2020年1月2日木曜日

マシュー・サアド・ムハマド(Matthew Saad Muhammad)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

流血の激闘王、マシュー・サアド・ムハマド。マービン・ジョンソン戦、アルバロ・ヤキ・ロペス戦、ロッティ・ムワレ戦を紹介します。

マシュー・サアド・ムハマド(Matthew Saad Muhammad)ボクシング・ブログ「世界の強豪ボクサー」[Google Blogger]

マシュー・サアド・ムハマド(アメリカ)
身長180cm:オーソドックス(右構え)

マシュー・フランクリン 8R KO マービン・ジョンソン
(WBC世界L・ヘビー級タイトル戦、1979年)
フランクリン:左ジャブ、右ストレート、左右フック
ジョンソン:右ジャブと左ストレート
(ダウンシーン)
8R:連打でジョンソンがダウン
(感想:フランクリンがタイトル獲得。フィラデルフィア出身のフランクリン。記録によると5歳のときに捨て子になり、修道女によって「マシュー・フランクリン」と名付けられた。アマチュアで20試合を経験し、プロへ。戦績は悪くはないが、マービン・カメル(後、WBC・IBF世界クルーザー級王者に)、エディ・グレゴリー(後、WBA世界L・ヘビー級王者に)といった実力者に負けている。サウスポーのジョンソンとは以前にも空位の北米L・ヘビー級王座を懸けて戦っており、フランクリンがKOで勝っている。フィラデルフィアで行われた一戦。王者ジョンソンは雪辱のためか初回からジャブ、ストレートで攻めていく。フランクリンは手数が多い。両者一歩も引かず接近戦で打ち合うが、7R終了間際にフランクリンが連打。8Rに一気にラッシュしてダウンを奪う。ダメージが深い様子のジョンソン。カウントアウトだったのかレフェリーストップだったのかは映像では分かりにくかったが、結果は明白。「激闘王」フランクリンがトップに立った。そして、この後、ムスリムになり「マシュー・サアド・ムハマド」と改名。)

マシュー・サアド・ムハマド 14R KO アルバロ・ヤキ・ロペス
(WBC世界L・ヘビー級タイトル戦、1980年)
ムハマド:左ジャブ、右ストレート、左右フック
ロペス:左ジャブ、右ストレート、左右フック
(ダウンシーン)
14R:右アッパー、右フックからの左フック、右ストレート、右ストレートで4度、ロペスがダウン
(感想:ムハマドがタイトル防衛。四度目の防衛戦。挑戦者ロペスはメキシカン。これまで三度世界挑戦しているが、全て判定負け。左フックをパワフルに振るうタイプだが、試合運びにやや難がある印象。この試合も再戦。前回は北米L・ヘビー級王座を懸けて行われ、ムハマドのKO勝ち。共にパワーがある者同士の一戦。激しい打ち合い。ムハマドはジャブ・ストレート、ロペスは左フックのボディ打ちが印象的。攻めるロペスに、「もっと打ってこい」という感じのムハマド。両者一歩も譲らず、といった内容で、8Rにはムハマドが強烈な連打を浴びるが、打ち下ろすような右ストレートで打ち返す。最後は14Rに四度のダウンを奪ってムハマドが勝利。再び強豪ロペスをKOした。L・ヘビー級は「ヘビー級になれない選手のクラス」というイメージがあり、それほど人気のある階級ではない。王者も比較的地味な存在であることが多い。しかし、「ヘビー級以上のスピード」と「ミドル級以上のパワー」のある階級であり、個人的には気に入っている。この試合でもダレた感じになることもなく、終盤になっても速いジャブを打ち合うなど、ムハマドはL・ヘビー級の魅力を見せてくれた。負けたロペスも世界王者になってもおかしくないほどパワフルだった。)

マシュー・サアド・ムハマド 4R KO ロッティ・ムワレ
(WBC世界L・ヘビー級タイトル戦、1980年)
ムハマド:左ジャブ、右ストレート、左右フック
ムワレ:左ジャブ、右ストレート、左右フック
(ダウンシーン)
4R:豪快な左アッパーでムワレがダウン
(感想:ムハマドがタイトル防衛。ロペスとの激しい試合の次に行った試合。ムワレはザンビアの選手。これまで全勝。アフリカ王座(L・ヘビー級)を獲得している。いつも激し過ぎる試合をするムハマドだが、この試合では相手を警戒し、ジャブを丁寧に打つ。ムワレは比較的細かい打ち方。ムハマドが次第に大きなパンチを使うようになり、4Rのエンディングを迎える。3R、左フックが効いたムワレ。4R、豪快な左アッパーを喰らって完璧なKO負け。ムハマドによる強烈なKO劇。ムワレは悪い選手ではなかったが、激しい試合をやってきたムハマドからすれば難しい相手ではなかった。この後もムハマドはタイトルを防衛し続けたが、九度目の相手が悪かった。「岩石男」ドワイト・ブラクストン。ガッチリした体つきのタフ男で凄まじい豪打の持ち主。これまで激しい試合をやってきたムハマドはその攻撃に耐えられずKO負け、王座陥落。再戦もKO負け。ダメージが心配されたがリングに上がり続け、KO負けも増えていく。引退後はトレーナーになったようだが、ホームレスに。そして死去(2014年:59歳)。死因は不明だが「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」という診断もあった。捨て子から世界王者へ。そして後遺症、ホームレス生活。ムハマドは天才ボクサーだったが、あまりにも悲しすぎる人生だった。)

①「WBC World Light Heavyweight Title       
Marvin Johnson vs. Matthew Franklin」
②「WBC World Light Heavyweight Title       
Matthew Saad Muhammad vs. Yaqui Lopez」
③「WBC World Light Heavyweight Title       
Matthew Saad Muhammad vs. Lottie Mwale」

マービン・ジョンソン(Marvin Johnson)のページ
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ドワイト・ムハマド・カウィ(Dwight Muhammad Qawi)のページ

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