2026年5月22日金曜日

ミッキー・ウォーカー(Mickey Walker)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ウェルター、ミドル級王者。ヘビー級にも挑戦した豪傑。トミー・ローラン戦、マックス・シュメリング戦ほかを紹介します。


ミッキー・ウォーカー(アメリカ)

身長170cm:オーソドックス(右構え)

ミッキー・ウォーカー(Mickey Walker)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ミッキー・ウォーカー 10R KO トミー・ミリガン

(世界ミドル級タイトル戦、1927年6月)

ウォーカー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ミリガン:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ウォーカーがタイトル初防衛。「トイ・ブルドッグ」と呼ばれたウォーカー。こんな無茶苦茶な男も珍しい。身長170cm。世界ウェルター王者になり、ヘビー級でも勝負。挑戦されたヘビー級の選手たちも困っただろう。こんな小さい選手を思いっ切り殴るワケにはいかない(かつてミドル級のスタンリー・ケッチェルがヘビー級王者ジャック・ジョンソンと戦ったが、ジョンソンは手加減。ケッチェルの不意打ちに怒ったジョンソンが全力でケッチェルをぶちのめし、ケッチェルは酷い状態になった)。ニュージャージー州エリザベス出身。本名「エドワード・パトリック・ウォーカー」だが、なぜか「ミッキー」と呼ばれるように。正式なボクシングの訓練もアマチュアの経験も無しでプロ入り(1919年)。タフネス&パワーの自己流ファイト。ただ、頭の回転は速かったという。1922年11月1日、ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」で世界ウェルター級王者ジャック・ブリットンに挑戦。何度もダウンを奪い、15ラウンド判定勝ち。21歳で初の世界タイトル獲得。1925年 7 月 2 日、ニューヨーク「ポロ・グラウンズ」で世界ミドル級王者「人間風車」ハリー・グレブに挑戦。判定で敗れ、二階級制覇ならず。世界ウェルター級王座をさらに防衛したが、王座陥落。1926年12月3日、世界ミドル級王者タイガー・フラワーズ(グレブを破って王座獲得)に判定勝ちで二階級制覇。挑戦者ミリガンはスコットランドの白人。1924年11月26日、テッド・キッド・ルイスを判定で破って英国・英連邦・欧州王座(ウェルター級)を一気に獲得。さらに欧州ミドル級王座も獲得。英国・英連邦ミドル級王座も獲得してウェルター級に次いでミドル級でも統一王者に。その勢いでウォーカーに挑戦。英国ケンジントンでの一戦(短いハイライト映像で観戦)。ウォーカーは豪快なボクシング。振りの大きいフック、そして意外にキレイな打ち方で速いワンツー。ミリガンは接近してフック連打、ボディ連打。大きなパンチでウォーカー優勢。右カウンター、フックで何度もミリガンをダウンさせ、最後は強烈な左フックで完全KO。「荒っぽいケンカファイトの男」というのがウォーカーのイメージだが、荒っぽいのはフック攻撃。ワンツーはいつの時代でも通用するキレ味だった。ミリガンは手数を出して頑張ったが、マトモに打たれてしまった。その後のミリガン。このKO負けでエネルギーが消え去ったのだろう。再起戦に勝利したが、英国・英連邦・欧州ミドル級王座防衛戦で反則負け、王座陥落。英国王座の奪回を狙ったが、1RでKOされて引退(1928年8月)。)


トミー・ローラン 10R 判定 ミッキー・ウォーカー

(世界ライトヘビー級タイトル戦、1929年3月)

ウォーカー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ローラン:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ローランがタイトル防衛。ミリガン戦後も連勝のウォーカー。この男はなかなかのチャレンジャー。ミドル級王座を保持したままライトヘビー級に挑戦。王者ローランは「亡霊」のニックネームを持つ男で、ディフェンス&左のテクニックで相手に打たせない試合をする。相手からするとやりにくいタイプだが、ウォーカーがどんな攻めを見せるか? イリノイ州シカゴでの一戦。独特の構え方のローラン。アップライトな姿勢。両手を下げた低いガードで左腕を前に突き出す構え。ジャブ連打、フック、ねじ込むように打つ右ストレート、打ち下ろすようなワンツー。相手の攻撃はスウェーやクリンチで阻止(まるでクリチコ兄弟のよう)。ウォーカーは相手の大きさを意識しているのか接近してフック攻撃。一発狙いの攻め方で、かわされたり、クリンチされたりで単発に終わる。ただ、右フックカウンター、左フックを当てるシーンも。判定は2-1。攻めが雑だったウォーカー。ミリガン戦のようなワンツーが見られなかったのが惜しい。ローランはその後、ヘビー級に挑戦。ジャック・シャーキーに判定勝ちしたり、ペンシルベニア州ヘビー級王座を獲得したりといった活躍はあったが、プリモ・カルネラの世界ヘビー級王座への挑戦は判定負けでヘビー級制覇ならず。)


ミッキー・ウォーカー 10R 判定 エイス・ハドキンス

(世界ミドル級タイトル戦、1929年10月)

ウォーカー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ハドキンス:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ウォーカーがタイトル防衛。挑戦者ハドキンスはネブラスカ州バルパライソ出身の白人。ニックネームは「山猫」。1922年にデビューし、当時はライト級。ローカル王座を獲得、防衛。徐々に階級を上げ、ベテランのルー・テンドラーに判定勝ちするなど連勝の勢いでウォーカーの王座に挑戦したが、2-1の敗北。その再起戦で敗れた相手に雪辱して、再びウォーカーに挑戦。カリフォルニア州ロサンゼルスでの一戦。相撲のような押し合い、左右フック攻撃の応酬。同じように打ち合う両者。ウォーカーが足で距離を取ってカウンターで迎え撃つ作戦。ジャブ、フックで攻めてくるハドキンスにジャブカウンター、フック。10R終了後、レフェリーがウォーカーの手を上げた(判定はPTS)。ウォーカーは闇雲に打ち合う選手ではない。相手の勢いを受けながら正確に反撃して勝利。「作戦勝ち」といったところ。ハドキンスは積極的で悪くはなかったが、攻めが正直すぎたか。その後、ハドキンスはウォーカーと同じような道。ライトヘビー級の体格でヘビー級に挑戦。カリフォルニア州ヘビー級王座を獲得できたが、防衛ならず。プライベートでは酒場を経営したり、競走馬を多数所有したりで成功していたようだが、暴行事件を起こす。銃で撃たれる事件もあり、引退。)


マックス・シュメリング 8R TKO ミッキー・ウォーカー

(ヘビー級戦、1932年9月)

ウォーカー:左ジャブ、右ストレート、フック   

シュメリング:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

1R:ワンツーでウォーカーがダウン

8R:ワンツー、左フック連打で2度、ウォーカーがダウン

(感想:ハドキンスとの再戦後、連戦連勝のウォーカー(「史上最強」と呼ばれる所以)。ミドル級に相手がいないということなのか、ヘビー級に挑戦。ジャック・シャーキーとドロー、パウリノ・ウズクドゥンに判定勝ち、ジョニー・リスコに判定負けで久々の敗北。再起戦にKO勝ちしてシュメリング戦。シュメリングはドイツのクライン・ルッコー出身。ジャック・シャーキーに反則勝ちでヘビー級史上初めて「反則勝ちで世界王座を獲った男」に。シャーキーとの再戦に敗れ、王座陥落。再起戦でウォーカーと対戦。身長170cmのウォーカー。シュメリングは185cm。身長以外にも大きな差があるはず。ニューヨーク州クイーンズ「Madison Square Garden Bowl」での一戦。1R、ゴツい身体に仕上げてきたウォーカー。左フック連打、左ボディ打ち、右ストレート。左ジャブに速さ。シュメリングもジャブ、右ストレート、左フック。接近してショートフック連打。やはりパワー、身体全体の差が。ワンツーでウォーカーがダウン。2Rにも右を食ってウォーカーがグラつく。その後、接近戦が続く。互いにフック、ボディ打ち、もみ合い。シュメリングの右カウンター、右ストレートでウォーカーがピンチ。8R、ワンツーウォーカーがダウン。立ったが、今度は左フック連打でダウン。フック攻撃で何とか抵抗したウォーカーだが、このラウンド終了後に棄権。両目がふさがり、出血もひどかったという(モノクロ映像ではよくわからなかった)。シュメリングがヘビーなパワーで圧勝。普通に打ったヘビー級のパンチも下の階級から上がってきた者には脅威。これは当然の結果。その後の二人。シュメリングは次の試合でマックス・ベアにTKO負け。その次の試合は判定負け。ドイツで連勝後、大きなサプライズ。世界王者になる前のジョー・ルイスにKO勝ち。しかし、世界王者になったルイスに挑戦して1Rで無惨なKO負け。その後はドイツでの欧州王座&ドイツ王座戦で勝利。世界王者にはなれたが、「ヨーロッパのトップ」といったキャリアだった印象。ウォーカーはさすがにヘビー級ではキツかったか、再びライトヘビー級へ。1933年11月3日、「マジソン・スクエア・ガーデン」で世界ライトヘビー級王者マキシー・ローゼンブルームに挑戦したが、3-0で敗北。結局、三度の世界ライトヘビー級王座への挑戦は実らず、三階級制覇ならず。後にローゼンブルームに勝利したが、ノンタイトル戦だった。プライベートでは遊びで財産を使い果たし、キャリアの終わり頃には無一文。様々な職に就きながら趣味の絵とゴルフを楽しんだが、最後は身体の不調。1981 年 4 月 21 日、79 歳没。)


①「World Middleweight Title

Mickey Walker vs. Tommy Milligan」

②「World Light Heavyweight Title

Tommy Loughran vs. Mickey Walker」

③「World Middleweight Title

Mickey Walker vs. Ace Hudkins」

④「Heavyweight 

Max Schmeling vs. Mickey Walker」

 

2026年5月21日木曜日

ゾラ・フォーリー(Zora Folley)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ヘビー級。全盛期のアリの世界王座に挑戦した男。ヘンリー・クーパー戦(初戦)、ダグ・ジョーンズ戦(再戦)ほかを紹介します。


ゾラ・フォーリー(アメリカ)

身長185cm:オーソドックス(右構え)

ゾラ・フォーリー(Zora Folley)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ゾラ・フォーリー 10R 判定 ウェイン・ベサ

(ヘビー級戦、1956年12月または1957年1月)

フォーリー:左ジャブ、フック   

ベサ:左ジャブ、フック

(感想:長期に渡ったモハメド・アリの時代。アリの全盛期は「デビューから世界王座を剥奪される前」というのが定説。ベトナム戦争行きを拒否して王座を剥奪されたアリ。剥奪前の最後の防衛戦の相手を務めたのがフォーリー。実力者が充実した時代に多くの名のある選手と対戦(ソニー・リストン、ジョージ・シュバロ、ボブ・フォスター、オスカー・ボナベナ、エディ・マッチェン、ニノ・バルデスら)。フロイド・パターソン時代に世界王座に挑戦しようとしてできなかった不運。テキサス州ダラス出身。陸軍に入隊してボクシングを始める。朝鮮戦争に従軍。軍の大会で優勝。除隊後、1953年にプロデビュー。身長は185cmでまずまずだが、リーチは196cm。それを武器にデビューから連勝。1955年6月、ダウンを喫した末、TKO負けで初黒星。三連勝後、今度は肋骨を折ってTKO負け。復帰後、ニノ・バルデスに勝利。ベサはサウスカロライナ州ディロン出身の黒人。大ベテランの元世界王者エザード・チャールズに判定勝ちするなどこのところ連勝中。ニューヨークでの一戦(短いハイライト映像で観戦)。接近してフック、ボディ打ちのベサ。フォーリーは距離を取って戦いたいらしく、ジャブを出す。しかし、しつこく接近されてボディ打ちで反撃したり、クリンチしたり。接近戦でのもみ合いが続く。判定は2-1(二連戦とも)。動きのスピードに欠けていた両者。映像が試合の前半だったのか、後半だったのかにもよるが、冴えない試合ぶりだった印象。その後、ベサはハロルド・ジョンソン、ニノ・バルデス、ソニー・リストンに敗北。後のWBA王者アーニー・テレルに勝利。一定の実力はあった。)


ヘンリー・クーパー 10R 判定 ゾラ・フォーリー

(ヘビー級戦、1958年10月)

フォーリー:左ジャブ、右ストレート、左フック   

クーパー:左ジャブ、右ストレート、左フック

(ダウンシーン)

3R:右フックでクーパーがダウン

(感想:ベサとの二連戦後、連勝だったフォーリーだが、エディ・マッチェンとドロー。二連勝で、クーパー戦。クーパーはロンドンのランベス出身の白人。英国王座、英連邦王座、欧州王座を狙ったが、全て失敗の過去。英国ウェンブリーでの一戦(ハイライト映像で観戦)。同じタイプの二人。距離を取ってジャブ。動きのスピードも同じぐらい(速くはない)。クーパーは左のテクニックを使う(左ジャブを連打して左フック)。フォーリーは右カウンター、ワンツーといった右パンチ。3R、連打からの右フックでクーパーがダウン。その後、フォーリーは斜め下からの左フックに迫力があるが、不発。10R終了でレフェリーはクーパーの手を上げた(PTSによる判定)。カットされた映像のため全体像がわからないのが残念だが、どうやらクーパーが左のテクニックで勝ったようだ(出血しやすいタイプのクーパー。この試合でも出血サービスだったらしい)。フォーリーはどうもイマイチな男。ジャブを使う正統派で、フックに威力。しかし、動きの躍動感に乏しく、スムーズさに欠ける。プロボクシングは興行。フロイド・パターソンとの世界戦が実現しなかったのはこの試合が原因とされるが、そもそもフォーリーに「挑戦者としての魅力」が欠けていたからなのではないかという気がする。その後のクーパー。フォーリーに勝って自信をつけたらしく、英国王座、英連邦王座奪取。フォーリーとの再戦はKO負け。そして、若き日のモハメド・アリ(カシアス・クレイ)との試合で負傷TKOで負けたが、ダウンを奪う名シーン。欧州王座も獲得し、アリの世界王座に挑戦したがTKO負け。世界王者にはなれなかったが、欧州のヘビー級トップとして活躍した。)


ダグ・ジョーンズ 7R KO ゾラ・フォーリー

(ヘビー級戦、1960年12月)

フォーリー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ジョーンズ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

1R:フック連打でジョーンズがダウン

7R:ワンツーでフォーリーがダウン

(感想:クーパーとの初戦後、連勝だったフォーリーだが恐ろしい男が出現。後の世界ヘビー級王者ソニー・リストンに3RでKO負け。更にKO負けがあったが、クーパーをKO、ダグ・ジョーンズに判定勝ちするなど連勝。そしてジョーンズと再戦。ジョーンズはニューヨーク出身の黒人で、元軍人。プロ入り後、連勝だったが、エディ・マッチェンに判定で初黒星。その再起戦は空位の世界ライトヘビー級王座決定戦。ハロルド・ジョンソンに判定負けで王座獲得ならず。二連敗の状況でフォーリーに判定負け。後の世界ライトヘビー級王者ボブ・フォスターをKOしてフォーリーと再戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。1R、攻めの姿勢のジョーンズ。右パンチ(ストレート、フック)にパワーを込め、左フックからの右ストレートなど器用さも披露。フォーリーは右カウンターで対抗。接近戦。互いにフック、ボディ打ち。畳み掛けるフォーリー。フック連打でジョーンズがダウン。2R、ラッシュするフォーリー。フック攻撃に迫力。その後、ジャブ、ストレートの攻防。ジョーンズは攻撃のテンポの良さがあり、手数で先手を取る。フォーリーはパワーを入れるが、ショートパンチを当てる巧さも。7R、それまでと同じような一進一退の中、ワンツーでフォーリーがダウン。立とうとするが立てず、KO。ジョーンズが逆転勝利。積極的に先手を取っていったのが功を奏した。フォーリーは残念な男。パワーもあり、一気に攻める爆発力もあった。しかし、強いときとそうでないときの差が(慎重な性格なのだろう)。その後のジョーンズ。次の試合の相手はカシアス・クレイ(後のモハメド・アリ)で、判定負け。ジョージ・シュバロにTKO負け。WBA世界ヘビー級王者アーニー・テレルに挑戦して判定負け。後の世界王者ジョー・フレージャーにKO負け。トップには立てなかったが、名のある選手と対戦できた。)


その後のフォーリー

アーニー・テレルに判定負け、ジョージ・シュバロに判定勝ち、カール・ミルデンバーガーとドロー、オスカー・ボナベナ、ボブ・フォスターに判定勝ち。連勝の勢いでモハメド・アリの世界ヘビー級王座に挑戦したが、KO負け。再起二連勝でブライアン・ロンドン戦。


ブライアン・ロンドン 10R 判定 ゾラ・フォーリー

(ヘビー級戦、1967年11月)

フォーリー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ロンドン:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ロンドンは英国ハートルプール出身の白人。デビューから連勝だったが、ヘンリー・クーパーにTKO負けで初黒星。英国王座、英連邦王座を獲得したが、またしてもクーパーに敗北。その再起戦でフロイド・パターソンの世界ヘビー級王座に挑戦したが、KO負け(1959年)。以後はインゲマル・ヨハンソン、クーパーに敗北するなど勝ったり負けたり。ところがアリの王座に挑戦するチャンス。3RでのKO負けで王座奪取ならず。再起戦でジェリー・クォーリーに判定負け。その次の試合に判定勝ちでフォーリー戦。「アリに負けた」という共通点がある者同士のサバイバル戦。英国リバプールでの一戦。スピードがまるで無いフォーリー。ジャブ、ワンツーからの左ジャブ、ボディ打ちなど。ロンドンはジャブ、右ストレートからの左ジャブ、細かい連打。パワーで上回るフォーリーにロンドンが手数で対抗。接近戦ではもみ合い、クリンチ、ボディの打ち合い。10R終了。レフェリーがロンドンの手を上げた(判定はPTS。ダウンシーンは無し)。僅差でロンドンが勝利。ジャブが評価されたか。フォーリーはもう戦うべきではない。決め手に欠けるうえにスピード不足。攻めるときはそれなりに素早さはあったが、全体的に緩慢だった。その後の二人。ロンドンはジェリー・クォーリー、ジョー・バグナーにKOされるなど勝ち星無し。フォーリーはオスカー・ボナベナに判定で雪辱され、最後はマック・フォスター(後、来日。モハメド・アリとノンタイトル15回戦を行い、判定負け)に1RでKOされて引退。その後は9人の子を育てながら自動車販売の仕事。市議会議員を務めたことも。しかし、1972年7月7日に41歳で死去。プールサイドで転倒して頭を打ったという。事故死だが遺体の損傷がひどかったため、他殺の疑いもあるらしい。)


①「Heavyweight 

Zora Folley vs. Wayne Bethea」

②「Heavyweight 

Zora Folley vs. Henry Cooper」

③「Heavyweight 

Zora Folley vs. Doug Jones」

④「Heavyweight 

Zora Folley vs. Brian London」

 

モハメド・アリ(Muhammad Ali)のページ


2026年5月16日土曜日

ボビ-・キャシディ②(Bobby Cassidy)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ライトヘビー級。キャリア後半のキツい試合。ホルヘ・ビクトル・アフマダ戦、ラモン・ランケリョ戦(三戦目)を紹介します。


ボビ-・キャシディ(アメリカ)

身長180cm:サウスポー

ボビ-・キャシディ②(Bobby Cassidy)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ホルヘ・ビクトル・アフマダ 3R KO ボビ-・キャシディ

(ライトヘビー級戦、1974年1月)

キャシディ:右ジャブ、左ストレート、フック   

アフマダ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

3R:右フックでキャシディがダウン

(感想:ジミー・デュプリーと決着をつけたキャシディ。アフマダはアルゼンチンのゴドイ・クルス出身。後の世界王者ビクトル・ガリンデスらにKO負けはあったが、地元では好調(ガリンデスに判定勝ちしたことも)。主戦場をアメリカに移してからは全勝。キャシディをTKOしたホセ・ゴンザレスには3-0で勝利。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。フットワークを使うアフマダ。そして右ストレート、左フック。キャシディ(鮮やかなグリーンのトランクス)は誰が相手でも変わらない。ガードを上げて右ジャブ、左ストレート。左でカウンターを取る器用さも。互いにディフェンスしてやや噛み合わない展開。ただ、単発ながらアフマダの斜め下からの左フック、右ボディ打ちにパワー。3R、力強いフックで攻めるアフマダ。左フックからの右フックでキャシディがダウン 。立てず、カウントアウト。アフマダが豪快なKO勝ち。序盤は慎重姿勢で、3Rに一気に爆発した。キャシディはいつもと同じように見えたが、得意の左強打は不発に終わった(残念)。その後のアフマダ。三度の世界挑戦。しかし、ボブ・フォスターとドロー、ジョン・コンテ、ビクトル・ガリンデスに判定負けで王座奪取ならず。)


ボビ-・キャシディ 10R 判定 ラモン・ランケリョ

(ライトヘビー級戦、1978年3月)

キャシディ:右ジャブ、左ストレート、フック   

ランケリョ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

4R:左カウンターでランケリョがダウン

(感想:アフマダ戦後、連続KO勝ちするなど好調だったキャシディだが、ランケリョにTKO負け。再起戦はランケリョとの再戦で、3-0で雪辱。その後、三連勝でランケリョとの三度目の対決。ランケリョはメキシカン。勝ったり負けたりだが、キャシディと抗争。このところ四連勝中。ラスベガスでの一戦。似た体型(丸っこい身体)。右ストレート、右ボディ打ちで攻めるランケリョ。33歳のキャシディはワンツー、左カウンター、右フックなどを使うがパンチのキレ、パワーがもう一つ。接近戦。ボディの打ち合い。4R、左カウンターでダウンしたランケリョだが、あくまで前進。終盤は接近戦が多い。最終10Rも打ち合い。判定は3-0。キャシディが手数で競り勝った。負けたがランケリョには右ボディ打ちに良さがあった。その後の二人。ランケリョは元WBA世界ライトヘビー級王者マイク・ロスマンにTKO勝ち、後の世界ライトヘビー級、ヘビー級王者マイケル・スピンクスにTKO負け。中堅どころでキャリアを終えたが、ここぞというときに気合いが入るタイプだったようだ。キャシディは次の試合でニューヨーク州ライトヘビー級王者に。更に二連勝で引退。ジュニアミドル級、ミドル級、ライトヘビー級、クルーザー級で世界ランキング入りできたが、世界挑戦は一度も無し。通算戦績59勝(27KO)16敗3分1ノーコンテスト。引退後はトレーナーに。ドニー・ラロンデ、ロニー・ブラッドリーらを指導。映画『ロッキー』にも出演しているとか。2001年、ニュージャージー州ボクシング殿堂、2013年、ニューヨーク州ボクシング殿堂、2018年、フロリダ州ボクシング殿堂入り。息子はボクシング記者になった。)


①「Light Heavyweight 

Bobby Cassidy vs. Jorge Ahumada」

②「Light Heavyweight 

Bobby Cassidy vs. Ramon Ranquello」


ボビ-・キャシディ①(Bobby Cassidy)のページ

(ドン・フルマー戦、トム・ベセア戦、ジミー・デュプリー戦(三戦目))

 

2026年5月13日水曜日

ボビ-・キャシディ①(Bobby Cassidy)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ライトヘビー級。ニューヨークの白人サウスポー。ドン・フルマー戦、トム・ベセア戦、ジミー・デュプリー戦を紹介します。


ボビ-・キャシディ(アメリカ)

身長180cm:サウスポー

ボビ-・キャシディ①(Bobby Cassidy)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ボビ-・キャシディ 10R 判定 ドン・フルマー

(ライトヘビー級戦、1971年4月)

キャシディ:右ジャブ、左ストレート、フック   

フルマー:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:キャシディはニューヨーク州ロングアイランドのレビットタウン出身の白人サウスポー。1944年生まれ。アイルランド系であることからニックネームは「アイリッシュ」。アマチュアの経験無しでプロ入り(「職業は鉄鋼工」という資料。現役時代のことなのか、引退後のことなのかは不明)。1963年3月19日のプロデビュー戦は38秒でKO勝ち。ワンパンチKOだったという。以後、「マジソン・スクエア・ガーデン」などで多くの試合。中堅やベテランに勝利する一方、判定負けやKO負けも(圧倒的に強いワケではないようだ)。勝ったり負けたり連勝したり。1971年1月、大ベテランのルイス・マヌエル・ロドリゲスに2-1の敗北。再起戦はノーコンテストで、フルマー戦。フルマーは世界ミドル級王者になったジーン・フルマーの弟。ユタ州ウェストジョーダン出身。アマチュアで65戦無敗。1957年、ウェストジョーダンでプロデビュー(TKO勝ち)。パワーとディフェンスのテクニックで多くの試合。エミール・グリフィス、ホセ・トーレス、ディック・タイガー、ジミー・エリス、ニノ・ベンベヌチ(世界ミドル級王座戦。判定負け)らと対戦。ベンベヌチ戦後はもう一つだが、経験は充分。ニューヨークでの一戦。速い右ジャブ、左ストレートで先手を取るキャシディ。ダッキングしながら接近して左右フック連打。基本的には距離を取って戦いたい様子。フルマーはタンクトップ姿(アマチュアの試合かと。プロの試合でシャツを着ているのは珍しい)。ジャブを使いながらゴツい右フック、ワンツー、左右フックボディ打ち。パンチにはキレもある。手数でキャシディ。フルマーは残念なことになぜか受け身の姿勢(慎重な性格なのだろう)。5R、左フックを食ってフルマーがグラつく。その後もパワーで上回りながらフルマーは単発な攻撃にとどまる。10R終了。判定は2-1。キャシディがジャブで勝利。先手を取る積極さがモノを言った。フルマーは凄まじい右パンチを効果的に使えないもどかしさ。結局、兄貴のように世界王者になれなかったが、その後もミドル、ライトヘビー級で試合。1973年までリングに上がった。)


ボビ-・キャシディ 10R 判定 トム・ベセア

(ライトヘビー級戦、1972年10月)

キャシディ:右ジャブ、左ストレート、フック   

ベセア:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

9R:左フックでベセアがダウン

(感想:フルマー戦の次の試合で後のWBC世界ミドル級王者ロドリゴ・バルデスにTKOされたキャシディ。プエルトリコの実力者ホセ・ゴンザレスにもTKO負け。ベセアと再起戦。ベセアはノースカロライナ州ランバートン出身の黒人。ニックネームは「爆弾」。1967年デビュー。当初はまずまずだったが、カルロス・モンソン、ルイス・マヌエル・ロドリゲスらに連敗するなど戦績が悪化。大きな番狂わせ。世界王者ニノ・ベンベヌチにノンタイトル戦でTKO勝ち。その次の試合でベンベヌチの世界ミドル級王座に挑戦したが、KO負け(1970年)。そこからビル・ダグラス(バスター・ダグラスの父)、ベニー・ブリスコ(マービン・ハグラーに「対戦した中で最もパンチが強かった男」と評された強打者)らに敗れるなど勝ったり負けたり。直前の試合はラスベガスで判定勝ち。「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦(レフェリーはトニー・ペレス)。開始から手数が多い二人。ベセアは実に積極的で、ジャブを使いながら接近して右ストレート。キャシディは距離を取ってジャブ、ストレートで対抗するが、接近戦にフックで応戦したり、クリンチしたり。右ストレートを当てるベセア。時折連打をまとめ、左フックにパワーがあるキャシディ。共に良いパンチを持っているが、KOを狙うような攻めではない印象。9R、激しい打ち合い。ラウンド終了間際、左フックでベセアがダウン。10Rも激しく接近戦。判定はPTS。キャシディが左パンチのパワーで勝利。ベセアはよく前に出たが、攻め方が単調だったか。その後もベセアはリングへ。連勝でビル・ダグラスに判定で雪辱できたが、後の世界王者マービン・ジョンソン、マイケル・スピンクス、マービン・カメルら次世代の選手に連敗してキャリアを終えた。) 


ボビ-・キャシディ 10R 判定 ジミー・デュプリー

(ライトヘビー級戦、1973年9月)

キャシディ:右ジャブ、左ストレート、フック   

デュプリー:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

2R:左フックで2度、デュプリーがダウン

7R:左フックでデュプリーがダウン

8R:右ストレートでキャシディがダウン

(感想:ベセア戦後、デュプリーにドロー、判定負けのキャシディ。デュプリーと三度目の対戦。デュプリーはサウスカロライナ州チャールストン出身の黒人。ニックネームは「猫」。ニューヨークが主戦場で戦績はおおむね良好。1971年、ベネズエラのカラカスでビセンテ・ロンドンとWBA世界ライトヘビー級王座決定戦を行ったが、KO負け。再起戦で北米ライトヘビー級王者になり、初防衛。二度目の防衛戦でマイク・クォーリー(ヘビー級の実力者ジェリー・クォーリーの弟)に敗北。以後はノンタイトル戦。キャシディと決着戦。ニューヨークでの一戦。キャシディがいつものように右ジャブ、左ストレート。デュプリーはダッキングしながらジャブ、ワンツー、左フック。やや動きのスピードに欠け、ストレートは押すような打ち方。ただし、踏み込んで打つ右ストレート、接近戦での斜め下からのフックに威力があり、キャシディはクリンチで対応。2R、接近戦での左ショートフックでデュプリーがダウン。立ったが、更に左フックでダウン。7R、左フックが効いたデュプリー。追撃の左フックでダウン。どうやらデュプリーはスロースターター。次第に動きに柔軟さ、パンチにパワー。8R終了直前、右ストレートでキャシディがダウン。10R、接近戦。キャシディが左強打。10R終了。判定は3-0。キャシディが早いラウンドでダウンを奪い、優勢に試合を進めて勝利。デュプリーはしゃくるような右フックにキャシディをKOできそうなパワーがあったが、仕掛けるのが遅かったのが残念。その後のデュプリー。再起戦はドロー、その次の試合は北米ライトヘビー級王座戦。かつて保持した王座の奪回を狙ったが、1RでTKO負け。それが最後の試合に。引退後、ニュージャージー州のボクシング殿堂入り(ニュージャージーでも試合をしたことが評価された?)。)


①「Light Heavyweight 

Bobby Cassidy vs. Don Fullmer」

②「Light Heavyweight 

Bobby Cassidy vs. Tom Bethea」

③「Light Heavyweight 

Bobby Cassidy vs. Jimmy Dupree」

 

2026年5月8日金曜日

ベニー・レナード(Benny Leonard)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ライト級王者。「ゲットーの魔術師」。ルー・テンドラー戦(初戦)、ジミー・マクラーニン戦を紹介します。


ベニー・レナード(アメリカ)

身長165cm:オーソドックス(右構え)

ベニー・レナード(Benny Leonard)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ベニー・レナード 12R 判定 ルー・テンドラー

(世界ライト級タイトル戦、1922年7月)

レナード:左ジャブ、右ストレート、フック   

テンドラー:右ジャブ、左ストレート、フック   

(感想:レナードがタイトル防衛。ニューヨーク州ニューヨーク市イーストサイド出身のレナード。ユダヤ人ということで少年の頃はケンカを仕掛けられることが多かったという。身を守るために始めたボクシングで結果的に成功。「ライト級史上最強」「魔術師」と呼ばれるようになった。デビュー当初はKO負けしたが、次第に戦い慣れてきた。数年に渡って連勝、多くの試合。1917年5月28日、世界ライト級王者フレディ・ウォルシュとのノンタイトル戦でKO勝利。面白いことに「ノンタイトル戦でも両者の体重がリミット内で、かつKO勝ちすればタイトルが移動する」という変則ルールがあり、レナードが新王者に。昔はのんびりした時代で世界王座の防衛戦は年に一度ぐらいのペース。その分、ノンタイトル戦を精力的に行い、月に三度試合したことも(二階級制覇を目指した世界ウェルター級王者ジャック・ブリットンへの挑戦は敗北)。テンドラー戦はキャリア後半の防衛戦。挑戦者テンドラーはペンシルベニア州フィラデルフィア出身の白人サウスポー。身長は168cmでレナードとそれほど変わらないが、リーチは178cmある。1913年デビュー。以来、新聞判定による負けはあったが、好調(「新聞判定」とはKOで決着がつかなかった場合、報道関係者が「どちらが優勢であったか」を決めるもの。公式記録は「ドロー」になるが、新聞判定により両者の実力差をある程度うかがい知ることができる)。後の世界バンタム級王者ピート・ハーマンとも対戦。1919年10月21日、反則で初黒星。更に連勝後、1921年10月21日にPTSによる判定で敗北。1922年4月10日には二度目の反則負け。そして、このレナードへの挑戦。ようやく訪れたチャンス。ニュージャージー州ジャージー・シティでの一戦。共にスリムな身体。左右の構えは違うが、似たような戦い方。シャープなジャブ、ストレート、フック連打。レナードは古い時代の選手らしい、やや後ろにのけぞった姿勢、左手を前に出す構え。アマチュアボクサーのように足でリズムを取って突き刺すような左ジャブ、右ストレート。テンドラーも負けじと右ジャブ、左ストレート。ディフェンスは共にバックステップ、クリンチなど。接近戦ではフックの打ち合い。互いに譲らず。しかし、やはりレナード。ジャブ、右カウンターを当てる巧さがあり、斜め下からのフックには威力。12R終了。KO決着でなかったため、ドロー。レナードが新聞判定で勝利(ダウンシーンは無し)。共に良さがあったが、当てる巧さなど微妙なところでレナードが上だった。テンドラーはもう少しパワーがあればといったところ。その後、両者は再び世界王座を懸けて戦い、3-0でレナード勝利。テンドラーはその後も多くの試合。ミッキー・ウォーカーのNBA世界ウェルター級王座に挑戦したが、3-0の敗北に終わった。)


その後のレナード

テンドラーとの再戦に勝利して王座を防衛したレナードだが、1925 年 1 月 15 日、引退を発表、世界ライト級タイトル返上。母が病気になった、というのも引退を決めた理由の一つ。結果的にテンドラーとの再戦が最後の世界戦に。資産があり、悠々自適。ところが1929年の大恐慌。資産を失い、引退から約7年後に35歳でカムバック。連戦連勝。ただ、冴えない試合、不透明な結末になった試合もあり、観客のブーイングを浴びることも。


ジミー・マクラーニン 6R TKO ベニー・レナード

(ウェルター級戦、1932年10月)

レナード:左ジャブ、右ストレート、フック   

マクラーニン:左ジャブ、右ストレート、フック   

(ダウンシーン)

3R:左フックでレナードがダウン

(感想:復帰ロードのレナードが有望株と勝負。マクラーニンは英国ヒルズバラ出身の白人。1923年、カナダでデビュー。主戦場をアメリカに。連勝だったが、判定で敗れることも。1928年5月21日、サミー・マンデルの世界ライト級王座に挑戦して判定負け。その後も勝利しては判定負け。直前の試合は2-1の敗北。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦(観衆19,000人。ハイライト映像で観戦)。髪が薄くなり、丸っこい身体になったレナード。左手を前に出す構えは昔と変わらないが、動きやパンチのキレが無い。マクラーニンは荒々しい男。前進し、大振りの左右フック(強いが、隙がある。それが判定負けしてきた理由か?)。1Rから左フックを食ってピンチのレナード。3Rに右ストレートからの左フックでダウン。その後も勢いでマクラーニン。6R、右フックを食って動きが止まったレナード。左フックを連打されてレフェリーストップ。マクラーニンがパワーで勝利。レナードはテクニックでカバーしようとしたが、相手の勢いを止めるだけのパワー、スピードは無かった。その後の二人。マクラーニンはヤング・コーベット3世をKOして世界ウェルター級王者に。バーニー・ロスとの王座をめぐる抗争。トニー・カンゾネリとの二連戦。世界ライト級王者ルー・アンバースに勝利して引退。世界王座は一度も防衛できなかったが、中身の濃いキャリアとなった。レナードはこれで引退。マクラーニン戦で得たカネで少し経済的に楽になり、結婚もできた。ボクシング・インストラクターの仕事に就き、第二次世界大戦中は米国海兵隊の中尉として勤務。その後はニューヨーク州のレフェリーに。「名レフェリー」との評判を得たが、ニューヨークでのレフェリング中に心臓発作。そのまま死去(51歳没)。通算戦績180勝(69KO)21敗6分6無判定(推定)。1955年、『リング』誌の殿堂入り。1980 年、世界ボクシング殿堂入り。1990 年には国際ボクシング殿堂入り。)


①「World Lightweight Title

Benny Leonard vs. Lew Tendler」

②「Welterweight 

Benny Leonard vs. Jimmy McLarnin」

 

2026年5月1日金曜日

サム・ラングフォード(Sam Langford)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

伝説のヘビー級。ジョー・ジャネット戦、ジム・フリン戦、ビル・ラング戦を紹介します。


サム・ラングフォード(アメリカ)

身長171cm:オーソドックス(右構え)

サム・ラングフォード(Sam Langford)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ジョー・ジャネット戦

(感想:伝説の黒人ヘビー級ラングフォード。強すぎるため白人の世界王者は恐れをなしてラングフォードの挑戦を受けなかったという。身長171cmで小さい。ライト級でデビューし、ヘビー級の強豪に。カナダ・ノバスコシア州ウェイマス出身。1902年、マサチューセッツ州ボストンでプロデビュー。ノンタイトル戦で世界ライト級王者ジョー・ガンズに判定勝ち。王者「バルバドス」ジョー・ウォルコットと世界ウェルター級王座を争って引き分け。1906年4月26日、有色人種版・世界ヘビー級王座(大昔は世界ヘビー級王座は白人だけのもの。黒人用に「有色人種版・世界ヘビー級王座」があった)を懸けてジャック・ジョンソンと対戦。ダウンを食って判定負け。その後、ラングフォードがパワーアップしていったため、ジョンソンはラングフォードと再び戦おうとしなかったという。その代わりとなるライバルが。同じように黒人であるという理由で大きなチャンスが得られないハリー・ウィルスとの抗争。世界有色人種ヘビー級王座を懸けて勝ったり負けたり。ジョー・ジャネットもその王座を懸けて何度も対戦したライバル。古い映像があり、いつ行われたものかはわからないが内容を少し紹介。ジャネットはニュージャージー州ノース・バーゲン出身の黒人。身長178cmだが、リーチは192cmもある。鍛冶屋の父を手伝い、トラック運転手の仕事も。その後、ボクサーに。1904年、25歳でプロデビュー。以後、ラングフォード、ジャック・ジョンソン、ハリー・ウィルスといった強豪と何度も対戦。有色人種・世界ヘビー級王座をめぐる抗争を展開。映像ではそれほど魅力的ではない試合ぶり。身体はデカいが、長いジャブを出すのみ。相手に接近されてクリンチ。ラングフォードはあまりスピードのある選手ではない。丸っこい身体でジリジリ前進し、右ストレート、フック。例えるならば10年ぶりに復帰した時のジョージ・フォアマンのようなタイプ。ゴツい腕で頑丈なコブシ。強烈なコンビネーション(右フックからの左フック)。右フック、左フックで三度のダウンをジャネットから奪う。最終ラウンド終了でレフェリーはラングフォードの手を上げた(PTSによる判定でラングフォード勝利)。1919年にジャネットは引退。ニューヨーク州から認可され、アフリカ系アメリカ人初のジャッジに。ボクシングジムを経営し、ジム・ブラドックらを指導。車好きなことからジムを辞め、タクシー会社を経営。住んでいた町にはジャネットにちなんで名付けられた「ジャネット通り」があるそうだ。)


サム・ラングフォード 8R KO ジム・フリン

(ヘビー級戦、1910年3月)

ラングフォード:左ジャブ、右ストレート、フック   

フリン:フック

(ダウンシーン)

8R:フック連打でフリンがダウン

(感想:フリンはニュージャージー州ホーボーケン出身。本名は「アンドリュー・シャリグリオーネ」。ニックネームは「消防士」だが、鉄道関係の仕事をしていたそうだ。1893年のデビュー戦はKO勝ち。以後、連勝したり、KO負けを喫したり。1904年4月16日、KOでコロラド州王座(ヘビー級)獲得。1906年10月2日、トミー・バーンズの世界ヘビー級王座に挑戦してKO負け。1907年11月2日、ジャック・ジョンソンにKO負け。1908年12月21日、ラングフォードに1RでKO負け。再戦はドロー。そして、この三度目の対戦。カリフォルニア州バーノンでの一戦。開始から接近戦。相撲のような押し合いをしながらバカスカ打ち合う。ひたすらフック攻撃のフリン。対抗するラングフォードは斜め下からのフックなどパンチの正確さとパワーで上回る。中間距離ではラングフォードがジャブ、右ストレート。フリンは接近してフック。屋外リングで暑いのか、セコンドがバスタオルで選手をあおいで冷却。8R、フック連打でフリンがうつぶせにダウン。立てなかったらしく、KO(倒れたところで映像が切れ、試合後の騒然とした状況が映っていた)。ラングフォードがゴツいパワーで勝利。フリンはムチャな打ち合いを選択したが、この選手はそれがいつものパターンなのだろう。しかしその後はラングフォード戦を経験して強くなったか、連勝。1912年7月4日、世界王者になったジャック・ジョンソンに挑戦したが、反則負け(ジョンソンのホールドを嫌がって頭突きしたらしい)。その後も多くの試合を行ったが、勝ったり負けたりのタフなキャリア。1917年2月13日に大きな勝利。世界王者になる前のジャック・デンプシーを1RでKO(上手く隙を突いたらしい)。再戦は逆にデンプシーが1RでKO勝ち(報復された)。ラングフォードに二連敗したりしながら1925年まで戦った。通算戦績74勝(56KO)46敗22分。)


サム・ラングフォード 6R 反則 ビル・ラング

(ヘビー級戦、1911年2月)

ラングフォード:左ジャブ、右ストレート、フック   

ラング:左ジャブ、右ストレート、フック   

(ダウンシーン)

2R:左フックでラングがダウン

(感想:ラングはオーストラリア・メルボルン出身の白人で、パワーが売り物。1905年、デビュー(引き分け)。勝ったり負けたりを経験後、オーストラリア王座(ヘビー級)を獲得して連続防衛。1908年9月3日、トミー・バーンズの世界ヘビー級王座に挑戦してKO負け。その後もオーストラリア王座防衛(ボブ・フィッツシモンズもKO)。英連邦王座も奪取。しかし、またしてもバーンズに敗れて両王座から陥落。直前の試合は英連邦王座決定戦で、反則負け。英国ケンジントンでの一戦。相手のパワーを警戒するラング。フットワークで距離を取ったり、クリンチしたり。ラングフォードは歩いて距離を詰め、強いジャブ、右ストレート、回転の速いフック連打。ラングはジャブ、右カウンターでしのごうとするが、2Rにロープ際で左フックを食ってダウン。その後もプレッシャーを掛ける ラングフォード。ラングはクリンチ。途中までの映像。結果は反則(たぶん、クリンチだろう)。ラングフォードがパワーで勝利。動きのスピードはそれほどでもないラングフォード。「足を使って打ち合わない選手」とどう戦うのか、といったところだったが、ゆっくり歩いて相手を追い詰め、意外に速いフック連打で相手を圧倒(後のフォアマンとよく似た戦法)。速く動かなくても相手を追い込める剛腕があった。ラングは「パワーが売り物」ということだが、「上には上があった」といった結果に。その後もオーストラリア王座戦に出場。ローカルな活躍にとどまった。)


その後のラングフォード

多くの試合。1919年、ジャック・デンプシーが世界ヘビー級王者になったが、ラングフォードとの対戦は無し。次第に全盛を過ぎていくラングフォード。キャリアの終わり頃にはほとんど失明状態になり、1926年8月の試合でTKO負けして引退。引退後は貧困。ファンからの寄付で何とか暮らせるようになったとか。世界タイトルは獲得できなかったが、2020年8月13日にWBCがラングフォードを「名誉世界チャンピオン」に認定。通算戦績178勝(129KO)32敗40分。


①「Heavyweight 

Sam Langford vs. Joe Jennette」

②「Heavyweight 

Sam Langford vs. Fireman Jim Flynn」

③「Heavyweight 

Sam Langford vs. Bill Lang」

 

2026年4月29日水曜日

ルービン・ハリケーン・カーター(Rubin Carter)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

伝説のミドル級。ホーリー・ミムズ戦、ホセ・ゴンザレス戦、ジョーイ・ジャーデロ戦(世界戦)ほかを紹介します。


ルービン・カーター(アメリカ)

身長173cm:オーソドックス(右構え)

ルービン・ハリケーン・カーター(Rubin Carter)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ルービン・カーター 10R 判定 ホーリー・ミムズ

(ミドル級戦、1962年)

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

ミムズ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

4R:右ストレートでカーターがダウン

(感想:カーターはニュージャージー州クリフトン出身の黒人。身長は173cmだが、リーチは183cm。坊主頭で上半身のゴツさがあり、そのファイトぶりは例えるならばアイラン・バークレーといったところか。なかなか厳しい人生を送ったことであまりにも有名(映画化されたほど)。犯罪で少年院に。逃走し、軍人に。そこでボクシングを始めてプロになろうとしたが、脱走歴があることがバレて収監。そして1961年にプロデビュー(判定勝ち)。判定での敗北もあったが、実力をつけていく。このところ三連続KO勝ち。ミムズはワシントンD.C.の黒人で、当時の実力者。身長は170cm。1948年のデビュー戦は引き分け。二戦目は判定負け。経験を積み、連勝したことも。1951年、あのシュガー・レイ・ロビンソンに判定負け。その後も判定負けはあったが、ライバルたちと多くの試合。ジョーイ・ジャーデロに判定負け、ジョージ・ベントンに判定勝ち、ディック・タイガーに判定負け、後のWBA世界ヘビー級王者ジミー・エリスと一勝一敗。全盛期をやや過ぎたが、このところ連勝でカーター戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。前傾姿勢で前進し、ジャブ、ストレートのカーター。接近してパワフルな左右フック、打ち下ろすような右ストレート。打ち方も良く、ダッキングといったディフェンスもできる。ミムズは柔軟な動きが武器ということだが、相手のパワーに押されて1Rから左フックを食ってピンチ。2Rからは足を使って距離を取ろうとする。4R、もみ合いの中、右ストレートでカーターがダウン。しかし、その後はカーターが接近してのフック、コンビネーション(右ストレートからの左ボディ、左フックからの右ストレート)で優勢。10R終了。判定は3-0。カーターが攻撃力で勝利。しかし、ダウンを食った。攻めが単調なところがあるのが原因か? ミムズは元々パワーはあまりなく、テクニックで勝負するタイプなのではないか? パワー不足で押されるシーンが多かった。しかし、ダウンを奪って意地を見せた。その後、ミムズはエミール・グリフィス、ジョーイ・アーチャー、ルイス・マヌエル・ロドリゲスに判定負けしたが、中堅どころに連勝して引退(1967)。しかし、戦いすぎたか、1970年1月13日、腎臓疾患のため42歳で死去。)


ルービン・カーター 10R 判定 ゴメオ・ブレナン

(ミドル級戦、1963年)

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

ブレナン:左ジャブ、右ストレート、左フック

(感想:ミムズ戦の次の試合。ブレナンはバハマのビミニ出身の黒人。トレーナーはアンジェロ・ダンディ。1956年、フロリダ州マイアミ・ビーチでデビュー(KO勝ち)。以来、マイアミとバハマを主戦場に多くの試合。後の世界ウェルター級王者ルイス・ロドリゲスに判定負け、ウォレス・バッド・スミスにTKO勝ち、ホーリー・ミムズに判定負け。そこから連勝だったが、直前の試合でウィルバート・マクルーアに判定負け。これまで判定負けはあるが、KO負けは一度もなし。「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。共に速いジャブ。カーターは誰とやっても同じスタイルらしく、攻めの姿勢で左フックからの右ストレート、斜め下からの左フックなど。ブレナンは足を使ってアウトボクシング。左フックダブルからの右ストレートといった良いコンビネーションを持っているが、あまり自分から攻撃を仕掛けない。カーターも不発。攻めるが、ディフェンスされたり、クリンチされたり。9Rに大きな見せ場。ワンツーを食って足に来たカーターが連打されてピンチ。しかし、10Rもカーターは攻める。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。勝ったが、打たれて危なかったカーター。勇ましいのはいいが、攻め一辺倒は危ない。ブレナンはその逆。粘るが、勝てない試合ぶり。その後もブレナンは精力的に多くの試合。決定戦で英連邦王座(ミドル級)獲得、世界王者になる前のホセ・トーレスに2-0の敗北、中堅相手に連勝。1971年10月、ビセンテ・ロンドンのWBA世界ライトヘビー級王座に挑戦してTKO負け。再起戦に判定負けして引退。KO負けはキャリア末期のロンドン戦のみだった。)


ホセ・ゴンザレス 7R TKO ルービン・カーター

(ミドル級戦、1963年)

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

ゴンザレス:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ブレナン戦の次の試合。ゴンザレスはプエルトリコ・アロヨ出身。1959年デビュー。主戦場はニューヨーク。ルイス・ロドリゲス(後の世界ウェルター級王者)にTKO負け、ジョーイ・アーチャーと一勝一敗。このところ二連勝でカーター戦。「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。開始から接近戦。フックでの打ち合い。カーターが一発ずつパワーを込め、左フックからの右ストレートなど。ゴンザレスはややトリッキーな動きを入れながらフック連打で応戦。パワーで押すカーター。連打&クリンチのゴンザレス。もみ合うような接近戦が続く。5R、カーターが激しく連打。6Rには豪快な左フック。ゴンザレスはボディ連打で対抗。このラウンド終了後、カーターがキズにより棄権(ダウンシーンは無し)。ゴンザレスがラッキーな勝利。パワーで押していたカーターだが、倒すどころか敗北。相手に粘られてしまった。その後のゴンザレス。好調だったが、エミール・グリフィス、ホセ・トーレスに判定で二連敗。ディック・タイガーにTKO負け、ドン・フルマーに判定勝ちでWBAアメリカ王座(ミドル級)獲得。その後は勝ったり負けたりになったが、ベニー・ブリスコ、ルイス・ロドリゲス(再戦)、ユージン・ハートといった実力者に勝利した。)


その後のカーター 

ゴンザレス戦の次の試合であのジョージ・ベントンに判定勝ち。ジョーイ・アーチャーに2-1で敗北。その再起戦でエミール・グリフィスを何と1RでTKO。その次の相手は後のWBA世界ヘビー級王者ジミー・エリスで3-0の勝利。更にTKO勝ちでついに念願の世界初挑戦。


ジョーイ・ジャーデロ 15R 判定 ルービン・カーター

(世界ミドル級タイトル戦、1964年)

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

ジャーデロ:左ジャブ、右ストレート、左フック

(感想:ジャーデロがタイトル初防衛。王者ジャーデロはニューヨーク・ブルックリン出身の白人(イタリア系)。1948年、デビュー。以来、多くの試合。ナイジェリアのディック・タイガーと一勝一敗の後、1960年にジーン・フルマーのNBA世界ミドル級王座に挑戦したが、引き分け(互いにラフファイトで「史上最も汚い戦い」とされる試合)。1963年6月、あのシュガー・レイ・ロビンソンに判定勝ち。その次の試合でディック・タイガーから世界ミドル級王座奪取。すっかりベテランになり、カーターと初防衛戦。ペンシルベニア州フィラデルフィアでの一戦。共にゴツいパンチの持ち主だが、この試合のジャーデロは左のテクニックを使う作戦。足で距離を取って左ジャブを出すアウトボクシング。時折左フック、得意の右ストレート。カーターもジャブ。そしてパワフルなストレート、フック。しかしながら、空転。パワーを込めすぎて動く相手を捉えられない。強打をヒットさせるシーンもあるが、クリンチされて単発に終わる。また、ジャーデロに対抗してアウトボクシングをするが、ジャーデロはワンツーからの左フックなどで手数。左のテクニックのジャーデロ、パワーで前進のカーター。15R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。ジャーデロが器用さで勝利。元々パンチがあるため、時には正確かつパワーのあるところも見せた。カーターはパワーでは上だったが、敗北。パンチにはキレがあり、ディフェンスもできていた。やはりパワーを入れすぎると機動力が落ちるのであろう。勝てる試合を落としてしまった。その後のジャーデロ。二度目の防衛戦はディック・タイガーとの四戦目。これに敗れ、王座陥落。既にボロボロだったが、カムバック。しかし、余計なダメージを負って引退。)


その後のカーター

再起戦で元世界ウェルター級王者ルイス・ロドリゲスに判定負けして二連敗。ディック・タイガーに判定負けするなど勝ったり負けたりに。そして1966年6月17日、「ニュージャージー州で3人の白人を銃で撃ち殺した」として逮捕。刑務所で自伝を執筆し、無実を訴え続けた。長年の服役後、「冤罪」が認められて世間の大きな話題に。その獄中での戦いはデンゼル・ワシントン主演『ザ・ハリケーン』(1999年)で映画化された。


①「Middleweight 

Rubin Carter vs. Holly Mims」

②「Middleweight 

Rubin Carter vs. Gomeo Brennan」

③「Middleweight 

Rubin Carter vs. Jose Gonzalez」

④「World Middleweight Title

Joey Giardello vs. Rubin Carter」

 

ジョーイ・ジャーデロ(Joey Giardello)のページ

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ジョージ・ベントン(George Benton)のページ