伝説のミドル級。ホーリー・ミムズ戦、ホセ・ゴンザレス戦、ジョーイ・ジャーデロ戦(世界戦)ほかを紹介します。
ルービン・カーター(アメリカ)
身長173cm:オーソドックス(右構え)
①ルービン・カーター 10R 判定 ホーリー・ミムズ
(ミドル級戦、1962年)
カーター:左ジャブ、右ストレート、フック
ミムズ:左ジャブ、右ストレート、フック
(ダウンシーン)
4R:右ストレートでカーターがダウン
(感想:カーターはニュージャージー州クリフトン出身の黒人。身長は173cmだが、リーチは183cm。坊主頭で上半身のゴツさがあり、そのファイトぶりは例えるならばアイラン・バークレーといったところか。なかなか厳しい人生を送ったことであまりにも有名(映画化されたほど)。犯罪で少年院に。逃走し、軍人に。そこでボクシングを始めてプロになろうとしたが、脱走歴があることがバレて収監。そして1961年にプロデビュー(判定勝ち)。判定での敗北もあったが、実力をつけていく。このところ三連続KO勝ち。ミムズはワシントンD.C.の黒人で、当時の実力者。身長は170cm。1948年のデビュー戦は引き分け。二戦目は判定負け。経験を積み、連勝したことも。1951年、あのシュガー・レイ・ロビンソンに判定負け。その後も判定負けはあったが、ライバルたちと多くの試合。ジョーイ・ジャーデロに判定負け、ジョージ・ベントンに判定勝ち、ディック・タイガーに判定負け、後のWBA世界ヘビー級王者ジミー・エリスと一勝一敗。全盛期をやや過ぎたが、このところ連勝でカーター戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。前傾姿勢で前進し、ジャブ、ストレートのカーター。接近してパワフルな左右フック、打ち下ろすような右ストレート。打ち方も良く、ダッキングといったディフェンスもできる。ミムズは柔軟な動きが武器ということだが、相手のパワーに押されて1Rから左フックを食ってピンチ。2Rからは足を使って距離を取ろうとする。4R、もみ合いの中、右ストレートでカーターがダウン。しかし、その後はカーターが接近してのフック、コンビネーション(右ストレートからの左ボディ、左フックからの右ストレート)で優勢。10R終了。判定は3-0。カーターが攻撃力で勝利。しかし、ダウンを食った。攻めが単調なところがあるのが原因か? ミムズは元々パワーはあまりなく、テクニックで勝負するタイプなのではないか? パワー不足で押されるシーンが多かった。しかし、ダウンを奪って意地を見せた。その後、ミムズはエミール・グリフィス、ジョーイ・アーチャー、ルイス・マヌエル・ロドリゲスに判定負けしたが、中堅どころに連勝して引退(1967)。しかし、戦いすぎたか、1970年1月13日、腎臓疾患のため42歳で死去。)
②ルービン・カーター 10R 判定 ゴメオ・ブレナン
(ミドル級戦、1963年)
カーター:左ジャブ、右ストレート、フック
ブレナン:左ジャブ、右ストレート、左フック
(感想:ミムズ戦の次の試合。ブレナンはバハマのビミニ出身の黒人。トレーナーはアンジェロ・ダンディ。1956年、フロリダ州マイアミ・ビーチでデビュー(KO勝ち)。以来、マイアミとバハマを主戦場に多くの試合。後の世界ウェルター級王者ルイス・ロドリゲスに判定負け、ウォレス・バッド・スミスにTKO勝ち、ホーリー・ミムズに判定負け。そこから連勝だったが、直前の試合でウィルバート・マクルーアに判定負け。これまで判定負けはあるが、KO負けは一度もなし。「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。共に速いジャブ。カーターは誰とやっても同じスタイルらしく、攻めの姿勢で左フックからの右ストレート、斜め下からの左フックなど。ブレナンは足を使ってアウトボクシング。左フックダブルからの右ストレートといった良いコンビネーションを持っているが、あまり自分から攻撃を仕掛けない。カーターも不発。攻めるが、ディフェンスされたり、クリンチされたり。9Rに大きな見せ場。ワンツーを食って足に来たカーターが連打されてピンチ。しかし、10Rもカーターは攻める。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。勝ったが、打たれて危なかったカーター。勇ましいのはいいが、攻め一辺倒は危ない。ブレナンはその逆。粘るが、勝てない試合ぶり。その後もブレナンは精力的に多くの試合。決定戦で英連邦王座(ミドル級)獲得、世界王者になる前のホセ・トーレスに2-0の敗北、中堅相手に連勝。1971年10月、ビセンテ・ロンドンのWBA世界ライトヘビー級王座に挑戦してTKO負け。再起戦に判定負けして引退。KO負けはキャリア末期のロンドン戦のみだった。)
③ホセ・ゴンザレス 7R TKO ルービン・カーター
(ミドル級戦、1963年)
カーター:左ジャブ、右ストレート、フック
ゴンザレス:左ジャブ、右ストレート、フック
(感想:ブレナン戦の次の試合。ゴンザレスはプエルトリコ・アロヨ出身。1959年デビュー。主戦場はニューヨーク。ルイス・ロドリゲス(後の世界ウェルター級王者)にTKO負け、ジョーイ・アーチャーと一勝一敗。このところ二連勝でカーター戦。「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。開始から接近戦。フックでの打ち合い。カーターが一発ずつパワーを込め、左フックからの右ストレートなど。ゴンザレスはややトリッキーな動きを入れながらフック連打で応戦。パワーで押すカーター。連打&クリンチのゴンザレス。もみ合うような接近戦が続く。5R、カーターが激しく連打。6Rには豪快な左フック。ゴンザレスはボディ連打で対抗。このラウンド終了後、カーターがキズにより棄権(ダウンシーンは無し)。ゴンザレスがラッキーな勝利。パワーで押していたカーターだが、倒すどころか敗北。相手に粘られてしまった。その後のゴンザレス。好調だったが、エミール・グリフィス、ホセ・トーレスに判定で二連敗。ディック・タイガーにTKO負け、ドン・フルマーに判定勝ちでWBAアメリカ王座(ミドル級)獲得。その後は勝ったり負けたりになったが、ベニー・ブリスコ、ルイス・ロドリゲス(再戦)、ユージン・ハートといった実力者に勝利した。)
その後のカーター
ゴンザレス戦の次の試合であのジョージ・ベントンに判定勝ち。ジョーイ・アーチャーに2-1で敗北。その再起戦でエミール・グリフィスを何と1RでTKO。その次の相手は後のWBA世界ヘビー級王者ジミー・エリスで3-0の勝利。更にTKO勝ちでついに念願の世界初挑戦。
④ジョーイ・ジャーデロ 15R 判定 ルービン・カーター
(世界ミドル級タイトル戦、1964年)
カーター:左ジャブ、右ストレート、フック
ジャーデロ:左ジャブ、右ストレート、左フック
(感想:ジャーデロがタイトル初防衛。王者ジャーデロはニューヨーク・ブルックリン出身の白人(イタリア系)。1948年、デビュー。以来、多くの試合。ナイジェリアのディック・タイガーと一勝一敗の後、1960年にジーン・フルマーのNBA世界ミドル級王座に挑戦したが、引き分け(互いにラフファイトで「史上最も汚い戦い」とされる試合)。1963年6月、あのシュガー・レイ・ロビンソンに判定勝ち。その次の試合でディック・タイガーから世界ミドル級王座奪取。すっかりベテランになり、カーターと初防衛戦。ペンシルベニア州フィラデルフィアでの一戦。共にゴツいパンチの持ち主だが、この試合のジャーデロは左のテクニックを使う作戦。足で距離を取って左ジャブを出すアウトボクシング。時折左フック、得意の右ストレート。カーターもジャブ。そしてパワフルなストレート、フック。しかしながら、空転。パワーを込めすぎて動く相手を捉えられない。強打をヒットさせるシーンもあるが、クリンチされて単発に終わる。また、ジャーデロに対抗してアウトボクシングをするが、ジャーデロはワンツーからの左フックなどで手数。左のテクニックのジャーデロ、パワーで前進のカーター。15R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。ジャーデロが器用さで勝利。元々パンチがあるため、時には正確かつパワーのあるところも見せた。カーターはパワーでは上だったが、敗北。パンチにはキレがあり、ディフェンスもできていた。やはりパワーを入れすぎると機動力が落ちるのであろう。勝てる試合を落としてしまった。その後のジャーデロ。二度目の防衛戦はディック・タイガーとの四戦目。これに敗れ、王座陥落。既にボロボロだったが、カムバック。しかし、余計なダメージを負って引退。)
その後のカーター
再起戦で元世界ウェルター級王者ルイス・ロドリゲスに判定負けして二連敗。ディック・タイガーに判定負けするなど勝ったり負けたりに。そして1966年6月17日、「ニュージャージー州で3人の白人を銃で撃ち殺した」として逮捕。刑務所で自伝を執筆し、無実を訴え続けた。長年の服役後、「冤罪」が認められて世間の大きな話題に。その獄中での戦いはデンゼル・ワシントン主演『ザ・ハリケーン』(1999年)で映画化された。
①「Middleweight
Rubin Carter vs. Holly Mims」
②「Middleweight
Rubin Carter vs. Gomeo Brennan」
③「Middleweight
Rubin Carter vs. Jose Gonzalez」
④「World Middleweight Title
Joey Giardello vs. Rubin Carter」
ジョーイ・ジャーデロ(Joey Giardello)のページ
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ジョージ・ベントン(George Benton)のページ







