カオサイ・ギャラクシー(タイ)
身長157cm:サウスポー
①カオサイ・ギャラクシー 5R KO イスラエル・コントレラス
(WBA世界J・バンタム級タイトル戦、1986年)
カオサイ:右ジャブ、左ストレート、左右フック
コントレラス:左ジャブと右ストレート
(ダウンシーン)
3R:右フックでコントレラスがダウン
4R:右フックでコントレラスがダウン
5R:左ボディーでコントレラスがダウン
(感想:カオサイがタイトル防衛。「タイの伝説」カオサイ。その強さは日本でもおなじみ。ムエタイ選手だったが「足が短いから」という本当かどうかよくわからない理由で国際式(プロボクシング)に転向(タイでは国際式よりもムエタイの方が格が上。「国際式転向」は屈辱だったかもしれないが、結果的に大成功。数え切れないほどカネを稼ぎ、引退後もビジネスがうまくいくなど、リング外でも絶好調らしい)。国際式では負けは一つだけ。渡辺二郎が剥奪されたWBA王座を決定戦で獲得(日本で渡辺に挑戦する話もあったが、カオサイの関係者が日本での試合に難色を示したため実現しなかった)。コントレラス戦は四度目の防衛戦。挑戦者コントレラスはベネズエラ人(後にWBA世界バンタム級王者になるハードパンチャー)。どんな試合になるか? カリブ海の都市ウィレムスタットで行われた一戦。速い左ジャブと右ストレートで前に出るコントレラス。カオサイは相手の強打を警戒して、右ジャブで距離を取ろうとする。コントレラスは積極的に攻めるが、カオサイが押し返すように猛攻。攻めてるときは強いが守りになると弱さを見せるコントレラス。三度ダウンを奪ってカオサイが圧勝。カオサイは右アッパーでピンチになっても右フックで倒すなど、タフネスを見せつけた。後に19連続防衛を果たし、王者のまま引退できたのはこの試合で自信をつけたからかも知れない。)
(WBA世界J・バンタム級タイトル戦、1988年)
カオサイ:右ジャブ、左ストレート、左右フック
崔:左右フック
(ダウンシーン)
4R:左アッパー、右フック、右フックで3度、崔がダウン
8R:連打で崔がダウン
(感想:カオサイがタイトル防衛。カオサイの八度目の防衛戦。ソウルで行われた一戦。相手は元IBF世界フライ級王者の崔。圧力をかけ、ジリジリと距離を詰めるカオサイ。崔はフットワークを使い、連打で応戦。相手の強打を警戒しながらも打って出る崔だが、パワーの差が。4R、崔が三度ダウン(スリーノックダウンルールは?)。8Rには連打でダウン。カオサイが圧勝。カオサイは一発一発に力を込めて打つ選手というイメージがあるが、この試合では回転の速い連打をまとめることもでき、カウンターもとれる万能型であることを証明。)
(WBA世界J・バンタム級タイトル戦、1990年)
カオサイ:右ジャブ、左ストレート、左右フック
フォード:左ジャブと右ストレート
(ダウンシーン)
6R:左ストレートでフォードがダウン
(感想:カオサイがタイトル防衛。16度目の防衛戦。フォードはパナマのテクニシャン。WBAの地域王座を獲得するなど、このところ連勝中。タイで行われた一戦。1RでのKOを狙うかのように初回からカオサイが猛攻。左ジャブと右ストレートで応戦するフォードだが、打ち合いに応じる。相手のパワーに追い込まれるフォード。6R、左ストレートでフォードがダウン、KO。フィニッシュの流れるようなコンビネーションが実に見事だったカオサイ。総合的にレベルの高いところを見せつけた。打ち合ってしまったフォード。悪い選手ではないが、本来、距離を取って戦うタイプなのではないか? 基本とするファイティングスタイルに関係なく、接近戦で相手からパワーを見せつけられると「負けてたまるか」とばかり打ち合ってしまうのがボクサーの本性なのかもしれない。カオサイは結局、19連続防衛を果たし、王者のまま引退。返上した王座は鬼塚勝也とタノムサク・シスボーベーの間で行われ、鬼塚が王座獲得。個人的には鬼塚とカオサイの対決を観たかったなと今でも思う。)
Khaosai Galaxy vs. Israel Contreras」
②「WBA World Super Flyweight Title
Khaosai Galaxy vs. Chang Ho Choi」
③「WBA World Super Flyweight Title
Khaosai Galaxy vs. Ernesto Ford」
イスラエル・コントレラス(Israel Contreras)のページ
渡辺二郎がWBAJ.バンタムの7度目の防衛戦でカオサイと戦ってたら…。見たかった。
返信削除当時、世界ランク1位のカオサイの存在が怖かった思い出があります。
コメントありがとうございます。カオサイについては「ボクシングマガジン」に詳しく載っていましたね。強さを見せた試合もあれば、負けていたのではないかという試合もあったとか。渡辺に挑戦したかったがマネージャーが日本で試合させたがらなかった、とも。今では世界的な選手はWOWOWやYouTubeなどで見ることができますが、当時は海外ボクサーの映像を見る機会が少なかった時代。「強い」という評判が選手を実態以上に大きく見せていた時代でもありましたね。
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