伝説のヘビー級。ジョー・ジャネット戦、ジム・フリン戦、ビル・ラング戦を紹介します。
サム・ラングフォード(アメリカ)
身長171cm:オーソドックス(右構え)
①ジョー・ジャネット戦
(感想:伝説の黒人ヘビー級ラングフォード。強すぎるため白人の世界王者は恐れをなしてラングフォードの挑戦を受けなかったという。身長171cmで小さい。ライト級でデビューし、ヘビー級の強豪に。カナダ・ノバスコシア州ウェイマス出身。1902年、マサチューセッツ州ボストンでプロデビュー。ノンタイトル戦で世界ライト級王者ジョー・ガンズに判定勝ち。王者「バルバドス」ジョー・ウォルコットと世界ウェルター級王座を争って引き分け。1906年4月26日、有色人種版・世界ヘビー級王座(大昔は世界ヘビー級王座は白人だけのもの。黒人用に「有色人種版・世界ヘビー級王座」があった)を懸けてジャック・ジョンソンと対戦。ダウンを食って判定負け。その後、ラングフォードがパワーアップしていったため、ジョンソンはラングフォードと再び戦おうとしなかったという。その代わりとなるライバルが。同じように黒人であるという理由で大きなチャンスが得られないハリー・ウィルスとの抗争。世界有色人種ヘビー級王座を懸けて勝ったり負けたり。ジョー・ジャネットもその王座を懸けて何度も対戦したライバル。古い映像があり、いつ行われたものかはわからないが内容を少し紹介。ジャネットはニュージャージー州ノース・バーゲン出身の黒人。身長178cmだが、リーチは192cmもある。鍛冶屋の父を手伝い、トラック運転手の仕事も。その後、ボクサーに。1904年、25歳でプロデビュー。以後、ラングフォード、ジャック・ジョンソン、ハリー・ウィルスといった強豪と何度も対戦。有色人種・世界ヘビー級王座をめぐる抗争を展開。映像ではそれほど魅力的ではない試合ぶり。身体はデカいが、長いジャブを出すのみ。相手に接近されてクリンチ。ラングフォードはあまりスピードのある選手ではない。丸っこい身体でジリジリ前進し、右ストレート、フック。例えるならば10年ぶりに復帰した時のジョージ・フォアマンのようなタイプ。ゴツい腕で頑丈なコブシ。強烈なコンビネーション(右フックからの左フック)。右フック、左フックで三度のダウンをジャネットから奪う。最終ラウンド終了でレフェリーはラングフォードの手を上げた(PTSによる判定でラングフォード勝利)。1919年にジャネットは引退。ニューヨーク州から認可され、アフリカ系アメリカ人初のジャッジに。ボクシングジムを経営し、ジム・ブラドックらを指導。車好きなことからジムを辞め、タクシー会社を経営。住んでいた町にはジャネットにちなんで名付けられた「ジャネット通り」があるそうだ。)
②サム・ラングフォード 8R KO ジム・フリン
(ヘビー級戦、1910年3月)
ラングフォード:左ジャブ、右ストレート、フック
フリン:フック
(ダウンシーン)
8R:フック連打でフリンがダウン
(感想:フリンはニュージャージー州ホーボーケン出身。本名は「アンドリュー・シャリグリオーネ」。ニックネームは「消防士」だが、鉄道関係の仕事をしていたそうだ。1893年のデビュー戦はKO勝ち。以後、連勝したり、KO負けを喫したり。1904年4月16日、KOでコロラド州王座(ヘビー級)獲得。1906年10月2日、トミー・バーンズの世界ヘビー級王座に挑戦してKO負け。1907年11月2日、ジャック・ジョンソンにKO負け。1908年12月21日、ラングフォードに1RでKO負け。再戦はドロー。そして、この三度目の対戦。カリフォルニア州バーノンでの一戦。開始から接近戦。相撲のような押し合いをしながらバカスカ打ち合う。ひたすらフック攻撃のフリン。対抗するラングフォードは斜め下からのフックなどパンチの正確さとパワーで上回る。中間距離ではラングフォードがジャブ、右ストレート。フリンは接近してフック。屋外リングで暑いのか、セコンドがバスタオルで選手をあおいで冷却。8R、フック連打でフリンがうつぶせにダウン。立てなかったらしく、KO(倒れたところで映像が切れ、試合後の騒然とした状況が映っていた)。ラングフォードがゴツいパワーで勝利。フリンはムチャな打ち合いを選択したが、この選手はそれがいつものパターンなのだろう。しかしその後はラングフォード戦を経験して強くなったか、連勝。1912年7月4日、世界王者になったジャック・ジョンソンに挑戦したが、反則負け(ジョンソンのホールドを嫌がって頭突きしたらしい)。その後も多くの試合を行ったが、勝ったり負けたりのタフなキャリア。1917年2月13日に大きな勝利。世界王者になる前のジャック・デンプシーを1RでKO(上手く隙を突いたらしい)。再戦は逆にデンプシーが1RでKO勝ち(報復された)。ラングフォードに二連敗したりしながら1925年まで戦った。通算戦績74勝(56KO)46敗22分。)
③サム・ラングフォード 6R 反則 ビル・ラング
(ヘビー級戦、1911年2月)
ラングフォード:左ジャブ、右ストレート、フック
ラング:左ジャブ、右ストレート、フック
(ダウンシーン)
2R:左フックでラングがダウン
(感想:ラングはオーストラリア・メルボルン出身の白人で、パワーが売り物。1905年、デビュー(引き分け)。勝ったり負けたりを経験後、オーストラリア王座(ヘビー級)を獲得して連続防衛。1908年9月3日、トミー・バーンズの世界ヘビー級王座に挑戦してKO負け。その後もオーストラリア王座防衛(ボブ・フィッツシモンズもKO)。英連邦王座も奪取。しかし、またしてもバーンズに敗れて両王座から陥落。直前の試合は英連邦王座決定戦で、反則負け。英国ケンジントンでの一戦。相手のパワーを警戒するラング。フットワークで距離を取ったり、クリンチしたり。ラングフォードは歩いて距離を詰め、強いジャブ、右ストレート、回転の速いフック連打。ラングはジャブ、右カウンターでしのごうとするが、2Rにロープ際で左フックを食ってダウン。その後もプレッシャーを掛ける ラングフォード。ラングはクリンチ。途中までの映像。結果は反則(たぶん、クリンチだろう)。ラングフォードがパワーで勝利。動きのスピードはそれほどでもないラングフォード。「足を使って打ち合わない選手」とどう戦うのか、といったところだったが、ゆっくり歩いて相手を追い詰め、意外に速いフック連打で相手を圧倒(後のフォアマンとよく似た戦法)。速く動かなくても相手を追い込める剛腕があった。ラングは「パワーが売り物」ということだが、「上には上があった」といった結果に。その後もオーストラリア王座戦に出場。ローカルな活躍にとどまった。)
その後のラングフォード
多くの試合。1919年、ジャック・デンプシーが世界ヘビー級王者になったが、ラングフォードとの対戦は無し。次第に全盛を過ぎていくラングフォード。キャリアの終わり頃にはほとんど失明状態になり、1926年8月の試合でTKO負けして引退。引退後は貧困。ファンからの寄付で何とか暮らせるようになったとか。世界タイトルは獲得できなかったが、2020年8月13日にWBCがラングフォードを「名誉世界チャンピオン」に認定。通算戦績178勝(129KO)32敗40分。
①「Heavyweight
Sam Langford vs. Joe Jennette」
②「Heavyweight
Sam Langford vs. Fireman Jim Flynn」
③「Heavyweight
Sam Langford vs. Bill Lang」

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