世界フェザー級王者。速い連打と正確なジャブが武器の「メキシコの赤い鷹」。タイトル防衛戦、関光徳戦(再戦)、ハワード・ウィンストン戦(再戦、三戦目)を紹介します。
ビセンテ・サルディバル(メキシコ)
身長168cm:サウスポー
①ビセンテ・サルディバル 7R TKO 関光徳
(世界フェザー級タイトル戦、1967年)
サルディバル:右ジャブ、左ストレート、左右フック
関:右ジャブ、左ストレート、左右フック
(ダウンシーン)
7R:連打で関がダウン
(感想:サルディバルがタイトル防衛。五度目の防衛戦は再びメキシコで行われた関との再戦(初戦はダウン応酬の末、サルディバルが判定でタイトル防衛)。サウスポー同士の一戦。前回に比べて積極的な関。ジャブを連打し、左ストレート、右フックで攻めていく。サルディバルは負けじと応戦。右フックを食って関が後退し、サルディバルがラッシュするシーンも。7R、連打で関がダウン。立ったが、サルディバルが追撃、レフェリーストップ。初戦よりも早く終わってしまった。関のアグレッシブな姿勢は挑戦者らしくて良かったと思うが、ディフェンスとパンチを当てる巧さで王者が上回った。)
②ビセンテ・サルディバル 15R 判定 ハワード・ウィンストン
(世界フェザー級タイトル戦、1967年)
サルディバル:右ジャブ、左ストレート、左右フック
ウィンストン:左ジャブ、右ストレート、左フック
(ダウンシーン)
14R:連打でウィンストンがダウン
(感想:サルディバルがタイトル防衛。英国での六度目の防衛戦。挑戦者ウィンストンとは二度目の防衛戦で戦っており(サルディバルが判定で防衛)、これは再戦。ウィンストンは10代の頃に右の手指3本を事故で失った英国人。そういった事情から試合で使うのはほぼ左ジャブ。ガードを上げて速いジャブのウィンストン。サルディバルはいつものようにジャブからの左ストレート、接近して連打。ウィンストンのキレイなジャブも印象的ではあるが、ダメージを与えるのはサルディバルの左ストレート(4R、11Rほか)。14R、連打でウィンストンがダウン。ストップ寸前まで打たれたウィンストンだがクリンチでそのラウンドをしのぐ。判定でサルディバル。ディフェンスができ、連打で攻めるサルディバルを左一本で封じるのは不可能。これで勝負がついたと思うが、サルディバルは次の試合(防衛戦)もウィンストンと行うことに。)
③ビセンテ・サルディバル 12R TKO ハワード・ウィンストン
(世界フェザー級タイトル戦、1967年)
サルディバル:右ジャブ、左ストレート、左右フック
ウィンストン:左ジャブ、右ストレート、左フック
(ダウンシーン)
12R:連打でウィンストンがダウン
(感想:サルディバルがタイトル防衛。メキシコシティでの七度目の防衛戦。ウィンストンとの三戦目。基本的な戦い方は前回と同じ。ウィンストンがフットワークとジャブ。サルディバルはやや受け身の姿勢でジャブ、左ストレート。次第にプレッシャーを強めるサルディバル。12R、それまでと変わらない展開だったが、サルディバルが一気にラッシュしてウィンストンがダウン。さらにウィンストンが連打されたところでセコンドからタオル投入。ウィンストンはほぼ左一本のボクシング。サルディバルはその気になればもっと早い回で試合を終わらせることもできたのでは? ハンデを背負いながらも頑張るウィンストンに敬意を表して長いラウンドを戦うことにしたのかも。ビセンテ・サルディバルという選手はハードパンチャーというよりサウスポーのテクニックとパンチのキレで勝負するタイプだった印象。「天才型」ではなく「努力の人」だったと思われる。ウィンストンに三連勝したサルディバルは王座を返上して引退。その後、カムバックしてジョニー・ファメション(ファイティング原田との因縁でおなじみ)からWBC世界フェザー級王座を獲得。初防衛戦で柴田国明の挑戦を受け、TKO負け、王座陥落。ブランクを作った後、WBC世界フェザー級王者エデル・ジョフレ(ファイティング原田と二試合)に挑戦(1973年)。KO負けで完全に引退。そして、1985年、癌で死去。42歳の若さだった。)
Vicente Saldivar vs. Seki Mitsunori」
②「World Featherweight Title
Vicente Saldivar vs. Howard Winstone」
③「World Featherweight Title
Vicente Saldivar vs. Howard Winstone」
ビセンテ・サルディバル(Vicente Saldivar)①のページ
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ハワード・ウィンストン(Howard Winstone)のページ
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