2020年1月19日日曜日

ロベルト・デュラン(Roberto Durán)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

パナマの「石の拳」ロベルト・デュラン。エステバン・デ・ヘスス戦、シュガー・レイ・レナード戦、アイラン・バークレー戦、を紹介します。

ロベルト・デュラン(Roberto Durán)ボクシング・ブログ「世界の強豪ボクサー」[Google Blogger]

ロベルト・デュラン(パナマ)
身長170cm:オーソドックス(右構え)

ロベルト・デュラン 12R TKO エステバン・デ・ヘスス
(WBA・WBC世界ライト級王座統一戦、1978年)
デュラン:左ジャブ、右ストレート、左フック
デ・ヘスス:左ジャブ、右ストレート、左フック
(ダウンシーン)
12R:右フックのカウンター、連打で2度、デ・ヘススがダウン
(感想:デュランがタイトル統一。パナマシティのスラム街に生まれたデュラン。「Manos de Piedra」(英語で言うと「Hands of Stone(石のコブシ)」と呼ばれる強打者。母は地元の人だったが、父はメキシコ系アメリカ人。その父が家族を捨てて出ていってしまったため、デュランは子供の頃から働きに。それと同時にストリートファイトで腕っぷしもパワーアップしていく。アマチュアで経験を積んだ後、16歳でプロに。KOの山を築き、ケン・ブキャナンに疑惑のKO勝ちでWBA世界ライト級王座獲得。しかし、ノンタイトル戦で行ったデ・ヘスス(プエルトリコ)との対戦で判定負け、初黒星。二度目の対戦は王座を懸けて行われ、デュランのKO勝ち。後、デ・ヘススがガッツ石松を破ってWBC王者に。そして、このラスベガスで行われた第三戦。王座統一戦。デュランにとってはWBA王座の12度目の防衛戦でもある。リングサイドでシュガー・レイ・レナードとラリー・ホームズが観戦。速いジャブの応酬。基本的な戦い方が似ている両者だが、デュランはパワー、デ・ヘススはスピードを主体にした打ち方。共にスピードがあり、ディフェンスもできるため、一進一退の展開。徐々にデュランのパワーの乗ったパンチがヒットするようになり、12R、デ・ヘススがダウン。二度目のダウンのあとデ・ヘススのセコンドがリングに入り、試合終了。結局、両者の対決はデュランが二勝一敗で、その「二勝」はKO。デ・ヘススにはスピードはあったがKOするようなパワーは無かった。これが妥当な結末か。)

ロベルト・デュラン 15R 判定 シュガー・レイ・レナード
(WBC世界ウェルター級タイトル戦、1980年)
デュラン:左ジャブ、右ストレート、左右フック
レナード:左ジャブ、右ストレート、左右フック
(感想:デュランが二階級制覇。ライト級時代は限界を超えた減量をしていたデュラン。ライバルのデ・ヘススと決着をつけたうえに、ライト級の体を維持できない、ということで階級アップ。J・ウェルター級を飛ばしてウェルター級で世界挑戦。王者レナードはスーパースター。モントリオールオリンピック金メダルからプロ入り。ウィルフレド・ベニテスを破り、WBC王者に。これまで全勝。カナダのモントリオールで行われた一戦(まるでレナードのために用意されたかのような舞台)。1Rから前に出るデュラン。もみ合うような打ち合い。2R、左フックでレナードがグラつく。その後、しつこく接近してくるデュランをレナードが持て余す、というパターンが続く。13、14、15Rに力強い連打を見せるレナード。最終ラウンド終了時、両手を上げて勝利をアピールするレナードを小突いて「勝ったのはオレだ!」といった感じのアピールをするデュラン。判定は3-0。ダウンシーンは無し。とにかくしぶとかったデュラン。打ち合いに持ち込んで勝利。レナードは、下のクラスから上がって来た選手に負けるわけにはいかない、とばかりに打ち合った。それが間違いだったとは思わない。デュランのタフさを讃えるべき試合だった。ところが再戦でデュランが「NO MAS」。初戦での名シーンが一気に色あせてしまった。)

ロベルト・デュラン 12R 判定 アイラン・バークレー
(WBC世界ミドル級タイトル戦、1989年)
デュラン:左ジャブ、右ストレート、左右フック
バークレー:左ジャブと左右フック
(ダウンシーン)
11R:右ストレートでバークレーがダウン
(感想:デュランが四階級制覇。レナードとの再戦に敗れたデュラン。その後、ウィルフレド・ベニテスには敗れたが、デビー・ムーア(日本で王座獲得)をKOしてWBA世界J・ミドル級王座獲得、三階級制覇。その勢いでマービン・ハグラーの世界ミドル級王座に挑戦したが、判定負け。その再起戦でWBC世界J・ミドル級王者トーマス・ヒットマン・ハーンズに挑戦。前のめりに顔面からキャンバスに叩きつけられる壮絶なKO負け。普通の選手ならここで終わってしまうところ。しかし、デュランの場合はむしろここからが本番。ロビー・シムス(ハグラーの弟)には敗れたが、その後、連勝し、このバークレー戦。王者バークレーは「ブロンクスの荒くれ者」。凶暴なパワーでハーンズを粉砕し、王座獲得。これが初防衛戦となる。アトランチックシティで行われた注目の試合。ファイタータイプの両者。ジャブを打ち合う。1R終了間際、右フックでグラつくバークレー。その後、ファイターのバークレーがジャブから入る丁寧なボクシング。デュランはタフさを利用して打ち合いに持ち込もうとする。共にパンチの正確さには欠けるが、デュランは右ストレートと左フック、バークレーはジャブと左フックが印象的。7R、激しい打ち合い。8R、左フックでグラつくデュラン。11R、コンビネーションからの右ストレートでバークレーがダウン。判定は2-1。一進一退のラウンドが多かったため、割れたのは不思議ではない。激しく打ち合ったラウンドでは観客も立ち上がって拍手したほどの熱戦。11Rにバークレーをダウンさせたコンビネーション・ブローは実に見事なものだった。その後のデュラン。レナードとWBC世界S・ミドル級王座を懸けた第三戦では判定負け。それでも引退せず、ビニー・パジェンサ、ヘクター・カマチョ、ウィリアム・ジョッピー(竹原慎二から世界王座を奪った男)らと対戦。勝とうが負けようがボクシングを辞められないデュラン。交通事故で重傷を負い、ついに引退(2002年)。ホントに引退?)

①「WBA・WBC World Lightweight Title
Roberto Durán vs.Esteban De Jesus」
②「WBC World Welterweight Title
Ray Leonard vs. Roberto Durán」
③「WBC World Middleweight Title
Iran Barkley vs. Roberto Duran」

エステバン・デ・ヘスス(Esteban De Jesus)のページ
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シュガー・レイ・レナード(Sugar Ray Leonard)のページ
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アイラン・バークレー(Iran "The Blade" Barkley)のページ

4 件のコメント:

  1. デュランがバークレーに勝ったと知った時鳥肌が立つほど興奮した。もともとはフェザー級あがりのデュランが…38歳でミドル級王者に…。今程、ボクサー年齢が長くなかった時代です。多くのボクサーが30前後で引退していた時代でした。明らかに骨格が違うバークレーを倒したコンビネーションは素晴らしかった。

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    1. コメントありがとうございます。「ボクサー寿命」は選手によって違いますね。デュランとも戦ったウィルフレド・ベニテスは17歳で世界を獲りましたが、年齢を偽って本来ならリングに上がれない年でデビューしたとか。そのためか若くしてピークを過ぎ、引退後は後遺症に悩まされることに。クロンクジムの選手は激しいスパーリングをすることで有名でしたが、そのせいか王者になっても短命だったり、打たれ弱かったり。デュランは戦うために生まれた、頑丈な体の持ち主だったんですね。

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  2. デュランはここ1番の試合で強かったですね。レナード第一戦のようにしっかり調整した試合はスピードもあり…当時29歳とは思えない程スタミナがあった。ただ、レナード戦以降は明らかに調整不足の試合が多くなったのがのが残念です。

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    1. コメントありがとうございます。減量苦でJ・ウェルターを飛ばしてウェルターのレナードに挑戦したデュラン。いくら強いと言っても所詮はライト級上がり。レナードとしては体格的にも有利であり、打ち合っても負けることはない、と思ったのではないでしょうか? デュランの打たれ強さとスタミナは相当なものでしたね。ただ、やはり「減量」が彼の大きな問題だったようです。大きな試合ではキッチリ体重を作ってきますが、そうでない試合では格下に敗れたり。負けたとはいえ、レナードとの第三戦では体をしぼって強いところを見せてくれましたね。

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