世界ミドル級王者。世界王者になる前のウォルター・カーティア戦、ウィリー・トロイ戦、アル・アンドリュース戦を紹介します。
ジョーイ・ジャーデロ(アメリカ)
身長178cm:オーソドックス(右構え)
①ジョーイ・ジャーデロ 1R TKO ウォルター・カーティア
(ミドル級戦、1954年)
ジャーデロ:左ジャブ、右ストレート、フック
カーティア:左ジャブ、右ストレート、左フック
(ダウンシーン)
1R:右ストレートで3度、カーティアがダウン
(感想:ジャーデロはニューヨーク・ブルックリン出身の白人。イタリア系で本名は「カルミネ・オーランド・ティレッリ」。当時のブルックリンは荒れたスラムではなかったがギャングがおり、ジャーデロは連中とつるんだり、ケンカ沙汰になったり。15歳の時、「ジョー・ジャーデロ」という年上のいとこから出生証明書を購入し、米陸軍に入隊。ニュージャージー州でプロデビューを果たしたが、親バレしないようにするために再びジャーデロの名を借用。1948年、デビュー。実力者と対戦(いつのことかは不明だが、自動車事故で後遺症が残ったり(膝を損傷)、ガソリンスタンドでの暴行で6か月の懲役刑を言い渡されたり、といったトラブルも)。カーティアと再戦(初戦は前年に行われ、3-0でジャーデロ勝利)。カーティアもまたニューヨーク出身で、ブロンクス。1946年にプロデビュー。中堅相手に好調だったが、キッド・ギャビラン、ボボ・オルソンに連続TKO負け。ジャーデロに判定負けするなど、このところ勝ったり負けたり。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。互いにジャブ。右ストレートに威力があるジャーデロ。接近戦では左右フックを振るうが、手打ち気味なところが。ただ、当てる巧さがあり、インサイドからフックを入れる。カーティアは左のガードをやや下げた構えで、ジャブ、左ボディ打ち。フックの打ち方はジャーデロよりも良い。強烈な右カウンターで カーティアがダウン。立ったが、右ストレートで更に二度ダウンしてレフェリーストップ。ジャーデロが得意の右パンチで快勝。最初のダウンを奪った右カウンターは見事な一撃だった。カーティアは普通レベルの選手だった印象。その後も中堅相手に試合。引退後は俳優になった。)
②ジョーイ・ジャーデロ 7R TKO ウィリー・トロイ
(ミドル級戦、1954年)
ジャーデロ:左ジャブ、右ストレート、フック
トロイ:左ジャブ、右ストレート、フック
(ダウンシーン)
1R:右フックでトロイがダウン
2R:右ストレートでトロイがダウン
(感想:カーティア戦の次の試合。トロイはバージニア州ノーフォーク出身の黒人。身長180cmのスリムな体型。1951年のデビューから連勝。KO負けで初黒星。そこからまた連勝でジャーデロ戦。「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。1R、共にジャブ。ジャーデロはこの試合ではゴツいパンチ(カーティア戦でのシャープなパンチとは大違い)。ワンツー、フックにパワーを込める。トロイは動きのスピードはそこそこで、パンチのキレもそれなり。右ストレート、接近してボディ打ち。左ボディ打ちに良さがあるが、攻めるときのガードに甘さ。右フックでカウンターされてダウン。2Rには左フックを食ってピンチ。腕力で攻めるジャーデロ。右ストレートがカウンターで入ってトロイが少し間を置いてダウン。それでも前に出るトロイ。4Rに左ボディからの右ストレートを決める。ジャーデロは疲れが見え始め、フットワーク&ジャブでアウトボクシングしたり、クリンチしたり。トロイは左のテクニック(左ボディ打ち、左フックダブルなど)を持っているが、「一発のパワー」はジャーデロ。7R、トロイが左フック連打からのワンツーを打たれたところでレフェリーストップ。ジャーデロが辛勝。パワーを込めすぎてスタミナ切れの状態に。パンチの正確さで何とか押し切った。トロイは動きの機敏さ、パンチのキレに欠けるところがあったのが惜しい。その後もトロイは中堅相手に試合。フロイド・パターソンにTKO負け(1955年)。ラストファイトは1956年9月で、判定負け。その試合でアゴを折って引退。1984年7月、51歳で死去。死因は不明。)
③ジョーイ・ジャーデロ 7R TKO アル・アンドリュース
(ミドル級戦、1955年)
ジャーデロ:左ジャブ、右ストレート、フック
アンドリュース:左ジャブ、右ストレート、フック
(ダウンシーン)
9R:右フックでアンドリュースがダウン
(感想:トロイ戦の次の試合に判定負けしたジャーデロだが、その後、連勝。アンドリュースはウィスコンシン州オリバー出身の白人。身長はジャーデロと同じ(178cm)。中堅相手に連勝したり、カーメン・バシリオに判定負けしたり。直前の試合は判定勝ち。連戦連勝とはいかないが、粘り強さを感じる戦績の持ち主。バージニア州ノーフォークでの一戦。踏み込んで左フック、接近して回転の速いフック連打のアンドリュース。手数を出していく積極さ。ジャーデロは一発ずつパワーを込めるメキシカンのようなフック攻撃。1Rにグローブを交換するハプニングはあったが、正確に当てようとする強打で少し優勢。特に斜め下からの右フック、コンビネーション(右フックからの左フック、左フックからの右アッパーほか)が印象的。手数で攻めるアンドリュース、フックで応戦のジャーデロ。クリンチするなど疲れを見せるジャーデロだが、9Rに右フックでアンドリュースをダウンさせる。10R終了。判定は3-0。中盤以降、スタミナがキツそうだったジャーデロ。今後の活躍はその問題の克服次第か? アンドリュースはよく頑張ったが、パワー不足。軽量級のような試合ぶりだった。その後のアンドリュース。再起戦で後の世界ライトヘビー級王者ウィリー・パストラーノに判定負け。その後も多くの試合を行ったが、ジーン・フルマー、デニー・モイヤーに判定負けするなど勝ったり負けたり。1959年6月、後の世界ライトヘビー級王者ホセ・トーレスにTKO負け。その次の試合もKO負けで引退。)
その後のジャーデロ
連勝後、チャーリー・コットンに二連敗。コットンに二連勝するなど好調。ラルフ・ジョーンズらに三連敗。ナイジェリアのディック・タイガーと一勝一敗の後、ジーン・フルマーのNBA世界ミドル級王座に挑戦したが、引き分け(「史上最も汚い戦い」と評価された試合。互いにラフファイト。両者とも「自分が勝った」と主張。ジャーデロ「フルマーは最も汚いファイターの一人だった」 と後に語っている)。その後、不調。スランプ。1962年のヘンリー・ハンク戦の勝利が「リング」誌から「ファイター・オブ・ザ・イヤー」に選ばれる名誉もあったが、実力者ジョージ・ベントンに判定負け。1963年6月、あのシュガー・レイ・ロビンソンに判定勝ち。その次の試合でディック・タイガーから世界ミドル級王座奪取。初防衛戦でルービン・カーターに勝利(カーターはその後、冤罪で長期服役。映画にもなった)。しかし、タイガーとの四戦目に敗れ、王座陥落。既にボロボロだったが、「ライトヘビー級に挑戦したい」ということでカムバック。しかし、二勝二敗で引退。引退後は保険の営業マン、化学会社でマーケティング担当者になったとか。ボランティア活動も行う慈善家の面も。
①「Middleweight
Joey Giardello vs. Walter Cartier」
②「Middleweight
Joey Giardello vs. Willie Troy」
③「Middleweight
Joey Giardello vs. Al Andrews」
ジョージ・ベントン(George Benton)のページ

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