2024年3月1日金曜日

藤猛(Fuji Takeshi)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界J・ウェルター級王者。ハンマーパンチで世界王座強奪。サンドロ・ロポポロ戦、ニコリノ・ローチェ戦、パク・ソクキュ戦を紹介します。

藤猛(Fuji Takeshi)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

藤猛(アメリカ)

身長168cm:オースドックス(右構え)

藤猛 2R TKO サンドロ・ロポポロ

(世界J・ウェルター級タイトル戦、1967年)

藤:左ジャブ、右ストレート、左右フック

ロポポロ:左ジャブと右ストレート

(ダウンシーン)

2R:右フック、左フックで2度、ロポポロがダウン

(感想:藤がタイトル獲得。藤はホノルル出身の日系三世。ハワイ州のハイスクール卒業後、軍人に。日本でも勤務。アマチュアで活躍。故・力道山が創設した「リキ・ボクシングジム」のスカウトで同ジムに所属。トレーナーはハワイでジムを経営していたエディ・タウンゼント。プロデビュー。器用ではないが、異常に強いパンチを思い切りぶちかましていくタイプ(いわゆる「ケンカボクシング」。「軍隊時代に身に付けた」という(本人談))。日本王座、東洋太平洋王座(いずれもJ・ウェルター級)を獲得し、それぞれ初防衛に成功後に返上。そして、初の世界挑戦。王者ロポポロはイタリア人。イタリア王座を獲得後、欧州王座にも挑戦したが、勝てず。カルロス・エルナンデスを破って世界王者に。これが二度目の防衛戦となる。東京・蔵前国技館での一戦。王者ロポポロは優雅な戦い方。左のガードをやや下げた構えからジャブを出し、右ストレートには伸びがある。攻める藤。ロポポロはフットワーク&ジャブで攻撃をかわすが、2Rに強烈な右フックでダウン。立ったが、左フックで二度目。最後はロープ際でロポポロが滅多打ちにされたところでレフェリーストップ(ロポポロのセコンドが棄権を申し入れてのストップだった)。藤が何とも豪快な世界奪取。日本人の世界タイトル戦は軽量級が中心。こんな勝ち方をされると今までの日本ボクシングがかすんで見えてしまう。そんな勝ち方だった(後の浜田剛史、平仲明信の世界J・ウェルター級王座奪取劇もインパクトのある内容だった)。惨敗だったロポポロ。その後、欧州王座に数度挑戦したが、勝てず。世界戦は藤戦が最後となった。)


ニコリノ・ローチェ 10R TKO 藤猛

(WBA世界J・ウェルター級タイトル戦、1968年)

藤:左ジャブ、右ストレート、左右フック

ローチェ:左ジャブ、右ストレート、左フック

(感想:ローチェがタイトル獲得。ウイリー・クアルトーア(西ドイツ)にKO勝ちして世界王座の初防衛に成功した藤。しかし、所属ジムとの間に金銭トラブル。引退届を出すなどの混乱からWBC王座剥奪。ノンタイトル戦に三連勝して、これまで31勝(26KO)2敗。「WBA王者」として1位ローチェの挑戦を受けることに。ローチェはアルゼンチンの選手で91勝(15KO)2敗13分(KO勝ちがたったの「15」というのが気になる)。ノンタイトル戦で当時世界王者だったサンドロ・ロポポロに勝利。藤戦が初の世界挑戦。東京・蔵前国技館での一戦。藤が右ストレート、大きな振りの左フック。ローチェはリズミカルに左ジャブを連打し、キレのある左フックを意表を突くタイミングで打ち込む。動きやパンチにキレがない藤は空振りが多く、ローチェがジャブで先手を取る展開。7Rに右ストレートを決めた藤。しかし、ローチェがパンチの正確さとディフェンスで優勢。9R終了後、藤が棄権して試合終了(ダウンシーンは無し)。藤はハードパンチャーではあるが、パンチを振り回す勢いで勝つスタイル。動きにキレがないうえに、ローチェの正確なパンチ(ただし、サミングをした疑いアリ)。勝ち目は無かった。当時、ジムと金銭面での対立が絶えなかったという話だが、たとえそうであったとしても試合には集中すべきだ。その後、ローチェは元王者カルロス・エルナンデス、後の王者アントニオ・セルバンテスを破って防衛成功。)


藤猛 3R KO パク・ソクキュ

(ウェルター級戦、1970年)

藤:左右フック

パク:左右フック

(ダウンシーン)

3R:フック連打でパクがダウン

(感想:世界王座陥落の藤が再起三戦目。パクは記録に乏しい選手(「BOXREC」には「門田新一にKO負け」の記録がある)。ハイライト映像で観た試合。接近戦。左右フックでの打ち合い。大振りのパンチを豪快に空振りしてバランスを崩す藤。3R、フック連打でパクがダウン。立ったがカウントアウト。豪快さは相変わらず。しかし、強引な試合ぶり。その後、藤はメキシカンに勝利。そして、予定されていた試合を拒否して結果的に引退。その後はキックボクシングに転向して試合を行ったり、ボクシングスクールでコーチしたり。ボクサーとしては不器用なタイプで、またジムとの問題もあったが、「ロポポロ戦」という最高傑作が残したり、個性的な発言がウケたり(「オカヤマのおバアちゃん」)で記憶に残る男である。)


リキ・ボクシングジム:プロレスラーの力道山が「日本のボクシングは軽量級ばかりでつまらん」というコンセプトから「ヘビー級ボクサー育成」のために創設したジム。「リキ・スポーツパレス」(通称「リキパレス」)と呼ばれる総合スポーツレジャービルを建設した力道山(1961年、完成)。そこにはプロレスの試合会場、サウナ、ボウリング場、キャバレー、レストランなど。「リキ・ボクシングジム」はその一つ。1963年、力道山が急死。リキパレスは力道山の借金で経営されていたことから経営悪化。藤が世界王者になった頃はジムとしての実態が薄れ、最終的にリキジムは自然消滅。リキパレスも借金返済のため力道山の遺族によって売却されてしまった。


①「World Super Lightweight Title 

Sandro Lopopolo vs. Fuji Takeshi」

②「WBA World Super Lightweight Title 

Fuji Takeshi vs. Nicolino Locche」

③「Welterweight 

Fuji Takeshi vs. Suk Kyu Park」


アントニオ・セルバンテス(Antonio Cervantes)のページ

0 件のコメント:

コメントを投稿