ミドル、ウェルター級の実力者。「アポストリ vs. エイブラムズ」「アート・アラゴン vs. デイビス、デイビー」ほかを紹介します。
フレッド・アポストリ(アメリカ)
身長177cm:オーソドックス(右構え)
アート・アラゴン(アメリカ)
身長173cm:オーソドックス(右構え)
チャック・デイビー(アメリカ)
身長175cm:サウスポー
①フレッド・アポストリ 10R 判定 ジョージー・エイブラムズ
(ミドル級戦、1947年11月)
アポストリ:左ジャブ、右ストレート、フック
エイブラムズ:左ジャブ、右ストレート、フック
(感想:アポストリのキャリア末期の試合。カリフォルニア州サンフランシスコ出身の白人アポストリ(野球のスター、ジョー・ディマジオの同級生であり友人)。アマチュアで全米ミドル級王者に。1934年にプロデビュー。連勝だったが、実力者フレディ・スティールにTKOで初黒星。そこから連勝。判定負けを一つ喫したが、1937年9月23日に「IBU」なる団体のミドル級王座獲得。スティールにTKOで雪辱、ヤング・コーベット3世に判定負け。1938年4月1日、グレン・リーを判定で下してニューヨーク州公認世界ミドル級王者に。コーベット3世にTKOで雪辱すると共に王座防衛。後の世界ライトヘビー級王者ビリー・コンに3-0で二連敗。1939年10月2日、セフェリノ・ガルシアにKO負けで王座陥落。以後もリングへ。トニー・ゼールに判定負けしたが、中堅相手に連勝。第二次大戦でキャリア中断(アメリカ海軍に従軍)。戦後に復帰し、毎月のようにリング。このところ連勝中でエイブラムズ戦。エイブラムズはバージニア州ロアノーク出身の白人で、こちらもベテラン。1937年、デビュー(KO勝ち)。連勝後、KOで初黒星。以後、判定負けはあったが、連勝。1941年11月28日、トニー・ゼールの世界ミドル級王座に挑戦して3-0の敗北。戦争でキャリア中断。戦後、復帰。マルセル・セルダン、シュガー・レイ・ロビンソンに判定負け。直前の試合はTKO負け。共通点の多い二人の対決。サンフランシスコでの一戦。共に左のガードを下げた構えから速いジャブ。エイブラムズは左のテクニックの持ち主で、左フックを巧く使う。ワンツー、斜め下からの右フック、ボディ打ちにも良さ。アポストリは右パンチに自信があるらしく、踏み込んで右ストレート、ケンカみたいな粗い左右フック連打。攻めるアポストリ、応戦するエイブラムズ。互いのパンチがヒット。10R終了。判定は2-0(ダウンシーンは無し)。攻勢点でアポストリ。5Rに強烈な右パンチを当てたように右に強さがあった。エイブラムズも打ち合いに応じる勇敢さ。敗者がいない対決だった印象。その後の二人。エイブラムズは次の試合にTKO負けで引退。アポストリはこの試合から約一年後に3-0の敗北、引退。通算戦績61勝(31KO)10敗1分。国際ボクシング殿堂入り。)
②アート・アラゴン 10R TKO ヘンリー・デイビス
(ウェルター級戦、1953年8月)
アラゴン:左ジャブ、右ストレート、フック
デイビス:左ジャブ、右ストレート、フック
(感想:アラゴンはニューメキシコ州ベレン出身の白人。ニックネームは「ゴールデン・ボーイ」(派手好きな個性派タイプ。映画に出演し、マリリン・モンローらハリウッドの人間とも交流)。1944年にプロデビュー。敗北しながらも多くの勝利。カリフォルニア州王座(ライト級)を決定戦で獲得。連勝の勢いで世界ライト級王者ジミー・カーターにノンタイトル戦で勝利。その次の試合は世界王座を懸けたダイレクト・リマッチ(1951年)。しかし、ダウンを食って王座奪取ならず。その後、一つ判定負けしたが、おおむね好調。デイビスはジョージア州アトランタ出身の黒人。戦時中はハワイ・パールハーバーで任務。その後、ホノルルで1945年6月(まだ戦時中)にプロデビューしてドロー。日系人らしい選手らを相手に連勝。ハワイ王座(フェザー級)に挑戦して判定負け、初黒星。1948年5月25日、あのマヌエル・オルチス(元世界バンタム級王者)に2-1の敗北。それが良い経験になったか、ハワイ王座(フェザー級)獲得、オルチスに3-0で雪辱。ハワイを離れ、ニューヨークやカリフォルニアに転戦。階級を上げたこともあってこのところ敗北するなど苦戦中。カリフォルニア州デーリー・シティでの一戦。先制攻撃のデイビス。1R開始から右ストレート、左右フック連打。アラゴンは腕をクロスするブロックを使ったりしながらリズミカルにワンツー、フック、右アッパー。しかし、真っ直ぐ攻めるクセがある(雰囲気的に井岡弘樹のようなタイプ)。接近戦が続く。手数のデイビス。しかし、ワンツー、フックを当てる巧さでアラゴンが優勢か? 10R、打ち合いの中、レフェリーがブレイク。デイビスがドクターチェックされ、試合終了。「口からの出血」で止められたデイビスは納得いかない表情で「オレは負けてない!」といった態度だった。激しい試合となったが、アラゴンが正確な攻撃&ガードで勝利。ただ、一発のパンチは軽めだったか。デイビスは頑張るタイプだが、そこまで。その後、デイビスは連敗するなど多くの敗北。1956年、引退。)
③アート・アラゴン 10R 判定 チャック・デイビー
(ウェルター級戦、1954年2月)
デイビー:右ジャブ、左ストレート、左フック
アラゴン:左ジャブ、右ストレート、左フック
(感想:デイビス戦の次の試合で判定負けしたアラゴン。再起二連勝でデイビー戦。デイビーはミシガン州デトロイト出身の白人サウスポー。アマチュアでは敗北は一度だけ。1949年のプロデビューから連勝。1952年、元世界ライト級王者アイク・ウィリアムスにTKO勝ち。同年、後の世界ウェルター級王者カーメン・バシリオとドロー、3-0の勝利。その次の試合で元世界ミドル級王者ロッキー・グラジアノに3-0の勝利(グラジアノの引退試合となった)。翌年、世界ウェルター級王者キッド・ギャビランに挑戦してTKO負け、初黒星。再起二連勝からの二連敗でアラゴン戦。ロサンゼルス「オリンピック・オーディトリアム」での一戦。リズミカルなフットワークで相手から距離を取って右ジャブのデイビー。パワーはそれほど感じられないが、ワンツーからの右フックなどテンポの良さがある。アラゴンは左ジャブを使いながらキレのある右ストレート、左フックで前進。映像ではアウトボクシングのデイビーの方が見栄えがいいが、アラゴンも良い右ストレート。10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。攻勢点でアラゴン。しかし、自身の試合ぶりに不満だったか、アラゴンはサッサとリングを降りていった。その後のアラゴン。多くの試合。ドン・ジョーダン、ジミー・カーター(三戦目)に勝利。しかし、世界戦はカーター戦のみに終わった。1960年に引退した後、保釈保証人になったそうだ。)
④チャック・デイビー 10R 判定 ジェラルド・ドレイアー
(ミドル級戦、1954年4月)
デイビー:右ジャブ、左ストレート、左フック
ドレイアー:左ジャブ、右ストレート、フック
(感想:アラゴンに敗れたデイビーの再起戦。ドレイアーは南アフリカ・プレトリア出身の白人。1948年のロンドン・オリンピックにライト級で出場して金メダル。同年、プロデビュー。南アフリカ王座(ライト級)を獲得するなど連勝。英国で1RでKO負けして初黒星。アメリカで連勝。地元で英連邦王座(ウェルター級)獲得。その後、判定負けやドロー。TKO負けで英連邦王座陥落。再起二連勝でデイビー戦。共にアマチュアで実績。どんな動きを見せるか? カリフォルニア州オークランドでの一戦。共にスリムな体型。サウスポーのデイビー。足でリズムを取りながら右ジャブ、左ストレート、斜め下からの左フック(この試合では具志堅用高に似た動き、打ち方)。ドレイアーはサウスポーが苦手なのか、ぎこちない打ち方。左ジャブはまずまずだが、右ストレートをディフェンスされる。デイビーがジャブ、左パンチ(ストレート、ボディ打ち)、クリンチで優勢。ドレイアーは右フックを当てるシーンもあるが、当たりが浅め。5Rには右ストレートからの左フックを決めたが、そこまで。10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。サウスポーのテクニックでデイビー勝利。ドレイアーは金メダリストとは思えない動き。残念ながら、どちらももう一つ。プロらしい迫力に欠けていた。その後の二人。デイビーは三試合やって引退。ドレイアーは勝ったり負けたり。1955年のラストファイトは南アフリカ王座戦(ウェルター級)で、TKO負け。世界挑戦の話もあったが、結局、叶わず。1985年9月5日、55歳の若さで死去(死因は不明)。)
①「Middleweight
Fred Apostoli vs. Georgie Abrams」
②「Welterweight
Art Aragon vs. Henry Davis」
③「Welterweight
Chuck Davey vs. Art Aragon」
④「Middleweight
Chuck Davey vs. Gerald Dreyer」






















