2022年6月22日水曜日

マウロ・ミナ(Mauro Mina)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

1960年代のボクサー。ペルー出身のL・ヘビー級。ジャブ、ストレートが武器のアウトボクサー(時にはインファイトも)。ヘンリー・ハンク戦ほかを紹介します。

マウロ・ミナ(Mauro Mina)ボクシング・ブログ「世界の強豪ボクサー」[Google Blogger]

マウロ・ミナ(ペルー)

身長180cm:オーソドックス(右構え)

ハイライト

(感想:ミナは「Bombardero de Chincha(チンチャの爆撃機:「チンチャ」はペルーの都市。ミナの故郷)」と呼ばれるペルーのL・ヘビー級。子供の頃から働き、アマチュアからプロ転向。ボクサーとしてペルーの国民的人物に。南米L・ヘビー級王座を1960年に獲得。1966年に引退して返上するまでそのタイトルを保持し続けた。1963年には後の世界王者ボブ・フォスターに判定勝利。「Ring Magazine」から世界L・ヘビー級1位にランクされ、世界王者ハロルド・ジョンソンに挑戦する予定であったが、目の負傷により実現せず。生涯戦績は52勝(25KO)3敗3分。ボン・クレイ、エディ・コットンらとのハイライトシーンを鑑賞。ウィービング、ダッキングをしながらジャブ、ストレートを打つミナ。右ストレート、右フックでダウンを奪うなど、右のパンチに自信がある様子。しっかりしたディフェンス、ジャブ、パワーを身につけている選手、という印象。)


マウロ・ミナ 10R 判定 ヘンリー・ハンク

(L・ヘビー級戦、1962年)

ミナ:左ジャブ、右ストレート、左右フック

ハンク:左ジャブ、右ストレート、左右フック

(感想:これまでほとんど地元ペルーで戦ってきたミナがアメリカ「マジソン・スクエア・ガーデン」に初登場。ハンクは戦績からすると当時の中堅どころ。ディック・タイガーに判定負け、直前の試合ではジミー・エリス(後、WBA世界ヘビー級王者に)に判定勝ち。ベテランの域に入っているが、まだ王座戦を経験したことがない。黒人ボクサー同士の一戦。レフェリーはアーサー・マーカンテ。ミナは太い腕をしているが、意外にもフットワークとジャブで正確にパンチを当ててポイントを取っていくボクサータイプ。ハンクは左のガードを下げてジャブを打ち、右ストレート、左右フックを強振する。接近戦、ミナはコンビネーション(ジャブ、ストレート、左フック)、ハンクはフック連打。8Rの激しい攻防。パワーを込めて打ち続けるハンクはさすがに疲れたか、足を使ってジャブ。判定は2-1。ミナが時折被弾しながらもジャブで勝利。ダウンシーンは無し。ハンクはジャブが速く、思い切った打ち方をする良い選手。ただ、左のガードを下げたところをジャブで打たれるパターン(思わず笑ってしまった。なぜガードを上げない?)。古い時代の試合を観ると左のガードを下げている選手が多い。当時の流行だったようだ。後、ハンクはミシガン州のL・ヘビー級王座を獲得したが、ハロルド・ジョンソン、ボブ・フォスターらを相手に敗北が増えていった。)

②「Light Heavyweight

Mauro Mina vs. Henry Hank」

ハロルド・ジョンソン(Harold Johnson)のページ

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ボブ・フォスター(Bob Foster)のページ

2 件のコメント:

  1. ヘンリー・ハンクはロビンソンに私淑していたような気がします。シルエットがよく似ていますし、デトロイトでしたね。

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    1. コメントありがとうございます。「私淑」という難しい言葉。「見習う」ということですね。モハメド・アリもシュガー・レイ・ロビンソンがお手本。人気スターが登場するとそのスタイルをマネる選手が出てくるのがボクシング界の特徴。ロビンソンは誰を手本にしたのでしょうか? ジョー・ルイスを追い込んだジョー・ウォルコットもガードを下げるスタイルでしたね。

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