2020年7月22日水曜日

浜田剛史(Hamada Tsuyoshi)「世界の強豪ボクサー:ボクシング・ブログ」

沖縄の剛腕、浜田。クロード・ノエル戦、友成光戦、レネ・アルレドンド戦(初戦)を紹介します。

浜田剛史(Hamada Tsuyoshi)ボクシング・ブログ「世界の強豪ボクサー」[Google Blogger]

浜田剛史(日本)
身長170cm:サウスポー

浜田剛史 4R KO クロード・ノエル
(ライト級戦、1984年)
浜田:右ジャブ、左ストレート、左右フック
ノエル:左ジャブ、右ストレート、右フック
(ダウンシーン)
4R:左ストレート、左フックで2度、ノエルがダウン
(感想:沖縄県出身の浜田。本名は浜田剛。子供の頃からボクシング好き。アマチュアで活躍。「帝拳ジム」に入門し、プロデビュー。三戦目で初黒星。連続KO勝ちだったが、コブシの骨折でブランク。復帰後も強打を振るい、このノエル戦。ノエルはトリニダード・トバコの黒人選手で、元WBA世界ライト級チャンピオン。フットワークとジャブのノエル。浜田は左ストレートを狙う。4R、踏み込みの速い左ストレートでノエルがダウン。さらにダウンを追加。立ったが、背を向けたままカウントアウト。浜田が豪快なKO勝利。最初のダウンを奪った左ストレートの凄まじさ。後に世界を沸かすマニー・パッキャオのような迫力があった。)

浜田剛史 7R KO 友成光
(日本ライト級タイトル戦、1984年)
浜田:右ジャブ、左ストレート、左右フック
友成:左ジャブ、右ストレート、左右フック
(ダウンシーン)
5R:左ボディフックで友成がダウン
7R:左フック、左ストレートで2度、友成がダウン
(感想:浜田がタイトル獲得。ノエル戦の次の試合は友成の持つ日本ライト級王座への挑戦。浜田にとってはプロでの初のタイトル戦となる。友成はベテラン。サムエル・セラノ(プエルトリコ)のWBA世界J・ライト級王座への挑戦はTKO負けに終わったが、日本J・ライト級王座、日本ライト級王座を獲得。日本ライト級王座は浜田と同じジムの尾崎富士雄(後、WBA世界ウェルター級王座に二度挑戦)から奪っており、浜田としては様々な理由で勝たねばならない試合。攻める浜田。友成は右でカウンターを狙う。5R、7Rに友成がダウンして終了。パワー・勢いの差で決着。打たれる友成が気の毒に思えたほど、浜田の強打は凄まじかった。)

浜田剛史 1R KO レネ・アルレドンド
(WBC世界J・ウェルター級タイトル戦、1986年)
浜田:右ジャブ、左ストレート、左右フック
アルレドンド:左ジャブ、右ストレート、左右フック
(ダウンシーン)
1R:連打でアルレドンドがダウン
(感想:浜田がタイトル獲得。東洋太平洋ライト級王座を獲得した浜田。王座を返上し、初の世界王座戦。王者のアルレドンドはメキシカン。長いパンチを得意とする選手で、ロニー・スミスにTKO勝ちし、王座獲得。これが初防衛戦となる。両国国技館で行われた試合。いきなりラッシュをかける浜田。接近して連打(アルレドンドは長いリーチを器用に使うタイプであるため、距離が開くとアルレドンドが有利になると考えたのであろう)。浜田の勢いを止められないアルレドンド。1R終了間際、右フックが効いたアルレドンドに浜田が一気に連打。豪快なKO劇。ボクシングが恐ろしいのは「容赦無しにパンチが打ち込まれる」ところ。死んだのではないかと思われたほど酷いダウンを食ったアルレドンド。ダメージが心配されたが、再起して浜田からタイトルを奪回。しかし、初防衛戦でロジャー・メイウェザーにKO負け。もし浜田がアルレドンドとの再戦に勝利してメイウェザーと戦っていたらどんな結果になっていただろう? マニー・パッキャオと浜田は攻め方がよく似ている。浜田は拳が完璧だったら、パッキャオ級の活躍をしていたに違いない。)

①「Lightweight
Hamada Tsuyoshi vs. Claude Noel」
②「Japanese Lightweight Title
Tomonari Hikaru vs. Hamada Tsuyoshi」
③「WBC World Super Lightweight Title
Rene Arredondo vs. Hamada Tsuyoshi」

レネ・アルレドンド(Rene Arredondo)のページ

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