ライトヘビー級の実力者。「コン vs. ベティーナ」「スミス vs. チャーリー・バーリー、ビリー・ノーブル」を紹介します。
ビリー・コン(アメリカ)
身長187cm:オーソドックス(右構え)
オークランド・ビリー・スミス(アメリカ)
身長183cm:オーソドックス(右構え)
①ビリー・コン 15R 判定 メリオ・ベティーナ
(世界ライトヘビー級タイトル戦、1939年7月または9月)
コン:左ジャブ、フック
ベティーナ:右ジャブ、左ストレート、フック
(感想:ペンシルベニア州ピッツバーグ出身の白人コン。本名は「ウィリアム・デビッド・コン」。ニックネームは「ピッツバーグ・キッド」。1934年7月20日のデビュー戦はKO勝ちだったが、その後は勝ったり負けたり。コツをつかんだらしく、フリジー・ジビックらを相手に連戦連勝。判定による敗北はあったが、フレッド・アポストリに勝利するなどこのところ連勝で世界戦。ベティーナはコネチカット州ブリッジポート出身の白人サウスポー。アマチュアで活躍し、プロ入り。敗北はあったが、連勝中の勢いで世界王座決定戦。タイガー・ジャック・フォックスをTKOして王座奪取。ノンタイトル戦に勝利してコンと対戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」またはピッツバーグでの一戦(短めの古いハイライト映像で観戦。二人の対戦は二度行われたが、この映像がベティーナの初防衛戦だったのか、コンの初防衛戦だったのかは不明)。前傾姿勢のベティーナ。サウスポースタイルで一発を狙うような構えから右ジャブ、左ストレート、接近してショートフック連打。コンは距離を取って戦いたいらしく、左ジャブ。ベティーナの接近をボディフックやクリンチで対応。試合の印象としては正確なジャブでコンがポイントを取っている印象。斜め下からの右フックも悪くない。15R、激しく攻めるベティーナ。コンはフックで応戦。15R終了。判定は3-0。コンは面白い男。相手と一緒になってムキに打ち合ったりしない。相手がサウスポーだったのもあるかもしれないが、クールにジャブで突き放す試合運びだった。ベティーナは狙いすぎ。攻めの雑さ、リズムの悪さ。ただ、左パンチに強さ。15Rの攻めを最初からやっていれば違う結果になったかも。その後の二人。ベティーナはNBA世界ライトヘビー級王座決定戦に出場するチャンスを得たが、判定負け。以後も多くの試合、多くの勝利。しかし、世界戦はなかった。コンはガス・レスネビッチ相手に王座防衛。そして1941年6月、世界ヘビー級王者ジョー・ルイスに挑戦。得意のアウトボクシングで優勢だったが、「KOで勝ちたい」誘惑(アイリッシュのコン。気の強さがある)。打ち合って、逆転KO負け。その後、三連勝。第二次世界大戦で試合ができない状態に。1946年6月、復帰戦。再びジョー・ルイスの世界ヘビー級王座に挑戦。両者とも戦争でブランクがあり、衰えは明らか。KOでルイスが王座防衛。コンはその後、二連勝したが、引退。引退後はボクシング関連の活動。1990年、73歳の時に強盗に出くわしたが、パンチを食らわして撃退。1990年、国際ボクシング殿堂入り。)
②チャーリー・バーリー 10R 判定 オークランド・ビリー・スミス
(ライトヘビー級戦、1946年4月)
スミス:左ジャブ、右ストレート、フック
バーリー:左ジャブ、右ストレート、フック
(感想:スミスはアーカンソー州リトルロック出身の黒人。1941年デビュー。勝ったり負けたり連勝したり。カリフォルニア州王座(ライトヘビー級)を獲得。防衛にも成功するなど連勝でバーリーと対戦したが、バーリーが判定(PTS)で勝利。王座を防衛し、バーリーと再戦。バーリーはペンシルベニア州ベッセマー出身の黒人。12歳でボクシングを始め、アマチュアで活躍。1936年のベルリン・オリンピックに出場すべく予選大会に赴いたが、ドイツの人種差別政策に嫌悪感。出場を辞退。1936年、プロ転向。デビューから連勝後、判定で初黒星。フリジー・ジビックにも判定負け。ジビックに判定で雪辱するなど好調。この時代にはよくあったことだが、強い選手のため大きなチャンスが得られず(黒人用の世界ウェルター級王座を獲得したという情報もある)。エザード・チャールズに判定負け。カリフォルニア州王座(ミドル級)を獲得、防衛。アーチー・ムーアに判定勝ち。スミスに判定勝ちして、再戦。カリフォルニア州オークランドでの一戦。スミスが速いジャブ、伸びとキレの右ストレート、踏み込んで左フック。ワンツーや連打などで手数を出していく。バーリーはディフェンシブなタイプ。左のガードを下げた構えからジャブを出し、左フック、左ボディ打ちでカウンター。時折大きな右フックを振るう。攻撃のテンポが良いのはスミスだが、パワーはバーリー。攻めようとするスミス、迎え撃つバーリー。10R終了。判定(PTS)でまたしてもバーリー勝利(ダウンシーンは無し)。個人的には前に出たスミスの方が好みのタイプだが、受け身のバーリーがディフェンス&左フックで勝利を持っていった。その後のバーリー。中堅相手に1950年まで試合。世界戦は無し。「無冠の帝王」の一人となったが、1987年に世界ボクシング殿堂入り。1992年には国際ボクシング殿堂入りを果たした。)
③オークランド・ビリー・スミス 1R KO ビリー・ノーブル
(ライトヘビー級戦、1953年5月)
スミス:左ジャブ、右ストレート、フック
ノーブル:左ジャブ、右ストレート、フック
(ダウンシーン)
1R:左フック、右フックで2度、ノーブルがダウン
(感想:バーレイ戦後、エザード・チャールズに3-0で敗北とKO負け、アーチー・ムーアとドロー、判定負け、KO負けのスミス。中堅相手ではまずまずだが、トップには及ばない。このところ二連勝でノーブル戦。ノーブルはネブラスカ州の白人。デビューから中堅、ベテランを相手に連勝。ネブラスカ州王座戦(ヘビー級)でTKO負け、初黒星。その相手に判定で雪辱するなどこのところ三連勝中。シカゴでの一戦(メインは「ロッキー・マルシアノ対ジャージー・ジョー・ウォルコット(再戦)」)。いきなりクリンチ。そして、ノーブルがゴツい感じのパンチでジャブ、右ストレート、ボディ打ち。スミスはアップライトな雰囲気でジャブ、ストレートを出すが、ぎこちなさがある。左フックが効いたノーブル。左フックでダウン。立ち上がって左フックからの右ストレートで反撃するノーブルだが、右フックでダウン。真っ直ぐ倒れたまま立てず、KO。実にあっけなかった試合。パンチの打ち方、パワーではノーブルの方が良かったが、1RでのKO。打たれ弱さがあったのか、スミスのパンチが意外に効くのか。実戦に慣れているスミスには見た目ではわからない強さがあったようだ。その後の二人。ノーブルは1954年12月17日、飛行機事故により24歳で死去。スミス戦が最後の試合に。スミスは後の世界ライトヘビー級王者ハロルド・ジョンソンをKO(1954年)するなど連勝。しかし、最後は二連続KO負けで1955年に引退。いつのことかはわからないが、ニュージャージー州アトランティック郡保安局で副保安官として勤務したこともあるそうだ。)
①「World Light Heavyweight Title
Billy Conn vs. Melio Bettina」
②「Light Heavyweight
Oakland Billy Smith vs. Charley Burley」
③「Light Heavyweight
Oakland Billy Smith vs. Billy Noble」























