ムーアの世界ライトヘビー級王座に挑戦したが、TKO負け。その後はディック・タイガーに判定負けするなど勝ったり負けたりになった。)


エデュアルド・ローゼ 5R TKO ジョニー・サリバン

(ミドル級戦、1955年12月)

ローゼ:左ジャブ、右ストレート、左フック

サリバン:左ジャブ、右ストレート、左フック

(ダウンシーン)

4R:左フックでサリバンがダウン

5R:左フックでサリバンがダウン

1950年代の試合:ホーガン・バッセイ(Hogan Kid Bassey)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ローゼはアルゼンチンのハードパンチャー。元世界ウェルター級王者キッド・ギャビラン、後に世界ミドル級王者になるジーン・フルマーに勝っている。サリバンは英国の選手で英連邦・英国ミドル級王座を獲得したこともあるファイター。オハイオ州クリーブランドでの一戦。似たタイプ同士の一戦。共に実に力強いパンチ。ジャブ、右ストレート、左フック。ローゼは左でボディ攻撃。4R、左フックを食ってグラついたサリバン。ラウンド終了間際、左フックでダウン。5R、連打からの左フックでサリバンがダウン。立ったが、連打でレフェリーストップ。迫力のある打撃戦だった試合。どちらも強かったが4Rの左フックで勝敗が分かれた。パワフルだったローゼ。その後、敗北もあり、世界王座への挑戦はならず。2003年にはリング誌からその強打を評価され、「100 greatest punchers of all time」の一人に選ばれている。) 


ホーガン・バッセイ 3R KO リカルド・モレノ

(世界フェザー級タイトル戦、1958年4月)

バッセイ:左ジャブ、右ストレート、左右フック   

モレノ:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(ダウンシーン)

3R:右ストレートでモレノがダウン

1950年代の試合:ホーガン・バッセイ(Hogan Kid Bassey)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:バッセイがタイトル防衛。王者バッセイはサンディ・サドラーの引退で空位となった王座を決定戦で獲得し、ナイジェリア初の世界王者となった選手。これが初防衛戦。挑戦者モレノはメキシカン。カリフォルニア州ロサンゼルスでの一戦。共にジャブ。接近戦では思い切りのいい打ち方。モレノはワンツー、左フック、バッセイは左右フック。3R、右ストレートでモレノがダウン、KO。共に全力で攻撃し合ったパワフルな試合。どちらも強かったが、バッセイがジャブを使って試合を有利に進めた。後、バッセイはデビー・ムーアに王座を奪われ、再戦でも敗れ、引退。モレノはムーアに1RでKOされている。)


カール・ハバード 10R 判定 エディ・パーキンス

(ウェルター級戦、1959年9月)

ハバード:左ジャブ、右ストレート、左フック

パーキンス:左ジャブ、右ストレート、左フック

(ダウンシーン)

10R:右ストレートでパーキンスがダウン

1950年代の試合:ホーガン・バッセイ(Hogan Kid Bassey)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:短いハイライト映像で観戦。後に世界J・ウェルター級王者になるパーキンス。これは世界王者になる前の試合。ペンシルベニア州フィラデルフィアでの一戦。共にパワフルなジャブ、ストレート、左フック。左フックが特に強いハバード。10R、左フックからの右ストレートでパーキンスをダウンさせる。判定は3-0。なかなか強かったハバード。後のWBC世界L・ヘビー級王者マシュー・サアド・ムハマドみたいな抉るような左フックが豪快だった。しかし、その後は敗北が続き、王座を獲得できず。世界王者になってもおかしくないパワーとパンチのキレがあったが。)


①「Light Heavyweight 

Moses Ward vs. Yolande Pompey」

②「Middleweight 

Eduardo Lausse vs. Johnny Sullivan」

③「World Featherweight Title

Hogan Kid Bassey vs. Ricardo Moreno」

④「Welterweight 

Eddie Perkins vs. Carl Hubbard」

 

2026年6月10日水曜日

1920、30、50年代の試合:ハリー・ジェフラ(Harry Jeffra)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

「トム・ヒーニー vs. ジャック・デラニー」「ハリー・ジェフラ vs. シクスト・エスコバル」「ラルフ・デュパス vs. デニス・ブラディ」ほかを紹介します。


トム・ヒーニー 10R 判定 ジャック・デラニー

(ヘビー級戦、1928年3月)

ヒーニー:左ジャブ、右ストレート、フック   

デラニー:左ジャブ、右ストレート、フック   

1920、30、50年代の試合:ハリー・ジェフラ(Harry Jeffra)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ヒーニーはニュージーランド・ギズボーン出身の白人(鍛冶屋だそうだが、ボクサーになる前なのか、引退後なのかは不明)。1920年にデビューしてTKO勝ち。ニュージーランド王座(ヘビー級)獲得。オーストラリア王座(ヘビー級)に挑戦して判定で初黒星。英国で英連邦王座(ヘビー級)に挑戦したが、判定負け。南アフリカで連勝。アメリカ上陸。パウリノ・ウズクドゥン、後の世界王者ジャック・シャーキーとドロー。シャーキー戦の次の相手はデラニー。デラニーはカナダ・ケベック州出身の白人。本名は「オヴィラ・シャプデレーヌ」。1919年10月にアメリカでプロデビュー(新聞判定で勝利)。カナダで数試合やって主戦場をアメリカに。判定で初黒星後、連勝。TKO負け、判定負けはあったが、トミー・ローランに判定勝利(1924年)、タイガー・フラワーズにKO勝ち(1925年)。世界ライトヘビー級王座に挑戦して2-0の敗北。そこから連勝でニューヨーク州公認世界ライトヘビー級王座に挑戦。判定で王座奪取。初防衛に成功。ヘビー級に挑戦するため、王座返上。このところ五連続KO勝ちでヒーニー戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。モノクロの映像で選手の顔がよく見えないうえに同じ色(黒?)に見えるトランクス。身長も同じぐらい。正直なところ、どちらがヒーニーなのかわからない。ただ、同じようなタイプ。ガードを下げた構えで相手に接近し、ストレート、フックを荒っぽく放つ。タフな殴り合いだが、その分、もみ合いからのクリンチになるシーンが多い。互角のように見え、時折互いの強打がヒット。15R終了。判定は3-0。ヘビー級のヒーニー。ライトヘビー級から上がってきたデラニー。その差があったのではないだろうか。その後の二人。デラニーは再起戦でジャック・シャーキーに1RでKO負け。ブランクを挟んで四連勝で引退。1948年11月27日、心臓発作のため48歳で死去。ヒーニーは次の試合でジーン・タニーのNBA世界ヘビー級王座に挑戦したが、TKO負け。更に二連敗。マックス・ベアにKOされるなど多くの敗北。タニー戦後はサッパリだったが、1933年までリングに上がった。) 


ハリー・ジェフラ 15R 判定 シクスト・エスコバル

(世界バンタム級タイトル戦、1937年9月)

ジェフラ:左ジャブ、右ストレート、左フック

エスコバル:左ジャブ、右ストレート、左右フック

1920、30、50年代の試合:ハリー・ジェフラ(Harry Jeffra)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ジェフラがタイトル獲得。王者エスコバルはプエルトリコ・バルセロネタ出身。ルー・サリカと世界王座をめぐる攻防の末、王者に。挑戦者ジェフラはメリーランド州ボルチモア出身の白人。連勝の勢いで初の世界挑戦。ニューヨーク「ポロ・グラウンズ」での一戦(短いハイライト映像で観戦)。フットワーク&ジャブのジェフラ。打ち合いを避けながら左フックからの右ストレートといったコンビネーション。エスコバルはジャブを使いながらジェフラを追い掛ける。判定は3-0。アウトボクシングでジェフラが新王者に。エスコバルの右ストレート、左右フックはしっかりした打ち方ではあったが、空転させられてしまった。再戦はエスコバルが勝ち、王座奪回。ジェフラは後、世界フェザー級王座を獲得し、二階級制覇。しかし、この王座も奪回されてしまった。パワーがあるタイプではなかったのが原因か?)


ラルフ・デュパス 10R 判定 デニス・ブラディ

(ライト級戦、1954年4月)

デュパス:左ジャブ、右ストレート、左右フック

ブラディ:左ジャブ、右ストレート、左右フック

1920、30、50年代の試合:ハリー・ジェフラ(Harry Jeffra)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ライト級の白人選手同士の一戦。デュパスはルイジアナ州ニューオーリンズ出身。1950年、プロデビュー(ドロー)。以来、月に三試合するなど多くの試合。判定負けをするなど、まだ経験が足りないところもありそう。ブラディはニューヨーク州ブロンクス出身。1944年、デビュー(KO勝ち)。デュパスと似たようなところがあり、階級を徐々に上げながら多くの試合。連勝しては判定負け(連敗したことも。1944年、サンディ・サドラーに判定負け)。共に一定の実力はあるが、それ以上になれないところがある。ニューオーリンズでの一戦。あまり器用ではない二人。開始から接近戦を展開するが、フックの振りが大きく、クリンチしながら互いに相手のボディをボカボカとオープンブロー気味のパンチで打つ(思わず笑ってしまうような小競り合いだった)。中間距離では良いストレート、フックをヒットさせる。4R、デュパスが足を使いながらジャブを連打する。10Rはこれまで雑なフック連打が多かったブラディも足を使ってジャブ。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。結局のところ似た者同士だった二人。共にタフだったが、デュパスの中間距離からのジャブが評価されたと思われる。後、ブラディは勝ったり負けたり。中堅選手としてキャリアを終えた。)


ラルフ・デュパス 10R 判定 ギル・ターナー

(ウェルター級戦、1958年10月)

デュパス:左ジャブ、右ストレート、フック

ターナー:左ジャブ、右ストレート、フック

1920、30、50年代の試合:ハリー・ジェフラ(Harry Jeffra)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ブラディ戦後のデュパス。判定負けはあったが、ガスパー・オルテガを2-0の判定で下すなど概ね好調。しかし、ジョー・ブラウンの世界ライト級王座への挑戦はTKO負け。再起二連勝でターナー戦。ターナーはペンシルベニア州フィラデルフィア出身の黒人。アマチュアではウェルター級で全米王者に。1950年、プロデビュー(KO勝ち)。ベテランのボー・ジャック、アイク・ウィリアムスらに勝利。満を持しての世界初挑戦で世界ウェルター級王者キッド・ギャビランにTKOで初黒星。再起戦でボビー・ダイクスにも敗北。連勝後、ジョーイ・ジャーデロに3-0の敗北。ジーン・フルマー、カーメン・バシリオ、ヤマ・バハマらに敗北。このところ勝ったり負けたり。カナダ・モントリオールでの一戦(ハイライト映像で観戦)。似た体格、戦い方。接近戦でのストレート、フックの打ち合い。激しい攻防だが、デュパスはワンツーからの左フックに良さがあり、右ストレートを当てる。ターナーはフックの振りが大きく、隙があるようだ。10R終了。デュパスが当てる巧さ、思い切りのいい右ストレートで勝利。攻めるときのディフェンスに差があった。その後の二人。ターナーは再起戦に判定負けで引退。デュパスはエミール・グリフィスの世界ウェルター級王座に挑戦して敗れるなど苦労したが、世界J・ミドル級王者に。しかし、在位期間は短かった。)


①「Heavyweight 

Tom Heeney vs. Jack Delaney」

②「World Bantamweight Title

Sixto Escobar vs. Harry Jeffra」

③「Lightweight 

Ralph Dupas vs. Dennis Brady」

④「Welterweight 

Ralph Dupas vs. Gil Turner」

 

2026年6月5日金曜日

ジョー・メデル(Jose Medel)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

バンタム級。「ロープ際の魔術師」。エデル・ジョフレ戦(再戦)、原田戦(初戦)、ウォルター・マクゴーワン戦を紹介します。


ジョー・メデル(メキシコ)

身長164cm:オースドックス(右構え)

ジョー・メデル(Jose Medel)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

エデル・ジョフレ 6R KO ジョー・メデル

(世界バンタム級タイトル戦、1962年)

メデル:左右フック

ジョフレ:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(ダウンシーン)

左フックでメデルがダウン

(感想:ジョフレがタイトル防衛。1950、60年代が全盛期だったホセ・メデル(メキシコシティ出身)。日本では英語風に「ジョー・メデル」と呼ばれ、「ロープ際の魔術師」とも呼ばれた。ジョフレと戦うのはこれが二度目。初戦はジョフレがKO勝ち。今度は世界王座を懸けて勝負。王者ジョフレはブラジル・サンパウロ出身で、「黄金のバンタム」と呼ばれるほどの実力者。サンパウロでの一戦(短いハイライト映像で観戦)。パワフルなフックを振るうメデル。しかし、ジョフレはしっかりブロック。手数が多いジョフレ。ジャブを連打し、右ストレート、左右フック。特に左フックが強烈。メデルのやや振りが大きいフック攻撃の隙を突き、コーナー付近で左フックでダウンを奪う。記録によると5Rと6RにメデルがダウンしてKOになったとのこと。メデルのパンチは力強かったが、ジョフレが手数とガードの隙間を正確に打ち抜くパンチで快勝。「ロープ際の魔術師」がロープ際でKOされてしまった。)


ジョー・メデル 6R KO ファイティング原田

(バンタム級戦、1963年)

メデル:左ジャブ、右ストレート、左右フック

原田:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(ダウンシーン)

6R:連打で3度、原田がダウン

(感想:元世界フライ級王者の原田。バンタムに階級を上げて二階級制覇を目指す状況。日本での一戦(TV映像には「特別カード」とある)。1Rからラッシュをかける原田。積極的にジャブ、ストレートで前進し、左右フック、得意の左ボディ打ち。メデルはロープを背負って応戦。6R、それまでと同じように攻める原田だが、右フックを食ってグラつく。それでも前に出るが、左右フックを浴びて三度ダウン。立ったが、レフェリーはカウントアウト。客席から座布団が投げ入れられた。受け身の姿勢ながらメデルが KO勝ち。一発一発にパワーを込める分、手数が少な目だったが、右フック一発で逆転した。原田は快調に飛ばしていたが、ちょっと攻撃一辺倒になりすぎたか。再戦は世界バンタム級王座を懸けて行われ、王者原田が判定勝ち。前回の教訓を生かし、原田はディフェンスしながら丁寧にポイントを取った。)


ジョー・メデル 6R TKO ウォルター・マクゴーワン

(バンタム級戦、1965年)

メデル:左ジャブ、右ストレート、左フック

マクゴーワン:左ジャブと右ストレート

(ダウンシーン)

右ストレートでマクゴーワンがダウン

6R:左フックで2度、マクゴーワンがダウン

(感想:原田との初戦後、メキシコ・バンタム級王座を防衛し続けるメデルが英国遠征。マクゴーワンは英国の白人。英国王座、英連邦王座(いずれもフライ級)を獲得したことがあるが、欧州フライ級王座はサルバトーレ・ブルーニに判定負けで獲得ならず。そこから連勝でメデル戦。英国ウェンブリーでの一戦(短いハイライト映像で観戦)。いかにも「英国のボクサー」といった感じのボクサータイプ、マクゴーワン。ディフェンスを意識しながらジャブ連打。メデルも左ジャブ、そしてパワーの乗った右ストレート、左フック。ロープを背負うメデルがカウンターの右ストレートでマクゴーワンをダウンさせる。6R、左フックでグラついたマクゴーワンが二度ダウンしてレフェリーストップ。パワーと倒す姿勢でメデルが圧勝。英国のボクサーはキレイなボクシングをするが、その分、パワーで負けることが多い(ような気がする)。その後の二人。マクゴーワンはブルーニに判定で雪辱後、アラン・ラドキンに判定勝ちで英国王座、英連邦王座(いずれもバンタム級)を獲得。リング誌から「世界フライ級王者」に認定されたが、チャチャイ・チオノイとWBC世界フライ級王座を懸けて二連敗。メデルは原田との再戦に敗れて世界バンタム級王座獲得ならず。再起戦でチューチョ・カスティーヨ(後の世界バンタム級王者)にも敗北。さらにライオネル・ローズ、ルーベン・オリバレスらにも敗北。戦い続け、ラストファイトは日本。相手は後の世界王者ロイヤル小林で、TKO負け。パンチは強かったが、結局、世界王者にはなれず。一発にパワーを込めるため、手数で負けてしまったり、受け身の姿勢になってしまったりする残念なところがあった。)


①「World Bantamweight Title

Eder Jofre vs. Jose Medel」

②「Bantamweight 

Jose Medel vs. Fighting Harada」

③「Bantamweight 

Jose Medel vs. Walter McGowan」


ファイティング原田(Fighting Harada)のページ

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エデル・ジョフレ(Eder Jofre)のページ


2026年6月3日水曜日

アイク・ウィリアムス(Ike Williams)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ライト級王者。伝説の強打者。エンリケ・ボラニョス戦(再戦)、ボー・ジャック戦(初戦)を紹介します。


アイク・ウィリアムス(アメリカ)

身長175cm:オースドックス(右構え)

アイク・ウィリアムス(Ike Williams)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

アイク・ウィリアムス 15R 判定 エンリケ・ボラニョス

(世界ライト級タイトル戦、1948年)

ウィリアムス:左ジャブ、右ストレート、左右フック

ボラニョス:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(感想:ウィリアムスがタイトル防衛。ジョージア州ブランズウィック出身の黒人強打者ウィリアムス。パワーに加え、左のテクニック。NBAライト級王座獲得後、ニューヨーク州公認世界ライト級王座も獲得して王座統一。マネージャーとモメたこともあったが、新たなマネージャーの下で活動。その強さを讃えられ、後にボクシング殿堂入りしている。ボラニョスとは結局、王座を懸けて三度対戦が行われ、これが二度目の対戦。初戦はウィリアムスのNBA王座が懸けられ、TKOでウィリアムスが防衛。その後、NBA王者ウィリアムスがニューヨーク州公認王者ボブ・モンゴメリーを破って世界ライト級王座を統一。統一王座を懸けてボラニョスと再戦。挑戦者ボラニョスはメキシコ・ドゥランゴ出身。1941年デビュー(判定勝ち)。カリフォルニアを主戦場に移し、人気選手に(カリフォルニアはメキシカンが多い)。1944年、マヌエル・オルチスにTKO負け。その後も敗北はあったが、その相手に雪辱するなど好調。ウィリアムスに挑戦してTKO負け。そこからはカリフォルニア州ライト級王座を獲得、防衛するなど負け無し。勢いでウィリアムスに二度目のチャレンジ。ロサンゼルスでの一戦。ジャブを連打して相手との距離を詰めるウィリアムス。ボラニョスは足で距離を取りながらジャブ、左フック、ボディ打ち。共に左のパンチをよく出す。接近戦では両者とも力強いが、ウィリアムスが攻める姿勢で優勢か。10R、パワフルな右ストレート、左フックをヒットさせるウィリアムス。15R終了。判定は2-1(ダウンシーンは無し)。ウィリアムスの攻める姿勢が評価されたか。ボラニョスは正確な左ジャブを打っていたが、受け身の姿勢。ウィリアムスはどのパンチも強く、ジャブが多かった。三戦目もウィリアムスが勝利、タイトル防衛。その後もボラニョスは多くの試合をしたが、勝ったり負けたりになった。) 


アイク・ウィリアムス 6R TKO ボー・ジャック

(世界ライト級タイトル戦、1948年)

ウィリアムス:左ジャブ、右ストレート、左右フック

ジャック:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(感想:ウィリアムスがタイトル防衛。伝説の試合。挑戦者ジャックはジョージア州オーガスタ出身の黒人。ファイタータイプで、これまでニューヨーク州公認世界ライト級王座を二度獲得。ボブ・モンゴメリーとのライバル戦が有名。ジャックとしては統一王者ウィリアムスに勝利するとともにかつて自分が持っていた王座を取り戻したいところ。ペンシルベニア州フィラデルフィアでの一戦。力強い攻めを見せるジャック。ジャブを連打して、思い切りのいい打ち方でフック、かち上げるような右アッパー。ウィリアムスはジャブ、ストレート、左右フックで迎え撃つ。ジャックの振りの大きいパンチは迫力はあるが、隙が大きく、疲れる戦い方。6R、左フック連打をキッカケにウィリアムスがラッシュ。コーナー付近で滅多打ちされるジャックをレフェリーが救った。ウィリアムスがパワフルに勝利。時にはクリンチしながらジャブを打ち、相手が疲れたところで一気に仕留めるクレバーさを見せた。ただ、ウィリアムスがラッシュしているときに打つのを止めてレフェリーに「試合を止めろ」とアピールをしていたのが気になった。相手のダメージが大きく、自分が優勢だったとしても相手から目を逸らすのは非常に危険。両者は後に三度対戦。結局、ウィリアムスが3勝1分だったが、互いにラストファイトの相手になった。)  


①「World Lightweight Title

Ike Williams vs. Enrique Bolanos」

②「World Lightweight Title

Ike Williams vs. Beau Jack」

 

2026年5月31日日曜日

ジミー・ワイルド(Jimmy Wilde)&パンチョ・ビラ(Pancho Villa)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界フライ級王者。世界王座戦「王者ジミー・ワイルドvs.挑戦者パンチョ・ビラ」、1930年代の世界フライ級王者ベニー・リンチを紹介します。


ジミー・ワイルド(イギリス)

身長159cm:オースドックス(右構え)

(元々は炭坑労働者であったが、腕っぷしの強さを認められてプロ入り。自分よりも大きい選手を相手に片っ端からKO勝ち。「マイティ・アトム」と呼ばれるようになり、初代世界フライ級王者に。ロードワークやスパーリングでは妻アンが相手を務めて夫をサポート。古い時代の選手のため映像があまり無いのが残念であるがハイライト映像で見たところ、非常にアグレッシブでジャブ、ストレート、フックといった基本的なパンチを正確にパワフルに打っていくタイプ。)


パンチョ・ビラ(フィリピン)

身長155cm:オースドックス(右構え)

(18歳でプロ入りし、その後ニューヨークへ渡る。ワイルドをKOして東洋人初の世界王者に。その後も勝ち続けたが、ジミー・マクラーニンとのノンタイトル戦で敗北。その10日後に死去。原因は敗血症(何らかの感染症を起こしている細菌が体内で増殖して炎症が全身に広がり、臓器障害を引き起こす症状)。試合前に親不知を抜いてそれが結果的に敗血症につながった、とのこと。)


パンチョ・ビラ 7R KO ジミー・ワイルド

(世界フライ級タイトル戦、1923年)

ワイルド:左ジャブ、右ストレート、左右フック

ビラ:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(ダウンシーン)

7R:連打でワイルドがダウン

ジミー・ワイルド(Jimmy Wilde)&パンチョ・ビラ(Pancho Villa)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ビラがタイトル獲得。ハイライトで観た試合。ワイルドが両手を下げた構えから正確なジャブ、右ストレート、速射砲のような左右フック連打。実にテンポの良い、リズミカルかつパワフルな攻撃。ビラはフィリピンの選手らしい一発一発にパワーを込めるパンチ。左右フックだけではなく、ジャブにもパワーがある。手数が多いワイルドにビラはパワーで対抗。フック連打で激しい打ち合い。6R、左フックを食ってワイルドが後退。7R、強烈な連打(古い映像のため角度的によく見えないパンチもあったが、左フックからの右ストレートだったように見えた)でワイルドが前のめりにダウン。ワイルドのセコンドがリングインして試合終了。ビラが実に強力なパンチで勝利。これでワイルドは引退。豪快にKOされてしまったが、全盛を過ぎたラストファイトでも良いパンチを打っていた。)


「World Flyweight Title

Jimmy Wilde vs. Pancho Villa」

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ベニー・リンチ(スコットランド)

身長163cm:オースドックス(右構え)

ジミー・ワイルド(Jimmy Wilde)&パンチョ・ビラ(Pancho Villa)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(スコットランド初の世界王者。子供の頃からボクシング好きで、まずは草試合で活躍(昔は見世物の素人ボクシングが人気があった。今でもケンカ大会が一部で盛り上がっているようだ)。プロ入り後は勝ったり負けたりしながら経験を積む。1935年、ジャッキー・ブラウンを2RでKOして王座強奪。ディフェンスはあまり気にしないスタイル。ひたすら接近して左右フックをぶちかます攻め方。時には足を使って距離を取ることも。強かったが酒に溺れるようになってしまい、体重超過で王座剥奪。33歳の若さで世を去った。)

 

2026年5月27日水曜日

ジョルジュ・カルパンチェ(Georges Carpentier)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ライトヘビー級王者。ヘビー級にも挑戦。経歴、ジョー・ベケット戦、バトリング・シキ戦を紹介します。


ジョルジュ・カルパンチェ(フランス)

身長180cm:オーソドックス(右構え)

ジョルジュ・カルパンチェ(Georges Carpentier)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

「蘭の男」とは?

フランスのリエヴァン出身の白人カルパンチェ(1894年1月12日生まれ)。その容姿、強さで当時、絶大な人気を誇り、「蘭の男」と呼ばれたほど。何が凄かったか? デビュー当初、今でいうところのミニマム級のウェイトで試合。徐々に階級を上げ、ライトヘビー級で世界王者に。そしてヘビー級でジャック・デンプシーの世界王座に挑戦した伝説の試合。要するに全階級で試合をしたことになる。貧しい炭坑夫の息子。12歳の頃から父と一緒に働き、パワーを獲得。プロになる前はサバット(フランスの格闘技。空手のようなもので、足技を主体とする)も経験。デビュー当初はKO負けや引き分け。勝っても判定だったりとまだまだパワー不足。しかし、レベルアップ。階級を徐々に上げ、16歳でフランス・ウェルター級王座をTKOで奪取。次いで欧州ウェルター級王座もTKOで奪取。実力が上がるに連れ、女性人気もアップ。カルパンチェの関係者は彼が女でダメになってしまわないようにガードしたとか。欧州ミドル級王座も獲得。世界ミドル級王座挑戦はヒジ打ちをされて敗北に終わってしまったが、そこから快進撃。1913年、KOで欧州ライトヘビー級王座獲得。次いで欧州ヘビー級王座獲得。ヘビー級王座を防衛しながらヨーロッパ版世界ライトヘビー級王座獲得。1920年10月12日、ニュージャージー州ジャージー・シティで世界ライトヘビー級王者バトリング・レビンスキーに挑戦。KOでついに世界王者に。その次の試合は1921年7月2日、「伝説の大一番」。試合地は二連続でジャージー・シティ。世界ヘビー級王者ジャック・デンプシーに挑戦(入場料収入が当時史上初の100万ドル以上)。さすがにこれは厳しかったか、KO負け。カルパンチェの戦いぶりを映像で観察。「蘭の男」などと呼ばれることから「カッコつけた気取り屋のアウトボクサーだろう」と思うかもしれないが、さにあらず。左のガードを下げた構えから長い左ジャブを使い、鋭い右ストレート、振りが大きめの左右フック。なかなか頑丈なコブシ。特に右パンチに威力があり、右ストレートが十八番。斜め下から振り抜く右フックで相手をダウンさせた試合も。また、時にはバカスカ打ち合う勇敢さもある。「大英帝国の誇り」テッド・キッド・ルイスと対戦したときは右フックが効いたルイスに容赦無い右ストレートをぶち込んでKO。強さだけではなく、非情さも持ち合わせていることを証明。しかし、戦った相手を試合後にねぎらう心遣いもある紳士。


ジョルジュ・カルパンチェ 1R KO ジョー・ベケット

(欧州ヘビー級タイトル戦、1919年12月)

カルパンチェ:左ジャブ、右ストレート、フック   

ベケット:左ジャブ、フック

(ダウンシーン)

1R:左フックでベケットがダウン

(感想:カルパンチェがタイトル防衛。世界王者になる前の試合。連勝のカルパンチェが欧州王座の防衛戦。挑戦者ベケットは英国ウィックハン出身の白人。1912年デビュー。連勝しては敗北のキャリア。英国ヘビー級王座決定戦で判定負け。英国のヘビー級大会で準優勝。トップにはなれないもどかしさ。ところが英国&英連邦ヘビー級王座をKOで奪取。英国王座の初防衛にも成功。その勢いでカルパンチェの欧州王座に挑戦。英国ホルボーンでの一戦。互いにジャブ。ベケットはプレッシャーを掛けられ、クリンチ、ボディフックなどで抵抗。カルパンチェがワンツーからの左フック連打。うつぶせにダウンしたベケットは10カウントを聞いた。70秒で終了。パワーに大きな差。カルパンチェ最大の武器は右ストレート。ワンツーをマトモに食ったベケットはどうしようもなかった。その後、ベケットは保持する英国&英連邦王座を防衛。再びカルパンチェと欧州王座を懸けて対戦したが、何と15秒でKO負け。それが最後の試合になった。)


バトリング・シキ 6R KO ジョルジュ・カルパンチェ

(世界L・ヘビー級タイトル戦、1922年9月)

カルパンチェ:左ジャブ、右ストレート、フック

シキ:左ジャブ、右ストレート、フック   

(ダウンシーン)

3R:右ストレート、右フックで2度、シキがダウン。右フックでカルパンチェがダウン。

6R:右フック(?)でカルパンチェがダウン

(感想:シキがタイトル獲得。ベケットとの初戦後、レビンスキーから世界ライトヘビー級王座奪取のカルパンチェ。そしてデンプシーにKO負け。テッド・キッド・ルイスを1RでKOして世界ライトヘビー級王座防衛。シキと防衛戦。挑戦者シキはセネガル(フランス領)のサン・ルイ出身の黒人で、フランス国籍を持つ。フランスを主戦場に時にはドイツ、オランダなどで試合。連敗したこともあったが、1920年10月のKO勝ちから負け無し。フランス・モンルージュでの一戦(ハイライト映像で観戦。「世界L・ヘビー級王座戦」であるが、カルパンチェの欧州ヘビー級王座、IBUライトヘビー級王座も懸けられた)。共に左のガードを下げてジャブ、そして大振りの左右フック。3R、ダウン応酬。6R、右フックでカルパンチェがダウン。立てず、KO。ところが裁定についてトラブル。「シキがカーペンティアをつまずかせた」としてレフェリーは一旦、「シキの反則負け」を宣告。しかし、観衆の抗議により裁定が覆り、「6ラウンドKO」でシキが世界王者に(人種差別的な扱いをされたシキ。結局は「公正さ」が通った)。激しい攻防はシキに軍配。序盤、優勢だったカルパンチェだが、相手の勢いに押されて倒された。テクニックではなく、相手に合わせて大きな振りのパンチでバカスカ打ち合ったのが敗因。「蘭の男」らしくない負け方だった。その後の二人。シキは初防衛に失敗。その後、アメリカに主戦場を移したが、勝ったり負けたり。「世界王者になった時がピーク」というパターンになってしまった。そして1925年12月15日、28歳で死去。私生活ではトラブルメーカーだったらしく、銃で撃たれた。カルパンチェは再起戦でフランス王座戦(ヘビー級)を行い、KO勝ち。その次の試合は欧州王座戦で、ベケットを15秒でKO。試合間隔が長くなっていき、ジーン・タニー、トミー・ローランに敗北。1926年9月のKO勝ちがラストファイト。引退後は芸能人になり、舞台や映画出演。第二次世界大戦後、フランス空軍に所属。フランスの「スポーツ海外大使」にも任命され、パリで高級バーを経営。1991年に国際ボクシング殿堂入り。「フランス最高のボクサー」の一人と評価されている。)


②「EBU European Heavyweight Title

Georges Carpentier vs. Joe Beckett」

③「World Light Heavyweight Title

Georges Carpentier vs. Battling Siki」