ケネディ・マッキニー(アメリカ)
身長170cm:オーソドックス(右構え)
①ケネディ・マッキニー 7R TKO ポール・バンキ
(全米J・フェザー級タイトル戦、1992年)
マッキニー:左ジャブと右ストレート
バンキ:右ジャブと左右フック
(ダウンシーン)
2R:右ストレートでバンキがダウン
6R:右ストレートでバンキがダウン
(感想:マッキニーがタイトル防衛。ミシシッピ州出身のマッキニー。ニックネームは「King」。ソウルオリンピック(1988年)ではバンタム級で金メダル獲得。ところがその後、クスリにハマったり、事件を起こしたり。何が原因かは知らないが、乱れた生活。しかし、ボクシングの才能はなかなかのもの。プロ入り後はデビュー以来、負け無し。シュガー・ベビー・ロハスを破って全米王座獲得。これが初防衛戦。相手のバンキは「突貫小僧」と呼ばれる元世界王者。サウスポースタイルから繰り出すジャブと左右フックでひたすら前に出るバンキ。マッキニーは正確なジャブとストレートでバンキを打ちのめす。バンキがマッキニーのマウスピースを飛ばすシーンもあったが、7Rのゴングに応じられず。6R終了でTKOとなった。マッキニーは「ガツン」という感じで右ストレートを当てるのが上手な選手。バンキは過去のダメージが感じられるような試合ぶりだった。)
(IBF世界J・フェザー級タイトル戦、1992年)
マッキニー:左ジャブと右ストレート
ニシタ:回転の速い連打
(ダウンシーン)
11R:左フックでマッキニーがダウン、右ストレートでニシタがダウン
(感想:マッキニーがタイトル獲得。バンキを下した次の試合でマッキニーが初の世界挑戦。王者ニシタは南アフリカの黒人選手。元々はフライ級だったということもあってスピードがある。ただ、パンチはその分、軽いという評判。イタリアで行われた試合。ニシタがスピードのある動きから回転の速い連打で攻撃。マッキニーは左ジャブと右ストレートのカウンターで応戦する。スピーディーで激しい打ち合いが続く。11R、左フックを食ったマッキニーが相手に背を向け、しゃがみこんでダウン。勝負あった、といった雰囲気になったが、今度は逆に右ストレートでニシタがダウン、KO。大逆転のKOでマッキニーが世界王者に。背を向けて「試合放棄」扱いされても文句は言えない場面もあったが、レフェリーは試合続行。そして、絵に描いたような右ストレートのカウンターでKO。マッキニーが得意の右ストレートで王座を獲得。ラッキーだった面もあった。ニシタはやはりパンチが軽く、ダウンを奪ったが止めをさすことができなかった。)
(IBF世界J・フェザー級タイトル戦、1993年)
マッキニー:左ジャブと右ストレート
サバラ:左ジャブと左フック
(ダウンシーン)
3R:右ストレートで3度、サバラがダウン
(感想:マッキニーがタイトル防衛。二度目の防衛戦。相手は左フックが得意なハードパンチャーのサバラ。ペドロ・デシマに勝ち、ヘスス・サルードに敗北(いずれも元世界王者)。経験を積んでいる最中の新鋭。左ジャブと左フックでサバラが前に出る。マッキニーはいつものように左ジャブと右ストレート。3R、マッキニーが右ストレートでサバラを三度ダウンさせてKO。当時、期待の新鋭だったサバラ。3Rで倒されるとは当時は思いもしなかった。ボクシングの世界王者は「スペシャルなもの」を持っていなければならないと思うが、マッキニーの重く、それでいてスピードと正確さを持つジャブ、ストレートはまさに「スペシャルなもの」。その後もマッキニーは防衛を続けたが、ブヤニ・ブングに敗れ初黒星。WBO王座を狙ったが、マルコ・アントニオ・バレラにKO負け。ブングとの再戦にも敗れ、王座奪回ならず。「もう終わった選手」という雰囲気もあったが、ジュニア・ジョーンズを下してかつて獲れなかったWBO王座を獲得。その次の試合でルイシト・エスピノサのWBC世界フェザー級王座に挑戦したが惨敗。「史上最高のJ・フェザー級選手になりたい」と語っていたマッキニー。自身のキャリアをどう思っているのだろう? 引退後は若手の指導をしているとのこと。)
Kennedy McKinney vs. Paul Banke」
②「IBF Super Bantamweight Title
Welcome Ncita vs. Kennedy McKinney」
③「IBF Super Bantamweight Title
Kennedy McKinney vs. Rudy Zavala」
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