WBA世界J・ウェルター級王者。「Kid Pambelé」と呼ばれたコロンビアの長身ボクサー。ライオン古山戦、門田恭明戦、エステバン・デ・ヘスス戦を紹介します。
アントニオ・セルバンテス(コロンビア)
身長175cm:オーソドックス(右構え)
①アントニオ・セルバンテス 15R 判定 ライオン古山
(WBA世界J・ウェルター級タイトル戦、1973年)
セルバンテス:左ジャブ、右ストレート、左フック
古山:右ジャブ、左ストレート、左右フック
(感想:セルバンテスがタイトル防衛。「Kid Pambelé」と呼ばれるセルバンテス(周囲が付けたアダナ。意味は不明)。貧しい少年時代。アマチュアではわずか三試合(二勝一敗)。18歳でプロデビュー。多くの試合を経験するが、敗北もあり大きなチャンスはなかなか来ない。世界初挑戦ではWBA世界J・ウェルター級王者ニコリノ・ローチェ(アルゼンチン。藤猛を破って王者に)に判定負けで王座獲得ならず。二度目の同王座挑戦。アルフォンソ・フレーザー(パナマ)にKO勝ちで王座獲得。古山戦は五度目の防衛戦となる。古山は30勝(21KO)5敗2分のサウスポー。日本王座、東洋王座(いずれもJ・ウェルター級)を獲得、防衛してきた実績。パナマで行われた試合。解説は小林弘。選手入場。何と試合直前に両選手にTV局(?)がインタビュー(試合後の「勝利者インタビュー」ならわかるが)。右ジャブ、左ストレート、右ボディで攻める古山。40勝(23KO)8敗2分のセルバンテス(意外に負けが多い)はスラリとした体型からジャブ、右ストレートでカウンターを取る。5R、セルバンテスの連打。右目が腫れてきた古山は8Rにラッシュを掛けたりするが、前に出たところをジャブでカウンターされる。14R終了間際、古山の左ストレートがヒット。判定は3-0。ダウンシーンは無し。セルバンテスは基本的にジャブとストレート。ただテクニックだけではなく、時折アッパーを入れたりするなど、連打するときは結構迫力があった。)
②アントニオ・セルバンテス 8R KO 門田恭明
(WBA世界J・ウェルター級タイトル戦、1974年)
セルバンテス:左ジャブ、右ストレート、左右フック
門田:右ジャブ、左ストレート、左右フック
(ダウンシーン)
1R:左フックで門田がダウン
2R:右ストレートで門田がダウン
3R:左フックで門田がダウン
4R:右ストレートで門田がダウン
5R:右ストレートで門田がダウン
8R:右フック、左フック、右ストレートで3度、門田がダウン
(感想:セルバンテスがタイトル防衛。日本での八度目の防衛戦。世界4位の門田はサウスポー。東洋ライト級王座を獲得、防衛してきた男。ジャブ、ストレート、右フックで前進する門田。セルバンテスは門田のストレートをディフェンスしながらジャブを当てる。毎回ダウンする門田。5R、思い切った右フックで攻める門田だが、逆に右ストレートでダウン。8R、三度ダウンで終了。力強い攻めを見せた門田。決して弱い選手ではなかったが、セルバンテスのパンチにはキレがあった。速いパンチを打てるということは、それだけ相手の動きを捉えることができるということだと思われる。門田の隙を見逃さなかったセルバンテスは一流だった。)
③アントニオ・セルバンテス 15R 判定 エステバン・デ・ヘスス
(WBA世界J・ウェルター級タイトル戦、1975年)
セルバンテス:左ジャブ、右ストレート、左フック
デ・ヘスス:左ジャブ、右ストレート、左右フック
(ダウンシーン)
2R:右ストレートでデ・ヘススがダウン
12R:右ストレートからの左ストレートでデ・ヘススがダウン
15R:左アッパーでデ・ヘススがダウン
(感想:セルバンテスがタイトル防衛。九度目の防衛戦。挑戦者デ・ヘススはロベルト・デュランのライバルとして有名なプエルトリカン(デュランからWBA世界ライト級タイトルは奪えなかったが、この試合の後、ガッツ石松を破ってWBC世界ライト級タイトルを獲得)。パナマシティでの一戦。共にジャブを使う展開。2R(だと思う。最初のラウンドがカットされた映像で観戦。他にもちょっとずつカットされた妙な映像)、右ストレートでデ・ヘススがダウン。3R、デ・ヘススの右が当たってセルバンテスのグローブがキャンバスにタッチしたが、レフェリーはスリップ扱い。ジャブと連打で攻めるデ・ヘススにセルバンテスはジャブ、ストレートでカウンター。次第に劣勢になっていくデ・ヘスス。12R、15Rにダウン。判定は大差でセルバンテス。序盤はデ・ヘススにも勢いがあったが、次第にセルバンテスが長いパンチとディフェンスで優勢になっていった。セルバンテスは強い選手ではあったが、淡々と試合をするところがあったため、その後、17歳のベニテスや「荒鷲」プライアーに負けて王座を失った。強いが地味(「引き立て役」だったような印象も)。1RからKOを狙うようなスタイルだったら、もっと高く評価されていたのではないか? 王座陥落後もWBCの地域王座を獲得するなどの活躍を見せ、1998 年には「国際ボクシング殿堂」入りを果たした。)
Antonio Cervantes vs. Lion Furuyama」
②「WBA World Super Lightweight Title
Antonio Cervantes vs. Kadota Shinichi」
③「WBA World Super Lightweight Title
Antonio Cervantes vs. Esteban De Jesus」
ウィルフレド・ベニテス(Wilfred Benitez)のページ
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エステバン・デ・ヘスス(Esteban De Jesus)のページ
セルバンテスは実力の割に地味でしたね。2階級制覇をかけてナポレス、クエバス、パロノと戦っていたら…。当時は複数階級の制覇より防衛回数を延ばす事が主流だったので仕方ないですが…
返信削除。アメリカでの知名度が低かった偉大なJ.ウェルター級王者。
コメントありがとうございます。ボクサーも地域によって特徴がありますね。例えばメキシコ人は打ち合いを好む傾向があったり、ヨーロッパ人は反則をしないようなスタイルでポイントを狙う、とか。コロンビアのボクサーは丁寧でスタイリッシュな戦い方をする、というイメージが私にはあります。セルバンテスは「自分流」に試合ができれば満足だったのではないかと。ムリに倒しに行くのではなく、ディフェンスを考慮したキレイなボクシング。それが長期に渡り防衛できた理由であり、ベニテスやプライヤーに意表を突かれるような形で敗北した原因なのでは? 相手からすれば「懐が深くてやりにくいタイプ」だったセルバンテス。他の実力者との試合が実現しなかったのは残念でしたね。
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