ヘビー級。全盛期のアリの世界王座に挑戦した男。ヘンリー・クーパー戦(初戦)、ダグ・ジョーンズ戦(再戦)ほかを紹介します。
ゾラ・フォーリー(アメリカ)
身長185cm:オーソドックス(右構え)
①ゾラ・フォーリー 10R 判定 ウェイン・ベサ
(ヘビー級戦、1956年12月または1957年1月)
フォーリー:左ジャブ、フック
ベサ:左ジャブ、フック
(感想:長期に渡ったモハメド・アリの時代。アリの全盛期は「デビューから世界王座を剥奪される前」というのが定説。ベトナム戦争行きを拒否して王座を剥奪されたアリ。剥奪前の最後の防衛戦の相手を務めたのがフォーリー。実力者が充実した時代に多くの名のある選手と対戦(ソニー・リストン、ジョージ・シュバロ、ボブ・フォスター、オスカー・ボナベナ、エディ・マッチェン、ニノ・バルデスら)。フロイド・パターソン時代に世界王座に挑戦しようとしてできなかった不運。テキサス州ダラス出身。陸軍に入隊してボクシングを始める。朝鮮戦争に従軍。軍の大会で優勝。除隊後、1953年にプロデビュー。身長は185cmでまずまずだが、リーチは196cm。それを武器にデビューから連勝。1955年6月、ダウンを喫した末、TKO負けで初黒星。三連勝後、今度は肋骨を折ってTKO負け。復帰後、ニノ・バルデスに勝利。ベサはサウスカロライナ州ディロン出身の黒人。大ベテランの元世界王者エザード・チャールズに判定勝ちするなどこのところ連勝中。ニューヨークでの一戦(短いハイライト映像で観戦)。接近してフック、ボディ打ちのベサ。フォーリーは距離を取って戦いたいらしく、ジャブを出す。しかし、しつこく接近されてボディ打ちで反撃したり、クリンチしたり。接近戦でのもみ合いが続く。判定は2-1(二連戦とも)。動きのスピードに欠けていた両者。映像が試合の前半だったのか、後半だったのかにもよるが、冴えない試合ぶりだった印象。その後、ベサはハロルド・ジョンソン、ニノ・バルデス、ソニー・リストンに敗北。後のWBA王者アーニー・テレルに勝利。一定の実力はあった。)
②ヘンリー・クーパー 10R 判定 ゾラ・フォーリー
(ヘビー級戦、1958年10月)
フォーリー:左ジャブ、右ストレート、左フック
クーパー:左ジャブ、右ストレート、左フック
(ダウンシーン)
3R:右フックでクーパーがダウン
(感想:ベサとの二連戦後、連勝だったフォーリーだが、エディ・マッチェンとドロー。二連勝で、クーパー戦。クーパーはロンドンのランベス出身の白人。英国王座、英連邦王座、欧州王座を狙ったが、全て失敗の過去。英国ウェンブリーでの一戦(ハイライト映像で観戦)。同じタイプの二人。距離を取ってジャブ。動きのスピードも同じぐらい(速くはない)。クーパーは左のテクニックを使う(左ジャブを連打して左フック)。フォーリーは右カウンター、ワンツーといった右パンチ。3R、連打からの右フックでクーパーがダウン。その後、フォーリーは斜め下からの左フックに迫力があるが、不発。10R終了でレフェリーはクーパーの手を上げた(PTSによる判定)。カットされた映像のため全体像がわからないのが残念だが、どうやらクーパーが左のテクニックで勝ったようだ(出血しやすいタイプのクーパー。この試合でも出血サービスだったらしい)。フォーリーはどうもイマイチな男。ジャブを使う正統派で、フックに威力。しかし、動きの躍動感に乏しく、スムーズさに欠ける。プロボクシングは興行。フロイド・パターソンとの世界戦が実現しなかったのはこの試合が原因とされるが、そもそもフォーリーに「挑戦者としての魅力」が欠けていたからなのではないかという気がする。その後のクーパー。フォーリーに勝って自信をつけたらしく、英国王座、英連邦王座奪取。フォーリーとの再戦はKO負け。そして、若き日のモハメド・アリ(カシアス・クレイ)との試合で負傷TKOで負けたが、ダウンを奪う名シーン。欧州王座も獲得し、アリの世界王座に挑戦したがTKO負け。世界王者にはなれなかったが、欧州のヘビー級トップとして活躍した。)
③ダグ・ジョーンズ 7R KO ゾラ・フォーリー
(ヘビー級戦、1960年12月)
フォーリー:左ジャブ、右ストレート、フック
ジョーンズ:左ジャブ、右ストレート、フック
(ダウンシーン)
1R:フック連打でジョーンズがダウン
7R:ワンツーでフォーリーがダウン
(感想:クーパーとの初戦後、連勝だったフォーリーだが恐ろしい男が出現。後の世界ヘビー級王者ソニー・リストンに3RでKO負け。更にKO負けがあったが、クーパーをKO、ダグ・ジョーンズに判定勝ちするなど連勝。そしてジョーンズと再戦。ジョーンズはニューヨーク出身の黒人で、元軍人。プロ入り後、連勝だったが、エディ・マッチェンに判定で初黒星。その再起戦は空位の世界ライトヘビー級王座決定戦。ハロルド・ジョンソンに判定負けで王座獲得ならず。二連敗の状況でフォーリーに判定負け。後の世界ライトヘビー級王者ボブ・フォスターをKOしてフォーリーと再戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。1R、攻めの姿勢のジョーンズ。右パンチ(ストレート、フック)にパワーを込め、左フックからの右ストレートなど器用さも披露。フォーリーは右カウンターで対抗。接近戦。互いにフック、ボディ打ち。畳み掛けるフォーリー。フック連打でジョーンズがダウン。2R、ラッシュするフォーリー。フック攻撃に迫力。その後、ジャブ、ストレートの攻防。ジョーンズは攻撃のテンポの良さがあり、手数で先手を取る。フォーリーはパワーを入れるが、ショートパンチを当てる巧さも。7R、それまでと同じような一進一退の中、ワンツーでフォーリーがダウン。立とうとするが立てず、KO。ジョーンズが逆転勝利。積極的に先手を取っていったのが功を奏した。フォーリーは残念な男。パワーもあり、一気に攻める爆発力もあった。しかし、強いときとそうでないときの差が(慎重な性格なのだろう)。その後のジョーンズ。次の試合の相手はカシアス・クレイ(後のモハメド・アリ)で、判定負け。ジョージ・シュバロにTKO負け。WBA世界ヘビー級王者アーニー・テレルに挑戦して判定負け。後の世界王者ジョー・フレージャーにKO負け。トップには立てなかったが、名のある選手と対戦できた。)
その後のフォーリー
アーニー・テレルに判定負け、ジョージ・シュバロに判定勝ち、カール・ミルデンバーガーとドロー、オスカー・ボナベナ、ボブ・フォスターに判定勝ち。連勝の勢いでモハメド・アリの世界ヘビー級王座に挑戦したが、KO負け。再起二連勝でブライアン・ロンドン戦。
④ブライアン・ロンドン 10R 判定 ゾラ・フォーリー
(ヘビー級戦、1967年11月)
フォーリー:左ジャブ、右ストレート、フック
ロンドン:左ジャブ、右ストレート、フック
(感想:ロンドンは英国ハートルプール出身の白人。デビューから連勝だったが、ヘンリー・クーパーにTKO負けで初黒星。英国王座、英連邦王座を獲得したが、またしてもクーパーに敗北。その再起戦でフロイド・パターソンの世界ヘビー級王座に挑戦したが、KO負け(1959年)。以後はインゲマル・ヨハンソン、クーパーに敗北するなど勝ったり負けたり。ところがアリの王座に挑戦するチャンス。3RでのKO負けで王座奪取ならず。再起戦でジェリー・クォーリーに判定負け。その次の試合に判定勝ちでフォーリー戦。「アリに負けた」という共通点がある者同士のサバイバル戦。英国リバプールでの一戦。スピードがまるで無いフォーリー。ジャブ、ワンツーからの左ジャブ、ボディ打ちなど。ロンドンはジャブ、右ストレートからの左ジャブ、細かい連打。パワーで上回るフォーリーにロンドンが手数で対抗。接近戦ではもみ合い、クリンチ、ボディの打ち合い。10R終了。レフェリーがロンドンの手を上げた(判定はPTS。ダウンシーンは無し)。僅差でロンドンが勝利。ジャブが評価されたか。フォーリーはもう戦うべきではない。決め手に欠けるうえにスピード不足。攻めるときはそれなりに素早さはあったが、全体的に緩慢だった。その後の二人。ロンドンはジェリー・クォーリー、ジョー・バグナーにKOされるなど勝ち星無し。フォーリーはオスカー・ボナベナに判定で雪辱され、最後はマック・フォスター(後、来日。モハメド・アリとノンタイトル15回戦を行い、判定負け)に1RでKOされて引退。その後は9人の子を育てながら自動車販売の仕事。市議会議員を務めたことも。しかし、1972年7月7日に41歳で死去。プールサイドで転倒して頭を打ったという。事故死だが遺体の損傷がひどかったため、他殺の疑いもあるらしい。)
①「Heavyweight
Zora Folley vs. Wayne Bethea」
②「Heavyweight
Zora Folley vs. Henry Cooper」
③「Heavyweight
Zora Folley vs. Doug Jones」
④「Heavyweight
Zora Folley vs. Brian London」
モハメド・アリ(Muhammad Ali)のページ






