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2026年5月22日金曜日

ミッキー・ウォーカー(Mickey Walker)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ウェルター、ミドル級王者。ヘビー級にも挑戦した豪傑。トミー・ローラン戦、マックス・シュメリング戦ほかを紹介します。


ミッキー・ウォーカー(アメリカ)

身長170cm:オーソドックス(右構え)

ミッキー・ウォーカー(Mickey Walker)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ミッキー・ウォーカー 10R KO トミー・ミリガン

(世界ミドル級タイトル戦、1927年6月)

ウォーカー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ミリガン:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ウォーカーがタイトル初防衛。「トイ・ブルドッグ」と呼ばれたウォーカー。こんな無茶苦茶な男も珍しい。身長170cm。世界ウェルター王者になり、ヘビー級でも勝負。挑戦されたヘビー級の選手たちも困っただろう。こんな小さい選手を思いっ切り殴るワケにはいかない(かつてミドル級のスタンリー・ケッチェルがヘビー級王者ジャック・ジョンソンと戦ったが、ジョンソンは手加減。ケッチェルの不意打ちに怒ったジョンソンが全力でケッチェルをぶちのめし、ケッチェルは酷い状態になった)。ニュージャージー州エリザベス出身。本名「エドワード・パトリック・ウォーカー」だが、なぜか「ミッキー」と呼ばれるように。正式なボクシングの訓練もアマチュアの経験も無しでプロ入り(1919年)。タフネス&パワーの自己流ファイト。ただ、頭の回転は速かったという。1922年11月1日、ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」で世界ウェルター級王者ジャック・ブリットンに挑戦。何度もダウンを奪い、15ラウンド判定勝ち。21歳で初の世界タイトル獲得。1925年 7 月 2 日、ニューヨーク「ポロ・グラウンズ」で世界ミドル級王者「人間風車」ハリー・グレブに挑戦。判定で敗れ、二階級制覇ならず。世界ウェルター級王座をさらに防衛したが、王座陥落。1926年12月3日、世界ミドル級王者タイガー・フラワーズ(グレブを破って王座獲得)に判定勝ちで二階級制覇。挑戦者ミリガンはスコットランドの白人。1924年11月26日、テッド・キッド・ルイスを判定で破って英国・英連邦・欧州王座(ウェルター級)を一気に獲得。さらに欧州ミドル級王座も獲得。英国・英連邦ミドル級王座も獲得してウェルター級に次いでミドル級でも統一王者に。その勢いでウォーカーに挑戦。英国ケンジントンでの一戦(短いハイライト映像で観戦)。ウォーカーは豪快なボクシング。振りの大きいフック、そして意外にキレイな打ち方で速いワンツー。ミリガンは接近してフック連打、ボディ連打。大きなパンチでウォーカー優勢。右カウンター、フックで何度もミリガンをダウンさせ、最後は強烈な左フックで完全KO。「荒っぽいケンカファイトの男」というのがウォーカーのイメージだが、荒っぽいのはフック攻撃。ワンツーはいつの時代でも通用するキレ味だった。ミリガンは手数を出して頑張ったが、マトモに打たれてしまった。その後のミリガン。このKO負けでエネルギーが消え去ったのだろう。再起戦に勝利したが、英国・英連邦・欧州ミドル級王座防衛戦で反則負け、王座陥落。英国王座の奪回を狙ったが、1RでKOされて引退(1928年8月)。)


トミー・ローラン 10R 判定 ミッキー・ウォーカー

(世界ライトヘビー級タイトル戦、1929年3月)

ウォーカー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ローラン:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ローランがタイトル防衛。ミリガン戦後も連勝のウォーカー。この男はなかなかのチャレンジャー。ミドル級王座を保持したままライトヘビー級に挑戦。王者ローランは「亡霊」のニックネームを持つ男で、ディフェンス&左のテクニックで相手に打たせない試合をする。相手からするとやりにくいタイプだが、ウォーカーがどんな攻めを見せるか? イリノイ州シカゴでの一戦。独特の構え方のローラン。アップライトな姿勢。両手を下げた低いガードで左腕を前に突き出す構え。ジャブ連打、フック、ねじ込むように打つ右ストレート、打ち下ろすようなワンツー。相手の攻撃はスウェーやクリンチで阻止(まるでクリチコ兄弟のよう)。ウォーカーは相手の大きさを意識しているのか接近してフック攻撃。一発狙いの攻め方で、かわされたり、クリンチされたりで単発に終わる。ただ、右フックカウンター、左フックを当てるシーンも。判定は2-1。攻めが雑だったウォーカー。ミリガン戦のようなワンツーが見られなかったのが惜しい。ローランはその後、ヘビー級に挑戦。ジャック・シャーキーに判定勝ちしたり、ペンシルベニア州ヘビー級王座を獲得したりといった活躍はあったが、プリモ・カルネラの世界ヘビー級王座への挑戦は判定負けでヘビー級制覇ならず。)


ミッキー・ウォーカー 10R 判定 エイス・ハドキンス

(世界ミドル級タイトル戦、1929年10月)

ウォーカー:左ジャブ、右ストレート、フック   

ハドキンス:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ウォーカーがタイトル防衛。挑戦者ハドキンスはネブラスカ州バルパライソ出身の白人。ニックネームは「山猫」。1922年にデビューし、当時はライト級。ローカル王座を獲得、防衛。徐々に階級を上げ、ベテランのルー・テンドラーに判定勝ちするなど連勝の勢いでウォーカーの王座に挑戦したが、2-1の敗北。その再起戦で敗れた相手に雪辱して、再びウォーカーに挑戦。カリフォルニア州ロサンゼルスでの一戦。相撲のような押し合い、左右フック攻撃の応酬。同じように打ち合う両者。ウォーカーが足で距離を取ってカウンターで迎え撃つ作戦。ジャブ、フックで攻めてくるハドキンスにジャブカウンター、フック。10R終了後、レフェリーがウォーカーの手を上げた(判定はPTS)。ウォーカーは闇雲に打ち合う選手ではない。相手の勢いを受けながら正確に反撃して勝利。「作戦勝ち」といったところ。ハドキンスは積極的で悪くはなかったが、攻めが正直すぎたか。その後、ハドキンスはウォーカーと同じような道。ライトヘビー級の体格でヘビー級に挑戦。カリフォルニア州ヘビー級王座を獲得できたが、防衛ならず。プライベートでは酒場を経営したり、競走馬を多数所有したりで成功していたようだが、暴行事件を起こす。銃で撃たれる事件もあり、引退。)


マックス・シュメリング 8R TKO ミッキー・ウォーカー

(ヘビー級戦、1932年9月)

ウォーカー:左ジャブ、右ストレート、フック   

シュメリング:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

1R:ワンツーでウォーカーがダウン

8R:ワンツー、左フック連打で2度、ウォーカーがダウン

(感想:ハドキンスとの再戦後、連戦連勝のウォーカー(「史上最強」と呼ばれる所以)。ミドル級に相手がいないということなのか、ヘビー級に挑戦。ジャック・シャーキーとドロー、パウリノ・ウズクドゥンに判定勝ち、ジョニー・リスコに判定負けで久々の敗北。再起戦にKO勝ちしてシュメリング戦。シュメリングはドイツのクライン・ルッコー出身。ジャック・シャーキーに反則勝ちでヘビー級史上初めて「反則勝ちで世界王座を獲った男」に。シャーキーとの再戦に敗れ、王座陥落。再起戦でウォーカーと対戦。身長170cmのウォーカー。シュメリングは185cm。身長以外にも大きな差があるはず。ニューヨーク州クイーンズ「Madison Square Garden Bowl」での一戦。1R、ゴツい身体に仕上げてきたウォーカー。左フック連打、左ボディ打ち、右ストレート。左ジャブに速さ。シュメリングもジャブ、右ストレート、左フック。接近してショートフック連打。やはりパワー、身体全体の差が。ワンツーでウォーカーがダウン。2Rにも右を食ってウォーカーがグラつく。その後、接近戦が続く。互いにフック、ボディ打ち、もみ合い。シュメリングの右カウンター、右ストレートでウォーカーがピンチ。8R、ワンツーウォーカーがダウン。立ったが、今度は左フック連打でダウン。フック攻撃で何とか抵抗したウォーカーだが、このラウンド終了後に棄権。両目がふさがり、出血もひどかったという(モノクロ映像ではよくわからなかった)。シュメリングがヘビーなパワーで圧勝。普通に打ったヘビー級のパンチも下の階級から上がってきた者には脅威。これは当然の結果。その後の二人。シュメリングは次の試合でマックス・ベアにTKO負け。その次の試合は判定負け。ドイツで連勝後、大きなサプライズ。世界王者になる前のジョー・ルイスにKO勝ち。しかし、世界王者になったルイスに挑戦して1Rで無惨なKO負け。その後はドイツでの欧州王座&ドイツ王座戦で勝利。世界王者にはなれたが、「ヨーロッパのトップ」といったキャリアだった印象。ウォーカーはさすがにヘビー級ではキツかったか、再びライトヘビー級へ。1933年11月3日、「マジソン・スクエア・ガーデン」で世界ライトヘビー級王者マキシー・ローゼンブルームに挑戦したが、3-0で敗北。結局、三度の世界ライトヘビー級王座への挑戦は実らず、三階級制覇ならず。後にローゼンブルームに勝利したが、ノンタイトル戦だった。プライベートでは遊びで財産を使い果たし、キャリアの終わり頃には無一文。様々な職に就きながら趣味の絵とゴルフを楽しんだが、最後は身体の不調。1981 年 4 月 21 日、79 歳没。)


①「World Middleweight Title

Mickey Walker vs. Tommy Milligan」

②「World Light Heavyweight Title

Tommy Loughran vs. Mickey Walker」

③「World Middleweight Title

Mickey Walker vs. Ace Hudkins」

④「Heavyweight 

Max Schmeling vs. Mickey Walker」

 

2026年4月29日水曜日

ルービン・ハリケーン・カーター(Rubin Carter)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

伝説のミドル級。ホーリー・ミムズ戦、ホセ・ゴンザレス戦、ジョーイ・ジャーデロ戦(世界戦)ほかを紹介します。


ルービン・カーター(アメリカ)

身長173cm:オーソドックス(右構え)

ルービン・ハリケーン・カーター(Rubin Carter)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ルービン・カーター 10R 判定 ホーリー・ミムズ

(ミドル級戦、1962年)

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

ミムズ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

4R:右ストレートでカーターがダウン

(感想:カーターはニュージャージー州クリフトン出身の黒人。身長は173cmだが、リーチは183cm。坊主頭で上半身のゴツさがあり、そのファイトぶりは例えるならばアイラン・バークレーといったところか。なかなか厳しい人生を送ったことであまりにも有名(映画化されたほど)。犯罪で少年院に。逃走し、軍人に。そこでボクシングを始めてプロになろうとしたが、脱走歴があることがバレて収監。そして1961年にプロデビュー(判定勝ち)。判定での敗北もあったが、実力をつけていく。このところ三連続KO勝ち。ミムズはワシントンD.C.の黒人で、当時の実力者。身長は170cm。1948年のデビュー戦は引き分け。二戦目は判定負け。経験を積み、連勝したことも。1951年、あのシュガー・レイ・ロビンソンに判定負け。その後も判定負けはあったが、ライバルたちと多くの試合。ジョーイ・ジャーデロに判定負け、ジョージ・ベントンに判定勝ち、ディック・タイガーに判定負け、後のWBA世界ヘビー級王者ジミー・エリスと一勝一敗。全盛期をやや過ぎたが、このところ連勝でカーター戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。前傾姿勢で前進し、ジャブ、ストレートのカーター。接近してパワフルな左右フック、打ち下ろすような右ストレート。打ち方も良く、ダッキングといったディフェンスもできる。ミムズは柔軟な動きが武器ということだが、相手のパワーに押されて1Rから左フックを食ってピンチ。2Rからは足を使って距離を取ろうとする。4R、もみ合いの中、右ストレートでカーターがダウン。しかし、その後はカーターが接近してのフック、コンビネーション(右ストレートからの左ボディ、左フックからの右ストレート)で優勢。10R終了。判定は3-0。カーターが攻撃力で勝利。しかし、ダウンを食った。攻めが単調なところがあるのが原因か? ミムズは元々パワーはあまりなく、テクニックで勝負するタイプなのではないか? パワー不足で押されるシーンが多かった。しかし、ダウンを奪って意地を見せた。その後、ミムズはエミール・グリフィス、ジョーイ・アーチャー、ルイス・マヌエル・ロドリゲスに判定負けしたが、中堅どころに連勝して引退(1967)。しかし、戦いすぎたか、1970年1月13日、腎臓疾患のため42歳で死去。)


ルービン・カーター 10R 判定 ゴメオ・ブレナン

(ミドル級戦、1963年)

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

ブレナン:左ジャブ、右ストレート、左フック

(感想:ミムズ戦の次の試合。ブレナンはバハマのビミニ出身の黒人。トレーナーはアンジェロ・ダンディ。1956年、フロリダ州マイアミ・ビーチでデビュー(KO勝ち)。以来、マイアミとバハマを主戦場に多くの試合。後の世界ウェルター級王者ルイス・ロドリゲスに判定負け、ウォレス・バッド・スミスにTKO勝ち、ホーリー・ミムズに判定負け。そこから連勝だったが、直前の試合でウィルバート・マクルーアに判定負け。これまで判定負けはあるが、KO負けは一度もなし。「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。共に速いジャブ。カーターは誰とやっても同じスタイルらしく、攻めの姿勢で左フックからの右ストレート、斜め下からの左フックなど。ブレナンは足を使ってアウトボクシング。左フックダブルからの右ストレートといった良いコンビネーションを持っているが、あまり自分から攻撃を仕掛けない。カーターも不発。攻めるが、ディフェンスされたり、クリンチされたり。9Rに大きな見せ場。ワンツーを食って足に来たカーターが連打されてピンチ。しかし、10Rもカーターは攻める。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。勝ったが、打たれて危なかったカーター。勇ましいのはいいが、攻め一辺倒は危ない。ブレナンはその逆。粘るが、勝てない試合ぶり。その後もブレナンは精力的に多くの試合。決定戦で英連邦王座(ミドル級)獲得、世界王者になる前のホセ・トーレスに2-0の敗北、中堅相手に連勝。1971年10月、ビセンテ・ロンドンのWBA世界ライトヘビー級王座に挑戦してTKO負け。再起戦に判定負けして引退。KO負けはキャリア末期のロンドン戦のみだった。)


ホセ・ゴンザレス 7R TKO ルービン・カーター

(ミドル級戦、1963年)

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

ゴンザレス:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ブレナン戦の次の試合。ゴンザレスはプエルトリコ・アロヨ出身。1959年デビュー。主戦場はニューヨーク。ルイス・ロドリゲス(後の世界ウェルター級王者)にTKO負け、ジョーイ・アーチャーと一勝一敗。このところ二連勝でカーター戦。「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。開始から接近戦。フックでの打ち合い。カーターが一発ずつパワーを込め、左フックからの右ストレートなど。ゴンザレスはややトリッキーな動きを入れながらフック連打で応戦。パワーで押すカーター。連打&クリンチのゴンザレス。もみ合うような接近戦が続く。5R、カーターが激しく連打。6Rには豪快な左フック。ゴンザレスはボディ連打で対抗。このラウンド終了後、カーターがキズにより棄権(ダウンシーンは無し)。ゴンザレスがラッキーな勝利。パワーで押していたカーターだが、倒すどころか敗北。相手に粘られてしまった。その後のゴンザレス。好調だったが、エミール・グリフィス、ホセ・トーレスに判定で二連敗。ディック・タイガーにTKO負け、ドン・フルマーに判定勝ちでWBAアメリカ王座(ミドル級)獲得。その後は勝ったり負けたりになったが、ベニー・ブリスコ、ルイス・ロドリゲス(再戦)、ユージン・ハートといった実力者に勝利した。)


その後のカーター 

ゴンザレス戦の次の試合であのジョージ・ベントンに判定勝ち。ジョーイ・アーチャーに2-1で敗北。その再起戦でエミール・グリフィスを何と1RでTKO。その次の相手は後のWBA世界ヘビー級王者ジミー・エリスで3-0の勝利。更にTKO勝ちでついに念願の世界初挑戦。


ジョーイ・ジャーデロ 15R 判定 ルービン・カーター

(世界ミドル級タイトル戦、1964年)

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

ジャーデロ:左ジャブ、右ストレート、左フック

(感想:ジャーデロがタイトル初防衛。王者ジャーデロはニューヨーク・ブルックリン出身の白人(イタリア系)。1948年、デビュー。以来、多くの試合。ナイジェリアのディック・タイガーと一勝一敗の後、1960年にジーン・フルマーのNBA世界ミドル級王座に挑戦したが、引き分け(互いにラフファイトで「史上最も汚い戦い」とされる試合)。1963年6月、あのシュガー・レイ・ロビンソンに判定勝ち。その次の試合でディック・タイガーから世界ミドル級王座奪取。すっかりベテランになり、カーターと初防衛戦。ペンシルベニア州フィラデルフィアでの一戦。共にゴツいパンチの持ち主だが、この試合のジャーデロは左のテクニックを使う作戦。足で距離を取って左ジャブを出すアウトボクシング。時折左フック、得意の右ストレート。カーターもジャブ。そしてパワフルなストレート、フック。しかしながら、空転。パワーを込めすぎて動く相手を捉えられない。強打をヒットさせるシーンもあるが、クリンチされて単発に終わる。また、ジャーデロに対抗してアウトボクシングをするが、ジャーデロはワンツーからの左フックなどで手数。左のテクニックのジャーデロ、パワーで前進のカーター。15R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。ジャーデロが器用さで勝利。元々パンチがあるため、時には正確かつパワーのあるところも見せた。カーターはパワーでは上だったが、敗北。パンチにはキレがあり、ディフェンスもできていた。やはりパワーを入れすぎると機動力が落ちるのであろう。勝てる試合を落としてしまった。その後のジャーデロ。二度目の防衛戦はディック・タイガーとの四戦目。これに敗れ、王座陥落。既にボロボロだったが、カムバック。しかし、余計なダメージを負って引退。)


その後のカーター

再起戦で元世界ウェルター級王者ルイス・ロドリゲスに判定負けして二連敗。ディック・タイガーに判定負けするなど勝ったり負けたりに。そして1966年6月17日、「ニュージャージー州で3人の白人を銃で撃ち殺した」として逮捕。刑務所で自伝を執筆し、無実を訴え続けた。長年の服役後、「冤罪」が認められて世間の大きな話題に。その獄中での戦いはデンゼル・ワシントン主演『ザ・ハリケーン』(1999年)で映画化された。


①「Middleweight 

Rubin Carter vs. Holly Mims」

②「Middleweight 

Rubin Carter vs. Gomeo Brennan」

③「Middleweight 

Rubin Carter vs. Jose Gonzalez」

④「World Middleweight Title

Joey Giardello vs. Rubin Carter」

 

ジョーイ・ジャーデロ(Joey Giardello)のページ

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ジョージ・ベントン(George Benton)のページ


2026年4月24日金曜日

ジョーイ・ジャーデロ(Joey Giardello)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ミドル級王者。世界王者になる前のウォルター・カーティア戦、ウィリー・トロイ戦、アル・アンドリュース戦を紹介します。


ジョーイ・ジャーデロ(アメリカ)

身長178cm:オーソドックス(右構え)

ジョーイ・ジャーデロ(Joey Giardello)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ジョーイ・ジャーデロ 1R TKO ウォルター・カーティア

(ミドル級戦、1954年)

ジャーデロ:左ジャブ、右ストレート、フック   

カーティア:左ジャブ、右ストレート、左フック

(ダウンシーン)

1R:右ストレートで3度、カーティアがダウン

(感想:ジャーデロはニューヨーク・ブルックリン出身の白人。イタリア系で本名は「カルミネ・オーランド・ティレッリ」。当時のブルックリンは荒れたスラムではなかったがギャングがおり、ジャーデロは連中とつるんだり、ケンカ沙汰になったり。15歳の時、「ジョー・ジャーデロ」という年上のいとこから出生証明書を購入し、米陸軍に入隊。ニュージャージー州でプロデビューを果たしたが、親バレしないようにするために再びジャーデロの名を借用。1948年、デビュー。実力者と対戦(いつのことかは不明だが、自動車事故で後遺症が残ったり(膝を損傷)、ガソリンスタンドでの暴行で6か月の懲役刑を言い渡されたり、といったトラブルも)。カーティアと再戦(初戦は前年に行われ、3-0でジャーデロ勝利)。カーティアもまたニューヨーク出身で、ブロンクス。1946年にプロデビュー。中堅相手に好調だったが、キッド・ギャビラン、ボボ・オルソンに連続TKO負け。ジャーデロに判定負けするなど、このところ勝ったり負けたり。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。互いにジャブ。右ストレートに威力があるジャーデロ。接近戦では左右フックを振るうが、手打ち気味なところが。ただ、当てる巧さがあり、インサイドからフックを入れる。カーティアは左のガードをやや下げた構えで、ジャブ、左ボディ打ち。フックの打ち方はジャーデロよりも良い。強烈な右カウンターで カーティアがダウン。立ったが、右ストレートで更に二度ダウンしてレフェリーストップ。ジャーデロが得意の右パンチで快勝。最初のダウンを奪った右カウンターは見事な一撃だった。カーティアは普通レベルの選手だった印象。その後も中堅相手に試合。引退後は俳優になった。)


ジョーイ・ジャーデロ 7R TKO ウィリー・トロイ

(ミドル級戦、1954年)

ジャーデロ:左ジャブ、右ストレート、フック   

トロイ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

1R:右フックでトロイがダウン

2R:右ストレートでトロイがダウン

(感想:カーティア戦の次の試合。トロイはバージニア州ノーフォーク出身の黒人。身長180cmのスリムな体型。1951年のデビューから連勝。KO負けで初黒星。そこからまた連勝でジャーデロ戦。「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。1R、共にジャブ。ジャーデロはこの試合ではゴツいパンチ(カーティア戦でのシャープなパンチとは大違い)。ワンツー、フックにパワーを込める。トロイは動きのスピードはそこそこで、パンチのキレもそれなり。右ストレート、接近してボディ打ち。左ボディ打ちに良さがあるが、攻めるときのガードに甘さ。右フックでカウンターされてダウン。2Rには左フックを食ってピンチ。腕力で攻めるジャーデロ。右ストレートがカウンターで入ってトロイが少し間を置いてダウン。それでも前に出るトロイ。4Rに左ボディからの右ストレートを決める。ジャーデロは疲れが見え始め、フットワーク&ジャブでアウトボクシングしたり、クリンチしたり。トロイは左のテクニック(左ボディ打ち、左フックダブルなど)を持っているが、「一発のパワー」はジャーデロ。7R、トロイが左フック連打からのワンツーを打たれたところでレフェリーストップ。ジャーデロが辛勝。パワーを込めすぎてスタミナ切れの状態に。パンチの正確さで何とか押し切った。トロイは動きの機敏さ、パンチのキレに欠けるところがあったのが惜しい。その後もトロイは中堅相手に試合。フロイド・パターソンにTKO負け(1955年)。ラストファイトは1956年9月で、判定負け。その試合でアゴを折って引退。1984年7月、51歳で死去。死因は不明。)


ジョーイ・ジャーデロ 7R TKO アル・アンドリュース

(ミドル級戦、1955年)

ジャーデロ:左ジャブ、右ストレート、フック   

アンドリュース:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

9R:右フックでアンドリュースがダウン

(感想:トロイ戦の次の試合に判定負けしたジャーデロだが、その後、連勝。アンドリュースはウィスコンシン州オリバー出身の白人。身長はジャーデロと同じ(178cm)。中堅相手に連勝したり、カーメン・バシリオに判定負けしたり。直前の試合は判定勝ち。連戦連勝とはいかないが、粘り強さを感じる戦績の持ち主。バージニア州ノーフォークでの一戦。踏み込んで左フック、接近して回転の速いフック連打のアンドリュース。手数を出していく積極さ。ジャーデロは一発ずつパワーを込めるメキシカンのようなフック攻撃。1Rにグローブを交換するハプニングはあったが、正確に当てようとする強打で少し優勢。特に斜め下からの右フック、コンビネーション(右フックからの左フック、左フックからの右アッパーほか)が印象的。手数で攻めるアンドリュース、フックで応戦のジャーデロ。クリンチするなど疲れを見せるジャーデロだが、9Rに右フックでアンドリュースをダウンさせる。10R終了。判定は3-0。中盤以降、スタミナがキツそうだったジャーデロ。今後の活躍はその問題の克服次第か? アンドリュースはよく頑張ったが、パワー不足。軽量級のような試合ぶりだった。その後のアンドリュース。再起戦で後の世界ライトヘビー級王者ウィリー・パストラーノに判定負け。その後も多くの試合を行ったが、ジーン・フルマー、デニー・モイヤーに判定負けするなど勝ったり負けたり。1959年6月、後の世界ライトヘビー級王者ホセ・トーレスにTKO負け。その次の試合もKO負けで引退。)


その後のジャーデロ

連勝後、チャーリー・コットンに二連敗。コットンに二連勝するなど好調。ラルフ・ジョーンズらに三連敗。ナイジェリアのディック・タイガーと一勝一敗の後、ジーン・フルマーのNBA世界ミドル級王座に挑戦したが、引き分け(「史上最も汚い戦い」と評価された試合。互いにラフファイト。両者とも「自分が勝った」と主張。ジャーデロ「フルマーは最も汚いファイターの一人だった」 と後に語っている)。その後、不調。スランプ。1962年のヘンリー・ハンク戦の勝利が「リング」誌から「ファイター・オブ・ザ・イヤー」に選ばれる名誉もあったが、実力者ジョージ・ベントンに判定負け。1963年6月、あのシュガー・レイ・ロビンソンに判定勝ち。その次の試合でディック・タイガーから世界ミドル級王座奪取。初防衛戦でルービン・カーターに勝利(カーターはその後、冤罪で長期服役。映画にもなった)。しかし、タイガーとの四戦目に敗れ、王座陥落。既にボロボロだったが、「ライトヘビー級に挑戦したい」ということでカムバック。しかし、二勝二敗で引退。引退後は保険の営業マン、化学会社でマーケティング担当者になったとか。ボランティア活動も行う慈善家の面も。


①「Middleweight 

Joey Giardello vs. Walter Cartier」

②「Middleweight 

Joey Giardello vs. Willie Troy」

③「Middleweight 

Joey Giardello vs. Al Andrews」


ジョージ・ベントン(George Benton)のページ

2026年4月22日水曜日

ジョージ・ベントン(George Benton)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界挑戦を阻止され続けたミドル級。ボビー・ボイド戦、ハリケーン・カーター戦、アレン・トーマス戦を紹介します。


ジョージ・ベントン(アメリカ)

身長178cm:オーソドックス(右構え)

ジョージ・ベントン(George Benton)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ジョージ・ベントン 10R 判定 ボビー・ボイド

(ミドル級戦、1959年)

ベントン:右ストレート、フック   

ボイド:右ストレート、フック

(感想:ペンシルベニア州フィラデルフィア出身の黒人ベントン。実力がありながら世界挑戦のチャンスを阻止され続けた男。世界王者になっていないため、有名選手のセコンドに付く姿の方が有名かもしれない。11人兄弟の家庭。16歳でプロに。1949年、フィラデルフィアでのデビュー戦は1RでKO勝ち。判定で初黒星。そこから連勝。判定負けはあったが、KO負けは無し。ボイドはイリノイ州シカゴ出身の黒人で、身長180cm。1952年のデビューから概ね好調。しかし、当時の実力者ウィリー・トロイ、モーゼス・ウォードに二連続KO負け。ジーン・フルマーに判定勝ち、ジョーイ・ジャーデロにKO負け。直前の試合は1RでTKO負け。一定の実力はあるが、それ以上にはなれない状況にある。フィラデルフィアでの一戦(短いハイライト映像で観戦)。共に黒人選手でモノクロ映像のため黒のトランクス着用に見える両者。映像ではどちらがベントンかもわからない。似たような体格で、力を込めて右ストレート、フックの応酬。攻めている方(左のガードをやや下げている。コチラがベントンか?)は左フックの打ち方が巧く、パワフル。応戦する方も連打の回転が速いが、ロープ、コーナーに詰められて苦戦。判定は3-0でベントン。共に力強かったが、左フックに違いがあった。その後のボイド。再起戦にTKO負けで事実上、キャリアを終えた。)


ルービン・ハリケーン・カーター 10R 判定 ジョージ・ベントン

(ミドル級戦、1963年)

ベントン:左ジャブ、右ストレート、フック   

カーター:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ボイド戦後、判定で二連敗のベントン。後の世界J・ミドル級王者フレディ・リトル(日本で世界王座をKO防衛したことでおなじみ)に判定勝ち。さらに判定負けを喫したが、その後はジョーイ・ジャーデロを3-0で下すなど連勝中。カーターはニュージャージー州クリフトン出身の黒人。犯罪で少年院に入ったが逃走し、軍人になった過去。1963年にデビューして判定勝ち。判定負けはあったが、好調。直前の試合はホセ・ゴンザレスに負傷TKO負け。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での注目の一戦(レフェリーはアーサー・マーカンテ)。共に速いジャブ。左のガードを下げた構えのベントンがジャブ、ワンツー、左フックからの右ストレート。カーターは上半身の筋肉があり、ガードを固めてパワフルなストレート、フック連打。ゴツいパワーで押すタイプだが、左フックからの右ストレート、隙を突く攻撃などテクニックも持っている。接近戦ではボディの打ち合い、もみ合い。右ストレートからの左フックといったコンビネーションを出すベントンに対し、カーターは接近戦ではややモタモタしたところが(全てのパンチにパワーを込めるため疲れるのだろう)。速さとパワーのベントン、ゴツいパワーのカーター、といった展開で10R終了。判定は2-1(ダウンシーンは無し)。カーターのパワーが評価されたか。映像ではコンビネーションを使うベントンの方が勝ったように見えた。まるで「シュガー・レイ・レナード vs. トーマス・ハーンズ」のようだった試合。まだ強さがあった頃にミドル級でレナードとハーンズが対戦していたら、この「ベントンvs.カーター」のような試合になっていたかも。その後のカーター。あのエミール・グリフィスを1RでTKOしたり、後のWBA世界ヘビー級王者ジミー・エリスに3-0で勝利したり。しかし、ジョーイ・ジャーデロの世界ミドル級王座への挑戦は判定負け。その後も多くの試合を行ったが、勝ったり負けたり。強盗容疑で逮捕され、有罪。無実を訴え続けたが、無視されて長期服役。刑務所で書いた自叙伝がキッカケになってついに「冤罪」が認められるという波乱に満ちた人生となった。)


ジョージ・ベントン 10R 判定 アレン・トーマス

(ミドル級戦、1963年)

ベントン:左ジャブ、右ストレート、フック   

トーマス:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:カーターに敗れたベントンの再起戦。トーマスはアラバマ州タスキーギ出身の黒人。身長180cm。1959年にデビューしたが、二戦目でKO負け。そこから連勝。イリノイ州王座(ライトヘビー級)をTKOで獲得している。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。開始から積極的なトーマス。スリムな身体からシャープなパンチでジャブ、右ストレート、接近してフック連打。ベントンは受けて立つ戦いぶり。ディフェンスしながら右ストレート、フックで応戦。右カウンター、左フックに巧さ、大きめの右フックに迫力。左フックからの右ストレートといったコンビネーションも使用。手数を出すトーマスだが、どうやらブロックされている様子。ベントンの正確な強打を時折食い、勢いが落ちていく。10R、シャープなパンチで頑張るトーマスだが、そこまで。10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。共に良い選手だったが、パワー&パンチの正確さでベントンが上だった。その後の二人。トーマスはボブ・フォスター(後の世界ライトヘビー級王者)に1Rで敗れるなど勝ったり負けたりに。1970年までリングに上がった。ベントンは多くの試合。ペンシルベニア州王座(ミドル級)を獲得したり、ジミー・エリスに2-0で勝利したり。しかし、元世界ウェルター級王者ルイス・ロドリゲス、強打者ベニー・ブリスコにTKO負け。中堅相手に連勝だったが、判定負け。そして、事件。ベントンの家族に逆恨みした男に銃で撃たれて引退。引退後はエディ・ファッチに弟子入り。伝説の「マニラのスリラー」ではジョー・フレージャーのセコンド。トレーナーとしてイベンダー・ホリフィールド、パーネル・ウィテカーといった名のある選手を指導。1989年と1990年に「年間最優秀トレーナー」賞。2001年、ボクサーではなくトレーナーとしての功績により国際ボクシング殿堂入り。シュガー・レイ・レナードに似たタイプだったベントン。レナードは五階級制覇。ベントンはローカル王座のみ。時代によって運が大きく違うのが人生の厳しいところ。)


①「Middleweight 

George Benton vs. Bobby Boyd」

②「Middleweight 

George Benton vs. Rubin Carter」

③「Middleweight 

George Benton vs. Allen Thomas」

 

2026年4月17日金曜日

ジェイ・フルマー(Jay Fullmer)&ドン・フルマー(Don Fullmer)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

フルマー兄弟。「ジェイ・フルマー vs. ジム・モーリー」「ドン・フルマー vs. レトル、フュメレル」を紹介します。


ジェイ・フルマー(アメリカ)

身長171cm:オーソドックス(右構え)

ジェイ・フルマー(Jay Fullmer)&ドン・フルマー(Don Fullmer)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ドン・フルマー(アメリカ)

身長175cm:オーソドックス(右構え)

ジェイ・フルマー(Jay Fullmer)&ドン・フルマー(Don Fullmer)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ジェイ・フルマー 2R KO ジム・モーリー

(ウェルター級戦、1957年)

フルマー:左ジャブ、右ストレート、フック   

モーリー:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

2R:左フックでモーリーがダウン

(感想:フルマー兄弟はユタ州ウェストジョーダン出身の白人。兄ジーン(1931年生まれ)、弟ジェイ(1937年)&ドン(1939年)。ジーンは世界ミドル級王者になり、シュガー・レイ・ロビンソンとの対戦であまりにも有名。ジェイは1956年、ニューヨークでデビュー(判定勝ち)。以来、連勝中。モーリーはユタ州ソルト・レーク・シティの選手で、四回戦選手。ウェストジョーダンでの一戦。長身のモーリー。アップライトスタイルからジャブなどを出すが打ち方がぎこちなく、ガードに甘さ。フルマーが接近して右ストレート、フック。2R、強烈な右カウンターからの左フックでモーリーがダウン。立てず、KO。フルマーが楽勝。勝っても自慢にならない相手だったが、フィニッシュのコンビネーションはスムーズかつパワフルだった。モーリーは残念ながらバランスが悪く、基本ができていなかった。その後の二人。モーリーは数試合やって引退。フルマーは中堅らを相手に連勝だったが、TKOで初黒星。その後は試合経験のある選手には敵わず。タイトル戦を行うことなくキャリア終了。)


ドン・フルマー 10R 判定 ステファン・レトル

(ミドル級戦、1960年)

フルマー:左ジャブ、右ストレート、フック   

レトル:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:アマチュアでは65戦無敗だったというドン。1957年、ウェストジョーダンでプロデビュー(TKO勝ち)。経験の浅い相手に連勝。それがまずかったか、三連敗。そこからまた連勝中。レトルはハンガリーの白人。デビューから主戦場はアメリカ。連勝だったが、2-1で初黒星。ローカル王座(ウェルター級)獲得。直前の試合でTKO負けするなどこのところ勝ったり負けたりで苦戦中。ウェストジョーダンでの一戦。互いにジャブ。攻めの姿勢で前進するレトルだが、雑な攻めで攻撃の正確さに欠ける。フルマーは相手から距離を取って戦うタイプで、接近してくる相手に右ストレートからのフック連打。パワーがあるが、相手のレトルは意外にディフェンスが巧い。決定打を欠く状況のまま10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。フルマーが手数で勝利。受け身の試合ぶりなところもあったが、パワーとディフェンスのテクニックがあった。レトルはヨーロッパ人らしからぬ雑な打ち方が残念。その後、レトルはカーチス・コークスらに連敗。ドイツでは強かったが、アメリカではトニー・デマルコといった実力者に敗北。)


ドン・フルマー 10R 判定 ロッキー・フュメレル

(ミドル級戦、1961年)

フルマー:左ジャブ、右ストレート、フック   

フュメレル:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

3R:左フックでフュメレルがダウン

(感想:レトル戦後も連勝を続けたドンだが、ジョーイ・アーチャーに2-0で敗北。再起戦でフュメロルと対戦。フュメロルはニューヨーク州バッファロー出身の白人で、ニックネームは「ブロンド・ボンバー」(相当パンチが強いのだろう。「ジャック・デンプシーのような奴」と言われたこともあるとか)。父がアマチュアボクサーだった縁でボクシングを選択。アマチュアで全勝、大会で優勝経験。プロではデビューから連勝。「天才型」のようだが、トニー・デューパスに判定で初黒星(インフルエンザ後で体調不良だったらしい)。ベテランのラルフ・タイガー・ジョーンズに判定勝ちし、フルマー戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での注目の一戦。互いにジャブ。共に良い選手。フルマーがパワーを込めてゴツいストレート、フック連打。フュメレルはパンチのキレで勝負するタイプで、ボロパンチのような右フック、パワーを乗せた左ボディ打ち。テクニックを使いながら時折パワーのあるパンチを打ち込む。好調のフルマー。右フック、右ストレートからの左フックを当てる。3R、右ストレートからの強烈な左フックでフュメレルがダウン。その後もワンツー、連打にパワーと速さがあるフルマー。右ストレートからの左ジャブといったテクニックも披露。フュメレルは良いパンチを打つが、単発。10R終了。判定は3-0。共に才能を見せた試合。互いにパワーがあったが、フルマーは「ゴツいパワー」のうえパンチにキレ。フュメレルは「速いパワー」があったが、連打するタイプではなかった。両者の違いが結果に反映された形となった。その後のフュメレル。この後、ブランク。二試合やって引退。「ボクシングはもう楽しくなくなった」というのが理由。引退後は大学に通い、通信や不動産関連の職に就いたそうだ。)


その後のドン

多くの試合。エミール・グリフィス、ホセ・トーレス、ディック・タイガーに判定負け。後のWBA世界ヘビー級王者ジミー・エリスに判定勝ち。WBAアメリカ王座(ミドル級)を懸けてグリフィス、アーチャーに判定勝ちで雪辱。ニノ・ベンベヌチ、ホセ・ゴンザレスに判定負け。ボボ・オルソンらに連勝(1967年にジョー・ホプキンスと「世界ジュニア・ライトヘビー級王座」を懸けて対戦し、勝利。この王座はスーパーミドル級王座の前身となるものだったそうだが、当時は「何の値打ちもない王座」と見なされた)。ベンベヌチの世界ミドル級王座に挑戦したが、判定負け。その後もミドル級、ライトヘビー級で試合。実力者が多かった時代だったため連戦連勝とはいかなかったが、名のある相手と対戦したタフなキャリア。キズによるTKO負けはあったが、KOされての敗北は一度もなし。現役中、1968年の戦争映画『コマンド戦略』に弟ジーン、ヘビー級のレックス・レインらボクサーと共に出演。引退後は消防局に勤めたり、兄弟でボクシングジムを経営したり。このジムでは子供たちが無料でトレーニングできたそうだ。


①「Welterweight 

Jay Fullmer vs. Jim Morley」

②「Middleweight 

Don Fullmer vs. Stefan Redl」

③「Middleweight 

Don Fullmer vs. Rocky Fumerelle」

 

2026年4月15日水曜日

ルイス・ロドリゲス(Luis Rodriguez)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ウェルター級王者。エミール・グリフィスのライバル。ジーン・アームストロング戦、デニー・モイヤー戦ほかを紹介します。


ルイス・ロドリゲス(アメリカ)

身長173cm:オーソドックス(右構え)

ルイス・ロドリゲス(Luis Rodriguez)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ルイス・ロドリゲス 8R TKO ジーン・アームストロング

(ミドル級戦、1962年)

ロドリゲス:左ジャブ、右ストレート、フック   

アームストロング:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

4R:右フックでアームストロングがダウン

(感想:ロドリゲスはキューバ・カマグエイ出身。本名「ルイス・マヌエル・ロドリゲス」。身長173cmで、リーチは188cm。蛇のような鋭いジャブが武器。グリフィスのライバルだったが、グリフィスほど有名ではない。世界王座を獲得したが奪い返されて「47日間の天下」だったこと、テクニシャンタイプだったこと、が地味な存在だった理由(「ルイス・ロドリゲス」という普通すぎる名前も目立ちにくい理由だったかも)。しかしながら、ウェルター級のトップ選手だけではなく、ミドル級の実力者とも対戦した凄い男。トレーナーはあのアンジェロ・ダンディ。若き日のモハメド・アリはロドリゲスのスタイル(特にジャブ)に影響を受けたとか。1956年、ハバナでデビュー。連勝でベニー・パレットに連勝したり、キューバ王座(ウェルター級)を獲得したり。キューバに敵がいなくなったのか、アメリカ進出。1960年12月、エミール・グリフィスに判定負け、初黒星。テクニックを競い合う内容だったが、積極さでグリフィスに及ばず。カーチス・コークスにも判定負け。コークスとの再戦は判定勝ち。その後、ヤマ・バハマらを相手に連勝。アームストロングはアラバマ州ピケンズビル出身の黒人。デビューから連勝。しかし、ディック・タイガーには敵わず、三敗。タイガーとの三戦目でTKO負けしてから一年以上経過して再起戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。スリムなロドリゲス。長い足で相手から距離を取ってジャブ、ストレート。左フックからの長い右ストレートに迫力がある(トーマス・ハーンズ、マイク・マッカラムのようなタイプ)。アームストロングはパワーで押すタイプ。ジャブ連打、接近してフック、ストレート。荒っぽいところもあるが、ジャブに速さ。接近戦。ボディの打ち合い。距離を取って戦いたいロドリゲスだが、打ち合いに応じて左フックを当てる(長いリーチを持て余すことなく正確にフックを当てるテクニック)。アームストロングのパンチも時折ヒットするが、ロドリゲスはひるまない(タフなのか、微妙にディフェンスが巧いのか。柔軟な身体がそれを可能にしているようだ)。4R、右フックでアームストロングがダウン。立ったが、KO負け寸前まで追い込まれる。その後も打ち合い。8R、ロドリゲスの正確なフックが次々にヒット。アームストロングがフラついたところでレフェリーストップ。ロドリゲスがタフな試合に勝利。テクニシャンだが、よく打ち合った。アームストロングはよく頑張ったが、これが最後の試合に。引退後は牧師になり、1990年にニュージャージー州ボクシング殿堂入り。)


ルイス・ロドリゲス 9R TKO デニー・モイヤー

(ミドル級戦、1963年)

ロドリゲス:左ジャブ、右ストレート、フック   

モイヤー:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

8R:右ストレートでモイヤーがダウン

9R:右ストレートでモイヤーがダウン

(感想:アームストロング戦後も連勝でエミール・グリフィスの世界ウェルター級王座に挑戦したロドリゲス。3-0の判定で王座奪取(1963年3月21日)。しかし、6月8日の再戦に2-1で敗北で、アッサリ王座陥落(結果的にその後も多くの試合を行い、世界挑戦もしたロドリゲスだが、世界王座を獲得したのは一度きりだった)。その再起戦でモイヤーと対戦。モイヤーはオレゴン州ポートランド出身の白人。1957年のデビューから連勝。実力者ガスパー・オルテガを破るなど好調だったが、ドン・ジョーダンの世界ウェルター級王座に挑戦して3-0の敗北、初黒星。エミール・グリフィス、シュガー・レイ・ロビンソンに勝利したりするなど経験を積んで、世界J・ミドル級王者に。しかし、ラルフ・デューパスに2-1で敗れて初防衛ならず。デューパスとのダイレクト・リマッチは3-0の敗北。その次の試合でロドリゲスと勝負。短期間で世界王座を失った者同士のサバイバル戦。試合地はフロリダ州マイアミ・ビーチ。リズミカルなフットワーク&ジャブの両者。接近戦ではフック、ボディ打ち。攻めるロドリゲス、応戦するモイヤー。右ストレート、フックを当て、ボディを連打するなどロドリゲス優勢。8R、右ストレートでモイヤーがダウン。立ち上がり、クリンチでピンチをしのぐが9Rにも強烈な右ストレートでダウン。立ったが、レフェリーストップ。ロドリゲスがディフェンス&当てる巧さで勝利。「テクニシャン」と評価をされているロドリゲスだが、パンチはかなり強い。モイヤーは相手の柔軟さにやられた。その後のモイヤー。多くの試合。北米ミドル級王者になって1972年にカルロス・モンソンの世界ミドル級王座に挑戦したが、TKO負け。その後も1975年まで精力的に試合(後の世界ミドル級王者ビト・アンツォフェルモに3-0の敗北ほか)。タフだったが、レベルが高い時代で勝ち続けることはできなかった。)


ルイス・ロドリゲス 10R 判定 ウィルバート・マクルーア

(ミドル級戦、1963年)

ロドリゲス:左ジャブ、右ストレート、フック   

マクルーア:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

ワンツーでマクルーアがダウン

(感想:モイヤー戦の次の試合(10月の初戦。または12月の再戦の映像)。マクルーアはオハイオ州トレド(ジャック・デンプシーが王座を奪取した「トレドの惨劇」でおなじみ)出身の黒人。身長180cm。1960年のローマ・オリンピックに出場し、ライトミドル級で金メダル。プロ入り後はロドリゲス戦まで全勝。ロドリゲス戦は「真価が試される試練」といったところ。ニューヨーク、またはマイアミ・ビーチでの一戦。共にスラリとした体型でキレのある長いパンチ。ジャブ、右ストレート、フック。バランスが良いのはロドリゲスで、コンビネーションで攻める。マクルーアはバランスを崩すほどパワーを入れてワンツーなどを打つが、単発。しかし、接近戦では激しく応戦。強烈なワンツーでマクルーアがダウン。ロドリゲスも右ストレートを食うが、ひるまず。判定は3-0。バランスの良さでロドリゲス勝利。マクルーアはプロらしい試合を意識してパワーを込めたのであろうが、金メダリストらしくない粗さがあった。マクルーアはロドリゲスに二連敗。その後、ホセ・トーレス(後、世界ライトヘビー級王座獲得)、ハリケーン・カーターらに敗北。ミシガン州王座(ミドル級)を獲得できたが、連敗。ラストファイトは1970年でビル・ダグラス(ジェームズ・バスター・ダグラスの父)にTKO負けだった。)


その後のロドリゲス

多くの試合。ルービン・ハリケーン・カーターに判定勝ち(二度)、1966年7月6日、カーチス・コークスとの世界ウェルター級王座挑戦者決定戦にTKO負け、強打者ベニー・ブリスコに判定勝ち(二度)、ビセンテ・ロンドン(後のWBA世界ライトヘビー級王者)に判定で一勝一敗、1969年11月22日にニノ・ベンベヌチの世界ミドル級王座に挑戦してKO負け。世界王座に返り咲くことなく、1972年まで戦い続けた。世界王座に就いたのは一度だけで短期間という実力に見合わない結果となったが、1997年に国際ボクシング殿堂入りを果たした。


①「Middleweight 

Luis Rodriguez vs. Gene Armstrong」

②「Middleweight 

Luis Rodriguez vs. Denny Moyer」

③「Middleweight 

Luis Rodriguez vs. Wilbert McClure」


カーチス・コークス(Curtis Cokes)のページ


2026年4月8日水曜日

カーチス・コークス(Curtis Cokes)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ウェルター級王者。世界王者になる前の試合&世界戦。スタンリー・ヘイワード戦、ウィリー・ルディック戦(初戦)ほかを紹介します。


カーチス・コークス(アメリカ)

身長173cm:オーソドックス(右構え)

カーチス・コークス(Curtis Cokes)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

スタンリー・ヘイワード 4R TKO カーチス・コークス

(ウェルター級戦、1964年)

コークス:左ジャブ、右ストレート、フック   

ヘイワード:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

2R:左フックでヘイワードがダウン

4R:右フック、右フック、右ストレートで3度、コークスがダウン

(感想:コークスはテキサス州ダラス出身の黒人。レベルが高い時代で実力者としのぎを削ってきた。1958年のデビュー戦は判定勝ち(相手はマヌエル・ゴンザレス。後、ゴンザレスはエミール・グリフィスの世界ウェルター級王座に挑戦して判定負け)。連勝後、ゴンザレスとの再戦に判定勝ちしたが、三度目の対戦は判定でゴンザレス勝利(コークス初黒星)。後の世界ウェルター級王者ルイス・ロドリゲスに判定勝ち。ゴンザレスと空位のテキサス州王座(ウェルター級)を争って判定勝ち。ロドリゲスとの再戦で判定負け。連続KO勝ちしたこともあったが、ホセ・ステイブルに判定負け。再起二連勝でヘイワード戦。ヘイワードはペンシルベニア州フィラデルフィア出身の黒人。1959年のデビューから連勝後、2-1で初黒星。その相手に雪辱して連勝。ヘイワードもまたホセ・ステイブルに判定負け。再起二連勝でコークスと勝負。王座戦の経験はまだない。ヘイワードの地元フィラデルフィアでの一戦。正統派のコークス。足で相手から距離を取ってジャブ。右ストレートを当てるなどテクニックで勝負するタイプで、パワーはそこそこ。ヘイワードは気合いが入っているのか、パワフルな攻め。ジャブを使いながら接近してフック、ボディ連打。2R、左フック、右カウンターが効いたヘイワード。左フックでダウン。3R、ストレート、フックを打ち合うパワフルな攻防(コークスはいざというときはパワーがある。テクニックだけではない)。4R、右フックが効いたコークス。激しく連打するヘイワード。右フックでダウン。かなり効いているが、レフェリーは続行を指示(現在だったらストップだったかも)。右フックで二度目のダウン。今度も立ったが、左フックからの右ストレートで三度目。レフェリーはようやく試合を止めた。ヘイワードが実に力強い勝利。右フックが凄まじかった。コークスはキレイなボクシングだが、嵐のような乱打に巻き込まれた(テクニシャンの宿命か?)。その後のヘイワード。ベニー・ブリスコ、エミール・グリフィスに勝利。フレディ・リトルと空位の世界J・ミドル級王座を争って判定負け。そこで緊張が途切れたらしく、グリフィスとの再戦に敗北。ユージーン・ハート、ウィリー・モンロー、ブリスコ(再戦)といったミドル級の実力者に勝てず、引退。)


カーチス・コークス 10R TKO フランソワ・パビラ

(世界ウェルター級タイトル戦、1967年)

コークス:左ジャブ、右ストレート、フック   

パビラ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

10R:右アッパーでパビラがダウン

(感想:コークスがタイトル防衛。ヘイワードに衝撃のTKO負けを喫したコークスだが、何とその10日後に再起戦を行って判定勝ち(信じられないスケジュール)。その後、判定負けを一つ喫したが、連勝。ライバルのルイス・ロドリゲス、マヌエル・ゴンザレスに連勝後、世界ウェルター級王者に。初防衛に成功。ところがノンタイトル戦でフランソワ・パビラとドロー、ジプシー・ジョー・ハリスに判定負け。パビラと世界王座を懸けて二度目の防衛戦。挑戦者パビラはマルティニークの首都フォール・ド・フランス出身の黒人。1959年にパリでデビュー以来、連勝でフランス王者に(ウェルター級)。ローマで欧州王座に挑戦したが、TKO負けで初黒星。判定でフランス王座陥落。決定戦でフランス王座返り咲き。ジャン・ジョスランに判定負けしたが、その再起戦でコークスの王座に挑戦するチャンス。コークスの地元ダラスでの一戦(10Rのみの映像で観戦)。フットワーク&ジャブでアウトボクシングのパビラ。コークスはジャブ、ストレート連打で相手を追い掛け、フック、アッパー、ボディ打ち。左フックが効いて後退したパビラ。右アッパーでダウン。立ち上がり、レフェリーは続行を許可。しかし、セコンドがタオルを投入して試合終了。コークスが多彩な攻撃を見せて快勝。短い映像だったが、当てるテクニックが感じられた。パビラは相手のスケール(懐の広さ)に圧倒されたようだ。その後のパビラ。フランス王座戦に勝利したが、マルセル・セルダン・ジュニアに判定負け(1968年4月29日)。1968年8月22日、心臓発作で死去。30歳の若さだった。)


カーチス・コークス 5R TKO ウィリー・ルディック

(世界ウェルター級タイトル戦、1968年)

コークス:左ジャブ、右ストレート、フック   

ルディック:左ストレート、フック

(ダウンシーン)

5R:右アッパーでルディックがダウン

(感想:コークスがタイトル防衛。四度目の防衛戦。挑戦者ルディックは南アフリカ・フェリーニヒング出身の黒人サウスポー。身長は175cmでコークスより少し高い。1960年のローマ・オリンピックにライト級で出場(メダルは獲得ならず)。プロでは南アフリカ王座(ウェルター級)を連続防衛、ラルフ・デュパス(元世界J・ミドル級王者)に判定勝ち、南アフリカ王座(ミドル級)、南アフリカ版・世界ウェルター級王座獲得。連勝中の勢いでコークスに挑戦。ダラスでの一戦。ガードを固めて前進するルディック。左ストレート、フックで攻撃。特に左フックに自信があるようで、連発する。コークスは攻めてくる相手を右カウンター、フックで迎え撃つ。ディフェンスしながら隙を突くコークス。5Rに正確なパンチ。右カウンター、左フック。そして、ワンツーからの右アッパーでルディックがダウン。立ったが、ダメージ。コークスが畳み掛ける容赦ない攻撃。右ストレートを入れたところでレフェリーストップ。コークスが快勝(勝って大喜び)。当てる巧さに豪快さが加わった良いパンチを打っていた。ルディックは左パンチに強さがあったが、粗いボクシング。攻めをディフェンスされた。その後の二人。ルディックはコークスとの再戦(ノンタイトル戦)もKO負け、南アフリカ王座戦(ウェルター級、ミドル級)に敗北、南アフリカ王座(J・ミドル級)を獲得して国内王座を三階級制覇。南アフリカの実力者としてキャリアを終えた。コークスは安定王者として活躍したが、ホセ・ナポレスに敗れて王座陥落(1969年)。王座を懸けた再戦もナポレス勝利。以後も1972年まで試合。引退後はトレーナーに転身。アイク・イベアブチ、カーク・ジョンソン、クインシー・テイラーを指導。ジョン・ヒューストン監督のボクシング映画『ゴングなき戦い(ファット・シティ)』(1972年)では「ボクサーではない役」を演じたそうだ。)


①「Welterweight 

Curtis Cokes vs. Stanley Hayward」

②「World Welterweight Title

Curtis Cokes vs. Francois Pavilla」

③「World Welterweight Title

Curtis Cokes vs. Willie Ludick」

 

ベニー・パレット(Benny Kid Paret)&ホセ・ステイブル(Jose Stable)のページ

2026年4月1日水曜日

ベニー・パレット(Benny Kid Paret)&ホセ・ステイブル(Jose Stable)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

キューバのウェルター級。「パレット vs. ドン・ジョーダン」「ステイブル vs. カーチス・コークス、ヘイワード」を紹介します。


ベニー・パレット(キューバ)

身長171cm:オーソドックス(右構え)

ベニー・パレット(Benny Kid Paret)&ホセ・ステイブル(Jose Stable)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ホセ・ステイブル(キューバ)

身長169cm:オーソドックス(右構え)

ベニー・パレット(Benny Kid Paret)&ホセ・ステイブル(Jose Stable)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ベニー・パレット 15R 判定 ドン・ジョーダン

(世界ウェルター級タイトル戦、1960年)

パレット:左ジャブ、右ストレート、フック

ジョーダン:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:パレットがタイトル獲得。挑戦者パレットはキューバのサンタ・クララ出身の黒人。キューバを主戦場に経験を積み、後の世界王者ルイス・ロドリゲスに判定負け。アメリカ進出。連勝後、二連敗。実力者ガスパー・オルテガに惜しい判定負け。そこから負け無しで、初の世界挑戦。王者ジョーダンはカリフォルニア州ロサンゼルス出身の黒人。身長175cmで、リーチは178cm。1953年にデビュー。二つの判定負け後、カリフォルニア州王座(ライト級)を獲得。防衛にも成功して連勝だったが、アート・アラゴンに判定負け。アラゴンとの再戦にも敗れるなど勝ったり負けたりに。1957年の半ばあたりから好調。デイブ・チャーンレイに英国で判定負けしたが、ガスパー・オルテガとの世界王座挑戦者決定戦に勝利。バージル・エイキンスを破って世界ウェルター級王者に。エイキンス、デニー・モイヤー相手に防衛。ノンタイトル戦で二連敗の状況でパレットと三度目の防衛戦。ラスベガス「コンベンション・センター」での一戦。似たタイプの二人。ジャブ、ストレート、フック。長いパンチが武器のジョーダンは距離を取って戦いたいようだが、パレットは接近戦を仕掛けてボディ連打、細かいフック。応戦するジョーダン。接近されて長いパンチを使いづらそうな雰囲気。手数、ボディ打ちでポイント上、パレットが優勢か? 15R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。接近戦でのボディ連打でパレット。作戦勝ちといったところ。ただ、共にテクニシャンタイプで、パワーはそこそこだった印象。その後の二人。ジョーダンは不調。カーメン・バシリオ、トニー・デマルコらを相手に連敗で引退(1962年)。1997年4月13日、62歳で死去。前年に強盗に遭って以来、昏睡状態だったという。パレットもまた厳しい。デニー・モイヤー、オルテガ(再戦)にノンタイトル戦で敗れる不覚(やはりパワー不足だった)。エミール・グリフィスとの世界王座をめぐる抗争。そして、グリフィスとの三戦目。試合のダメージで死去。勝ったグリフィスもショック。それ以降は激しい攻めを控えるようになり、「猛烈ファイター、グリフィス」もパレットと共に死んだ。)


ホセ・ステイブル 10R 判定 カーチス・コークス

(ウェルター級戦、1963年)

ステイブル:左ジャブ、右ストレート、フック

コークス:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ステイブルはキューバのラ・マヤ出身の黒人。1959年、ハバナでのデビューから連勝。2-1の判定で初黒星。アメリカを主戦場に移して連勝。英国遠征でデイブ・チャーンレイにPTSによる敗北。再起二連勝でコークス戦。コークスはテキサス州ダラス出身の黒人。1958年デビュー、判定勝ち(相手はマヌエル・ゴンザレス。後、ゴンザレスはエミール・グリフィスの世界ウェルター級王座に挑戦して判定負け)。連勝後、ゴンザレスとの再戦に判定勝ちしたが、三度目の対戦は判定でゴンザレス勝利(コークス初黒星)。後の世界ウェルター級王者ルイス・ロドリゲスに判定勝ち。ゴンザレスと空位のテキサス州王座(ウェルター級)を争って判定勝ち。ロドリゲスとの再戦で判定負け。このところ四連続KO勝ちでステイブル戦。ニューヨーク州クイーンズでの一戦。ファイタータイプのステイブル。トリッキーな動きを入れながらジャブ。前進して右ストレート、フック。キューバのボクサーには「正統派テクニシャン」のイメージがあるが、パワーで攻める姿は後のマイク・タイソンのよう。コークスはスラリとした身体で、実にキレイなボクシング。相手から距離を取ってジャブ、ワンツー、正確なフック。攻めてくるステイブルに右ストレート、右アッパーでカウンター。7R、サウスポーにチェンジして左ストレートを出すステイブルだが、もう一つ(また、元のオーソドックスに戻した)。9R、10、コークスの右ストレートがヒット。10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。当時のジャッジは「攻める選手」を好んだらしい。前に出たステイブル勝利。しかし、コークスも良いパンチで、一進一退だった。その後のコークス。ライバルのルイス・ロドリゲス、マヌエル・ゴンザレスに連勝後、世界ウェルター級王者に。安定王者として活躍したが、ホセ・ナポレスに敗れて王座陥落(1969年)。王座を懸けた再戦もナポレス勝利。以後も1972年まで試合。引退後はトレーナーに転身。アイク・イベアブチ、カーク・ジョンソン、クインシー・テイラーを指導。ジョン・ヒューストン監督のボクシング映画『ゴングなき戦い(ファット・シティ)』(1972年)に出演したが、「ボクサーではない役」を演じたそうだ。)


ホセ・ステイブル 10R 判定 スタンリー・ヘイワード

(ウェルター級戦、1963年)

ステイブル:左ジャブ、右ストレート、フック

ヘイワード:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ヘイワードはペンシルベニア州フィラデルフィア出身の黒人。1959年のデビューから連勝後、2-1で初黒星。その相手に雪辱して連勝。王座戦の経験はまだない。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。ゴング前、星条旗を持った連中がリングインして何やらアピール(警備員に追い出された。何者だったのだろう?)。試合開始。スリムな体型のヘイワードは素晴らしい選手。シャープなパンチを使い、右ストレート、斜め下からの左フックにはパワーがある。ステイブルは攻めの姿勢。ワンツー、接近してフック、ボディ打ち。互いにジャブ、ストレート、接近戦ではフックでの打ち合い。一進一退で、互いのパンチがヒット。10R、フットワークを使いながら接近して連打の ステイブル。ヘイワードは応戦。10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。ステイブルが攻勢点で勝利したらしい。ただ、ヘイワードの正確なパンチも良かった。共に良い選手。その後の二人。ヘイワードはカーチス・コークス、ベニー・ブリスコ、エミール・グリフィスに勝利。フレディ・リトルと空位の世界J・ミドル級王座を争って判定負け。そこで緊張が途切れたか、グリフィスとの再戦に敗北。ユージーン・ハート、ウィリー・モンロー、ブリスコ(再戦)といったミドル級の実力者に敗れて引退。ステイブルは更に連勝後、エミール・グリフィスの世界ウェルター級王座に挑戦して、3-0の敗北。そこからアーニー・ロペス(ホセ・ナポレスの世界ウェルター級王座に挑戦してKO負け。弟ダニーはWBC世界フェザー級王者に)に敗れるなど敗北を重ねていった。引退後の1981年、警官を射殺。終身刑になった。)


①「World Welterweight Title

Don Jordan vs. Benny Kid Paret」

②「Welterweight 

Jose Stable vs. Curtis Cokes」

③「Welterweight 

Jose Stable vs. Stanley Hayward」

 

2026年3月27日金曜日

ガスパー・オルテガ(Gaspar Ortega)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ウェルター級。コンビネーションが武器。デニー・モイヤー戦、ベニー・パレット戦、ビリー・ベロー戦ほかを紹介します。


ガスパー・オルテガ(メキシコ)

身長175cm:オーソドックス(右構え)

ガスパー・オルテガ(Gaspar Ortega)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

デニー・モイヤー 10R 判定 ガスパー・オルテガ

(ウェルター級戦、1959年)

オルテガ:左ジャブ、右ストレート、フック

モイヤー:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:メキシコ・メヒカリ出身のオルテガ。スリムな体型で、ニックネームは「エル・インディオ」。1953年にメキシコでデビュー。以来、連勝だったが、判定で初黒星。ローカル王座戦で判定負け。アメリカのリングにも上がり、元世界王者トニー・デマルコに勝利、キッド・ギャビランに判定負け。ギャビランとの世界王座挑戦者決定戦に勝利したが、当時は実力者が多かった時代。連戦連勝というわけにはいかず、世界戦のチャンスを逃してきた(ただし、これまでの負けは全て判定で、KOされたことはまだない)。このところドン・ジョーダンに二連続で2-1の敗北(ジョーダンはオルテガ戦の次の試合で世界ウェルター級王者に)。モイヤーはオレゴン州ポートランド出身の白人。1957年のデビューから連勝中。王座戦の経験はまだない。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦(レフェリーはアーサー・マーカンテ。TVスポンサーはヒゲソリでおなじみ「ジレット」)。長いパンチを使うオルテガ。ジャブ、右ストレート、左ロングフック。振りは大きいが、パンチにはキレがあり、動きも機敏。モイヤーはなかなか地味な男。受け身の姿勢で隙を狙うボクシング。当てる巧さがあり、ワンツーからの左フックにパワーがあるが、パワフルな攻めは少な目(KOを狙うタイプではない)。時折ロングパンチを当てるオルテガ。細かいパンチを当てるモイヤー。10R終了。判定は2-1(ダウンシーンは無し)。モイヤーの隙を突くパンチが評価されたか。この試合のオルテガは長いパンチを使うだけ。後にコンビネーションのバリエーションが増えていくが、この試合のような敗北から教訓を得たのかもしれない。その後のモイヤー。ドン・ジョーダンの世界ウェルター級王座に挑戦して3-0の敗北、初黒星。エミール・グリフィス、シュガー・レイ・ロビンソンに勝利したりするなど経験を積んで、世界J・ミドル級王者に。しかし、初防衛ならず。王座陥落後も多くの試合。北米ミドル級王者になってカルロス・モンソンの世界ミドル級王座に挑戦したが、TKO負け。レベルが高い時代で勝ち続けることはできなかった。)


ガスパー・オルテガ 10R 判定 ベニー・パレット

(ウェルター級戦、1959年)

オルテガ:左ジャブ、右ストレート、フック

パレット:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:実力者との戦いが続くオルテガ。パレットはキューバのサンタ・クララ出身の黒人。キューバを主戦場に経験を積み、後の世界王者ルイス・ロドリゲスに判定負け。アメリカ進出。連勝後、二連敗。再起戦に判定勝ちしてオルテガ戦。あまり勢いがあるとは言えない状況。「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦(TVスポンサーは「ジレット」)。共にスリムな身体でリズミカル。接近戦ではフック連打などで手数。コンビネーションに良さがある二人。パレットは左フック連打からの右ストレート。オルテガはパワーを入れて右フックからの左フック、左右フックでボディ連打。似たタイプでパンチがシャープだが、パワーはオルテガか? パレットはクリーンな試合ぶりで、左フックを当てるテクニック。10R終了。勝利を確信している様子のパレットと陣営だが、判定は2-1でオルテガ(ダウンシーンは無し)。一進一退の勝負。大きな力の差はなかったが、パワーを込めた分、オルテガの方が見栄えが良かったようだ。負けたパレットはガッカリしていたが、その後、連勝でドン・ジョーダンから世界ウェルター級王座奪取。エミール・グリフィスとの世界王座をめぐる抗争。そして、グリフィスとの三戦目。試合のダメージで死去。勝ったグリフィスもショックを受け、それ以降は激しい攻めを控えるようになってしまった。)


チャーリー・スコット 10R 判定 ガスパー・オルテガ

(ウェルター級戦、1962年)

オルテガ:左ジャブ、右ストレート、フック

スコット:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:パレット戦後も苦闘が続くオルテガ。エミール・グリフィスと対戦したが、一進一退の攻防の末、2-1の敗北。中堅どころには勝つ安定感があるが、当時の世界ウェルター級はハイレベル。グリフィスの世界ウェルター級王座に挑戦して、今度はTKO負け。以後、中堅相手にまずまずの戦績でスコット戦。スコットはペンシルベニア州フィラデルフィア出身の黒人。1953年にデビューしたが、連勝しては連敗の不安定なキャリア。敗北は判定が多いが、後の世界ウェルター級王者ルイス・ロドリゲスにKO負け。ペンシルベニア州王座(ウェルター級)を獲得できたが、パレットに二連敗。このところ勝ったり負けたり。メリーランド州ボルチモアでの一戦。開始から激しい接近戦。オルテガが右フックからの左フック、打ち下ろすようなワンツーからの左フックなどのコンビネーション。スコットは左フックに自信があるようで、左フックを連打、左ボディ打ち。2R、左フックを食うオルテガ。3Rにも打たれてクリンチ。しかし、互いに譲らず。ダメージを負う激しい攻防が最後まで続いて10R終了。判定は3-0。世界戦レベルの攻防が見られた試合。コンビネーションを使うオルテガに対し、スコットは連打&左フック。ジャッジはスコットのパワフルな左フックを評価したようだが、どちらも素晴らしかった。勝った方も大きなダメージだったろう。その後のスコット。激しい試合をしてきた結果なのか、その後はベニー・ブリスコにペンシルベニア州王座戦でKOされるなど負けが多くなっていった。)


ガスパー・オルテガ 10R 判定 ビリー・ベロー

(ウェルター級戦、1963年)

オルテガ:左ジャブ、右ストレート、フック

ベロー:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:スコット戦後、中堅選手との試合が続くオルテガ。ベロー(20歳)はニューヨーク州ベイ・ショア出身の白人。1961年デビューの若手で、ニューヨークが主戦場。中堅どころと戦ってきたが、KO負けは一度もない。「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。いきなり右フックをかますオルテガ。コンビネーション(右アッパーからの左フック、左右フックボディからの左フック、左ボディダブルからの右ストレート、右ストレートからの左フックなど)、ボディ打ちが冴える。ベローも左フックをボディからアゴへ連打したり、右ストレートにパワーを込めたり。共にコンビネーション、ディフェンス。よりスムーズで手数が多いのはオルテガ(ただし、「一発のパワー」は軽め)。オルテガの手数、ベローの反撃。次第にクリンチが目立つオルテガだが、上体の滑らかな動きでディフェンスはしっかり。10R終了。判定は2-1(ダウンシーンは無し)。多彩なコンビネーションでオルテガ。ベローもよく頑張った。しかし、その2週間後にベローは死去。死因は「急性麻薬中毒」。その後のオルテガ。イタリア・ローマでニノ・ベンベヌチに判定負けするなど多くの試合を行ったが、世界戦は無し(結局、全キャリアで世界挑戦は一度だけ)。キャリア終盤は連敗続きで、1965年に引退。通算戦績131勝(69KO)39敗6分。世界王者になってもおかしくない選手だったが、判定で競り負けるなどパワーが不足していたのが惜しい。)


①「Welterweight 

Gaspar Ortega vs. Denny Moyer」

②「Welterweight 

Gaspar Ortega vs. Benny Kid Paret」

③「Welterweight 

Gaspar Ortega vs. Charley Scott」

④「Welterweight 

Gaspar Ortega vs. Billy Bello」

 

2026年3月13日金曜日

ニコリノ・ローチェ(Nicolino Locche)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

WBA世界J・ウェルター級王者。世界王座防衛戦のカルロス・エルナンデス戦、ジョアン・エンリケ戦ほかを紹介します。


ニコリノ・ローチェ(アルゼンチン)

身長168cm:オーソドックス(右構え)

ニコリノ・ローチェ(Nicolino Locche)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ニコリノ・ローチェ 15R 判定 カルロス・エルナンデス

(WBA世界J・ウェルター級タイトル戦、1969年)

ローチェ:左ジャブ、右ストレート、フック

エルナンデス:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

2R:右フックでローチェがダウン

(感想:ローチェがタイトル初防衛。アルゼンチン・トゥヌヤン出身のローチェ。ニックネームは「El Intocable」(「触れることができない」「接近できない」の意。ディフェンスの巧さなどで相手を寄せ付けない試合ぶりを例えているのだろう)。アマチュアでは何と122戦5敗。1958年、プロ転向。以後、判定負けやドローはあったが、好調。アルゼンチン王座、南米王座(いずれもライト級)を獲得。1965年、イスマエル・ラグナ(パナマ)とドロー。1966年、サンドロ・ロポポロに3-0の勝利。デビューからほとんどの試合をアルゼンチンで行ってきたが、東京蔵前国技館で藤猛に勝利してWBA王者に(藤はWBA・WBC王者だったが、ローチェ戦の前にWBC王座は剥奪されてしまっていた)。挑戦者エルナンデスはベネズエラ・カラカス出身。身長178cmの長身。「ベネズエラ初の世界王者」で、かつてこの王座を保持していたことがある。エディ・パーキンスを破って世界J・ウェルター級王座獲得。三度目の防衛戦でロポポロに王座を奪われた(1966年)。それから時が経ったが王座奪回なるか、といったところ。アルゼンチン・ブエノスアイレスでの一戦。なかなか面白いボクシングをするローチェ。あまり動かず、ディフェンスしながら左のテクニック(左ジャブ、意表を突くタイミングで踏み込んで左フック、ワンツー)。しかし、攻めるときは連打(左フックからの右ストレートなど。ただし、KOを狙うような攻めではない)。緩急自在の動きを見せる。エルナンデスはスラリとした身体から伸びのある左ジャブ、右ストレート、接近戦では長い腕を器用に使ってフック連打(近年の選手に例えるならマーク・ブリーランドのようなボクシング)。接近戦ではクリンチになるシーンが多く、クリンチ中のパンチにレフェリーは両者に警告。2R、右フックが効いたローチェ。追加の右フックでダウン。その後もローチェはディフェンスしながら隙を突くパンチ。エルナンデスはフックを当てるシーンもあるが、パンチの振りが大きいためか、やや打たれる。15R終了。判定は3-0。ローチェが当てる巧さで勝利。モハメド・アリのように派手に動いて勝つ選手もいれば、ローチェのように必要最小限的な動きで勝つ選手もいる。地味な勝ち方だったが、パワーやタフネスを感じるシーンもあった。エルナンデスも良い選手。しかし、長いパンチは隙も大きい。やや相手に接近しすぎたような気がする。アウトボクシングで手数を出せば勝っていたかも。その後、エルナンデスはベネズエラで試合。ラストファイトは1971年、ロンドン。世界ライト級王者ケン・ブキャナンとのノンタイトル戦でTKO負けだった。)


ニコリノ・ローチェ 15R 判定 ジョアン・エンリケ

(WBA世界J・ウェルター級タイトル戦、1969年)

ローチェ:左ジャブ、右ストレート、フック

エンリケ:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ローチェがタイトル防衛。ノンタイトル戦もやりながらローチェが二度目の防衛戦。挑戦者エンリケはブラジル・ジュアゼイロ出身。デビューから無敗。ブラジル王座(J・ウェルター級)を獲得している。ただ、これまでの試合は全てブラジルで、海外試合はこれが初めて。ブエノスアイレスでの一戦(ハイライト映像で観戦)。動きがゆっくりな二人。エンリケがゆるやかなダッキング、そして伸びのある左ジャブ。ローチェは例によって緩急自在。頭を少し動かして相手の攻撃をかわして左フック。攻めるときはワンツーからの左フック、左右フック連打などをまとめる。終盤になって手数を出して攻めるエンリケ。ワンツーからの左フックを出すが、勢いは続かず。15R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。ローチェがエルナンデス戦の時のような試合ぶりで勝利。エンリケはスロースターターだったうえに特別な強さは感じられず。南米の選手は試合数が多く、好戦績だったりするが、だからといって強いとは限らない。その後、エンリケは南米王座を奪取して世界J・ウェルター級王座に三度挑戦したが、全て敗北。ラストファイトは1979年で、判定勝ち。1982年3月11日、36歳で死去。死因は肺出血だった。)


ニコリノ・ローチェ 10R 判定 ヘラルド・フェラト

(J・ウェルター級戦、1972年)

ローチェ:左ジャブ、右ストレート、フック

フェラト:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:エンリケ戦後もノンタイトル戦をこなしながらアントニオ・セルバンテスらを相手に五度目の防衛に成功したローチェ。アルフォンソ・フレーザーに敗れ、王座陥落。フェラトと再起戦。フェラトはメキシコ・メヒカリ出身で、経験ある選手。デビューから連勝だったが、KOで初黒星。カルロス・エルナンデスに判定勝ち、フランキー・クロフォードに判定負け、カルロス・オルチスにTKO負け。そこから三連勝でローチェ戦。ブエノスアイレスでの一戦(10Rのみの映像で観戦)。ワンツーからの左フックに強さがあるフェラト(フックの打ち方が良く、バズーカ・リモンに似た雰囲気)。ローチェはディフェンスしながら右ストレート、フック。当てる巧さは健在で、クリンチ中に「ポカリ」と相手を叩くシーンはどこかユーモラス。ローチェがフェラトの攻めをかわして10R終了。共に健闘を讃え、判定は3-0(ダウンシーンは無し)。ローチェがテクニックで勝利。フェラトはゴツいパンチを打っていたが、巧くかわされた。その後の二人。フェラトはロベルト・デュラン、エステバン・デ・ヘススにKO負け、メキシコ王座(ライト級)獲得。トップクラスにはなれなかったが、名のある選手と対戦したキャリアだった。ローチェは連勝後、かつて下したアントニオ・セルバンテスのWBA世界J・ウェルター級王座に挑戦したが、TKO負けで王座返り咲きならず。この試合後、ブランク。カムバックしてノンタイトル戦で連勝して引退。通算戦績117勝(14KO)4敗14分。KO勝ちがたったの「14」。KOを狙わないことでむしろ個性的な試合ぶりとなった。)


①「WBA World Junior Welterweight Title

Nicolino Locche vs. Carlos Hernandez」

②「WBA World Junior Welterweight Title

Nicolino Locche vs. Joao Henrique」

③「Junior Welterweight 

Nicolino Locche vs. Gerardo Ferrat」


藤猛(Fuji Takeshi)のページ 

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アントニオ・セルバンテス(Antonio Cervantes)のページ


2026年3月4日水曜日

ショーン・ポーター(Shawn Porter)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ウェルター級王者。世界を取る前のパトリック・トンプソン戦、フリオ・ディアス戦(初戦・再戦)を紹介します。


ショーン・ポーター(アメリカ)

身長170cm:オーソドックス(右構え)

ショーン・ポーター(Shawn Porter)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ショーン・ポーター 6R TKO パトリック・トンプソン

(スーパーウェルター級戦、2012年)

ポーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

トンプソン:左ジャブ、右ストレート、フック   

(感想:ポーターはオハイオ州アクロン出身の黒人。ウェルター級にしては小柄で、ニックネームは「Showtime」。オリンピックを目指したが代表選考会で敗れ、出場ならず。プロではこれまで18連勝(13KO)、24歳。決定戦で北米ウェルター級王座獲得、防衛にも成功。トンプソン戦はノンタイトル戦。トンプソン(39歳)はネブラスカ州の黒人で、18勝(8KO)17敗1分。2002年に遅めのプロデビュー。タイトル戦の経験は無し。勝ったり負けたりだが戦い続けており、根性はありそう。直前の試合はKO勝ち。アトランチックシティでの一戦。リズムを取りながらジャブ連打、右ストレート、フックのポーター(打ち方、後ろ姿がレイ・マーサーに似ている)。中間距離では良いが、接近戦では雑な攻め。ただし、左ボディ打ちに迫力。トンプソンは左のガードを下げた構えで応戦。接近されてクリンチ。2Rにハプニング。大きな左フックを空振りしたポーターが転倒。その後も攻めるポーター、応戦するトンプソン。6R、左フックが効いたトンプソン。攻められ、左フックが入ったところでレフェリーストップ(ダウンシーンは無し)。ポーターが勢いで勝利。しかし、接近戦に難あり。距離を上手く取る戦い方をマスターする必要がある。トンプソンは特別な強味が無い選手だった印象。これが事実上のラストファイト。ブランク後にカムバックしたが、判定負けだった。)


ショーン・ポーター 10R 引分 フリオ・ディアス

(ウェルター級戦、2012年)

ポーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

ディアス:左ジャブ、右ストレート、フック   

(感想:トンプソン戦後、決定戦でNABOウェルター級王座を獲得して20連勝(14KO)のポーターが元世界王者と対戦。40勝(29KO)7敗のディアスはメキシカンで、元IBF世界ライト級王者。シャープなパンチ、左のテクニックに定評があるが、パワーはそこそこ。世界王座から陥落後はTKO負けするなどピークを過ぎている印象だが、どんな動きを見せるか? ロサンゼルス「スポーツ・アリーナ」での一戦(リングアナはジミー・レノン・ジュニア)。ポーターが左ジャブ、右ストレート、斜め下からの左フック、コンビネーション(ワンツーからの左フックなど)。ディアスは慎重姿勢。ディフェンスしながらワンツー、振りの大きい左フック。接近戦。相手のガードを崩そうとするポーターだが、パワー不足。しかも残念なことに攻めと守りが分かれる攻防分離型のボクシング。ディアスは打ち返すが、元々パンチがある方ではない。次第に手数を増やすディアス。互いにディフェンスしながら連打。時折パンチを当てるポーター、左のテクニックのディアス。10R終了。勝ったような表情のディアス陣営。ポーターは不安な表情。判定は僅差のドロー(ダウンシーンは無し)。連勝記録が止まったポーター。パワー不足、攻防分離型の戦い方が災い。この欠点は解消しなければならない。ディアスは惜しかった。序盤から攻めれば結果は逆だったかも。後、両者は再戦。)   


ショーン・ポーター 10R 判定 フリオ・ディアス

(NABOウェルター級タイトル戦&IBF北米ウェルター級王座決定戦、2013年)

ポーター:左ジャブ、右ストレート、フック   

ディアス:左ジャブ、右ストレート、フック   

(感想:ポーターがタイトル防衛&獲得。初戦後、共に一試合。ポーターは判定勝ち。ディアスは判定負けだったが、実力者アミール・カーンを追い込んでの敗北。タイトルを懸けた再戦はどんな内容となるか? ラスベガス「MGM Grand」での一戦。基本的な動きは同じだが、今回のポーターはパワーを込めて連打。左のガードを下げた構えからジャブ、ワンツー、アッパー気味のフック、左右フックボディ連打。ディアスはやはり当てる巧さがあり、左フックなどを合わせる。しかし、ポーターの攻めの勢いを止めるほどではない。互いにディフェンスしながら接近戦での攻防。力強さのポーター、テクニックのディアス。10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。やや粗いが、ポーターが攻撃力で勝利。ディアスもよくやったが、パワー不足なのが残念。その後の二人。ディアスは次の試合でキース・サーマンにTKO負けで引退。ポーターは次の試合でIBF世界ウェルター級王座獲得。初防衛に成功。しかし、ケル・ブルックに判定負けで初黒星と共にIBF王座陥落。キース・サーマンのWBA世界ウェルター級王座に挑戦したが、判定負け。WBC世界ウェルター級王座を獲得したが、IBF王者エロール・スペンスとの王座統一戦に2-1で敗北。ラストファイトはテレンス・クロフォードのWBO世界ウェルター級王座への挑戦でTKO負け。ディフェンスにやや甘さ。王者にはなれたが、安定王者にはなれなかった。)


①「Super Welterweight 

Shawn Porter vs. Patrick Thompson」

②「Welterweight 

Shawn Porter vs. Julio Diaz」

③「NABO Welterweight Title & vacant IBF North American Welterweight Title

Shawn Porter vs. Julio Diaz」


フリオ・ディアス(Julio "The Kid" Díaz)のページ

2026年2月13日金曜日

トニー・デマルコ(Tony DeMarco)&ジョー・デヌッチ(Joe DeNucci)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ウェルター、ミドル級の実力者。「デマルコ vs. エイキンス(初戦)」「ジョーイ・ギアンブラ vs. ヤマ・バハマ、デヌッチ」を紹介します。


トニー・デマルコ(アメリカ)

身長165cm:オーソドックス(右構え)


ジョー・デヌッチ(アメリカ)

身長174cm:オーソドックス(右構え)


バージル・エイキンス 14R KO トニー・デマルコ

(マサチューセッツ州世界ウェルター級王座決定戦、1957年10月)

トニー・デマルコ(Tony DeMarco)&ジョー・デヌッチ(Joe DeNucci)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

デマルコ:左ジャブ、右ストレート、フック   

エイキンス:左ジャブ、右ストレート、フック   

(ダウンシーン)

10R:右ストレート、左フックで2度、デマルコがダウン

12R:左フックでエイキンスがダウン

14R:左フックでデマルコがダウン

(感想:エイキンスがタイトル獲得。デマルコはマサチューセッツ州ボストン出身の白人で、ニックネームは「ボストンの爆撃機」。本名は「レオナルド・リオッタ」。11歳でボクシングを始め、1948年に16歳でプロデビュー(KO勝ち)。連勝しては敗北だったが、連戦連勝。世界ライト級王者ジミー・カーターとノンタイトル戦でドロー。その次の試合は1955年4月1日。ジョニー・サクストンを14RでKOして世界ウェルター級王者に。カーメン・バシリオにTKO負けで初防衛ならず。王座を懸けた再戦もバシリオのTKO勝ち。再起ロードは実力者との対戦。ガスパー・オルテガとの抗争後、連勝でこの決定戦。エイキンスはミズーリ州セントルイス出身の黒人。アマチュアからプロへ。1947年のデビュー戦はKO勝ち。以後、ウォレス・バッド・スミス、ジョー・ブラウンといったライト級実力者と対戦。ジョニー・サクストンに3-0の敗北。連戦連勝とはいかないが、中堅どころに連勝したり。直前の試合はギル・ターナーに判定負け(PTS)。デマルコの地元ボストンでの一戦。攻撃重視のデマルコ。左のガードを下げた構えからパワーを乗せたジャブ、ストレート、フック。打ち方が良く、左フックからの右ストレートといったコンビネーションも使う。しかしながら、動きの機敏さに欠け、打ち終わった後に隙ができる。スラリとした身体のエイキンス(身長175cm。リーチは185cmもある)はなかなかしたたかなボクシング。相手のゴツいパンチを何とかディフェンスしながら伸びのあるジャブを当てる。ワンツーにはキレ。10R、左フックを食って後退したデマルコ。右ストレートでダウン。立ったが、かなりのダメージ。左フックでさらにダウン。それでも前に出るデマルコ。ジャブを食うが、12Rに左フックでダウンを奪う。14R、打たれて後退したデマルコ。右フックからの左フックでダウン。立てず、KO。エイキンスがシャープなパンチを正確に決めて勝利。デマルコはスタミナが続かない様子だった印象。この試合の時点ではピークを過ぎていたか。その後、再戦が行われ、エイキンスがTKOで初防衛。その勢いでエイキンスは大きな試合。決定戦で世界ウェルター級王座獲得。しかし、ドン・ジョーダンに判定負けで初防衛ならず。王座を懸けた再戦も3-0で敗北。以後、ルイス・ロドリゲス(後、エミール・グリフィスを破って世界ウェルター級王座獲得)、デニー・モイヤー、ドン・フルマーらに敗北するなど負けが込むようになっていった。デマルコはその後、試合間隔が長めに。デニー・モイヤーにTKO負け、ドン・ジョーダンにKO勝ち。1962年、引退。)


ヤマ・バハマ 10R 判定 ジョーイ・ギアンブラ

(ミドル級戦、1961年5月)

トニー・デマルコ(Tony DeMarco)&ジョー・デヌッチ(Joe DeNucci)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

バハマ:左ジャブ、右ストレート、フック   

ギアンブラ:左ジャブ、右ストレート、左フック

(感想:バハマはバハマ出身の黒人で、本名は「ウィリアム・オラシオ・バトラー・ジュニア」(「存在をアピールできる目立つリングネームが必要」ということからマネージャーが「ヤマ・バハマ」と命名)。デビューから連勝。判定で初黒星。KO負けを喫したこともあったが、1958年6月18日に元世界ウェルター級王者キッド・ギャビランに判定勝ちして世界ミドル級ランキング入り(ギャビラン最後の試合)。しかし、連戦連勝とはいかず、ルイス・ロドリゲスらに敗北。このところ連勝中。ギアンブラはニューヨーク州バッファロー出身の白人。1949年にカナダでデビューし、その次の試合からはアメリカで。連勝後、判定で初黒星。さらに連勝後、ジョーイ・ジャーデロに判定負け。ジャーデロに判定で雪辱し、また連勝。中堅に連勝したり、ボビーダイクス、ボボ・オルソンといった実力者に判定負けしたり。実力者に及ばないキャリアだが、KO負けはこれまで一度も無し。このところ経験ある選手に連勝中でバハマ戦。ニューヨークでの一戦。ジャブを連打するバハマ。接近して左ボディ打ち。ワンツーにも良さ。しかしながら、1Rからギアンブラはクリンチ。バハマが攻めてはクリンチされるパターン。次第にギアンブラは左ジャブ、左フック。共に左のテクニックを持っているが、バハマは右ストレートを時折ヒットさせる。ギアンブラも右ストレートを当てるなど隙を突く巧さがあるが、積極的な攻めに乏しい。10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。クリンチが多かった試合。攻勢点でバハマ勝利。残念だったギアンブラ。自信を持っていけばもっといい試合ができたはず。それがトップには及ばない原因か? その後のバハマ。世界ウェルター級王者エミール・グリフィスにノンタイトル戦で判定負け(1961年7月29日)。そして、またしてもルイス・ロドリゲスに敗北。世界戦を経験することなくキャリアを終えたが、粘り強い積極的な試合ぶりがファンに好評。テレビ中継もされたことから全国的に人気があったとか。2010年、フロリダ・ボクシング殿堂入り。)


ジョー・デヌッチ 10R 判定 ジョーイ・ギアンブラ

(ミドル級戦、1963年4月)

トニー・デマルコ(Tony DeMarco)&ジョー・デヌッチ(Joe DeNucci)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

デヌッチ:左ジャブ、右ストレート、フック   

ギアンブラ:左ジャブ、右ストレート、フック   

(感想:デヌッチはマサチューセッツ州ニュートン出身の白人。1957年にデビュー。中堅相手に連勝。ラルフ・ジョーンズに敗北したが、雪辱。ジョーイ・ジャーデロとドロー。ドン・フルマーに判定負け後、四連勝でギアンブラ戦。ギアンブラはバハマ戦後、1962年10月にデニー・モイヤーと新設された世界ジュニアミドル級王座を争って判定負け。再起戦でルイス・ロドリゲスに判定負け。マサチューセッツ州ボストンでの一戦。デヌッチがジャブ連打、右ストレート、ショートフックで攻めの姿勢。1Rから右ボディからの左フックをヒットさせる。ギアンブラは手が出ない。ただ、パンチ自体は悪くなく、デヌッチは攻められてクリンチ。4R、接近戦。フック、ボディ打ちでの打ち合いでリングサイドの客がスタンディング・オベーション。その後も手数でデヌッチ。ギアンブラは右ストレート、左フックに良さがあり、左ボディダブルからの右ストレートといったコンビネーションも持っているが、積極的な攻めが少ない。10R、攻めるギアンブラ。10R終了。判定は2-1(ダウンシーンは無し)。手数でデヌッチ勝利。ギアンブラはもう一つ加速できなかった。これが最後の試合に。その後のデヌッチ。連敗したが、中堅相手に連勝。キャリア末期、エミール・グリフィスに2-1で二連敗。引退後、マサチューセッツ州の下院議員を10年間務め、人事委員会の委員長に。1987年から2011年までマサチューセッツ州の監査役を務めたそうだ。)


①「Vacant Massachussets version of World Welterweight Title

Tony DeMarco vs. Virgil Akins」

②「Middleweight 

Yama Bahama vs. Joey Giambra」

③「Middleweight 

Joe DeNucci vs. Joey Giambra」

 

2026年2月11日水曜日

フレッド・アポストリ(Fred Apostoli)&チャック・デイビー(Chuck Davey)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ミドル、ウェルター級の実力者。「アポストリ vs. エイブラムズ」「アート・アラゴン vs. デイビス、デイビー」ほかを紹介します。


フレッド・アポストリ(アメリカ)

身長177cm:オーソドックス(右構え)


アート・アラゴン(アメリカ)

身長173cm:オーソドックス(右構え)


チャック・デイビー(アメリカ)

身長175cm:サウスポー


フレッド・アポストリ 10R 判定 ジョージー・エイブラムズ

(ミドル級戦、1947年11月)

フレッド・アポストリ(Fred Apostoli)&チャック・デイビー(Chuck Davey)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

アポストリ:左ジャブ、右ストレート、フック   

エイブラムズ:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:アポストリのキャリア末期の試合。カリフォルニア州サンフランシスコ出身の白人アポストリ(野球のスター、ジョー・ディマジオの同級生であり友人)。アマチュアで全米ミドル級王者に。1934年にプロデビュー。連勝だったが、実力者フレディ・スティールにTKOで初黒星。そこから連勝。判定負けを一つ喫したが、1937年9月23日に「IBU」なる団体のミドル級王座獲得。スティールにTKOで雪辱、ヤング・コーベット3世に判定負け。1938年4月1日、グレン・リーを判定で下してニューヨーク州公認世界ミドル級王者に。コーベット3世にTKOで雪辱すると共に王座防衛。後の世界ライトヘビー級王者ビリー・コンに3-0で二連敗。1939年10月2日、セフェリノ・ガルシアにKO負けで王座陥落。以後もリングへ。トニー・ゼールに判定負けしたが、中堅相手に連勝。第二次大戦でキャリア中断(アメリカ海軍に従軍)。戦後に復帰し、毎月のようにリング。このところ連勝中でエイブラムズ戦。エイブラムズはバージニア州ロアノーク出身の白人で、こちらもベテラン。1937年、デビュー(KO勝ち)。連勝後、KOで初黒星。以後、判定負けはあったが、連勝。1941年11月28日、トニー・ゼールの世界ミドル級王座に挑戦して3-0の敗北。戦争でキャリア中断。戦後、復帰。マルセル・セルダン、シュガー・レイ・ロビンソンに判定負け。直前の試合はTKO負け。共通点の多い二人の対決。サンフランシスコでの一戦。共に左のガードを下げた構えから速いジャブ。エイブラムズは左のテクニックの持ち主で、左フックを巧く使う。ワンツー、斜め下からの右フック、ボディ打ちにも良さ。アポストリは右パンチに自信があるらしく、踏み込んで右ストレート、ケンカみたいな粗い左右フック連打。攻めるアポストリ、応戦するエイブラムズ。互いのパンチがヒット。10R終了。判定は2-0(ダウンシーンは無し)。攻勢点でアポストリ。5Rに強烈な右パンチを当てたように右に強さがあった。エイブラムズも打ち合いに応じる勇敢さ。敗者がいない対決だった印象。その後の二人。エイブラムズは次の試合にTKO負けで引退。アポストリはこの試合から約一年後に3-0の敗北、引退。通算戦績61勝(31KO)10敗1分。国際ボクシング殿堂入り。)


アート・アラゴン 10R TKO ヘンリー・デイビス

(ウェルター級戦、1953年8月)

フレッド・アポストリ(Fred Apostoli)&チャック・デイビー(Chuck Davey)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

アラゴン:左ジャブ、右ストレート、フック   

デイビス:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:アラゴンはニューメキシコ州ベレン出身の白人。ニックネームは「ゴールデン・ボーイ」(派手好きな個性派タイプ。映画に出演し、マリリン・モンローらハリウッドの人間とも交流)。1944年にプロデビュー。敗北しながらも多くの勝利。カリフォルニア州王座(ライト級)を決定戦で獲得。連勝の勢いで世界ライト級王者ジミー・カーターにノンタイトル戦で勝利。その次の試合は世界王座を懸けたダイレクト・リマッチ(1951年)。しかし、ダウンを食って王座奪取ならず。その後、一つ判定負けしたが、おおむね好調。デイビスはジョージア州アトランタ出身の黒人。戦時中はハワイ・パールハーバーで任務。その後、ホノルルで1945年6月(まだ戦時中)にプロデビューしてドロー。日系人らしい選手らを相手に連勝。ハワイ王座(フェザー級)に挑戦して判定負け、初黒星。1948年5月25日、あのマヌエル・オルチス(元世界バンタム級王者)に2-1の敗北。それが良い経験になったか、ハワイ王座(フェザー級)獲得、オルチスに3-0で雪辱。ハワイを離れ、ニューヨークやカリフォルニアに転戦。階級を上げたこともあってこのところ敗北するなど苦戦中。カリフォルニア州デーリー・シティでの一戦。先制攻撃のデイビス。1R開始から右ストレート、左右フック連打。アラゴンは腕をクロスするブロックを使ったりしながらリズミカルにワンツー、フック、右アッパー。しかし、真っ直ぐ攻めるクセがある(雰囲気的に井岡弘樹のようなタイプ)。接近戦が続く。手数のデイビス。しかし、ワンツー、フックを当てる巧さでアラゴンが優勢か? 10R、打ち合いの中、レフェリーがブレイク。デイビスがドクターチェックされ、試合終了。「口からの出血」で止められたデイビスは納得いかない表情で「オレは負けてない!」といった態度だった。激しい試合となったが、アラゴンが正確な攻撃&ガードで勝利。ただ、一発のパンチは軽めだったか。デイビスは頑張るタイプだが、そこまで。その後、デイビスは連敗するなど多くの敗北。1956年、引退。)


アート・アラゴン 10R 判定 チャック・デイビー

(ウェルター級戦、1954年2月)

フレッド・アポストリ(Fred Apostoli)&チャック・デイビー(Chuck Davey)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

デイビー:右ジャブ、左ストレート、左フック   

アラゴン:左ジャブ、右ストレート、左フック   

(感想:デイビス戦の次の試合で判定負けしたアラゴン。再起二連勝でデイビー戦。デイビーはミシガン州デトロイト出身の白人サウスポー。アマチュアでは敗北は一度だけ。1949年のプロデビューから連勝。1952年、元世界ライト級王者アイク・ウィリアムスにTKO勝ち。同年、後の世界ウェルター級王者カーメン・バシリオとドロー、3-0の勝利。その次の試合で元世界ミドル級王者ロッキー・グラジアノに3-0の勝利(グラジアノの引退試合となった)。翌年、世界ウェルター級王者キッド・ギャビランに挑戦してTKO負け、初黒星。再起二連勝からの二連敗でアラゴン戦。ロサンゼルス「オリンピック・オーディトリアム」での一戦。リズミカルなフットワークで相手から距離を取って右ジャブのデイビー。パワーはそれほど感じられないが、ワンツーからの右フックなどテンポの良さがある。アラゴンは左ジャブを使いながらキレのある右ストレート、左フックで前進。映像ではアウトボクシングのデイビーの方が見栄えがいいが、アラゴンも良い右ストレート。10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。攻勢点でアラゴン。しかし、自身の試合ぶりに不満だったか、アラゴンはサッサとリングを降りていった。その後のアラゴン。多くの試合。ドン・ジョーダン、ジミー・カーター(三戦目)に勝利。しかし、世界戦はカーター戦のみに終わった。1960年に引退した後、保釈保証人になったそうだ。)


チャック・デイビー 10R 判定 ジェラルド・ドレイアー

(ミドル級戦、1954年4月)

フレッド・アポストリ(Fred Apostoli)&チャック・デイビー(Chuck Davey)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

デイビー:右ジャブ、左ストレート、左フック   

ドレイアー:左ジャブ、右ストレート、フック   

(感想:アラゴンに敗れたデイビーの再起戦。ドレイアーは南アフリカ・プレトリア出身の白人。1948年のロンドン・オリンピックにライト級で出場して金メダル。同年、プロデビュー。南アフリカ王座(ライト級)を獲得するなど連勝。英国で1RでKO負けして初黒星。アメリカで連勝。地元で英連邦王座(ウェルター級)獲得。その後、判定負けやドロー。TKO負けで英連邦王座陥落。再起二連勝でデイビー戦。共にアマチュアで実績。どんな動きを見せるか?  カリフォルニア州オークランドでの一戦。共にスリムな体型。サウスポーのデイビー。足でリズムを取りながら右ジャブ、左ストレート、斜め下からの左フック(この試合では具志堅用高に似た動き、打ち方)。ドレイアーはサウスポーが苦手なのか、ぎこちない打ち方。左ジャブはまずまずだが、右ストレートをディフェンスされる。デイビーがジャブ、左パンチ(ストレート、ボディ打ち)、クリンチで優勢。ドレイアーは右フックを当てるシーンもあるが、当たりが浅め。5Rには右ストレートからの左フックを決めたが、そこまで。10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。サウスポーのテクニックでデイビー勝利。ドレイアーは金メダリストとは思えない動き。残念ながら、どちらももう一つ。プロらしい迫力に欠けていた。その後の二人。デイビーは三試合やって引退。ドレイアーは勝ったり負けたり。1955年のラストファイトは南アフリカ王座戦(ウェルター級)で、TKO負け。世界挑戦の話もあったが、結局、叶わず。1985年9月5日、55歳の若さで死去(死因は不明)。)


①「Middleweight 

Fred Apostoli vs. Georgie Abrams」

②「Welterweight 

Art Aragon vs. Henry Davis」

③「Welterweight 

Chuck Davey vs. Art Aragon」

④「Middleweight 

Chuck Davey vs. Gerald Dreyer」

 

2026年1月30日金曜日

ジェフ・マクリーシュ(Geoff McCreesh)&マイケル・エイヤース(Michael Ayers)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

英国でのIBO王座戦。「マクリーシュ vs. ローズ、ストーン」「エイヤース vs. リグビー(再戦)」を紹介します。


ジェフ・マクリーシュ(英国)

身長178cm:オーソドックス(右構え)


マイケル・エイヤース(英国)

身長173cm:オーソドックス(右構え)


ジェフ・マクリーシュ 4R TKO ビンス・ローズ

(ウェルター級戦、1996年4月)

ジェフ・マクリーシュ(Geoff McCreesh)&マイケル・エイヤース(Michael Ayers)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

マクリーシュ:左ジャブ、右ストレート、フック   

ローズ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

1R:右ストレートでローズがダウン

(感想:英国同士の対戦。ストックトン出身のマクリーシュは白人。これまで10勝(2KO)3敗。デビューから連勝で英国のローカル王座(J・ミドル級)を獲得したが、その後、三連敗。現在、二連勝中。7勝(2KO)5敗2分のローズはロンドン出身の黒人。英国のローカル王座(J・ミドル級)に挑戦して敗北したことがある。英国スティーブニッジでの一戦。1R、左フックで先制攻撃のマクリーシュ。ローズがジャブ、ワンツー、左フックで対抗。接近戦でフックの打ち合い。右ストレートでローズがダウン。その後、右パンチに強さを見せるマクリーシュ。ローズは左フック。4R、右フックが効いたローズ。マクリーシュが右を連打して右フック。レフェリーストップ。マクリーシュが右強打で勝利。ジャブはやや少な目だったが、右ストレートに良いものがあった。ローズはバランスの良さなどがあったが、接近戦で隙を見せた。その後、ローズは二連敗でキャリア終了。)


エイドリアン・ストーン 6R TKO ジェフ・マクリーシュ

(IBOライトミドル級タイトル戦、2000年7月)

ジェフ・マクリーシュ(Geoff McCreesh)&マイケル・エイヤース(Michael Ayers)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

マクリーシュ:左ジャブ、右ストレート、フック   

ストーン:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

2R:左フックでマクリーシュがダウン

6R:右フックでマクリーシュがダウン

(感想:ストーンがタイトル初防衛。ローズ戦後、英国王座(ウェルター級)を獲得したマクリーシュ(29歳)。しかし、欧州王座(ウェルター級)への挑戦は失敗。これまで23勝(9KO)5敗。王者ストーン(28歳)は英国ブリストル出身の黒人で、27勝(21KO)3敗2分。アメリカでデビューし、主戦場もアメリカ。無敗のまま全米王座(ウェルター級)に挑戦したが、TKO負け。IBOインターコンティネンタル王座(ウェルター級)獲得。バーノン・フォレストに北米王座戦(ウェルター級)でTKO負け。決定戦でIBO王者に。これが初防衛戦。英国ミルウォールでの一戦(リングアナはマイケル・バッファ)。虎の皮をデザインしたトランクス&シューズのストーン。ナチュラルなパワーの持ち主で、ややトリッキーな動きから強いストレート、フック攻撃。正統派マクリーシュはキレイなジャブ、ストレート。1Rから接近戦。ストーンのボディ打ちには重さが感じられる。2R、左フックでマクリーシュが後方にはじき飛ばされるダウン。クリンチでしのぐマクリーシュだが、パワーでストーンがその後、優勢。4R、マクリーシュが右ストレートからの左フック。しかし、ストーンはディフェンスもできる。5R、ストーンの右フックがヒット。マクリーシュはそれに加え、左マブタを負傷するハンデ。6R、右フックでマクリーシュがダウン。反撃するが、左フックを食ってグラついたところでレフェリーストップ。ストーンがパワーで快勝。テクニック指向になっていくボクシング界だが、ナチュラルなパワーを持つ選手はやはり魅力的。ストーンはディフェンスのテクニックもしっかり使っていた。マクリーシュは敗れたが、動きは悪くはなかった。その後の二人。マクリーシュは再起戦に判定負けで引退。ストーンはIBO王座を防衛したが、シェーン・モズリーにKO負けでWBC世界ウェルター級王座獲得ならず。マイナー王者にとどまった。)


マイケル・エイヤース 12R 判定 ウェイン・リグビー

(IBOライト級タイトル戦、2001年3月)

ジェフ・マクリーシュ(Geoff McCreesh)&マイケル・エイヤース(Michael Ayers)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

エイヤース:左ジャブ、右ストレート、フック

リグビー:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:エイヤースがタイトル防衛。王者エイヤースはロンドン出身。アマチュア王者からプロ入り。デビューから連勝。英国のローカル王座、WBCインター王座(いずれもライト級)獲得。しかし、ジョバンニ・パリージのWBO世界ライト級王座への挑戦は判定負け、初黒星。英国王座(ライト級)を獲得、連続防衛。二つの判定負け後、IBO王者に。連続防衛し、これまで30勝(28KO)3敗1分。リグビーは英国マンチェスター出身で、17勝(7KO)6敗。デビュー戦で敗北したが、決定戦で英国王者に(ライト級)。TKOで王座陥落後、IBOのインターコンティネンタル王座(ライト級)を決定戦で獲得。エイヤースの王座に挑戦したが、TKO負け。そしてリマッチ。英国「ウェンブリー・アリーナ」での一戦(レフェリーはジョン・コイル)。似たタイプの二人。ガードを上げてジャブ。接近戦ではストレート、フック、隙を狙うアッパー。エイヤースは右フック、リグビーは左ボディ打ちに良さ。戦力的には互角か? ただ、攻めの意識はエイヤースの方が強いように見える。9R終了後にハプニング。ゴング後に思わずパンチを出してしまったリグビーにエイヤースはキッチリ反撃。その後も譲らない打撃戦。12R、連打でエイヤースのマウスピースが落下。12R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。より戦闘的だったエイヤースの勝利。スタミナに微妙に差があったが、リグビーも見せ場を作った。その後の二人。リグビーはWBF王座(スーパーライト級)を獲得。防衛にも成功。エイヤースは次の試合でIBOスーパーライト級王座に挑戦したが、判定負け。それが事実上のラストファイトとなった。)


①「Welterweight 

Geoff McCreesh vs. Vince Rose」

②「IBO Light Middleweight 

Adrian Stone vs. Geoff McCreesh」

③「IBO Lightweight Title

Michael Ayers vs. Wayne Rigby」


ジョバンニ・パリージ(Giovanni Parisi)のページ

2025年12月19日金曜日

デルヴィン・ロドリゲス(Delvin Rodriguez)&フレディ・エルナンデス(Freddy Hernandez)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ウェルター級戦。「ロドリゲス vs. ガルシア、アルバレス」「フレディ・エルナンデス vs. フライアス」ほかを紹介します。


デルヴィン・ロドリゲス(ドミニカ)

身長183cm:オーソドックス(右構え)


デルヴィン・ロドリゲス 6R 判定 ペドロ・ガルシア

(ウェルター級戦、2001年10月)

デルヴィン・ロドリゲス(Delvin Rodriguez)&フレディ・エルナンデス(Freddy Hernandez)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ロドリゲス:左ジャブ、右ストレート、フック

ガルシア:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ドミニカ・サンチアゴ出身のロドリゲス。主戦場はアメリカ。ガルシアはメキシコ・ベラクルス出身で、1985年デビューの大ベテラン。メキシコ王座戦(ライト級)でTKO負けするなど勝ったり負けたり連敗したり。ただ、ジャン・バチスト・メンディ、ガブリエル・ルエラスらを相手に判定まで持ち込んだようにタフさがある。ラスベガスでの一戦。正統派のロドリゲス。ガードしながら相手から距離を取ってジャブ、ワンツー、左フック。ガルシアはジャブを使いながら踏み込んで右ストレート、左フック。ロドリゲスがアウトボクシングを展開して6R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。ロドリゲスがジャブで勝利。慎重な戦いぶりだった。ガルシアは右ストレートに威力があったが、及ばず。その後もガルシアは負け続けてキャリア終了。中堅どころだったが、多くの試合を経験した。)


デルヴィン・ロドリゲス 12R 判定 シャモン・アルバレス

(全米ウェルター級タイトル戦、2009年3月)

デルヴィン・ロドリゲス(Delvin Rodriguez)&フレディ・エルナンデス(Freddy Hernandez)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ロドリゲス:左ジャブ、右ストレート、フック

アルバレス:右ジャブ、左ストレート、フック

(ダウンシーン)

11R:ワンツーでアルバレスがダウン

(感想:ロドリゲスがタイトル防衛。これまで23勝(14KO)2敗2分のロドリゲス。決定戦で全米王者になったが、王座陥落。再び決定戦で王者に。アルバレスはアトランチックシティ出身。アマチュアからプロへ。20勝(11KO)1敗。NABO王座(ウェルター級)を獲得している。コネチカット州アンカスビルでの一戦(この試合に勝った方が世界王座に挑戦できる、という条件)。左右の構えの違いはあるが、共にパンチが速い。しかも積極的にジャブ、ストレート、フック。サウスポーのアルバレスはややディフェンシブでパンチを当てさせない。ロドリゲスは攻めるが、逆に左パンチを食う。次第にアルバレスが受け身になり、ロドリゲスの右ストレートがヒット。11R、見事なワンツーでアルバレスがダウン。しかし、12R。ロドリゲスは攻めるが、左を打たれてピンチ。12R終了。判定は小差の3-0。ジャッジ二人が1ポイント差という僅差だった。手数でロドリゲスがなんとか勝利。パンチはシャープだったが、相手を制圧するようなパワーに少し欠けていた印象。アルバレスは受け身タイプのサウスポー。相手が前に出てきてくれないと良いパンチが当たらない。戦う姿勢という点では前に出るロドリゲスに好感を持てた。その後の二人。アルバレスは負けが込んでキャリアを終えた。ロドリゲスは次の試合でIBF世界ウェルター級王座に挑戦したが、2-1で敗北。WBA世界スーパーウェルター級王座に二度挑戦していずれも勝てず。ロドリゲス、アルバレス共に世界王座には手が届かなかった。)


フレディ・エルナンデス 10R 判定 ダミアン・フライアス

(WBCラティノ・ウェルター級王座決定戦、2009年10月)

デルヴィン・ロドリゲス(Delvin Rodriguez)&フレディ・エルナンデス(Freddy Hernandez)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

エルナンデス:左ジャブ、右ストレート、フック

フライアス:右ジャブ、左ストレート、フック

(感想:エルナンデスがタイトル獲得。エルナンデスはメキシコシティ出身。これまで25勝(18KO)1敗1NC。決定戦でIBA王座(ウェルター級)を獲得した実績。キューバ・プラセタス出身のフライアスは16勝(7KO)1敗。WBCの地域王座(スーパーライト級)を獲得したことがあり、トレーナーはあのテクニシャン、ジョン・デビッド・ジャクソン(元世界王者)。テキサス州ラレドでの一戦。共にジャブ、ストレートを基本。サウスポーのフライアスは右のガードを下げた構えからジャブ。エルナンデスはブロックしながら前進し、ワンツーからの左フックなど手数が多い。ディフェンスしながら打ち返すフライアスだが、試合自体はエルナンデスがジャブ、連打で先手を取る展開。最終10R、フライアスの連打でエルナンデスがピンチ。10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。エルナンデスが手数で勝利。理解できなかったのがフライアスの戦いぶり。最終ラウンドに見せたパンチには威力があった。最後だけ頑張っても仕方が無い。なぜ、最初から積極的に試合をリードしようとしなかったのか? その後の二人。フライアスはこの後、二連敗。次第に負けが込んでいった。エルナンデスはアンドレ・ベルトのWBC世界ウェルター級王座に挑戦して1RでTKO負け。共に地域王者レベルにとどまった。)


エド・パレデス 2R KO ジョーイ・エルナンデス

(ウェルター級戦、2010年2月)

デルヴィン・ロドリゲス(Delvin Rodriguez)&フレディ・エルナンデス(Freddy Hernandez)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

パレデス:左ジャブ、右ストレート、フック   

エルナンデス:右ジャブ、左ストレート、フック   

(ダウンシーン)

2R:左フックでエルナンデスがダウン

(感想:ホープ対決(共にまだタイトル戦の経験は無い)。エルナンデス(25歳)はフロリダ州マイアミの選手。ニックネームは「Twinkle Fingers」(「輝く指」とはどういう意味なのだろう? 派手なネイルをしているのか、派手なパンチを打つということなのか)。これまで15勝(8KO)1分。デビューから連勝だったが、パレデスと引き分け。改めて勝負。パレデス(24歳)はマサチューセッツ州ローレンス出身。ニックネームは「The Lion」。23勝(14KO)3敗1分。エルナンデスとの初戦後、一試合(KO勝ち)。どんな再戦となるか?  フロリダ州フォート・ローダデールでの一戦。サウスポーのエルナンデスが足で距離を取って右ジャブ、ワンツー。パレデスはジャブで相手を追い、右ストレート。接近戦。パワフルな連打(右フックからの左ストレート)を見せるエルナンデス。2R、強烈な左フックでエルナンデスがダウン。立てず、KO。パレデスが一撃で勝利。唐突な結末だったが、その前にもキレのある左フックを打っていた。エルナンデスは残念。しっかりディフェンスしていたように見えたが、接近戦で強いパンチをマトモに食ってしまった。その後の二人。エルナンデスはWBCアメリカ王座(スーパーウェルター級)を獲得。しかし、敗北もあって世界戦のチャンスは無かった。パレデスはWBCラティノ王座(ウェルター級)を獲得、防衛するなど連勝。しかし、判定負けするようになり、世界戦は無かった。)


①「Welterweight 

Delvin Rodriguez vs. Pedro Garcia」

②「USBA Welterweight Title

Delvin Rodriguez vs. Shamone Alvarez」

③「vacant WBC Latino Welterweight Title

Freddy Hernandez vs. Damian Frias」

④「Welterweight 

Ed Paredes vs. Joey Hernandez」

 

2025年12月17日水曜日

アレックス・トルヒーヨ(Alex Trujillo)&アイバン・ロビンソン(Ivan Robinson)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

スーパーライト級戦。「トルヒーヨ vs. スアレス」「ロビンソン vs. ジョンソン」「デビッド・アームストロング vs. ネルソン」ほかを紹介します。


アレックス・トルヒーヨ(プエルトリコ)

身長175cm:オーソドックス(右構え)


アイバン・ロビンソン(アメリカ)

身長175cm:オーソドックス(右構え)


アレックス・トルヒーヨ 12R 判定 マーク・スアレス

(北米スーパーライト級王座決定戦、2000年8月)

アレックス・トルヒーヨ(Alex Trujillo)&アイバン・ロビンソン(Ivan Robinson)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

トルヒーヨ:左ジャブ、右ストレート、フック

スアレス:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

9R:右ストレートでトルヒーヨがダウン

(感想:トルヒーヨがタイトル獲得。フィラデルフィアで行われた新鋭同士の一戦。トルヒーヨはこれまで17戦全勝(14KO)。プエルトリコ・サンフアン出身で、ニックネームは「the Great」。スアレスも17戦全勝(6KO)。カリフォルニア州リバーサイド出身で、ニックネームは「Poison」。共にガードを上げてジャブ。ジャブが正確なトルヒーヨ。ワンツーが力強い。スアレスも良いパンチ。長いジャブ、右ストレート、力強いボディ打ち。しかし、攻撃をディフェンスされ、ジャブを正確に打たれてクリンチ。8R、ローブローでトルヒーヨが減点。9R、右ストレートでトルヒーヨがバランスを崩してダウン。11R、スアレスがホールドで減点。12R終了。共に勝ったと思ったようだが、判定は3-0でトルヒーヨ。ジャブ、ワンツーで勝利。地味な印象の選手ではあったが、攻撃の正確さがあった。スアレスは残念。相手のガードを吹っ飛ばすようなパワーは無かった。その後の二人。スアレスはNABO王座(ウェルター級)を獲得したが、IBF世界ウェルター級王座への挑戦はTKO負け。世界は獲れなかった。トルヒーヨはIBAのスーパーライト王座を獲得。敗北もあってメジャー王座は獲れず。マイナー王者にとどまった。)


アイバン・ロビンソン 9R TKO アリック・ジョンソン

(スーパーライト級戦、2001年3月)

アレックス・トルヒーヨ(Alex Trujillo)&アイバン・ロビンソン(Ivan Robinson)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ロビンソン:左ジャブ、右ストレート、フック   

ジョンソン:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:ロビンソンはペンシルベニア州フィラデルフィア出身の黒人。アマチュアで経験。プロ入り後は連勝で全米ライト級王者に。しかし、フィリップ・ホリデイのIBF世界ライト級王座に挑戦して判定負け、初黒星。再起戦にTKO負けして二連敗。アルツロ・ガッティとの激しい二連戦(二勝)。エンジェル・マンフレディに判定負け。北米ライト級王座を獲得したが、アントニオ・ディアスに敗北(IBAスーパーライト級戦)。ジェシー・ジェームス・レイハに判定負け。ジョンソンと再起戦。ジョンソンはトリニダード・トバゴ出身の黒人。1987年デビューのベテラン。WBCの地域王座(J・ライト級)を獲得しているが、ケビン・ケリー、デリク・ゲイナー、スティーブ・ロビンソンといったフェザー級の実力者に負けている。ニューヨーク州ヴェローナでの一戦。右ストレートにパワーがあるロビンソン。ジャブからの右ストレート、右アッパーからの左フック。左ボディ打ちも巧く、テンポの良い攻撃。ジョンソンは1Rから相手のコンビネーションに押され気味。ジャブ、右フックなどで何とか応戦。ワンツー、連打でロビンソン優勢。8R、ロビンソンの左フックがジョンソンの目に当たったらしくドクターチェック。このラウンド終了後、ジョンソンが棄権(ダウンシーンは無し)。ロビンソンが流れるような攻撃で勝利。しかし、ダウンを奪えなかったり、相手に粘られたり。パワフルに見えたが、パンチ力はそれほどでもなかったのかも。ジョンソンは敗れたが、右フックをヒットさせるなど攻められても打ち返す根性を見せた。その後の二人。ジョンソンはトリニダード・トバゴ王座(ライト級)を獲得したが、ネイト・キャンベルとのNABA王座戦(スーパーフェザー級)にTKO負け。ロビンソンは全米スーパーライト級王座戦にTKO負けするなど敗北が増えていった。)


デビッド・アームストロング 10R KO レミュエル・ネルソン

(NBAライト級王座決定戦、2001年1月)

アレックス・トルヒーヨ(Alex Trujillo)&アイバン・ロビンソン(Ivan Robinson)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

アームストロング:左ジャブ、右ストレート、フック   

ネルソン:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

5R:右アッパーでネルソンがダウン

10R:右アッパーでネルソンがダウン

(感想:アームストロングがタイトル獲得。フロリダの黒人選手同士の対戦。アームストロングはWBOインターコンティネンタル王座(ライト級)を獲得後、アルツール・グレゴリアンのWBO世界ライト級王座に挑戦したが、判定負け。NBA王座獲得。ラブモア・ヌドゥに判定負け。スティーブ・フォーブスらに四連敗。改めてNBA王座決定戦に出場。王座返り咲きなるか、といった状況。ネルソンはデビューから連勝。二つの判定負け後、IBCインターコンティネンタル王座(ライト級)を獲得、防衛。アセリノ・フレイタスのWBO世界スーパーフェザー級王座に挑戦して2RでTKO負け。その再起戦でアームストロングと対戦。ミシシッピ州ビロクシでの一戦。似たタイプの二人。共に黒のトランクスでジャブ、ストレート、フック。攻めの姿勢のアームストロング、応戦するネルソン。パワー、パンチの打ち方など戦力的にも似ているが、戦う姿勢、勢いでアームストロング優勢。4R終了時、ネルソンの左フックがレフェリーに当たるハプニング。5R、右アッパーでネルソンがダウン。その後も接近戦を仕掛けるアームストロング。ネルソンは応戦&クリンチ。10R、右アッパーでネルソンがダウン、KO。アームストロングが積極的な攻撃で勝利。ネルソンは良いパンチを持っていたが、消極的。そういう姿勢でリングに上がるのは危険なことである。その後のアームストロング。IBA&NABFダブル王座戦(ライト級)でTKO負けするなど連敗。)


フランク・ホータリング 12R 引分 レミュエル・ネルソン

(IBCスーパーライト級アメリカス王座決定戦、2002年3月)

アレックス・トルヒーヨ(Alex Trujillo)&アイバン・ロビンソン(Ivan Robinson)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ホータリング:左ジャブ、右ストレート、フック   

ネルソン:左ジャブ、右ストレート、フック

(感想:アームストロング戦後、判定負けを喫したネルソンだが、このところ二連勝。ホータリングはワシントン州フォート・ルイス出身。デビューから勝ったり負けたりでパッとしなかったが、ベテランのリビングストン・ブランブルを破るなど連勝。ニューヨーク州王座(スーパーウェルター級)獲得。直前の試合は引き分け。ニューヨーク州ヴェローナでの一戦。ヒゲ&星条旗トランクスのホータリング。実に正直なボクシング。速いジャブで前進し、右ストレート、左フック。ネルソンは足で距離を取りながらジャブ、右カウンター、接近して左右フック、反撃を阻止するクリンチ。攻めようとするホータリングは攻撃をかわされたり、クリンチされたり。ネルソンは受け身。微妙な状態が続いて12R終了。判定はドロー(ダウンシーンは無し)。映像ではフック連打でネルソンが少し良かったように見せたが、ホータリングもディフェンスしていた。ドローが妥当かもしれない。その後の二人。ホータリングはシャンバ・ミッチェルに判定負け、マイナー王座獲得。しかし、IBFインター王座戦(ウェルター級)に敗北するなど負けが込むようになっていった。ネルソンはNBAライト級王座獲得。しかしその後、三連敗で引退。ホータリングと同様、トップには立てなかった。)


①「vacant NABF Super Lightweight Title

Alex Trujillo vs. Mark Suarez」

②「Super Lightweight 

Ivan Robinson vs. Alric Johnson」

③「vacant NBA Lightweight Title

David Armstrong vs. Lemuel Nelson」

④「vacant IBC Americas Super Lightweight Title

Frank Houghtaling vs. Lemuel Nelson」


アントニオ・ディアス(Antonio Diaz)のページ

(アイバン・ロビンソン戦、シェーン・モズリー戦、ハビエル・カストロ戦)

2025年11月26日水曜日

オマール・シェイカ(Omar Sheika)&ジャワイド・カーリック(Jawaid Khaliq)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

海外にルーツがある選手。「シェイカ vs. サンプル、ウェレ」「カーリック vs. ワイズ、ビエルスキー」を紹介します。


オマール・シェイカ(アメリカ)

身長183cm:オーソドックス(右構え)


ジャワイド・カーリック(英国)

身長179cm:オーソドックス(右構え)


オマール・シェイカ 1R KO ショーン・サンプル

(スーパーミドル級4回戦、1997年)

オマール・シェイカ(Omar Sheika)&ジャワイド・カーリック(Jawaid Khaliq)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

シェイカ:右ストレート、フック   

サンプル:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

1R:左フックでサンプルがダウン

(感想:シェイカはパレスチナにルーツがあるアメリカ人(ニュージャージ州で育った)。アマチュアで活躍後、プロ入り。デビュー以来、六連勝。トレーナーはあのケビン・ルーニー。オクラホマ州イノーラ出身の白人サンプルはデビュー以来、四連勝。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン・シアター」での全勝対決。攻めの姿勢のシェイカ。サンプルはコンビネーションで対抗。右フックからの左フックでサンプルがダウン。倒れると同時にレフェリーは試合を止めた。シェイカが圧勝。49秒で終わったが、シェイカの右ストレート、フックは実にパワフルで世界王者レベルのパワーだった。サンプルはテクニックで勝負するタイプなのではないか? パンチが軽めだった。その後のサンプル。負けが込んでいき、特に大きな活躍はなかった。)


オマール・シェイカ 2R TKO ステファン・ウェレ

(スーパーミドル級戦、2001年4月)

オマール・シェイカ(Omar Sheika)&ジャワイド・カーリック(Jawaid Khaliq)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

シェイカ:左ジャブ、右ストレート、フック   

ウェレ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

2R:右フックでウェレがダウン

(感想:サンプル戦後も連勝だったシェイカだが、判定で初黒星。ジョー・カルザゲのWBO世界スーパーミドル級王座に挑戦したが、TKO負け。再起戦に勝利して、この試合。これまで21勝(14KO)2敗。ウェレはカナダ・ケベック出身の白人で、29勝(18KO)3敗。カナダ王座(J・ミドル級、ミドル級)、WBC米大陸王座(J・ミドル級)を獲得。デイブ・ヒルトンに敗れたが、四連勝中。ラスベガス「MGM Grand」での一戦(シェイカのセコンドにルー・デュバ)。共に速いパンチ。シェイカはオスカー・デラ・ホーヤのような動きで左フックからの右ストレート、ワンツーからの左ボディ打ち。ウェレはジャブ連打からの右ストレート、右ストレートからの左ジャブ。2R、右カウンターをヒットさせたウェレだが、連打からの右フックでダウン。立ったが、レフェリーストップ。シェイカがハンドスピードで勝利。ウェレはテクニックを持っていたが、相手の勢いに屈した。その後の二人。ウェレはこれが事実上のラストファイト。ブランク後に二試合行ったが、二連敗。シェイカは数度の世界挑戦のチャンスを得たが、勝てず。意外なことにNABO王座、北米王座といった地域王座戦でも勝てなかった。昔はスーパーミドル級はレベルが低めだったが、強い選手が参戦するようになってからは競争が激しくなった。)


ジャワイド・カーリック 12R 判定 ウィリー・ワイズ

(IBOウェルター級タイトル戦、2001年6月)

オマール・シェイカ(Omar Sheika)&ジャワイド・カーリック(Jawaid Khaliq)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

カーリック:左ジャブ、右ストレート、フック   

ワイズ:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

2R:右フックでワイズがダウン

(感想:カーリックがタイトル獲得。王者ワイズ(34歳)はバージニア州オナンコック出身の黒人。アマチュアで実績。プロ入りは1988年。これまで37勝(26KO)7敗4分。ニューヨーク州王座(ウェルター級)を獲得したが、NABF王座戦、NABO王座戦(ウェルター級)で三連敗を喫したことも。決定戦でIBO王者に。これが初防衛戦。挑戦者カーリック(30歳)は英国レディング出身。両親はパキスタン人。16歳でボクシングを始める。アマチュア王者(ウェルター級)からプロへ。14勝(9KO)1敗1分。デビュー7戦目で判定負けを喫したが、マイナー王座(スーパーウェルター級)、英国のローカル王座(ウェルター級、スーパーウェルター級)、英連邦王座(ウェルター級)を獲得してきた。英国ノッティンガムでの一戦。似たタイプの二人。ジャブが中心。ワイズがダッキングしながら左フックからの右ストレート。カーリックはワンツー。2R、右ストレートが効いたワイズ。右フックでダウン。その後も両者、ジャブ、ワンツー、左フック。カーリックは左ボディ打ちに迫力があり、勢いでやや優勢。12R終了。判定は3-0。カーリックが丁寧なボクシングで勝利。ディフェンス&ジャブで無難な勝ち方だった。ワイズは年齢的なものがあるのだろう。追い込むパワーに欠けた。その後、ワイズは三連敗で引退。ラストファイトの相手はピークを遙かに過ぎたフリオ・セサール・チャベスで、2RでのTKOだった。)


ジャワイド・カーリック 5R KO ヤセック・ビエルスキー

(IBOウェルター級タイトル戦、2001年9月)

オマール・シェイカ(Omar Sheika)&ジャワイド・カーリック(Jawaid Khaliq)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

カーリック:左ジャブ、右ストレート、フック   

ビエルスキー:左ジャブ、右ストレート、フック

(ダウンシーン)

5R:右ストレートでビエルスキーがダウン

(感想:カーリックがタイトル初防衛。挑戦者ビエルスキー(29歳)はポーランド人(エルブロンク出身)。アマチュアからプロへ。これまで15連勝(4KO)。オーストリア王座、IBOインターコンティネンタル王座(ウェルター級)を獲得してきた。ノッティンガムでの一戦(レフェリーはジョン・コイル。ロバート・デ・ニーロに似ている)。距離を取ってジャブ、ストレートのカーリック。基本的にアウトボクシングだが左ボディ打ちが巧く、長いパンチで連打も披露。ビエルスキーは慎重にガードしながら前進し、思い切りのいい右ストレート、左フック。ただ、攻撃が単発で、かわされる。5Rに大きな動き。左フックをヒットさせたビエルスキーだが、連打からの右ストレートでダウン。立てず、KO。カーリックが長いパンチで勝利。当たると効果が大きいパンチだった。ビエルスキーはクロス気味の右パンチに良さがあったが、当てるテクニックに欠けた。その後の二人。ビエルスキーは連勝したが、WBCインター王座戦(ウェルター級)でTKO負け、引退。カーリックはIBO王座を連続防衛し、王者のまま引退。意外なことにメジャー団体の世界王座に挑戦することはなかった。)


①「Super Middleweight 

Omar Sheika vs. Sean Sample」

②「Super Middleweight 

Omar Sheika vs. Stephane Ouellet」

③「IBO Welterweight Title

Willy Wise vs. Jawaid Khaliq」

④「IBO Welterweight Title

Jawaid Khaliq vs. Jacek Bielski」