2026年4月24日金曜日

ジョーイ・ジャーデロ(Joey Giardello)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ミドル級王者。世界王者になる前のウォルター・カーティア戦、ウィリー・トロイ戦、アル・アンドリュース戦を紹介します。


ジョーイ・ジャーデロ(アメリカ)

身長178cm:オーソドックス(右構え)

ジョーイ・ジャーデロ(Joey Giardello)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ジョーイ・ジャーデロ 1R TKO ウォルター・カーティア

(ミドル級戦、1954年)

ジャーデロ:左ジャブ、右ストレート、フック   

カーティア:左ジャブ、右ストレート、左フック

(ダウンシーン)

1R:右ストレートで3度、カーティアがダウン

(感想:ジャーデロはニューヨーク・ブルックリン出身の白人。イタリア系で本名は「カルミネ・オーランド・ティレッリ」。当時のブルックリンは荒れたスラムではなかったがギャングがおり、ジャーデロは連中とつるんだり、ケンカ沙汰になったり。15歳の時、「ジョー・ジャーデロ」という年上のいとこから出生証明書を購入し、米陸軍に入隊。ニュージャージー州でプロデビューを果たしたが、親バレしないようにするために再びジャーデロの名を借用。1948年、デビュー。実力者と対戦(いつのことかは不明だが、自動車事故で後遺症が残ったり(膝を損傷)、ガソリンスタンドでの暴行で6か月の懲役刑を言い渡されたり、といったトラブルも)。カーティアと再戦(初戦は前年に行われ、3-0でジャーデロ勝利)。カーティアもまたニューヨーク出身で、ブロンクス。1946年にプロデビュー。中堅相手に好調だったが、キッド・ギャビラン、ボボ・オルソンに連続TKO負け。ジャーデロに判定負けするなど、このところ勝ったり負けたり。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。互いにジャブ。右ストレートに威力があるジャーデロ。接近戦では左右フックを振るうが、手打ち気味なところが。ただ、当てる巧さがあり、インサイドからフックを入れる。カーティアは左のガードをやや下げた構えで、ジャブ、左ボディ打ち。フックの打ち方はジャーデロよりも良い。強烈な右カウンターで カーティアがダウン。立ったが、右ストレートで更に二度ダウンしてレフェリーストップ。ジャーデロが得意の右パンチで快勝。最初のダウンを奪った右カウンターは見事な一撃だった。カーティアは普通レベルの選手だった印象。その後も中堅相手に試合。引退後は俳優になった。)


ジョーイ・ジャーデロ 7R TKO ウィリー・トロイ

(ミドル級戦、1954年)

ジャーデロ:左ジャブ、右ストレート、フック   

トロイ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

1R:右フックでトロイがダウン

2R:右ストレートでトロイがダウン

(感想:カーティア戦の次の試合。トロイはバージニア州ノーフォーク出身の黒人。身長180cmのスリムな体型。1951年のデビューから連勝。KO負けで初黒星。そこからまた連勝でジャーデロ戦。「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。1R、共にジャブ。ジャーデロはこの試合ではゴツいパンチ(カーティア戦でのシャープなパンチとは大違い)。ワンツー、フックにパワーを込める。トロイは動きのスピードはそこそこで、パンチのキレもそれなり。右ストレート、接近してボディ打ち。左ボディ打ちに良さがあるが、攻めるときのガードに甘さ。右フックでカウンターされてダウン。2Rには左フックを食ってピンチ。腕力で攻めるジャーデロ。右ストレートがカウンターで入ってトロイが少し間を置いてダウン。それでも前に出るトロイ。4Rに左ボディからの右ストレートを決める。ジャーデロは疲れが見え始め、フットワーク&ジャブでアウトボクシングしたり、クリンチしたり。トロイは左のテクニック(左ボディ打ち、左フックダブルなど)を持っているが、「一発のパワー」はジャーデロ。7R、トロイが左フック連打からのワンツーを打たれたところでレフェリーストップ。ジャーデロが辛勝。パワーを込めすぎてスタミナ切れの状態に。パンチの正確さで何とか押し切った。トロイは動きの機敏さ、パンチのキレに欠けるところがあったのが惜しい。その後もトロイは中堅相手に試合。フロイド・パターソンにTKO負け(1955年)。ラストファイトは1956年9月で、判定負け。その試合でアゴを折って引退。1984年7月、51歳で死去。死因は不明。)


ジョーイ・ジャーデロ 7R TKO アル・アンドリュース

(ミドル級戦、1955年)

ジャーデロ:左ジャブ、右ストレート、フック   

アンドリュース:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

9R:右フックでアンドリュースがダウン

(感想:トロイ戦の次の試合に判定負けしたジャーデロだが、その後、連勝。アンドリュースはウィスコンシン州オリバー出身の白人。身長はジャーデロと同じ(178cm)。中堅相手に連勝したり、カーメン・バシリオに判定負けしたり。直前の試合は判定勝ち。連戦連勝とはいかないが、粘り強さを感じる戦績の持ち主。バージニア州ノーフォークでの一戦。踏み込んで左フック、接近して回転の速いフック連打のアンドリュース。手数を出していく積極さ。ジャーデロは一発ずつパワーを込めるメキシカンのようなフック攻撃。1Rにグローブを交換するハプニングはあったが、正確に当てようとする強打で少し優勢。特に斜め下からの右フック、コンビネーション(右フックからの左フック、左フックからの右アッパーほか)が印象的。手数で攻めるアンドリュース、フックで応戦のジャーデロ。クリンチするなど疲れを見せるジャーデロだが、9Rに右フックでアンドリュースをダウンさせる。10R終了。判定は3-0。中盤以降、スタミナがキツそうだったジャーデロ。今後の活躍はその問題の克服次第か? アンドリュースはよく頑張ったが、パワー不足。軽量級のような試合ぶりだった。その後のアンドリュース。再起戦で後の世界ライトヘビー級王者ウィリー・パストラーノに判定負け。その後も多くの試合を行ったが、ジーン・フルマー、デニー・モイヤーに判定負けするなど勝ったり負けたり。1959年6月、後の世界ライトヘビー級王者ホセ・トーレスにTKO負け。その次の試合もKO負けで引退。)


その後のジャーデロ

連勝後、チャーリー・コットンに二連敗。コットンに二連勝するなど好調。ラルフ・ジョーンズらに三連敗。ナイジェリアのディック・タイガーと一勝一敗の後、ジーン・フルマーのNBA世界ミドル級王座に挑戦したが、引き分け(「史上最も汚い戦い」と評価された試合。互いにラフファイト。両者とも「自分が勝った」と主張。ジャーデロ「フルマーは最も汚いファイターの一人だった」 と後に語っている)。その後、不調。スランプ。1962年のヘンリー・ハンク戦の勝利が「リング」誌から「ファイター・オブ・ザ・イヤー」に選ばれる名誉もあったが、実力者ジョージ・ベントンに判定負け。1963年6月、あのシュガー・レイ・ロビンソンに判定勝ち。その次の試合でディック・タイガーから世界ミドル級王座奪取。初防衛戦でルービン・カーターに勝利(カーターはその後、冤罪で長期服役。映画にもなった)。しかし、タイガーとの四戦目に敗れ、王座陥落。既にボロボロだったが、「ライトヘビー級に挑戦したい」ということでカムバック。しかし、二勝二敗で引退。引退後は保険の営業マン、化学会社でマーケティング担当者になったとか。ボランティア活動も行う慈善家の面も。


①「Middleweight 

Joey Giardello vs. Walter Cartier」

②「Middleweight 

Joey Giardello vs. Willie Troy」

③「Middleweight 

Joey Giardello vs. Al Andrews」


ジョージ・ベントン(George Benton)のページ

2026年4月22日水曜日

ジョージ・ベントン(George Benton)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界挑戦を阻止され続けたミドル級。ボビー・ボイド戦、ハリケーン・カーター戦、アレン・トーマス戦を紹介します。


ジョージ・ベントン(アメリカ)

身長178cm:オーソドックス(右構え)

ジョージ・ベントン(George Benton)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ジョージ・ベントン 10R 判定 ボビー・ボイド

(ミドル級戦、1959年)

ベントン:右ストレート、フック   

ボイド:右ストレート、フック

(感想:ペンシルベニア州フィラデルフィア出身の黒人ベントン。実力がありながら世界挑戦のチャンスを阻止され続けた男。世界王者になっていないため、有名選手のセコンドに付く姿の方が有名かもしれない。11人兄弟の家庭。16歳でプロに。1949年、フィラデルフィアでのデビュー戦は1RでKO勝ち。判定で初黒星。そこから連勝。判定負けはあったが、KO負けは無し。ボイドはイリノイ州シカゴ出身の黒人で、身長180cm。1952年のデビューから概ね好調。しかし、当時の実力者ウィリー・トロイ、モーゼス・ウォードに二連続KO負け。ジーン・フルマーに判定勝ち、ジョーイ・ジャーデロにKO負け。直前の試合は1RでTKO負け。一定の実力はあるが、それ以上にはなれない状況にある。フィラデルフィアでの一戦(短いハイライト映像で観戦)。共に黒人選手でモノクロ映像のため黒のトランクス着用に見える両者。映像ではどちらがベントンかもわからない。似たような体格で、力を込めて右ストレート、フックの応酬。攻めている方(左のガードをやや下げている。コチラがベントンか?)は左フックの打ち方が巧く、パワフル。応戦する方も連打の回転が速いが、ロープ、コーナーに詰められて苦戦。判定は3-0でベントン。共に力強かったが、左フックに違いがあった。その後のボイド。再起戦にTKO負けで事実上、キャリアを終えた。)


ルービン・ハリケーン・カーター 10R 判定 ジョージ・ベントン

(ミドル級戦、1963年)

ベントン:左ジャブ、右ストレート、フック   

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ボイド戦後、判定で二連敗のベントン。後の世界J・ミドル級王者フレディ・リトル(日本で世界王座をKO防衛したことでおなじみ)に判定勝ち。さらに判定負けを喫したが、その後はジョーイ・ジャーデロを3-0で下すなど連勝中。カーターはニュージャージー州クリフトン出身の黒人。犯罪で少年院に入ったが逃走し、軍人になった過去。1963年にデビューして判定勝ち。判定負けはあったが、好調。直前の試合はホセ・ゴンザレスに負傷TKO負け。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での注目の一戦(レフェリーはアーサー・マーカンテ)。共に速いジャブ。左のガードを下げた構えのベントンがジャブ、ワンツー、左フックからの右ストレート。カーターは上半身の筋肉があり、ガードを固めてパワフルなストレート、フック連打。ゴツいパワーで押すタイプだが、左フックからの右ストレート、隙を突く攻撃などテクニックも持っている。接近戦ではボディの打ち合い、もみ合い。右ストレートからの左フックといったコンビネーションを出すベントンに対し、カーターは接近戦ではややモタモタしたところが(全てのパンチにパワーを込めるため疲れるのだろう)。速さとパワーのベントン、ゴツいパワーのカーター、といった展開で10R終了。判定は2-1(ダウンシーンは無し)。カーターのパワーが評価されたか。映像ではコンビネーションを使うベントンの方が勝ったように見えた。まるで「シュガー・レイ・レナード vs. トーマス・ハーンズ」のようだった試合。まだ強さがあった頃にミドル級でレナードとハーンズが対戦していたら、この「ベントンvs.カーター」のような試合になっていたかも。その後のカーター。あのエミール・グリフィスを1RでTKOしたり、後のWBA世界ヘビー級王者ジミー・エリスに3-0で勝利したり。しかし、ジョーイ・ジャーデロの世界ミドル級王座への挑戦は判定負け。その後も多くの試合を行ったが、勝ったり負けたり。強盗容疑で逮捕され、有罪。無実を訴え続けたが、無視されて長期服役。刑務所で書いた自叙伝がキッカケになってついに「冤罪」が認められるという波乱に満ちた人生となった。)


ジョージ・ベントン 10R 判定 アレン・トーマス

(ミドル級戦、1963年)

ベントン:左ジャブ、右ストレート、フック   

トーマス:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:カーターに敗れたベントンの再起戦。トーマスはアラバマ州タスキーギ出身の黒人。身長180cm。1959年にデビューしたが、二戦目でKO負け。そこから連勝。イリノイ州王座(ライトヘビー級)をTKOで獲得している。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。開始から積極的なトーマス。スリムな身体からシャープなパンチでジャブ、右ストレート、接近してフック連打。ベントンは受けて立つ戦いぶり。ディフェンスしながら右ストレート、フックで応戦。右カウンター、左フックに巧さ、大きめの右フックに迫力。左フックからの右ストレートといったコンビネーションも使用。手数を出すトーマスだが、どうやらブロックされている様子。ベントンの正確な強打を時折食い、勢いが落ちていく。10R、シャープなパンチで頑張るトーマスだが、そこまで。10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。共に良い選手だったが、パワー&パンチの正確さでベントンが上だった。その後の二人。トーマスはボブ・フォスター(後の世界ライトヘビー級王者)に1Rで敗れるなど勝ったり負けたりに。1970年までリングに上がった。ベントンは多くの試合。ペンシルベニア州王座(ミドル級)を獲得したり、ジミー・エリスに2-0で勝利したり。しかし、元世界ウェルター級王者ルイス・ロドリゲス、強打者ベニー・ブリスコにTKO負け。中堅相手に連勝だったが、判定負け。そして、事件。ベントンの家族に逆恨みした男に銃で撃たれて引退。引退後はエディ・ファッチに弟子入り。伝説の「マニラのスリラー」ではジョー・フレージャーのセコンド。トレーナーとしてイベンダー・ホリフィールド、パーネル・ウィテカーといった名のある選手を指導。1989年と1990年に「年間最優秀トレーナー」賞。2001年、ボクサーではなくトレーナーとしての功績により国際ボクシング殿堂入り。シュガー・レイ・レナードに似たタイプだったベントン。レナードは五階級制覇。ベントンはローカル王座のみ。時代によって運が大きく違うのが人生の厳しいところ。)


①「Middleweight 

George Benton vs. Bobby Boyd」

②「Middleweight 

George Benton vs. Rubin Carter」

③「Middleweight 

George Benton vs. Allen Thomas」

 

2026年4月17日金曜日

ジェイ・フルマー(Jay Fullmer)&ドン・フルマー(Don Fullmer)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

フルマー兄弟。「ジェイ・フルマー vs. ジム・モーリー」「ドン・フルマー vs. レトル、フュメレル」を紹介します。


ジェイ・フルマー(アメリカ)

身長171cm:オーソドックス(右構え)

ジェイ・フルマー(Jay Fullmer)&ドン・フルマー(Don Fullmer)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ドン・フルマー(アメリカ)

身長175cm:オーソドックス(右構え)

ジェイ・フルマー(Jay Fullmer)&ドン・フルマー(Don Fullmer)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ジェイ・フルマー 2R KO ジム・モーリー

(ウェルター級戦、1957年)

フルマー:左ジャブ、右ストレート、フック   

モーリー:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

2R:左フックでモーリーがダウン

(感想:フルマー兄弟はユタ州ウェストジョーダン出身の白人。兄ジーン(1931年生まれ)、弟ジェイ(1937年)&ドン(1939年)。ジーンは世界ミドル級王者になり、シュガー・レイ・ロビンソンとの対戦であまりにも有名。ジェイは1956年、ニューヨークでデビュー(判定勝ち)。以来、連勝中。モーリーはユタ州ソルト・レーク・シティの選手で、四回戦選手。ウェストジョーダンでの一戦。長身のモーリー。アップライトスタイルからジャブなどを出すが打ち方がぎこちなく、ガードに甘さ。フルマーが接近して右ストレート、フック。2R、強烈な右カウンターからの左フックでモーリーがダウン。立てず、KO。フルマーが楽勝。勝っても自慢にならない相手だったが、フィニッシュのコンビネーションはスムーズかつパワフルだった。モーリーは残念ながらバランスが悪く、基本ができていなかった。その後の二人。モーリーは数試合やって引退。フルマーは中堅らを相手に連勝だったが、TKOで初黒星。その後は試合経験のある選手には敵わず。タイトル戦を行うことなくキャリア終了。)


ドン・フルマー 10R 判定 ステファン・レトル

(ミドル級戦、1960年)

フルマー:左ジャブ、右ストレート、フック   

レトル:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:アマチュアでは65戦無敗だったというドン。1957年、ウェストジョーダンでプロデビュー(TKO勝ち)。経験の浅い相手に連勝。それがまずかったか、三連敗。そこからまた連勝中。レトルはハンガリーの白人。デビューから主戦場はアメリカ。連勝だったが、2-1で初黒星。ローカル王座(ウェルター級)獲得。直前の試合でTKO負けするなどこのところ勝ったり負けたりで苦戦中。ウェストジョーダンでの一戦。互いにジャブ。攻めの姿勢で前進するレトルだが、雑な攻めで攻撃の正確さに欠ける。フルマーは相手から距離を取って戦うタイプで、接近してくる相手に右ストレートからのフック連打。パワーがあるが、相手のレトルは意外にディフェンスが巧い。決定打を欠く状況のまま10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。フルマーが手数で勝利。受け身の試合ぶりなところもあったが、パワーとディフェンスのテクニックがあった。レトルはヨーロッパ人らしからぬ雑な打ち方が残念。その後、レトルはカーチス・コークスらに連敗。ドイツでは強かったが、アメリカではトニー・デマルコといった実力者に敗北。)


ドン・フルマー 10R 判定 ロッキー・フュメレル

(ミドル級戦、1961年)

フルマー:左ジャブ、右ストレート、フック   

フュメレル:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

3R:左フックでフュメレルがダウン

(感想:レトル戦後も連勝を続けたドンだが、ジョーイ・アーチャーに2-0で敗北。再起戦でフュメロルと対戦。フュメロルはニューヨーク州バッファロー出身の白人で、ニックネームは「ブロンド・ボンバー」(相当パンチが強いのだろう。「ジャック・デンプシーのような奴」と言われたこともあるとか)。父がアマチュアボクサーだった縁でボクシングを選択。アマチュアで全勝、大会で優勝経験。プロではデビューから連勝。「天才型」のようだが、トニー・デューパスに判定で初黒星(インフルエンザ後で体調不良だったらしい)。ベテランのラルフ・タイガー・ジョーンズに判定勝ちし、フルマー戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での注目の一戦。互いにジャブ。共に良い選手。フルマーがパワーを込めてゴツいストレート、フック連打。フュメレルはパンチのキレで勝負するタイプで、ボロパンチのような右フック、パワーを乗せた左ボディ打ち。テクニックを使いながら時折パワーのあるパンチを打ち込む。好調のフルマー。右フック、右ストレートからの左フックを当てる。3R、右ストレートからの強烈な左フックでフュメレルがダウン。その後もワンツー、連打にパワーと速さがあるフルマー。右ストレートからの左ジャブといったテクニックも披露。フュメレルは良いパンチを打つが、単発。10R終了。判定は3-0。共に才能を見せた試合。互いにパワーがあったが、フルマーは「ゴツいパワー」のうえパンチにキレ。フュメレルは「速いパワー」があったが、連打するタイプではなかった。両者の違いが結果に反映された形となった。その後のフュメレル。この後、ブランク。二試合やって引退。「ボクシングはもう楽しくなくなった」というのが理由。引退後は大学に通い、通信や不動産関連の職に就いたそうだ。)


その後のドン

多くの試合。エミール・グリフィス、ホセ・トーレス、ディック・タイガーに判定負け。後のWBA世界ヘビー級王者ジミー・エリスに判定勝ち。WBAアメリカ王座(ミドル級)を懸けてグリフィス、アーチャーに判定勝ちで雪辱。ニノ・ベンベヌチ、ホセ・ゴンザレスに判定負け。ボボ・オルソンらに連勝(1967年にジョー・ホプキンスと「世界ジュニア・ライトヘビー級王座」を懸けて対戦し、勝利。この王座はスーパーミドル級王座の前身となるものだったそうだが、当時は「何の値打ちもない王座」と見なされた)。ベンベヌチの世界ミドル級王座に挑戦したが、判定負け。その後もミドル級、ライトヘビー級で試合。実力者が多かった時代だったため連戦連勝とはいかなかったが、名のある相手と対戦したタフなキャリア。キズによるTKO負けはあったが、KOされての敗北は一度もなし。現役中、1968年の戦争映画『コマンド戦略』に弟ジーン、ヘビー級のレックス・レインらボクサーと共に出演。引退後は消防局に勤めたり、兄弟でボクシングジムを経営したり。このジムでは子供たちが無料でトレーニングできたそうだ。


①「Welterweight 

Jay Fullmer vs. Jim Morley」

②「Middleweight 

Don Fullmer vs. Stefan Redl」

③「Middleweight 

Don Fullmer vs. Rocky Fumerelle」

 

2026年4月15日水曜日

ルイス・ロドリゲス(Luis Rodriguez)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ウェルター級王者。エミール・グリフィスのライバル。ジーン・アームストロング戦、デニー・モイヤー戦ほかを紹介します。


ルイス・ロドリゲス(アメリカ)

身長173cm:オーソドックス(右構え)

ルイス・ロドリゲス(Luis Rodriguez)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ルイス・ロドリゲス 8R TKO ジーン・アームストロング

(ミドル級戦、1962年)

ロドリゲス:左ジャブ、右ストレート、フック   

アームストロング:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

4R:右フックでアームストロングがダウン

(感想:ロドリゲスはキューバ・カマグエイ出身。本名「ルイス・マヌエル・ロドリゲス」。身長173cmで、リーチは188cm。蛇のような鋭いジャブが武器。グリフィスのライバルだったが、グリフィスほど有名ではない。世界王座を獲得したが奪い返されて「47日間の天下」だったこと、テクニシャンタイプだったこと、が地味な存在だった理由(「ルイス・ロドリゲス」という普通すぎる名前も目立ちにくい理由だったかも)。しかしながら、ウェルター級のトップ選手だけではなく、ミドル級の実力者とも対戦した凄い男。トレーナーはあのアンジェロ・ダンディ。若き日のモハメド・アリはロドリゲスのスタイル(特にジャブ)に影響を受けたとか。1956年、ハバナでデビュー。連勝でベニー・パレットに連勝したり、キューバ王座(ウェルター級)を獲得したり。キューバに敵がいなくなったのか、アメリカ進出。1960年12月、エミール・グリフィスに判定負け、初黒星。テクニックを競い合う内容だったが、積極さでグリフィスに及ばず。カーチス・コークスにも判定負け。コークスとの再戦は判定勝ち。その後、ヤマ・バハマらを相手に連勝。アームストロングはアラバマ州ピケンズビル出身の黒人。デビューから連勝。しかし、ディック・タイガーには敵わず、三敗。タイガーとの三戦目でTKO負けしてから一年以上経過して再起戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。スリムなロドリゲス。長い足で相手から距離を取ってジャブ、ストレート。左フックからの長い右ストレートに迫力がある(トーマス・ハーンズ、マイク・マッカラムのようなタイプ)。アームストロングはパワーで押すタイプ。ジャブ連打、接近してフック、ストレート。荒っぽいところもあるが、ジャブに速さ。接近戦。ボディの打ち合い。距離を取って戦いたいロドリゲスだが、打ち合いに応じて左フックを当てる(長いリーチを持て余すことなく正確にフックを当てるテクニック)。アームストロングのパンチも時折ヒットするが、ロドリゲスはひるまない(タフなのか、微妙にディフェンスが巧いのか。柔軟な身体がそれを可能にしているようだ)。4R、右フックでアームストロングがダウン。立ったが、KO負け寸前まで追い込まれる。その後も打ち合い。8R、ロドリゲスの正確なフックが次々にヒット。アームストロングがフラついたところでレフェリーストップ。ロドリゲスがタフな試合に勝利。テクニシャンだが、よく打ち合った。アームストロングはよく頑張ったが、これが最後の試合に。引退後は牧師になり、1990年にニュージャージー州ボクシング殿堂入り。)


ルイス・ロドリゲス 9R TKO デニー・モイヤー

(ミドル級戦、1963年)

ロドリゲス:左ジャブ、右ストレート、フック   

モイヤー:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

8R:右ストレートでモイヤーがダウン

9R:右ストレートでモイヤーがダウン

(感想:アームストロング戦後も連勝でエミール・グリフィスの世界ウェルター級王座に挑戦したロドリゲス。3-0の判定で王座奪取(1963年3月21日)。しかし、6月8日の再戦に2-1で敗北で、アッサリ王座陥落(結果的にその後も多くの試合を行い、世界挑戦もしたロドリゲスだが、世界王座を獲得したのは一度きりだった)。その再起戦でモイヤーと対戦。モイヤーはオレゴン州ポートランド出身の白人。1957年のデビューから連勝。実力者ガスパー・オルテガを破るなど好調だったが、ドン・ジョーダンの世界ウェルター級王座に挑戦して3-0の敗北、初黒星。エミール・グリフィス、シュガー・レイ・ロビンソンに勝利したりするなど経験を積んで、世界J・ミドル級王者に。しかし、ラルフ・デューパスに2-1で敗れて初防衛ならず。デューパスとのダイレクト・リマッチは3-0の敗北。その次の試合でロドリゲスと勝負。短期間で世界王座を失った者同士のサバイバル戦。試合地はフロリダ州マイアミ・ビーチ。リズミカルなフットワーク&ジャブの両者。接近戦ではフック、ボディ打ち。攻めるロドリゲス、応戦するモイヤー。右ストレート、フックを当て、ボディを連打するなどロドリゲス優勢。8R、右ストレートでモイヤーがダウン。立ち上がり、クリンチでピンチをしのぐが9Rにも強烈な右ストレートでダウン。立ったが、レフェリーストップ。ロドリゲスがディフェンス&当てる巧さで勝利。「テクニシャン」と評価をされているロドリゲスだが、パンチはかなり強い。モイヤーは相手の柔軟さにやられた。その後のモイヤー。多くの試合。北米ミドル級王者になって1972年にカルロス・モンソンの世界ミドル級王座に挑戦したが、TKO負け。その後も1975年まで精力的に試合(後の世界ミドル級王者ビト・アンツォフェルモに3-0の敗北ほか)。タフだったが、レベルが高い時代で勝ち続けることはできなかった。)


ルイス・ロドリゲス 10R 判定 ウィルバート・マクルーア

(ミドル級戦、1963年)

ロドリゲス:左ジャブ、右ストレート、フック   

マクルーア:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

ワンツーでマクルーアがダウン

(感想:モイヤー戦の次の試合(10月の初戦。または12月の再戦の映像)。マクルーアはオハイオ州トレド(ジャック・デンプシーが王座を奪取した「トレドの惨劇」でおなじみ)出身の黒人。身長180cm。1960年のローマ・オリンピックに出場し、ライトミドル級で金メダル。プロ入り後はロドリゲス戦まで全勝。ロドリゲス戦は「真価が試される試練」といったところ。ニューヨーク、またはマイアミ・ビーチでの一戦。共にスラリとした体型でキレのある長いパンチ。ジャブ、右ストレート、フック。バランスが良いのはロドリゲスで、コンビネーションで攻める。マクルーアはバランスを崩すほどパワーを入れてワンツーなどを打つが、単発。しかし、接近戦では激しく応戦。強烈なワンツーでマクルーアがダウン。ロドリゲスも右ストレートを食うが、ひるまず。判定は3-0。バランスの良さでロドリゲス勝利。マクルーアはプロらしい試合を意識してパワーを込めたのであろうが、金メダリストらしくない粗さがあった。マクルーアはロドリゲスに二連敗。その後、ホセ・トーレス(後、世界ライトヘビー級王座獲得)、ハリケーン・カーターらに敗北。ミシガン州王座(ミドル級)を獲得できたが、連敗。ラストファイトは1970年でビル・ダグラス(ジェームズ・バスター・ダグラスの父)にTKO負けだった。)


その後のロドリゲス

多くの試合。ルービン・ハリケーン・カーターに判定勝ち(二度)、1966年7月6日、カーチス・コークスとの世界ウェルター級王座挑戦者決定戦にTKO負け、強打者ベニー・ブリスコに判定勝ち(二度)、ビセンテ・ロンドン(後のWBA世界ライトヘビー級王者)に判定で一勝一敗、1969年11月22日にニノ・ベンベヌチの世界ミドル級王座に挑戦してKO負け。世界王座に返り咲くことなく、1972年まで戦い続けた。世界王座に就いたのは一度だけで短期間という実力に見合わない結果となったが、1997年に国際ボクシング殿堂入りを果たした。


①「Middleweight 

Luis Rodriguez vs. Gene Armstrong」

②「Middleweight 

Luis Rodriguez vs. Denny Moyer」

③「Middleweight 

Luis Rodriguez vs. Wilbert McClure」


カーチス・コークス(Curtis Cokes)のページ


2026年4月10日金曜日

ジミー・カーター(Jimmy Carter)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ライト級王座を三度獲得。世界戦のアート・アラゴン戦(再戦)、ジョージ・アラウジョ戦、ウォレス・スミス戦(三戦目)ほかを紹介します。


ジミー・カーター(アメリカ)

身長168cm:オーソドックス(右構え)

ジミー・カーター(Jimmy Carter)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ジミー・カーター 10R 判定 パーシー・バセット

(ライト級戦、1951年)

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

バセット:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:カーターはサウスカロライナ州エイキン出身の黒人。9歳の時、ニューヨークに移住。そこは荒っぽい所だったため、自衛としてボクシングを習うことに。アマチュアを経験。陸軍に入隊し、戦後の1946年にプロデビュー。ハイペースで試合をこなして連勝だったが、判定で初黒星。1947年、ジョー・ブラウン(後、世界ライト級王座獲得)に判定負け、サンディ・サドラー(後、世界フェザー級王座獲得)とドロー。1950年、ウォレス・スミスに3-0の勝利。直前の試合は2-1の敗北。バセットはバージニア州ダンビル出身の黒人。1947年デビュー。連勝後、判定で初黒星。さらに一つ判定負けしたが、その後は連勝でカーター戦。ニューヨークでの一戦。開始から左フックで仕掛けるカーター。相手の勢いをくじくのが狙いなのか、その後も右ストレートからの左フック、左右フックボディ打ち、右アッパーなどでひたすら攻撃。バセットも見事なもの。攻められながらもシャープなジャブ、ストレート、フックで応戦。右ストレートを打たれても反撃する気の強さ。10R、フックを連続ヒットさせるなど最後まで攻めるカーター。バセットも最後まで対抗。10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。世界戦レベルだった好試合。カーターが攻勢点で勝利。パンチの打ち方が良く、豊富なスタミナ。バセットもタフで、よく手数を出した。その後のバセット。クリーンな選手だったらしく、ギャングとの関わりは無し。そのため、良いチャンスを得られず。1953年、世界フェザー級暫定王座をTKOで獲得(1953年。この暫定王座は王者サンディ・サドラーが軍に入隊したために設定された)。しかし、勝ったり負けたりになり、網膜剥離で引退。)


ジミー・カーター 15R 判定 アート・アラゴン

(世界ライト級タイトル戦、1951年)

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

アラゴン:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

6R:左フックでアラゴンがダウン

(感想:カーターがタイトル初防衛。バセットに勝ったカーターだが、ダイレクト・リマッチは3-0でバセット勝利。ところがその次の試合は大きなチャンス。アイク・ウィリアムスを番狂わせで破って世界ライト級王者に。ノンタイトル戦を複数。連勝だったが、アラゴンに2-1の敗北。初防衛戦をアラゴンと行うことに。挑戦者アラゴンはニューメキシコ州ベレン出身の白人。ニックネームは「ゴールデン・ボーイ」(派手好きな男らしく、映画に出演し、マリリン・モンローらハリウッドの人間とも交流)。1944年にプロデビュー。敗北しながらも多くの勝利。カリフォルニア州王座(ライト級)を決定戦で獲得。連勝の勢いでカーターにノンタイトル戦で勝利。その次の試合は世界王座を懸けたダイレクト・リマッチ。ロサンゼルス「オリンピック・オーディトリアム」での一戦(ラウンドカットされた映像で観戦)。似た体格。互いに力強くジャブ、ストレート、フック。アラゴンは左フックからの右ストレートが武器。カーターは隙を突くパンチ、速射砲のような連打、コンビネーション(「左フック、右ストレート、左フック」、左フックをボディからアゴへ連打、ほか)。 6R、右フックからの左フックでアラゴンがダウン。その後、カーターはクリンチを使いながら時折強烈な連打をまとめ、攻めながらもディフェンスはしっかり。アラゴンはパワーを入れて反撃するが、単発に終わる。15R終了。判定は3-0。パワー&スタミナでカーター勝利。クリンチを使うなどやや地味な試合運びなところもあったが(「地味カーター」?)、強打をまとめる様は後のアズマー・ネルソンのような雰囲気も。アラゴンは力を込めて打っていたが、スタミナでカーターに及ばず。その後のアラゴン。多くの試合。ラウロ・サラス、ドン・ジョーダン、カーター(三戦目)に勝利。しかし、世界戦はカーターとのこの再戦のみ。1960年に引退した後、保釈保証人になったそうだ。)


ジミー・カーター 13R TKO ジョージ・アラウジョ

(世界ライト級タイトル戦、1953年)

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

アラウジョ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

9R:右ボディ連打でアラウジョがダウン

13R:右フックでアラウジョがダウン

(感想:カーターがタイトル防衛。アラゴン戦後、ラウロ・サラス相手に防衛したカーター。再びサラスと防衛戦を行って王座を奪われたが、奪回。ノンタイトル戦に敗れる不覚はあったが、王座を防衛中。アラウジョと防衛戦。挑戦者アラウジョはロード・アイランド州フォックス・ポイント出身の黒人。身長は166cmで、カーターとあまり変わらない。アマチュアで経験。1948年のデビューから連勝。判定で初黒星を喫したが、その相手にはTKOで雪辱。ローカル王座(フェザー級、ライト級)獲得、防衛。世界フェザー級王者サンディ・サドラーに3-0の勝利。後の世界ライト級王者ジョー・ブラウンにKO勝ち。このところ連勝中で、勢いがある。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦(ラウンドカットされた映像で観戦)。実にパワフルなカーター。ジャブで相手に圧力を掛けてフックを豪快に振るう様はソニー・リストンのよう。アラウジョはパワーに押されてフットワーク&ジャブのアウトボクシング。腰が引けたパンチを打つが、右カウンターを当てるシーンも。左フックからの右フックなどでカーター優勢。9R、ワンツー、右フックを食ってピンチのアラウジョが右ボディ連打でダウン。立ったが、右フックを食ってKO負け寸前。粘るアラウジョ。13Rにフック連打からの右フックでダウン。レフェリーはそれと同時に試合を止めた。カーターが凄まじいパワーで快勝。アラゴン戦の時よりも強かった。アラウジョは気の毒。「リングに上がって初めてわかる相手の強さ」に押されぱなしだった。その後、アラウジョはトニー・デマルコにTKO負けするなど不調。世界挑戦はカーター戦のみに終わった。)


ウォレス・バッド・スミス 15R 判定 ジミー・カーター

(世界ライト級タイトル戦、1955年)

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

スミス:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:アラウジョ戦の次の試合(ノンタイトル戦)に2-1で敗れたカーター(昔は怪しげなことが多かったボクシング界。ギャングから「負けないと殺す」などと脅されたり、「再戦を保証するから今回は負けろ」などと条件を提示されたり。「敗北」を額面通りに受け止めるわけにはいかない時代があった)。王座を防衛したが、パディ・デマルコに敗北、王座陥落。デマルコから王座を奪回。かつて下したウォラス・スミスとの再戦に2-1で敗れ、王座陥落。王座奪回を狙ってスミスと三度目の対戦。王者スミスはオハイオ州シンシナティ出身の黒人。1948年のロンドン・オリンピックにライト級で出場(惜しくもメダル獲得ならず)。プロデビューから連勝でオハイオ州王者(ライト級)になったが、次第に勝ったり負けたりに。カーターを番狂わせで破って世界王者に。カーターとダイレクト・リマッチ。シンシナティでの一戦。パワーで前進するカーター。しかしながら、勢いに欠け、加速できない。スミスは左のテクニック(ジャブ、斜め下からのフック)、右カウンターを使い、カーターの攻めをクリンチで阻止。6Rからフットワーク&ジャブのカーター。時折パワフルなフック連打を見せるが、攻撃が続かず。しかも、左パンチを食って右目の腫れ。13Rに強打を振るったが、その後はまた細かいパンチを食う。15R終了。判定は3-0。スミスが器用さで勝利。残念だったカーター。ボディ連打に強さがあったが、パワフルな攻撃が持続せず。アラウジョ戦ではソニー・リストンのような攻めを見せたが、今回はガス欠な試合ぶり。当時は世界王者が防衛戦の間に多くのノンタイトル戦。ハードスケジュールで急速にパワーが落ちていったのかもしれない。その後の二人。初防衛に成功してカーターと決着をつけたスミス。ところがどうしたことか、ノンタイトル戦でトニー・デマルコ、ジョー・ブラウンらに三連敗。ブラウンと世界王座を懸けて防衛戦を行ったが、敗北。王座を懸けたブラウンとの三度目の対戦も敗北。その後も連敗で、カーターとの三戦目以後は全敗でキャリア終了。カーターもスミスとの三度目後は勝ったり負けたりで世界戦はなし。1960年までリングに上がった。)


①「Lightweight 

Jimmy Carter vs. Percy Bassett」

②「World Lightweight Title

Jimmy Carter vs. Art Aragon」

③「World Lightweight Title

Jimmy Carter vs. George Araujo」

④「World Lightweight Title

Jimmy Carter vs. Wallace Bud Smith」

 

2026年4月8日水曜日

カーチス・コークス(Curtis Cokes)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ウェルター級王者。世界王者になる前の試合&世界戦。スタンリー・ヘイワード戦、ウィリー・ルディック戦(初戦)ほかを紹介します。


カーチス・コークス(アメリカ)

身長173cm:オーソドックス(右構え)

カーチス・コークス(Curtis Cokes)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

スタンリー・ヘイワード 4R TKO カーチス・コークス

(ウェルター級戦、1964年)

コークス:左ジャブ、右ストレート、フック   

ヘイワード:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

2R:左フックでヘイワードがダウン

4R:右フック、右フック、右ストレートで3度、コークスがダウン

(感想:コークスはテキサス州ダラス出身の黒人。レベルが高い時代で実力者としのぎを削ってきた。1958年のデビュー戦は判定勝ち(相手はマヌエル・ゴンザレス。後、ゴンザレスはエミール・グリフィスの世界ウェルター級王座に挑戦して判定負け)。連勝後、ゴンザレスとの再戦に判定勝ちしたが、三度目の対戦は判定でゴンザレス勝利(コークス初黒星)。後の世界ウェルター級王者ルイス・ロドリゲスに判定勝ち。ゴンザレスと空位のテキサス州王座(ウェルター級)を争って判定勝ち。ロドリゲスとの再戦で判定負け。連続KO勝ちしたこともあったが、ホセ・ステイブルに判定負け。再起二連勝でヘイワード戦。ヘイワードはペンシルベニア州フィラデルフィア出身の黒人。1959年のデビューから連勝後、2-1で初黒星。その相手に雪辱して連勝。ヘイワードもまたホセ・ステイブルに判定負け。再起二連勝でコークスと勝負。王座戦の経験はまだない。ヘイワードの地元フィラデルフィアでの一戦。正統派のコークス。足で相手から距離を取ってジャブ。右ストレートを当てるなどテクニックで勝負するタイプで、パワーはそこそこ。ヘイワードは気合いが入っているのか、パワフルな攻め。ジャブを使いながら接近してフック、ボディ連打。2R、左フック、右カウンターが効いたヘイワード。左フックでダウン。3R、ストレート、フックを打ち合うパワフルな攻防(コークスはいざというときはパワーがある。テクニックだけではない)。4R、右フックが効いたコークス。激しく連打するヘイワード。右フックでダウン。かなり効いているが、レフェリーは続行を指示(現在だったらストップだったかも)。右フックで二度目のダウン。今度も立ったが、左フックからの右ストレートで三度目。レフェリーはようやく試合を止めた。ヘイワードが実に力強い勝利。右フックが凄まじかった。コークスはキレイなボクシングだが、嵐のような乱打に巻き込まれた(テクニシャンの宿命か?)。その後のヘイワード。ベニー・ブリスコ、エミール・グリフィスに勝利。フレディ・リトルと空位の世界J・ミドル級王座を争って判定負け。そこで緊張が途切れたらしく、グリフィスとの再戦に敗北。ユージーン・ハート、ウィリー・モンロー、ブリスコ(再戦)といったミドル級の実力者に勝てず、引退。)


カーチス・コークス 10R TKO フランソワ・パビラ

(世界ウェルター級タイトル戦、1967年)

コークス:左ジャブ、右ストレート、フック   

パビラ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

10R:右アッパーでパビラがダウン

(感想:コークスがタイトル防衛。ヘイワードに衝撃のTKO負けを喫したコークスだが、何とその10日後に再起戦を行って判定勝ち(信じられないスケジュール)。その後、判定負けを一つ喫したが、連勝。ライバルのルイス・ロドリゲス、マヌエル・ゴンザレスに連勝後、世界ウェルター級王者に。初防衛に成功。ところがノンタイトル戦でフランソワ・パビラとドロー、ジプシー・ジョー・ハリスに判定負け。パビラと世界王座を懸けて二度目の防衛戦。挑戦者パビラはマルティニークの首都フォール・ド・フランス出身の黒人。1959年にパリでデビュー以来、連勝でフランス王者に(ウェルター級)。ローマで欧州王座に挑戦したが、TKO負けで初黒星。判定でフランス王座陥落。決定戦でフランス王座返り咲き。ジャン・ジョスランに判定負けしたが、その再起戦でコークスの王座に挑戦するチャンス。コークスの地元ダラスでの一戦(10Rのみの映像で観戦)。フットワーク&ジャブでアウトボクシングのパビラ。コークスはジャブ、ストレート連打で相手を追い掛け、フック、アッパー、ボディ打ち。左フックが効いて後退したパビラ。右アッパーでダウン。立ち上がり、レフェリーは続行を許可。しかし、セコンドがタオルを投入して試合終了。コークスが多彩な攻撃を見せて快勝。短い映像だったが、当てるテクニックが感じられた。パビラは相手のスケール(懐の広さ)に圧倒されたようだ。その後のパビラ。フランス王座戦に勝利したが、マルセル・セルダン・ジュニアに判定負け(1968年4月29日)。1968年8月22日、心臓発作で死去。30歳の若さだった。)


カーチス・コークス 5R TKO ウィリー・ルディック

(世界ウェルター級タイトル戦、1968年)

コークス:左ジャブ、右ストレート、フック   

ルディック:左ストレート、フック

(ダウンシーン)

5R:右アッパーでルディックがダウン

(感想:コークスがタイトル防衛。四度目の防衛戦。挑戦者ルディックは南アフリカ・フェリーニヒング出身の黒人サウスポー。身長は175cmでコークスより少し高い。1960年のローマ・オリンピックにライト級で出場(メダルは獲得ならず)。プロでは南アフリカ王座(ウェルター級)を連続防衛、ラルフ・デュパス(元世界J・ミドル級王者)に判定勝ち、南アフリカ王座(ミドル級)、南アフリカ版・世界ウェルター級王座獲得。連勝中の勢いでコークスに挑戦。ダラスでの一戦。ガードを固めて前進するルディック。左ストレート、フックで攻撃。特に左フックに自信があるようで、連発する。コークスは攻めてくる相手を右カウンター、フックで迎え撃つ。ディフェンスしながら隙を突くコークス。5Rに正確なパンチ。右カウンター、左フック。そして、ワンツーからの右アッパーでルディックがダウン。立ったが、ダメージ。コークスが畳み掛ける容赦ない攻撃。右ストレートを入れたところでレフェリーストップ。コークスが快勝(勝って大喜び)。当てる巧さに豪快さが加わった良いパンチを打っていた。ルディックは左パンチに強さがあったが、粗いボクシング。攻めをディフェンスされた。その後の二人。ルディックはコークスとの再戦(ノンタイトル戦)もKO負け、南アフリカ王座戦(ウェルター級、ミドル級)に敗北、南アフリカ王座(J・ミドル級)を獲得して国内王座を三階級制覇。南アフリカの実力者としてキャリアを終えた。コークスは安定王者として活躍したが、ホセ・ナポレスに敗れて王座陥落(1969年)。王座を懸けた再戦もナポレス勝利。以後も1972年まで試合。引退後はトレーナーに転身。アイク・イベアブチ、カーク・ジョンソン、クインシー・テイラーを指導。ジョン・ヒューストン監督のボクシング映画『ゴングなき戦い(ファット・シティ)』(1972年)では「ボクサーではない役」を演じたそうだ。)


①「Welterweight 

Curtis Cokes vs. Stanley Hayward」

②「World Welterweight Title

Curtis Cokes vs. Francois Pavilla」

③「World Welterweight Title

Curtis Cokes vs. Willie Ludick」

 

ベニー・パレット(Benny Kid Paret)&ホセ・ステイブル(Jose Stable)のページ

2026年4月4日土曜日

トム・マクニーリー(Tom McNeeley)&ピーター・マクニーリー(Peter McNeeley)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ヘビー級。ボクシング一家の父子。「トム vs. ジョージ・ローガン(二戦目・三戦目)」「ピーター vs. アレンゼン」を紹介します。


トム・マクニーリー(アメリカ)

身長188cm:オーソドックス(右構え)

トム・マクニーリー(Tom McNeeley)&ピーター・マクニーリー(Peter McNeeley)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ピーター・マクニーリー(アメリカ)

身長188cm:オーソドックス(右構え)

トム・マクニーリー(Tom McNeeley)&ピーター・マクニーリー(Peter McNeeley)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

トム・マクニーリー 10R 判定 ジョージ・ローガン

(ヘビー級戦、1960年11月)

マクニーリー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ローガン:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

1R:左フックでマクニーリーがダウン

8R:左フックでマクニーリーがダウン

(感想:マサチューセッツ州ケンブリッジ出身の白人マクニーリー。父トム・マクニーリー(ピーターの祖父)もプロボクサーだったことから「ジュニア」とも呼ばれた。1958年のデビューから連勝中。ローガンはアイダホ州の白人。1957年のデビューから連勝。元世界王者エザード・チャールズをKO(チャールズはその次の試合に判定負けで引退)。その次の試合に判定負けで初黒星。再起戦に勝利したが、マクニーリーに負傷TKO負け。三連勝してマクニーリーと再戦。マサチューセッツ州ボストンでの一戦。1R、互いにジャブ連打。動きのスピードは同じぐらい(それほど速くない)。打ち方はマクニーリーの方が良く、ワンツーを連打する。ローガンもワンツーを使うが、ゴツいタイプのパンチ。接近戦。共にフック、ボディ打ち。左フックでマクニーリーがダウン(マクニーリーは右ストレートを打った後に隙ができる欠点)。2R、距離を取ってマクニーリーがジャブ、ワンツー。しかし、距離を詰められて接近戦に応じる。ほぼ実力的には互角だがマクニーリーは左フックを食い、タフネスとクリンチでしのぐ。8R、左フックでマクニーリーがダウン。10Rにも左フックでピンチになったが、手数で何とか反撃。10R終了。判定は2-0。マクニーリーが危うい勝利。ワンツー連打で取ったポイントで何とか競り勝った。ローガンは二度のダウンを奪ったにもかかわらず負けになって悔しかっただろう。「ダメージ」の点ではマクニーリーの方が大きかったのでは?)


トム・マクニーリー 10R 判定 ジョージ・ローガン

(ヘビー級戦、1960年12月)

マクニーリー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ローガン:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:約一ヶ月後のダイレクト・ラバーマッチ。共にスッキリ勝ちたいところ。試合地は前回と同じボストン。マクニーリーがワンツーからの左ジャブ。ローガンはワンツーからの左フック、左のテクニック(斜め下からの左フック、左アッパー)。接近戦ではボディを打ち合うが、マクニーリーはクリンチを使って長時間の打ち合いは避ける。ディフェンス&ジャブでマクニーリーが丁寧な試合ぶり。ローガンは左フックを当てるなど悪くはないが、単発のヒット。そのうえ機敏さ、相手を追い掛けるスピードに欠けるのが惜しい。終盤は接近戦で打ち合い、一進一退。10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。マクニーリーが慎重ながら時には激しく打ち合う戦いぶりで勝利。ローガンもテクニックを持っていたが、もっとスピードがあればといったところだった。その後の二人。ローガンは中堅を相手に勝ったり負けたりに。1962年4月23日、若きカシアス・クレイ(モハメド・アリ)に4RでTKO負け。1965年に引退し、警官になった。マクニーリーは全勝のままフロイド・パターソンの世界ヘビー級王座に挑戦したが、4RでKO負け。以後も試合。『リング』誌から評価されていたときもあったが、ダグ・ジョーンズ、オスカー・ボナベナに敗れるなど勝ったり負けたりに。ローカル王座を何とか獲得できた。)


ピーター・マクニーリー 1R TKO ジェリー・アレンゼン

(ヘビー級4回戦、1992年4月)

マクニーリー:左ジャブ、右ストレート、左右フック   

アレンゼン:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(ダウンシーン)

1R:フック連打、左フックで2度、アレンゼンがダウン

(感想:マサチューセッツ州メドフィールド出身のマクニーリーはトムの息子で、見た目の感じがかつての「ホワイトホープ」ジェリー・クーニーっぽい男(データによると身長が父と同じ)。デビューから5連勝(5KO)。アレンゼンはニュージャージー州出身で2勝(1KO)3敗1分。コネチカット州マシャンタケットでの白人同士の一戦。フック連打で仕掛けるアレンゼン。応戦するマクニーリー(オヤジさんとは違って、ゴツいパンチを振るうタイプ)。アレンゼンがフックで二度ダウン。立ったが、コーナー付近で連打されてレフェリーストップ。まるでケンカのようだった試合。勝ったが、マクニーリーは打たれるシーンも。その後の二人。アレンゼンはマイケル・ベント(後のWBO世界ヘビー級王者)、ジェレミー・ウィリアムス(後、WBO世界ヘビー級王座に挑戦してKO負け)にKOされるなど全敗。マクニーリーはマイク・タイソンと戦ってアッサリ敗北。バタービーン、ヘンリー・アキンワンデにKO負け。戦績は悪くなかったが、トップクラスには敵わず(まだクーニーの方が良い選手だった)。)


①「Heavyweight 

Tom McNeeley vs. George Logan」

②「Heavyweight 

Tom McNeeley vs. George Logan」

③「Heavyweight 

Peter McNeeley vs. Jerry Arentzen」

 

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