「フロレンティノ・フェルナンデスvs.マルセル・ピゴー」「ホセ・トーレスvs.ホセ・ゴンザレス」「ジョン・パーソルvs.エディ・コットン」「アーニー・ロペスvs.ヘッジモン・ルイス」を紹介します。
①フロレンティノ・フェルナンデス 2R KO マルセル・ピゴー
(ミドル級戦、1961年)
フェルナンデス:左ジャブ、右ストレート、左右フック
ピゴー:左ジャブ、右ストレート、左右フック
(ダウンシーン)
2R:左フックでピゴーがダウン
(感想:ミドル級戦。フェルナンデスはキューバ、ピゴーはフランスの選手。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。ファイトスタイルはやや似ているが、フェルナンデスは左フック、ピゴーは右ストレートが武器の様子。共にジャブ。接近戦ではクリンチしながら互いのボディを打ち合う。攻める姿勢のフェルナンデス。ピゴーは距離を取る慎重姿勢。2R、フェルナンデスが攻撃を仕掛ける。左フックを食って後退したピゴーが左右フック連打からの左フックでダウン。立てず、KO。最後はパワーでフェルナンデスが勝利。ピゴーは受け身の試合ぶりだった。フェルナンデスは次の試合でジーン・フルマーの持つNBA世界ミドル級王座に挑戦。2-1の判定で王座獲得ならず。ピゴーはタイトルを獲得することもなく、最後は目の負傷により引退。共に世界には手が届かなかった。)
②ホセ・トーレス 10R 判定 ホセ・ゴンザレス
(ライトヘビー級戦、1964年1月)
トーレス:左ジャブ、右ストレート、フック
ゴンザレス:左ジャブ、右ストレート、フック
(感想:トーレスはプエルトリコ・ポンセ出身。1956年のメルボルン・オリンピックで銀メダル獲得。カス・ダマト(後、マイク・タイソンを指導)の勧めでニューヨークへ。アマチュアをさらに継続後、1958年にプロデビュー。連勝だったが、ベニー・パレット(後の世界ウェルター級王者)とドロー。さらに連勝後、プエルトリコ王座(ミドル級)獲得。TKOで初黒星。再起戦でドン・フルマーに判定勝ちしてゴンザレス戦。ゴンザレスはプエルトリコ・アロヨ出身。1959年デビュー。主戦場はニューヨーク。ルイス・ロドリゲス(後の世界ウェルター級王者)にTKO負け、ジョーイ・アーチャーと一勝一敗。エミール・グリフィスに2-0で敗れた再起戦でトーレスと勝負。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。共にガードを上げてジャブ。攻めの姿勢のゴンザレス。前進して右フックを打ち込み、接近して左右フックでボディ連打。トーレスはキレイなボクシング。距離を取って相手をうかがいながら右ストレート。接近戦では右アッパー、左ボディからの右フック。左フックからの右ストレートにパワーがあるが、クリンチが多め。攻めるゴンザレス。丁寧にディフェンス&隙を狙うパンチのトーレス。10R終了。判定は3-0(ダウンシーンは無し)。映像では攻めたゴンザレスが勝ったように見えたが、トーレス勝利。ゴンザレスのボディ攻めをブロックできていたのだろう。その後の二人。ゴンザレスはディック・タイガーにTKO負け、ドン・フルマーに判定勝ちでWBAアメリカ王座(ミドル級)獲得。その後は勝ったり負けたりになったが、ベニー・ブリスコ、ルイス・ロドリゲス(再戦)、ユージン・ハートといった実力者に勝利。トーレスは連勝。ボボ・オルソンをKO。1965年3月30日、ウィリー・パストラーノをKOして、世界ライトヘビー級王座獲得。ノンタイトル戦でヘビー級のトム・マクニーリーに判定勝ち(勝ったが、腹部にダメージ。引退後も後遺症が続いたという)。三度の防衛後、ディック・タイガーに判定負けで王座陥落。再戦でもタイガーに敗れ、王座返り咲きならず。それが最後の世界戦に。引退後はニューヨーク市の仕事、作家活動。1984年から1988年までニューヨーク州アスレチック・コミッションの委員長職。1990年から1995年までWBOの会長。1994年に世界ボクシング殿堂入り。1997年には国際ボクシング殿堂入り。ボクシング中継の解説者としても活躍するなどボクシングに人生を捧げた。)
③ジョン・パーソル 10R 判定 エディ・コットン
(ライトヘビー級戦、1964年2月)
パーソル:左ジャブ、右ストレート、フック
コットン:左ジャブ、右ストレート、フック
(ダウンシーン)
6R:右フックでパーソルがダウン
(感想:ニューヨーク州ブルックリンの黒人パーソル。アマチュアで活躍。1963年のデビューから連勝中の新鋭。コットンはオクラホマ州マスコギー出身の黒人。1947年デビューの大ベテラン。デビュー戦はTKO負け。アメリカとカナダで勝ったり負けたり後、連勝。ローカル王座(ライトヘビー級)を獲得できたが、アーチー・ムーアに判定負け。ニュージーランド遠征後、ハロルド・ジョンソンのNBA世界ライトヘビー級王座に挑戦して2-1の敗北。ペルーのリマでマウロ・ミナに敗北後、連勝中。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦(レフェリーはアーサー・マーカンテ)。似たタイプの二人。スリムな身体から左ジャブ、右ストレート、フック、ボディ打ち。ディフェンスもできる。パーソルは手数をよく出し、右ストレートにキレがある。パワーとボディ打ちの巧さはコットンが上か? 6R、右フックが効いたパーソル。クリンチして倒れまいとするが、ロープ外に落ちるダウン。その後も一進一退。10R終了。判定は2-1。パーソルが手数で勝利。コットンは惜しい。少し力むタイプで、手数が少なくなる傾向があった。ダイレクト・リマッチが行われ、今度はコットンが4RでのTKO勝ちで決着。その後の二人。パーソルは元世界ミドル級王者ボボ・オルソンに2-0で勝利できたが、KO負けするなど二連敗。元世界ライトヘビー級王者ハロルド・ジョンソンに3-0の勝利。後のWBA世界ヘビー級王者ジミー・エリスに1RでKO負け。中堅どころに連勝したが、最後はTKO負けで引退。リングマガジン誌から評価されていたときもあったが、大きな王座には挑戦できず。ニュージャージー州ボクシング殿堂入り。コットンはウェイン・ソーントンに三連敗するなど苦戦。ホセ・トーレスの世界ライトヘビー級王座に挑戦して、3-0の敗北。1967年に後の世界王者ボブ・フォスターにKO負け。引退後は「ボーイング」で働いたり、ワシントン州ボクシング委員会の委員を務めたり。シアトルでレストラン経営もしたそうだ。)
④アーニー・ロペス vs. ヘッジモン・ルイス
(ウェルター級戦、1968年?)
ロペス:左ジャブ、右ストレート、左右フック
ルイス:左ジャブ、右ストレート、左右フック
(感想:古い映像で観戦。映像にはテロップが一切入っていないため、いつの試合かは不明(1968または1969年のロサンゼルス)。ネイティブ・アメリカンの血を受け継いでいるため「インディアン・レッド」とも呼ばれるロペスは日本で試合をしたこともあり、ムサシ中野を3RでKO。ヘッジモン・ルイスとは計三度戦っている(ロペスの2勝1敗)。これはそのうちの一つ。ロペスは距離を取ってジャブ、そして右ストレートを狙う比較的丁寧な戦い方。黒人選手ルイスは左のガードを下げてシャープなジャブを打ち、右ストレート、左右フックを思い切って打っていく。動きのスピードはルイスの方があるが、共にディフェンスするため大きなパンチがヒットしない。ボディを攻めるロペス。だが、共にKOを狙うような激しい攻めはしない。ここで映像に編集が入り、勝利に喜ぶロペスの姿。どんなフィニッシュだったのかがわからない映像。ロペスの「2勝」はいずれもTKOによるもの。たぶん、連打でストップ勝ちだったのでは? ダウンシーンがあったかどうかも不明。試合全般としてはロペスが右ストレートで優勢だったように見えた。後、ロペスはエミール・グリフィスには勝てなかったが、オスカー・ショットガン・アルバラードに判定勝ち。世界ウェルター級王者ホセ・ナポレスへの挑戦は二度ともKO負け。世界王者にはなれなかったが、弟ダニー・ロペスはWBC世界フェザー級王者になり、名選手と呼ばれた。また、ルイスもオスカー・アルバラードに判定勝ち。世界ウェルター級王者ホセ・ナポレスへの挑戦は二度とも敗北したが、ニューヨーク州公認世界ウェルター級王者になった。ラストファイトの相手はジョン・ストレーシー。ロペスのラストファイトの相手もストレーシー。二人には妙に共通点があった。)
①「Middleweight
Florentino Fernandez vs. Marcel Pigou」
②「Light Heavyweight
Jose Torres vs. Jose Gonzalez」
③「Light Heavyweight
Johnny Persol vs. Eddie Cotton」
④「Welterweight
Ernie Lopez vs. Hedgemon Lewis」
ハロルド・ジョンソン(Harold Johnson)のページ
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ボブ・フォスター(Bob Foster)のページ




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