高橋ナオト(日本)
身長168cm:オーソドックス(右構え)
①高橋直人 5R KO 今里光男
(日本バンタム級タイトル戦、1987年)
高橋:左ジャブ、右ストレート、左右フック
今里:左ジャブ、右ストレート、左フック
(ダウンシーン)
5R:右ストレート、左フックで2度、今里がダウン
(感想:高橋がタイトル獲得。東京都調布市出身の高橋。後に「高橋ナオト」のリングネームを使うが、本名は高橋直人。「アベボクシングジム」に所属し、「高校生プロボクサー」として17歳でプロデビュー。1985年度全日本バンタム級新人王獲得。1986年度KSD杯争奪A級ボクサー賞金トーナメント・バンタム級優勝。そしてこの初の日本王座戦。デビュー以来10連勝(6KO)の勢いで王座奪取なるか、といったところ。王者の今里は「トーア・ファイティング」所属(セコンドにファイティング原田)。一度は王座を失ったが、奪回。「攻撃のセンスはあるが、打たれ強くない」という評価も。ジャブで先手を取る高橋。3Rには右フックの連打で今里をダウン寸前に追い込む。5R、二度のダウン。今里は立ったがストップされた。高橋が打ち合いでも引かない気の強さとパワーを証明。今里は後手に回りすぎた。)
(日本J・フェザー級タイトル戦、1989年)
高橋:左ジャブ、右ストレート、左右フック
マーク:左ジャブ、右ストレート、左右フック
(ダウンシーン)
4R:右ストレート、左フックで2度、マークがダウン
8R:左フックで高橋がダウン
9R:右フック、連打で2度、マークがダウン
(感想:高橋がタイトル獲得。小林智昭に判定負けして日本バンタム級王座を失った高橋。その再起戦で空位となった日本バンタム級王座を島袋忠と争い、KO負け。全勝だったが、この二連敗。階級を上げることに。マークはアメリカの軍人。パンチがあり、決定戦で獲得した王座をこれまで六度防衛。フットワークとジャブを使う高橋。マークはジャブを打ちながらジリジリと距離を詰めてフック攻撃。4Rのダウンで足に来たマーク。しかし、8Rには左フックで高橋がよろけるようにダウン。9R、マークが二度のダウン。立ったが足がフラついておりストップされた。日本タイトル戦史上に残る激戦。試合自体は全般的に高橋が手数と正確さで優勢だった。)
(J・フェザー級戦、1989年)
高橋:左ジャブ、右ストレート、左右フック
ノリー:左ジャブ、右ストレート、左右フック
(ダウンシーン)
2R:右ストレートで高橋がダウン
3R:左フックで2度、ノリーがダウン
(感想:マーク戦の次の試合の相手はタイのノリー。タイのJ・フェザー級を獲得したことがある選手だが、直前の試合では元IBF世界J・フェザー級王者の李承勲にKO負けしている。いつものようにジャブを使う高橋。スラリとした体型のノリーは伸びるジャブ・ストレート。2R、右ストレートでグラついた高橋。さらに右ストレートでダウンし、出血も激しい。3R、左フックでグラついたノリーにラッシュしてダウンを奪う。ノリーは二度目のダウンから立てなかった。高橋が逆転勝ち。ボクサーの凄いところは打たれてダメージがあるにもかかわらず自分のパンチで相手がグラつくと体の底からパワーが沸いてきたかのような反撃をするところ。ノリーは意外に良い選手で、再戦で高橋に勝ち、ルイス・メンドサのWBA世界J・フェザー級タイトルに挑戦(敗北)。その後、高橋は韓国の朴鍾弼にKO負け。一度も世界挑戦することなく引退(彼に勝った小林智昭とノリーは世界挑戦。チャンスを奪われてしまった形)。引退後はジムを経営したり、著書を出版したり。「逆転の貴公子」とも呼ばれたが、「逆転する」ということは「先に打たれる、ダウンする」ということ。ボクサーとしてはあまり誉められた表現ではないが、世界王者並みの知名度と人気があった。)
Imazato Mitsuo vs. Takahashi Naoto」
②「Japanese Super Bantamweight Title
Mark Horikoshi vs. Takahashi Naoto」
③「Super Bantamweight
Takahashi Naoto vs. Noree Jockygym」
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