2026年6月12日金曜日

1950年代の試合:ホーガン・バッセイ(Hogan Kid Bassey)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

「モーゼス・ワード vs. ヨランデ・ポンペイ」「エデュアルド・ローゼ vs. ジョニー・サリバン」「ホーガン・バッセイ vs. リカルド・モレノ」「カール・ハバード vs. エディ・パーキンス」を紹介します。


モーゼス・ワード 10R 判定 ヨランデ・ポンペイ

(ライトヘビー級戦、1954年7月)

ワード:左ジャブ、右ストレート、左フック   

ポンペイ:左ジャブ、右ストレート、左フック   

1950年代の試合:ホーガン・バッセイ(Hogan Kid Bassey)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ワードはデトロイトの黒人。1950年、デビュー。中堅相手に勝利。ジョージ・ベントンにTKO負け。連勝後、三連敗。再起戦に勝利してポンペイ戦。ポンペイはトリニダード・トバゴのプリンシズ・タウン出身の黒人。1949年のデビューから連勝でトリニダード・トバゴ王座(ライトヘビー級)を獲得。主戦場を英国に移して連戦連勝。判定で初黒星。アメリカ遠征でワードと対戦。シカゴでの一戦。互いに警戒してジャブ。動きの速さは同じぐらい(それほど速くない)。パンチの打ち方が良いワード。伸びのある右ストレート、パワフルな左フック。ポンペイはショートパンチ(ワンツー、フック)を使うが、真っ直ぐ攻めるクセ。共にディフェンスができるため、どちらかが大きくピンチになるシーンがないまま10R終了。判定は2-0(ダウンシーンは無し)。ワードのパワーが評価されたか。ポンペイはライトヘビー級にしては細かい打ち方だった。その後の二人。ワードは連勝したが、ポンペイとの再戦でTKO負けするなど連敗続きで引退。ラストファイトの相手はジーン・フルマーで、3RでのKO負けだった。ポンペイはイボン・デュレルらを相手に連勝後、アーチー・ムーアの世界ライトヘビー級王座に挑戦したが、TKO負け。その後はディック・タイガーに判定負けするなど勝ったり負けたりになった。)


エデュアルド・ローゼ 5R TKO ジョニー・サリバン

(ミドル級戦、1955年12月)

ローゼ:左ジャブ、右ストレート、左フック

サリバン:左ジャブ、右ストレート、左フック

(ダウンシーン)

4R:左フックでサリバンがダウン

5R:左フックでサリバンがダウン

1950年代の試合:ホーガン・バッセイ(Hogan Kid Bassey)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ローゼはアルゼンチンのハードパンチャー。元世界ウェルター級王者キッド・ギャビラン、後に世界ミドル級王者になるジーン・フルマーに勝っている。サリバンは英国の選手で英連邦・英国ミドル級王座を獲得したこともあるファイター。オハイオ州クリーブランドでの一戦。似たタイプ同士の一戦。共に実に力強いパンチ。ジャブ、右ストレート、左フック。ローゼは左でボディ攻撃。4R、左フックを食ってグラついたサリバン。ラウンド終了間際、左フックでダウン。5R、連打からの左フックでサリバンがダウン。立ったが、連打でレフェリーストップ。迫力のある打撃戦だった試合。どちらも強かったが4Rの左フックで勝敗が分かれた。パワフルだったローゼ。その後、敗北もあり、世界王座への挑戦はならず。2003年にはリング誌からその強打を評価され、「100 greatest punchers of all time」の一人に選ばれている。) 


ホーガン・バッセイ 3R KO リカルド・モレノ

(世界フェザー級タイトル戦、1958年4月)

バッセイ:左ジャブ、右ストレート、左右フック   

モレノ:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(ダウンシーン)

3R:右ストレートでモレノがダウン

1950年代の試合:ホーガン・バッセイ(Hogan Kid Bassey)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:バッセイがタイトル防衛。王者バッセイはサンディ・サドラーの引退で空位となった王座を決定戦で獲得し、ナイジェリア初の世界王者となった選手。これが初防衛戦。挑戦者モレノはメキシカン。カリフォルニア州ロサンゼルスでの一戦。共にジャブ。接近戦では思い切りのいい打ち方。モレノはワンツー、左フック、バッセイは左右フック。3R、右ストレートでモレノがダウン、KO。共に全力で攻撃し合ったパワフルな試合。どちらも強かったが、バッセイがジャブを使って試合を有利に進めた。後、バッセイはデビー・ムーアに王座を奪われ、再戦でも敗れ、引退。モレノはムーアに1RでKOされている。)


カール・ハバード 10R 判定 エディ・パーキンス

(ウェルター級戦、1959年9月)

ハバード:左ジャブ、右ストレート、左フック

パーキンス:左ジャブ、右ストレート、左フック

(ダウンシーン)

10R:右ストレートでパーキンスがダウン

1950年代の試合:ホーガン・バッセイ(Hogan Kid Bassey)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:短いハイライト映像で観戦。後に世界J・ウェルター級王者になるパーキンス。これは世界王者になる前の試合。ペンシルベニア州フィラデルフィアでの一戦。共にパワフルなジャブ、ストレート、左フック。左フックが特に強いハバード。10R、左フックからの右ストレートでパーキンスをダウンさせる。判定は3-0。なかなか強かったハバード。後のWBC世界L・ヘビー級王者マシュー・サアド・ムハマドみたいな抉るような左フックが豪快だった。しかし、その後は敗北が続き、王座を獲得できず。世界王者になってもおかしくないパワーとパンチのキレがあったが。)


①「Light Heavyweight 

Moses Ward vs. Yolande Pompey」

②「Middleweight 

Eduardo Lausse vs. Johnny Sullivan」

③「World Featherweight Title

Hogan Kid Bassey vs. Ricardo Moreno」

④「Welterweight 

Eddie Perkins vs. Carl Hubbard」

 

2026年6月10日水曜日

1920、30、50年代の試合:ハリー・ジェフラ(Harry Jeffra)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

「トム・ヒーニー vs. ジャック・デラニー」「ハリー・ジェフラ vs. シクスト・エスコバル」「ラルフ・デュパス vs. デニス・ブラディ」ほかを紹介します。


トム・ヒーニー 10R 判定 ジャック・デラニー

(ヘビー級戦、1928年3月)

ヒーニー:左ジャブ、右ストレート、フック   

デラニー:左ジャブ、右ストレート、フック   

1920、30、50年代の試合:ハリー・ジェフラ(Harry Jeffra)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ヒーニーはニュージーランド・ギズボーン出身の白人(鍛冶屋だそうだが、ボクサーになる前なのか、引退後なのかは不明)。1920年にデビューしてTKO勝ち。ニュージーランド王座(ヘビー級)獲得。オーストラリア王座(ヘビー級)に挑戦して判定で初黒星。英国で英連邦王座(ヘビー級)に挑戦したが、判定負け。南アフリカで連勝。アメリカ上陸。パウリノ・ウズクドゥン、後の世界王者ジャック・シャーキーとドロー。シャーキー戦の次の相手はデラニー。デラニーはカナダ・ケベック州出身の白人。本名は「オヴィラ・シャプデレーヌ」。1919年10月にアメリカでプロデビュー(新聞判定で勝利)。カナダで数試合やって主戦場をアメリカに。判定で初黒星後、連勝。TKO負け、判定負けはあったが、トミー・ローランに判定勝利(1924年)、タイガー・フラワーズにKO勝ち(1925年)。世界ライトヘビー級王座に挑戦して2-0の敗北。そこから連勝でニューヨーク州公認世界ライトヘビー級王座に挑戦。判定で王座奪取。初防衛に成功。ヘビー級に挑戦するため、王座返上。このところ五連続KO勝ちでヒーニー戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。モノクロの映像で選手の顔がよく見えないうえに同じ色(黒?)に見えるトランクス。身長も同じぐらい。正直なところ、どちらがヒーニーなのかわからない。ただ、同じようなタイプ。ガードを下げた構えで相手に接近し、ストレート、フックを荒っぽく放つ。タフな殴り合いだが、その分、もみ合いからのクリンチになるシーンが多い。互角のように見え、時折互いの強打がヒット。15R終了。判定は3-0。ヘビー級のヒーニー。ライトヘビー級から上がってきたデラニー。その差があったのではないだろうか。その後の二人。デラニーは再起戦でジャック・シャーキーに1RでKO負け。ブランクを挟んで四連勝で引退。1948年11月27日、心臓発作のため48歳で死去。ヒーニーは次の試合でジーン・タニーのNBA世界ヘビー級王座に挑戦したが、TKO負け。更に二連敗。マックス・ベアにKOされるなど多くの敗北。タニー戦後はサッパリだったが、1933年までリングに上がった。) 


ハリー・ジェフラ 15R 判定 シクスト・エスコバル

(世界バンタム級タイトル戦、1937年9月)

ジェフラ:左ジャブ、右ストレート、左フック

エスコバル:左ジャブ、右ストレート、左右フック

1920、30、50年代の試合:ハリー・ジェフラ(Harry Jeffra)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ジェフラがタイトル獲得。王者エスコバルはプエルトリコ・バルセロネタ出身。ルー・サリカと世界王座をめぐる攻防の末、王者に。挑戦者ジェフラはメリーランド州ボルチモア出身の白人。連勝の勢いで初の世界挑戦。ニューヨーク「ポロ・グラウンズ」での一戦(短いハイライト映像で観戦)。フットワーク&ジャブのジェフラ。打ち合いを避けながら左フックからの右ストレートといったコンビネーション。エスコバルはジャブを使いながらジェフラを追い掛ける。判定は3-0。アウトボクシングでジェフラが新王者に。エスコバルの右ストレート、左右フックはしっかりした打ち方ではあったが、空転させられてしまった。再戦はエスコバルが勝ち、王座奪回。ジェフラは後、世界フェザー級王座を獲得し、二階級制覇。しかし、この王座も奪回されてしまった。パワーがあるタイプではなかったのが原因か?)


ラルフ・デュパス 10R 判定 デニス・ブラディ

(ライト級戦、1954年4月)

デュパス:左ジャブ、右ストレート、左右フック

ブラディ:左ジャブ、右ストレート、左右フック

1920、30、50年代の試合:ハリー・ジェフラ(Harry Jeffra)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ライト級の白人選手同士の一戦。デュパスはルイジアナ州ニューオーリンズ出身。1950年、プロデビュー(ドロー)。以来、月に三試合するなど多くの試合。判定負けをするなど、まだ経験が足りないところもありそう。ブラディはニューヨーク州ブロンクス出身。1944年、デビュー(KO勝ち)。デュパスと似たようなところがあり、階級を徐々に上げながら多くの試合。連勝しては判定負け(連敗したことも。1944年、サンディ・サドラーに判定負け)。共に一定の実力はあるが、それ以上になれないところがある。ニューオーリンズでの一戦。あまり器用ではない二人。開始から接近戦を展開するが、フックの振りが大きく、クリンチしながら互いに相手のボディをボカボカとオープンブロー気味のパンチで打つ(思わず笑ってしまうような小競り合いだった)。中間距離では良いストレート、フックをヒットさせる。4R、デュパスが足を使いながらジャブを連打する。10Rはこれまで雑なフック連打が多かったブラディも足を使ってジャブ。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。結局のところ似た者同士だった二人。共にタフだったが、デュパスの中間距離からのジャブが評価されたと思われる。後、ブラディは勝ったり負けたり。中堅選手としてキャリアを終えた。)


ラルフ・デュパス 10R 判定 ギル・ターナー

(ウェルター級戦、1958年10月)

デュパス:左ジャブ、右ストレート、フック

ターナー:左ジャブ、右ストレート、フック

1920、30、50年代の試合:ハリー・ジェフラ(Harry Jeffra)ほか「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ブラディ戦後のデュパス。判定負けはあったが、ガスパー・オルテガを2-0の判定で下すなど概ね好調。しかし、ジョー・ブラウンの世界ライト級王座への挑戦はTKO負け。再起二連勝でターナー戦。ターナーはペンシルベニア州フィラデルフィア出身の黒人。アマチュアではウェルター級で全米王者に。1950年、プロデビュー(KO勝ち)。ベテランのボー・ジャック、アイク・ウィリアムスらに勝利。満を持しての世界初挑戦で世界ウェルター級王者キッド・ギャビランにTKOで初黒星。再起戦でボビー・ダイクスにも敗北。連勝後、ジョーイ・ジャーデロに3-0の敗北。ジーン・フルマー、カーメン・バシリオ、ヤマ・バハマらに敗北。このところ勝ったり負けたり。カナダ・モントリオールでの一戦(ハイライト映像で観戦)。似た体格、戦い方。接近戦でのストレート、フックの打ち合い。激しい攻防だが、デュパスはワンツーからの左フックに良さがあり、右ストレートを当てる。ターナーはフックの振りが大きく、隙があるようだ。10R終了。デュパスが当てる巧さ、思い切りのいい右ストレートで勝利。攻めるときのディフェンスに差があった。その後の二人。ターナーは再起戦に判定負けで引退。デュパスはエミール・グリフィスの世界ウェルター級王座に挑戦して敗れるなど苦労したが、世界J・ミドル級王者に。しかし、在位期間は短かった。)


①「Heavyweight 

Tom Heeney vs. Jack Delaney」

②「World Bantamweight Title

Sixto Escobar vs. Harry Jeffra」

③「Lightweight 

Ralph Dupas vs. Dennis Brady」

④「Welterweight 

Ralph Dupas vs. Gil Turner」

 

2026年6月5日金曜日

ジョー・メデル(Jose Medel)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

バンタム級。「ロープ際の魔術師」。エデル・ジョフレ戦(再戦)、原田戦(初戦)、ウォルター・マクゴーワン戦を紹介します。


ジョー・メデル(メキシコ)

身長164cm:オースドックス(右構え)

ジョー・メデル(Jose Medel)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

エデル・ジョフレ 6R KO ジョー・メデル

(世界バンタム級タイトル戦、1962年)

メデル:左右フック

ジョフレ:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(ダウンシーン)

左フックでメデルがダウン

(感想:ジョフレがタイトル防衛。1950、60年代が全盛期だったホセ・メデル(メキシコシティ出身)。日本では英語風に「ジョー・メデル」と呼ばれ、「ロープ際の魔術師」とも呼ばれた。ジョフレと戦うのはこれが二度目。初戦はジョフレがKO勝ち。今度は世界王座を懸けて勝負。王者ジョフレはブラジル・サンパウロ出身で、「黄金のバンタム」と呼ばれるほどの実力者。サンパウロでの一戦(短いハイライト映像で観戦)。パワフルなフックを振るうメデル。しかし、ジョフレはしっかりブロック。手数が多いジョフレ。ジャブを連打し、右ストレート、左右フック。特に左フックが強烈。メデルのやや振りが大きいフック攻撃の隙を突き、コーナー付近で左フックでダウンを奪う。記録によると5Rと6RにメデルがダウンしてKOになったとのこと。メデルのパンチは力強かったが、ジョフレが手数とガードの隙間を正確に打ち抜くパンチで快勝。「ロープ際の魔術師」がロープ際でKOされてしまった。)


ジョー・メデル 6R KO ファイティング原田

(バンタム級戦、1963年)

メデル:左ジャブ、右ストレート、左右フック

原田:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(ダウンシーン)

6R:連打で3度、原田がダウン

(感想:元世界フライ級王者の原田。バンタムに階級を上げて二階級制覇を目指す状況。日本での一戦(TV映像には「特別カード」とある)。1Rからラッシュをかける原田。積極的にジャブ、ストレートで前進し、左右フック、得意の左ボディ打ち。メデルはロープを背負って応戦。6R、それまでと同じように攻める原田だが、右フックを食ってグラつく。それでも前に出るが、左右フックを浴びて三度ダウン。立ったが、レフェリーはカウントアウト。客席から座布団が投げ入れられた。受け身の姿勢ながらメデルが KO勝ち。一発一発にパワーを込める分、手数が少な目だったが、右フック一発で逆転した。原田は快調に飛ばしていたが、ちょっと攻撃一辺倒になりすぎたか。再戦は世界バンタム級王座を懸けて行われ、王者原田が判定勝ち。前回の教訓を生かし、原田はディフェンスしながら丁寧にポイントを取った。)


ジョー・メデル 6R TKO ウォルター・マクゴーワン

(バンタム級戦、1965年)

メデル:左ジャブ、右ストレート、左フック

マクゴーワン:左ジャブと右ストレート

(ダウンシーン)

右ストレートでマクゴーワンがダウン

6R:左フックで2度、マクゴーワンがダウン

(感想:原田との初戦後、メキシコ・バンタム級王座を防衛し続けるメデルが英国遠征。マクゴーワンは英国の白人。英国王座、英連邦王座(いずれもフライ級)を獲得したことがあるが、欧州フライ級王座はサルバトーレ・ブルーニに判定負けで獲得ならず。そこから連勝でメデル戦。英国ウェンブリーでの一戦(短いハイライト映像で観戦)。いかにも「英国のボクサー」といった感じのボクサータイプ、マクゴーワン。ディフェンスを意識しながらジャブ連打。メデルも左ジャブ、そしてパワーの乗った右ストレート、左フック。ロープを背負うメデルがカウンターの右ストレートでマクゴーワンをダウンさせる。6R、左フックでグラついたマクゴーワンが二度ダウンしてレフェリーストップ。パワーと倒す姿勢でメデルが圧勝。英国のボクサーはキレイなボクシングをするが、その分、パワーで負けることが多い(ような気がする)。その後の二人。マクゴーワンはブルーニに判定で雪辱後、アラン・ラドキンに判定勝ちで英国王座、英連邦王座(いずれもバンタム級)を獲得。リング誌から「世界フライ級王者」に認定されたが、チャチャイ・チオノイとWBC世界フライ級王座を懸けて二連敗。メデルは原田との再戦に敗れて世界バンタム級王座獲得ならず。再起戦でチューチョ・カスティーヨ(後の世界バンタム級王者)にも敗北。さらにライオネル・ローズ、ルーベン・オリバレスらにも敗北。戦い続け、ラストファイトは日本。相手は後の世界王者ロイヤル小林で、TKO負け。パンチは強かったが、結局、世界王者にはなれず。一発にパワーを込めるため、手数で負けてしまったり、受け身の姿勢になってしまったりする残念なところがあった。)


①「World Bantamweight Title

Eder Jofre vs. Jose Medel」

②「Bantamweight 

Jose Medel vs. Fighting Harada」

③「Bantamweight 

Jose Medel vs. Walter McGowan」


ファイティング原田(Fighting Harada)のページ

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エデル・ジョフレ(Eder Jofre)のページ


2026年6月3日水曜日

アイク・ウィリアムス(Ike Williams)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ライト級王者。伝説の強打者。エンリケ・ボラニョス戦(再戦)、ボー・ジャック戦(初戦)を紹介します。


アイク・ウィリアムス(アメリカ)

身長175cm:オースドックス(右構え)

アイク・ウィリアムス(Ike Williams)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

アイク・ウィリアムス 15R 判定 エンリケ・ボラニョス

(世界ライト級タイトル戦、1948年)

ウィリアムス:左ジャブ、右ストレート、左右フック

ボラニョス:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(感想:ウィリアムスがタイトル防衛。ジョージア州ブランズウィック出身の黒人強打者ウィリアムス。パワーに加え、左のテクニック。NBAライト級王座獲得後、ニューヨーク州公認世界ライト級王座も獲得して王座統一。マネージャーとモメたこともあったが、新たなマネージャーの下で活動。その強さを讃えられ、後にボクシング殿堂入りしている。ボラニョスとは結局、王座を懸けて三度対戦が行われ、これが二度目の対戦。初戦はウィリアムスのNBA王座が懸けられ、TKOでウィリアムスが防衛。その後、NBA王者ウィリアムスがニューヨーク州公認王者ボブ・モンゴメリーを破って世界ライト級王座を統一。統一王座を懸けてボラニョスと再戦。挑戦者ボラニョスはメキシコ・ドゥランゴ出身。1941年デビュー(判定勝ち)。カリフォルニアを主戦場に移し、人気選手に(カリフォルニアはメキシカンが多い)。1944年、マヌエル・オルチスにTKO負け。その後も敗北はあったが、その相手に雪辱するなど好調。ウィリアムスに挑戦してTKO負け。そこからはカリフォルニア州ライト級王座を獲得、防衛するなど負け無し。勢いでウィリアムスに二度目のチャレンジ。ロサンゼルスでの一戦。ジャブを連打して相手との距離を詰めるウィリアムス。ボラニョスは足で距離を取りながらジャブ、左フック、ボディ打ち。共に左のパンチをよく出す。接近戦では両者とも力強いが、ウィリアムスが攻める姿勢で優勢か。10R、パワフルな右ストレート、左フックをヒットさせるウィリアムス。15R終了。判定は2-1(ダウンシーンは無し)。ウィリアムスの攻める姿勢が評価されたか。ボラニョスは正確な左ジャブを打っていたが、受け身の姿勢。ウィリアムスはどのパンチも強く、ジャブが多かった。三戦目もウィリアムスが勝利、タイトル防衛。その後もボラニョスは多くの試合をしたが、勝ったり負けたりになった。) 


アイク・ウィリアムス 6R TKO ボー・ジャック

(世界ライト級タイトル戦、1948年)

ウィリアムス:左ジャブ、右ストレート、左右フック

ジャック:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(感想:ウィリアムスがタイトル防衛。伝説の試合。挑戦者ジャックはジョージア州オーガスタ出身の黒人。ファイタータイプで、これまでニューヨーク州公認世界ライト級王座を二度獲得。ボブ・モンゴメリーとのライバル戦が有名。ジャックとしては統一王者ウィリアムスに勝利するとともにかつて自分が持っていた王座を取り戻したいところ。ペンシルベニア州フィラデルフィアでの一戦。力強い攻めを見せるジャック。ジャブを連打して、思い切りのいい打ち方でフック、かち上げるような右アッパー。ウィリアムスはジャブ、ストレート、左右フックで迎え撃つ。ジャックの振りの大きいパンチは迫力はあるが、隙が大きく、疲れる戦い方。6R、左フック連打をキッカケにウィリアムスがラッシュ。コーナー付近で滅多打ちされるジャックをレフェリーが救った。ウィリアムスがパワフルに勝利。時にはクリンチしながらジャブを打ち、相手が疲れたところで一気に仕留めるクレバーさを見せた。ただ、ウィリアムスがラッシュしているときに打つのを止めてレフェリーに「試合を止めろ」とアピールをしていたのが気になった。相手のダメージが大きく、自分が優勢だったとしても相手から目を逸らすのは非常に危険。両者は後に三度対戦。結局、ウィリアムスが3勝1分だったが、互いにラストファイトの相手になった。)  


①「World Lightweight Title

Ike Williams vs. Enrique Bolanos」

②「World Lightweight Title

Ike Williams vs. Beau Jack」

 

2026年5月31日日曜日

ジミー・ワイルド(Jimmy Wilde)&パンチョ・ビラ(Pancho Villa)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界フライ級王者。世界王座戦「王者ジミー・ワイルドvs.挑戦者パンチョ・ビラ」、1930年代の世界フライ級王者ベニー・リンチを紹介します。


ジミー・ワイルド(イギリス)

身長159cm:オースドックス(右構え)

(元々は炭坑労働者であったが、腕っぷしの強さを認められてプロ入り。自分よりも大きい選手を相手に片っ端からKO勝ち。「マイティ・アトム」と呼ばれるようになり、初代世界フライ級王者に。ロードワークやスパーリングでは妻アンが相手を務めて夫をサポート。古い時代の選手のため映像があまり無いのが残念であるがハイライト映像で見たところ、非常にアグレッシブでジャブ、ストレート、フックといった基本的なパンチを正確にパワフルに打っていくタイプ。)


パンチョ・ビラ(フィリピン)

身長155cm:オースドックス(右構え)

(18歳でプロ入りし、その後ニューヨークへ渡る。ワイルドをKOして東洋人初の世界王者に。その後も勝ち続けたが、ジミー・マクラーニンとのノンタイトル戦で敗北。その10日後に死去。原因は敗血症(何らかの感染症を起こしている細菌が体内で増殖して炎症が全身に広がり、臓器障害を引き起こす症状)。試合前に親不知を抜いてそれが結果的に敗血症につながった、とのこと。)


パンチョ・ビラ 7R KO ジミー・ワイルド

(世界フライ級タイトル戦、1923年)

ワイルド:左ジャブ、右ストレート、左右フック

ビラ:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(ダウンシーン)

7R:連打でワイルドがダウン

ジミー・ワイルド(Jimmy Wilde)&パンチョ・ビラ(Pancho Villa)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(感想:ビラがタイトル獲得。ハイライトで観た試合。ワイルドが両手を下げた構えから正確なジャブ、右ストレート、速射砲のような左右フック連打。実にテンポの良い、リズミカルかつパワフルな攻撃。ビラはフィリピンの選手らしい一発一発にパワーを込めるパンチ。左右フックだけではなく、ジャブにもパワーがある。手数が多いワイルドにビラはパワーで対抗。フック連打で激しい打ち合い。6R、左フックを食ってワイルドが後退。7R、強烈な連打(古い映像のため角度的によく見えないパンチもあったが、左フックからの右ストレートだったように見えた)でワイルドが前のめりにダウン。ワイルドのセコンドがリングインして試合終了。ビラが実に強力なパンチで勝利。これでワイルドは引退。豪快にKOされてしまったが、全盛を過ぎたラストファイトでも良いパンチを打っていた。)


「World Flyweight Title

Jimmy Wilde vs. Pancho Villa」

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ベニー・リンチ(スコットランド)

身長163cm:オースドックス(右構え)

ジミー・ワイルド(Jimmy Wilde)&パンチョ・ビラ(Pancho Villa)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

(スコットランド初の世界王者。子供の頃からボクシング好きで、まずは草試合で活躍(昔は見世物の素人ボクシングが人気があった。今でもケンカ大会が一部で盛り上がっているようだ)。プロ入り後は勝ったり負けたりしながら経験を積む。1935年、ジャッキー・ブラウンを2RでKOして王座強奪。ディフェンスはあまり気にしないスタイル。ひたすら接近して左右フックをぶちかます攻め方。時には足を使って距離を取ることも。強かったが酒に溺れるようになってしまい、体重超過で王座剥奪。33歳の若さで世を去った。)

 

2026年5月27日水曜日

ジョルジュ・カルパンチェ(Georges Carpentier)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ライトヘビー級王者。ヘビー級にも挑戦。経歴、ジョー・ベケット戦、バトリング・シキ戦を紹介します。


ジョルジュ・カルパンチェ(フランス)

身長180cm:オーソドックス(右構え)

ジョルジュ・カルパンチェ(Georges Carpentier)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

「蘭の男」とは?

フランスのリエヴァン出身の白人カルパンチェ(1894年1月12日生まれ)。その容姿、強さで当時、絶大な人気を誇り、「蘭の男」と呼ばれたほど。何が凄かったか? デビュー当初、今でいうところのミニマム級のウェイトで試合。徐々に階級を上げ、ライトヘビー級で世界王者に。そしてヘビー級でジャック・デンプシーの世界王座に挑戦した伝説の試合。要するに全階級で試合をしたことになる。貧しい炭坑夫の息子。12歳の頃から父と一緒に働き、パワーを獲得。プロになる前はサバット(フランスの格闘技。空手のようなもので、足技を主体とする)も経験。デビュー当初はKO負けや引き分け。勝っても判定だったりとまだまだパワー不足。しかし、レベルアップ。階級を徐々に上げ、16歳でフランス・ウェルター級王座をTKOで奪取。次いで欧州ウェルター級王座もTKOで奪取。実力が上がるに連れ、女性人気もアップ。カルパンチェの関係者は彼が女でダメになってしまわないようにガードしたとか。欧州ミドル級王座も獲得。世界ミドル級王座挑戦はヒジ打ちをされて敗北に終わってしまったが、そこから快進撃。1913年、KOで欧州ライトヘビー級王座獲得。次いで欧州ヘビー級王座獲得。ヘビー級王座を防衛しながらヨーロッパ版世界ライトヘビー級王座獲得。1920年10月12日、ニュージャージー州ジャージー・シティで世界ライトヘビー級王者バトリング・レビンスキーに挑戦。KOでついに世界王者に。その次の試合は1921年7月2日、「伝説の大一番」。試合地は二連続でジャージー・シティ。世界ヘビー級王者ジャック・デンプシーに挑戦(入場料収入が当時史上初の100万ドル以上)。さすがにこれは厳しかったか、KO負け。カルパンチェの戦いぶりを映像で観察。「蘭の男」などと呼ばれることから「カッコつけた気取り屋のアウトボクサーだろう」と思うかもしれないが、さにあらず。左のガードを下げた構えから長い左ジャブを使い、鋭い右ストレート、振りが大きめの左右フック。なかなか頑丈なコブシ。特に右パンチに威力があり、右ストレートが十八番。斜め下から振り抜く右フックで相手をダウンさせた試合も。また、時にはバカスカ打ち合う勇敢さもある。「大英帝国の誇り」テッド・キッド・ルイスと対戦したときは右フックが効いたルイスに容赦無い右ストレートをぶち込んでKO。強さだけではなく、非情さも持ち合わせていることを証明。しかし、戦った相手を試合後にねぎらう心遣いもある紳士。


ジョルジュ・カルパンチェ 1R KO ジョー・ベケット

(欧州ヘビー級タイトル戦、1919年12月)

カルパンチェ:左ジャブ、右ストレート、フック   

ベケット:左ジャブ、フック

(ダウンシーン)

1R:左フックでベケットがダウン

(感想:カルパンチェがタイトル防衛。世界王者になる前の試合。連勝のカルパンチェが欧州王座の防衛戦。挑戦者ベケットは英国ウィックハン出身の白人。1912年デビュー。連勝しては敗北のキャリア。英国ヘビー級王座決定戦で判定負け。英国のヘビー級大会で準優勝。トップにはなれないもどかしさ。ところが英国&英連邦ヘビー級王座をKOで奪取。英国王座の初防衛にも成功。その勢いでカルパンチェの欧州王座に挑戦。英国ホルボーンでの一戦。互いにジャブ。ベケットはプレッシャーを掛けられ、クリンチ、ボディフックなどで抵抗。カルパンチェがワンツーからの左フック連打。うつぶせにダウンしたベケットは10カウントを聞いた。70秒で終了。パワーに大きな差。カルパンチェ最大の武器は右ストレート。ワンツーをマトモに食ったベケットはどうしようもなかった。その後、ベケットは保持する英国&英連邦王座を防衛。再びカルパンチェと欧州王座を懸けて対戦したが、何と15秒でKO負け。それが最後の試合になった。)


バトリング・シキ 6R KO ジョルジュ・カルパンチェ

(世界L・ヘビー級タイトル戦、1922年9月)

カルパンチェ:左ジャブ、右ストレート、フック

シキ:左ジャブ、右ストレート、フック   

(ダウンシーン)

3R:右ストレート、右フックで2度、シキがダウン。右フックでカルパンチェがダウン。

6R:右フック(?)でカルパンチェがダウン

(感想:シキがタイトル獲得。ベケットとの初戦後、レビンスキーから世界ライトヘビー級王座奪取のカルパンチェ。そしてデンプシーにKO負け。テッド・キッド・ルイスを1RでKOして世界ライトヘビー級王座防衛。シキと防衛戦。挑戦者シキはセネガル(フランス領)のサン・ルイ出身の黒人で、フランス国籍を持つ。フランスを主戦場に時にはドイツ、オランダなどで試合。連敗したこともあったが、1920年10月のKO勝ちから負け無し。フランス・モンルージュでの一戦(ハイライト映像で観戦。「世界L・ヘビー級王座戦」であるが、カルパンチェの欧州ヘビー級王座、IBUライトヘビー級王座も懸けられた)。共に左のガードを下げてジャブ、そして大振りの左右フック。3R、ダウン応酬。6R、右フックでカルパンチェがダウン。立てず、KO。ところが裁定についてトラブル。「シキがカーペンティアをつまずかせた」としてレフェリーは一旦、「シキの反則負け」を宣告。しかし、観衆の抗議により裁定が覆り、「6ラウンドKO」でシキが世界王者に(人種差別的な扱いをされたシキ。結局は「公正さ」が通った)。激しい攻防はシキに軍配。序盤、優勢だったカルパンチェだが、相手の勢いに押されて倒された。テクニックではなく、相手に合わせて大きな振りのパンチでバカスカ打ち合ったのが敗因。「蘭の男」らしくない負け方だった。その後の二人。シキは初防衛に失敗。その後、アメリカに主戦場を移したが、勝ったり負けたり。「世界王者になった時がピーク」というパターンになってしまった。そして1925年12月15日、28歳で死去。私生活ではトラブルメーカーだったらしく、銃で撃たれた。カルパンチェは再起戦でフランス王座戦(ヘビー級)を行い、KO勝ち。その次の試合は欧州王座戦で、ベケットを15秒でKO。試合間隔が長くなっていき、ジーン・タニー、トミー・ローランに敗北。1926年9月のKO勝ちがラストファイト。引退後は芸能人になり、舞台や映画出演。第二次世界大戦後、フランス空軍に所属。フランスの「スポーツ海外大使」にも任命され、パリで高級バーを経営。1991年に国際ボクシング殿堂入り。「フランス最高のボクサー」の一人と評価されている。)


②「EBU European Heavyweight Title

Georges Carpentier vs. Joe Beckett」

③「World Light Heavyweight Title

Georges Carpentier vs. Battling Siki」

 

2026年5月22日金曜日

ミッキー・ウォーカー(Mickey Walker)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ウェルター、ミドル級王者。ヘビー級にも挑戦した豪傑。トミー・ローラン戦、マックス・シュメリング戦ほかを紹介します。


ミッキー・ウォーカー(アメリカ)

身長170cm:オーソドックス(右構え)

ミッキー・ウォーカー(Mickey Walker)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ミッキー・ウォーカー 10R KO トミー・ミリガン

(世界ミドル級タイトル戦、1927年6月)

ウォーカー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ミリガン:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ウォーカーがタイトル初防衛。「トイ・ブルドッグ」と呼ばれたウォーカー。こんな無茶苦茶な男も珍しい。身長170cm。世界ウェルター王者になり、ヘビー級でも勝負。挑戦されたヘビー級の選手たちも困っただろう。こんな小さい選手を思いっ切り殴るワケにはいかない(かつてミドル級のスタンリー・ケッチェルがヘビー級王者ジャック・ジョンソンと戦ったが、ジョンソンは手加減。ケッチェルの不意打ちに怒ったジョンソンが全力でケッチェルをぶちのめし、ケッチェルは酷い状態になった)。ニュージャージー州エリザベス出身。本名「エドワード・パトリック・ウォーカー」だが、なぜか「ミッキー」と呼ばれるように。正式なボクシングの訓練もアマチュアの経験も無しでプロ入り(1919年)。タフネス&パワーの自己流ファイト。ただ、頭の回転は速かったという。1922年11月1日、ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」で世界ウェルター級王者ジャック・ブリットンに挑戦。何度もダウンを奪い、15ラウンド判定勝ち。21歳で初の世界タイトル獲得。1925年 7 月 2 日、ニューヨーク「ポロ・グラウンズ」で世界ミドル級王者「人間風車」ハリー・グレブに挑戦。判定で敗れ、二階級制覇ならず。世界ウェルター級王座をさらに防衛したが、王座陥落。1926年12月3日、世界ミドル級王者タイガー・フラワーズ(グレブを破って王座獲得)に判定勝ちで二階級制覇。挑戦者ミリガンはスコットランドの白人。1924年11月26日、テッド・キッド・ルイスを判定で破って英国・英連邦・欧州王座(ウェルター級)を一気に獲得。さらに欧州ミドル級王座も獲得。英国・英連邦ミドル級王座も獲得してウェルター級に次いでミドル級でも統一王者に。その勢いでウォーカーに挑戦。英国ケンジントンでの一戦(短いハイライト映像で観戦)。ウォーカーは豪快なボクシング。振りの大きいフック、そして意外にキレイな打ち方で速いワンツー。ミリガンは接近してフック連打、ボディ連打。大きなパンチでウォーカー優勢。右カウンター、フックで何度もミリガンをダウンさせ、最後は強烈な左フックで完全KO。「荒っぽいケンカファイトの男」というのがウォーカーのイメージだが、荒っぽいのはフック攻撃。ワンツーはいつの時代でも通用するキレ味だった。ミリガンは手数を出して頑張ったが、マトモに打たれてしまった。その後のミリガン。このKO負けでエネルギーが消え去ったのだろう。再起戦に勝利したが、英国・英連邦・欧州ミドル級王座防衛戦で反則負け、王座陥落。英国王座の奪回を狙ったが、1RでKOされて引退(1928年8月)。)


トミー・ローラン 10R 判定 ミッキー・ウォーカー

(世界ライトヘビー級タイトル戦、1929年3月)

ウォーカー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ローラン:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ローランがタイトル防衛。ミリガン戦後も連勝のウォーカー。この男はなかなかのチャレンジャー。ミドル級王座を保持したままライトヘビー級に挑戦。王者ローランは「亡霊」のニックネームを持つ男で、ディフェンス&左のテクニックで相手に打たせない試合をする。相手からするとやりにくいタイプだが、ウォーカーがどんな攻めを見せるか? イリノイ州シカゴでの一戦。独特の構え方のローラン。アップライトな姿勢。両手を下げた低いガードで左腕を前に突き出す構え。ジャブ連打、フック、ねじ込むように打つ右ストレート、打ち下ろすようなワンツー。相手の攻撃はスウェーやクリンチで阻止(まるでクリチコ兄弟のよう)。ウォーカーは相手の大きさを意識しているのか接近してフック攻撃。一発狙いの攻め方で、かわされたり、クリンチされたりで単発に終わる。ただ、右フックカウンター、左フックを当てるシーンも。判定は2-1。攻めが雑だったウォーカー。ミリガン戦のようなワンツーが見られなかったのが惜しい。ローランはその後、ヘビー級に挑戦。ジャック・シャーキーに判定勝ちしたり、ペンシルベニア州ヘビー級王座を獲得したりといった活躍はあったが、プリモ・カルネラの世界ヘビー級王座への挑戦は判定負けでヘビー級制覇ならず。)


ミッキー・ウォーカー 10R 判定 エイス・ハドキンス

(世界ミドル級タイトル戦、1929年10月)

ウォーカー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ハドキンス:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ウォーカーがタイトル防衛。挑戦者ハドキンスはネブラスカ州バルパライソ出身の白人。ニックネームは「山猫」。1922年にデビューし、当時はライト級。ローカル王座を獲得、防衛。徐々に階級を上げ、ベテランのルー・テンドラーに判定勝ちするなど連勝の勢いでウォーカーの王座に挑戦したが、2-1の敗北。その再起戦で敗れた相手に雪辱して、再びウォーカーに挑戦。カリフォルニア州ロサンゼルスでの一戦。相撲のような押し合い、左右フック攻撃の応酬。同じように打ち合う両者。ウォーカーが足で距離を取ってカウンターで迎え撃つ作戦。ジャブ、フックで攻めてくるハドキンスにジャブカウンター、フック。10R終了後、レフェリーがウォーカーの手を上げた(判定はPTS)。ウォーカーは闇雲に打ち合う選手ではない。相手の勢いを受けながら正確に反撃して勝利。「作戦勝ち」といったところ。ハドキンスは積極的で悪くはなかったが、攻めが正直すぎたか。その後、ハドキンスはウォーカーと同じような道。ライトヘビー級の体格でヘビー級に挑戦。カリフォルニア州ヘビー級王座を獲得できたが、防衛ならず。プライベートでは酒場を経営したり、競走馬を多数所有したりで成功していたようだが、暴行事件を起こす。銃で撃たれる事件もあり、引退。)


マックス・シュメリング 8R TKO ミッキー・ウォーカー

(ヘビー級戦、1932年9月)

ウォーカー:左ジャブ、右ストレート、フック   

シュメリング:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

1R:ワンツーでウォーカーがダウン

8R:ワンツー、左フック連打で2度、ウォーカーがダウン

(感想:ハドキンスとの再戦後、連戦連勝のウォーカー(「史上最強」と呼ばれる所以)。ミドル級に相手がいないということなのか、ヘビー級に挑戦。ジャック・シャーキーとドロー、パウリノ・ウズクドゥンに判定勝ち、ジョニー・リスコに判定負けで久々の敗北。再起戦にKO勝ちしてシュメリング戦。シュメリングはドイツのクライン・ルッコー出身。ジャック・シャーキーに反則勝ちでヘビー級史上初めて「反則勝ちで世界王座を獲った男」に。シャーキーとの再戦に敗れ、王座陥落。再起戦でウォーカーと対戦。身長170cmのウォーカー。シュメリングは185cm。身長以外にも大きな差があるはず。ニューヨーク州クイーンズ「Madison Square Garden Bowl」での一戦。1R、ゴツい身体に仕上げてきたウォーカー。左フック連打、左ボディ打ち、右ストレート。左ジャブに速さ。シュメリングもジャブ、右ストレート、左フック。接近してショートフック連打。やはりパワー、身体全体の差が。ワンツーでウォーカーがダウン。2Rにも右を食ってウォーカーがグラつく。その後、接近戦が続く。互いにフック、ボディ打ち、もみ合い。シュメリングの右カウンター、右ストレートでウォーカーがピンチ。8R、ワンツーウォーカーがダウン。立ったが、今度は左フック連打でダウン。フック攻撃で何とか抵抗したウォーカーだが、このラウンド終了後に棄権。両目がふさがり、出血もひどかったという(モノクロ映像ではよくわからなかった)。シュメリングがヘビーなパワーで圧勝。普通に打ったヘビー級のパンチも下の階級から上がってきた者には脅威。これは当然の結果。その後の二人。シュメリングは次の試合でマックス・ベアにTKO負け。その次の試合は判定負け。ドイツで連勝後、大きなサプライズ。世界王者になる前のジョー・ルイスにKO勝ち。しかし、世界王者になったルイスに挑戦して1Rで無惨なKO負け。その後はドイツでの欧州王座&ドイツ王座戦で勝利。世界王者にはなれたが、「ヨーロッパのトップ」といったキャリアだった印象。ウォーカーはさすがにヘビー級ではキツかったか、再びライトヘビー級へ。1933年11月3日、「マジソン・スクエア・ガーデン」で世界ライトヘビー級王者マキシー・ローゼンブルームに挑戦したが、3-0で敗北。結局、三度の世界ライトヘビー級王座への挑戦は実らず、三階級制覇ならず。後にローゼンブルームに勝利したが、ノンタイトル戦だった。プライベートでは遊びで財産を使い果たし、キャリアの終わり頃には無一文。様々な職に就きながら趣味の絵とゴルフを楽しんだが、最後は身体の不調。1981 年 4 月 21 日、79 歳没。)


①「World Middleweight Title

Mickey Walker vs. Tommy Milligan」

②「World Light Heavyweight Title

Tommy Loughran vs. Mickey Walker」

③「World Middleweight Title

Mickey Walker vs. Ace Hudkins」

④「Heavyweight 

Max Schmeling vs. Mickey Walker」