2026年5月8日金曜日

ベニー・レナード(Benny Leonard)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ライト級王者。「ゲットーの魔術師」。ルー・テンドラー戦(初戦)、ジミー・マクラーニン戦を紹介します。


ベニー・レナード(アメリカ)

身長165cm:オーソドックス(右構え)

ベニー・レナード(Benny Leonard)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

ベニー・レナード 12R 判定 ルー・テンドラー

(世界ライト級タイトル戦、1922年7月)

レナード:左ジャブ、右ストレート、フック   

テンドラー:右ジャブ、左ストレート、フック   

(感想:レナードがタイトル防衛。ニューヨーク州ニューヨーク市イーストサイド出身のレナード。ユダヤ人ということで少年の頃はケンカを仕掛けられることが多かったという。身を守るために始めたボクシングで結果的に成功。「ライト級史上最強」「魔術師」と呼ばれるようになった。デビュー当初はKO負けしたが、次第に戦い慣れてきた。数年に渡って連勝、多くの試合。1917年5月28日、世界ライト級王者フレディ・ウォルシュとのノンタイトル戦でKO勝利。面白いことに「ノンタイトル戦でも両者の体重がリミット内で、かつKO勝ちすればタイトルが移動する」という変則ルールがあり、レナードが新王者に。昔はのんびりした時代で世界王座の防衛戦は年に一度ぐらいのペース。その分、ノンタイトル戦を精力的に行い、月に三度試合したことも(二階級制覇を目指した世界ウェルター級王者ジャック・ブリットンへの挑戦は敗北)。テンドラー戦はキャリア後半の防衛戦。挑戦者テンドラーはペンシルベニア州フィラデルフィア出身の白人サウスポー。身長は168cmでレナードとそれほど変わらないが、リーチは178cmある。1913年デビュー。以来、新聞判定による負けはあったが、好調(「新聞判定」とはKOで決着がつかなかった場合、報道関係者が「どちらが優勢であったか」を決めるもの。公式記録は「ドロー」になるが、新聞判定により両者の実力差をある程度うかがい知ることができる)。後の世界バンタム級王者ピート・ハーマンとも対戦。1919年10月21日、反則で初黒星。更に連勝後、1921年10月21日にPTSによる判定で敗北。1922年4月10日には二度目の反則負け。そして、このレナードへの挑戦。ようやく訪れたチャンス。ニュージャージー州ジャージー・シティでの一戦。共にスリムな身体。左右の構えは違うが、似たような戦い方。シャープなジャブ、ストレート、フック連打。レナードは古い時代の選手らしい、やや後ろにのけぞった姿勢、左手を前に出す構え。アマチュアボクサーのように足でリズムを取って突き刺すような左ジャブ、右ストレート。テンドラーも負けじと右ジャブ、左ストレート。ディフェンスは共にバックステップ、クリンチなど。接近戦ではフックの打ち合い。互いに譲らず。しかし、やはりレナード。ジャブ、右カウンターを当てる巧さがあり、斜め下からのフックには威力。12R終了。KO決着でなかったため、ドロー。レナードが新聞判定で勝利(ダウンシーンは無し)。共に良さがあったが、当てる巧さなど微妙なところでレナードが上だった。テンドラーはもう少しパワーがあればといったところ。その後、両者は再び世界王座を懸けて戦い、3-0でレナード勝利。テンドラーはその後も多くの試合。ミッキー・ウォーカーのNBA世界ウェルター級王座に挑戦したが、3-0の敗北に終わった。)


その後のレナード

テンドラーとの再戦に勝利して王座を防衛したレナードだが、1925 年 1 月 15 日、引退を発表、世界ライト級タイトル返上。母が病気になった、というのも引退を決めた理由の一つ。結果的にテンドラーとの再戦が最後の世界戦に。資産があり、悠々自適。ところが1929年の大恐慌。資産を失い、引退から約7年後に35歳でカムバック。連戦連勝。ただ、冴えない試合、不透明な結末になった試合もあり、観客のブーイングを浴びることも。


ジミー・マクラーニン 6R TKO ベニー・レナード

(ウェルター級戦、1932年10月)

レナード:左ジャブ、右ストレート、フック   

マクラーニン:左ジャブ、右ストレート、フック   

(ダウンシーン)

3R:左フックでレナードがダウン

(感想:復帰ロードのレナードが有望株と勝負。マクラーニンは英国ヒルズバラ出身の白人。1923年、カナダでデビュー。主戦場をアメリカに。連勝だったが、判定で敗れることも。1928年5月21日、サミー・マンデルの世界ライト級王座に挑戦して判定負け。その後も勝利しては判定負け。直前の試合は2-1の敗北。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦(観衆19,000人。ハイライト映像で観戦)。髪が薄くなり、丸っこい身体になったレナード。左手を前に出す構えは昔と変わらないが、動きやパンチのキレが無い。マクラーニンは荒々しい男。前進し、大振りの左右フック(強いが、隙がある。それが判定負けしてきた理由か?)。1Rから左フックを食ってピンチのレナード。3Rに右ストレートからの左フックでダウン。その後も勢いでマクラーニン。6R、右フックを食って動きが止まったレナード。左フックを連打されてレフェリーストップ。マクラーニンがパワーで勝利。レナードはテクニックでカバーしようとしたが、相手の勢いを止めるだけのパワー、スピードは無かった。その後の二人。マクラーニンはヤング・コーベット3世をKOして世界ウェルター級王者に。バーニー・ロスとの王座をめぐる抗争。トニー・カンゾネリとの二連戦。世界ライト級王者ルー・アンバースに勝利して引退。世界王座は一度も防衛できなかったが、中身の濃いキャリアとなった。レナードはこれで引退。マクラーニン戦で得たカネで少し経済的に楽になり、結婚もできた。ボクシング・インストラクターの仕事に就き、第二次世界大戦中は米国海兵隊の中尉として勤務。その後はニューヨーク州のレフェリーに。「名レフェリー」との評判を得たが、ニューヨークでのレフェリング中に心臓発作。そのまま死去(51歳没)。通算戦績180勝(69KO)21敗6分6無判定(推定)。1955年、『リング』誌の殿堂入り。1980 年、世界ボクシング殿堂入り。1990 年には国際ボクシング殿堂入り。)


①「World Lightweight Title

Benny Leonard vs. Lew Tendler」

②「Welterweight 

Benny Leonard vs. Jimmy McLarnin」

 

0 件のコメント:

コメントを投稿