2026年5月27日水曜日

ジョルジュ・カルパンチェ(Georges Carpentier)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

世界ライトヘビー級王者。ヘビー級にも挑戦。経歴、ジョー・ベケット戦、バトリング・シキ戦を紹介します。


ジョルジュ・カルパンチェ(フランス)

身長180cm:オーソドックス(右構え)

ジョルジュ・カルパンチェ(Georges Carpentier)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

「蘭の男」とは?

フランスのリエヴァン出身の白人カルパンチェ(1894年1月12日生まれ)。その容姿、強さで当時、絶大な人気を誇り、「蘭の男」と呼ばれたほど。何が凄かったか? デビュー当初、今でいうところのミニマム級のウェイトで試合。徐々に階級を上げ、ライトヘビー級で世界王者に。そしてヘビー級でジャック・デンプシーの世界王座に挑戦した伝説の試合。要するに全階級で試合をしたことになる。貧しい炭坑夫の息子。12歳の頃から父と一緒に働き、パワーを獲得。プロになる前はサバット(フランスの格闘技。空手のようなもので、足技を主体とする)も経験。デビュー当初はKO負けや引き分け。勝っても判定だったりとまだまだパワー不足。しかし、レベルアップ。階級を徐々に上げ、16歳でフランス・ウェルター級王座をTKOで奪取。次いで欧州ウェルター級王座もTKOで奪取。実力が上がるに連れ、女性人気もアップ。カルパンチェの関係者は彼が女でダメになってしまわないようにガードしたとか。欧州ミドル級王座も獲得。世界ミドル級王座挑戦はヒジ打ちをされて敗北に終わってしまったが、そこから快進撃。1913年、KOで欧州ライトヘビー級王座獲得。次いで欧州ヘビー級王座獲得。ヘビー級王座を防衛しながらヨーロッパ版世界ライトヘビー級王座獲得。1920年10月12日、ニュージャージー州ジャージー・シティで世界ライトヘビー級王者バトリング・レビンスキーに挑戦。KOでついに世界王者に。その次の試合は1921年7月2日、「伝説の大一番」。試合地は二連続でジャージー・シティ。世界ヘビー級王者ジャック・デンプシーに挑戦(入場料収入が当時史上初の100万ドル以上)。さすがにこれは厳しかったか、KO負け。カルパンチェの戦いぶりを映像で観察。「蘭の男」などと呼ばれることから「カッコつけた気取り屋のアウトボクサーだろう」と思うかもしれないが、さにあらず。左のガードを下げた構えから長い左ジャブを使い、鋭い右ストレート、振りが大きめの左右フック。なかなか頑丈なコブシ。特に右パンチに威力があり、右ストレートが十八番。斜め下から振り抜く右フックで相手をダウンさせた試合も。また、時にはバカスカ打ち合う勇敢さもある。「大英帝国の誇り」テッド・キッド・ルイスと対戦したときは右フックが効いたルイスに容赦無い右ストレートをぶち込んでKO。強さだけではなく、非情さも持ち合わせていることを証明。しかし、戦った相手を試合後にねぎらう心遣いもある紳士。


ジョルジュ・カルパンチェ 1R KO ジョー・ベケット

(欧州ヘビー級タイトル戦、1919年12月)

カルパンチェ:左ジャブ、右ストレート、フック   

ベケット:左ジャブ、フック

(ダウンシーン)

1R:左フックでベケットがダウン

(感想:カルパンチェがタイトル防衛。世界王者になる前の試合。連勝のカルパンチェが欧州王座の防衛戦。挑戦者ベケットは英国ウィックハン出身の白人。1912年デビュー。連勝しては敗北のキャリア。英国ヘビー級王座決定戦で判定負け。英国のヘビー級大会で準優勝。トップにはなれないもどかしさ。ところが英国&英連邦ヘビー級王座をKOで奪取。英国王座の初防衛にも成功。その勢いでカルパンチェの欧州王座に挑戦。英国ホルボーンでの一戦。互いにジャブ。ベケットはプレッシャーを掛けられ、クリンチ、ボディフックなどで抵抗。カルパンチェがワンツーからの左フック連打。うつぶせにダウンしたベケットは10カウントを聞いた。70秒で終了。パワーに大きな差。カルパンチェ最大の武器は右ストレート。ワンツーをマトモに食ったベケットはどうしようもなかった。その後、ベケットは保持する英国&英連邦王座を防衛。再びカルパンチェと欧州王座を懸けて対戦したが、何と15秒でKO負け。それが最後の試合になった。)


バトリング・シキ 6R KO ジョルジュ・カルパンチェ

(世界L・ヘビー級タイトル戦、1922年9月)

カルパンチェ:左ジャブ、右ストレート、フック

シキ:左ジャブ、右ストレート、フック   

(ダウンシーン)

3R:右ストレート、右フックで2度、シキがダウン。右フックでカルパンチェがダウン。

6R:右フック(?)でカルパンチェがダウン

(感想:シキがタイトル獲得。ベケットとの初戦後、レビンスキーから世界ライトヘビー級王座奪取のカルパンチェ。そしてデンプシーにKO負け。テッド・キッド・ルイスを1RでKOして世界ライトヘビー級王座防衛。シキと防衛戦。挑戦者シキはセネガル(フランス領)のサン・ルイ出身の黒人で、フランス国籍を持つ。フランスを主戦場に時にはドイツ、オランダなどで試合。連敗したこともあったが、1920年10月のKO勝ちから負け無し。フランス・モンルージュでの一戦(ハイライト映像で観戦。「世界L・ヘビー級王座戦」であるが、カルパンチェの欧州ヘビー級王座、IBUライトヘビー級王座も懸けられた)。共に左のガードを下げてジャブ、そして大振りの左右フック。3R、ダウン応酬。6R、右フックでカルパンチェがダウン。立てず、KO。ところが裁定についてトラブル。「シキがカーペンティアをつまずかせた」としてレフェリーは一旦、「シキの反則負け」を宣告。しかし、観衆の抗議により裁定が覆り、「6ラウンドKO」でシキが世界王者に(人種差別的な扱いをされたシキ。結局は「公正さ」が通った)。激しい攻防はシキに軍配。序盤、優勢だったカルパンチェだが、相手の勢いに押されて倒された。テクニックではなく、相手に合わせて大きな振りのパンチでバカスカ打ち合ったのが敗因。「蘭の男」らしくない負け方だった。その後の二人。シキは初防衛に失敗。その後、アメリカに主戦場を移したが、勝ったり負けたり。「世界王者になった時がピーク」というパターンになってしまった。そして1925年12月15日、28歳で死去。私生活ではトラブルメーカーだったらしく、銃で撃たれた。カルパンチェは再起戦でフランス王座戦(ヘビー級)を行い、KO勝ち。その次の試合は欧州王座戦で、ベケットを15秒でKO。試合間隔が長くなっていき、ジーン・タニー、トミー・ローランに敗北。1926年9月のKO勝ちがラストファイト。引退後は芸能人になり、舞台や映画出演。第二次世界大戦後、フランス空軍に所属。フランスの「スポーツ海外大使」にも任命され、パリで高級バーを経営。1991年に国際ボクシング殿堂入り。「フランス最高のボクサー」の一人と評価されている。)


②「EBU European Heavyweight Title

Georges Carpentier vs. Joe Beckett」

③「World Light Heavyweight Title

Georges Carpentier vs. Battling Siki」

 

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